そよかぜの姉妹

@88chama

第1話 

 今日は良いお天気の日曜日。時計はまだ十時をまわったところです。

いつものお父さんでしたらこの時間はまだのんびり布団の中。でもこの頃では朝早くに起きて陽の高いうちに洗濯を済ませ、部屋の掃除をした後に一週間でたまった雑用の片付けをします。そうやって手早くひと仕事を終え、コーヒーを飲みながらゆっくり新聞を読みます。


 とても忙しい日ではありましたが、お父さんには充実感のある楽しい日でありました。そして何よりも、毎日の暮らしの中でお母さんが、当然のようにやってきた仕事の大変さがよくわかる日でしたので、お母さんに感謝をしたり懐かしさがつのる日でありました。


 こんな日曜日を過ごしてもう二年がたちました。

いつものように早めに夕食を済ませると、お父さんはお母さんと娘たちの住む,横浜の家に電話をかけました。

 「お母さん元気?みんな変わりはない?」

 「お父さんも元気そうで安心したわ。お仕事の方はどうなの」

 「うん、やっとなんとかなってきたよ」

 「それは良かったわ。だって全くの畑違いの仕事なんですもの、お父さんのその言葉が、早く聞けたらいいなっていつも思っていたのよ。 嬉しいわ」

 「マミちゃんは元気か。大きくなっただろうな。この間の写真、とってもかわいくて、見てると仕事の疲れもふっとぶよ」



 お父さんがそう言った瞬間、耳もとでさわっ、と小さな風の音がしました。するとお母さんの電話の向こうでも、それに応えるかのように、さわっ、と小さな風が吹きました。

 それはお父さんの住んでいた横浜の家に、いつもそよそよと吹いていた、そよ風の姉妹たちの合図でした。


 横浜の家では、お父さんがお風呂上りにビールを飲む時や、お母さんが家事を終えてひと息つく時、そして娘さんがマミちゃんを寝かせつける時に、いつも必ず「ああ、いい風ねえ。なんて気持ちがいいんでしょう」と言ってくれるので、この姉妹たちはとても嬉しかったし、またみんなが仲良く暮していましたから、姉妹にとっては居心地のいい住みかでありました。



 でもお父さんは会社が不景気で、工場を閉鎖してしまったので、やむなく友達の紹介で岡山の会社にお勤めすることになりました。

 お父さんは一人で新しい土地で、新しい仕事に挑戦しなければなりません。不安な気持ちもありましたし、何と言ってもかわいい孫と離れて暮す寂しさが、お父さんを悩ませました。そんな時に、この姉妹たちは家族の耳もとでそっとささやきました。

 「どこで暮しても、どんなに離れていても、あなたたち家族は元気で楽しく暮せますよ」



 「一生けんめいに頑張っていれば、またきっといいことがあるさ」

 お父さんは決心して、横浜を後にしたのでした。その時に、一緒について来たのがそよ風の妹なのです。お父さんの応援をする為にね。



 電話口の向こうからの合図を聞くと、そよ風の姉はマミちゃんのほっぺを優しくくすぐりました。するとマミちゃんはかわいい声で笑いました。

「おぅっ。マミはずいぶんごきげんだな」

お父さんはとても嬉しくなりました。その声に姉も嬉しくなって、今度はマミちゃんの枕もとのオルゴールを揺らしました。するとかすかに子守唄のメロディーが聞こえました。

「あ、お父さん。これね、マミが大好きなの。いつも聞かせてあげると眠るのよ」

娘の声にお父さんはニッコリ笑いました。



 秋も深まってくるとお父さんの窓辺には、木の葉をつれた強い風が吹くようになりました。そよ風の妹は、時おり夜中にも騒がしく遊んでいる風に向かって言いました。

 「ねえ、秋風さん。元気なのはとてもけっこうなことだけど、たまにはここのお父さんに喜んでもらえることをしてみたいなって考えたことはないの」


 すると力強い風の返事が返ってきました。

 「そりゃぁ僕は台風君とは違って暴れん坊じゃないから、お役には立ってると思うよ」

 「もちろん、黒雲を追っ払ってくれるあなたは、行楽の日にはなくてはならない存在だってことは、誰でも知っているわ。でも今日は私の提案に協力してもらいたいの」


 秋風は面白そうだなと思いました。

 「あのね、ここのお父さんにマミちゃんの好きな子守唄を聞かせてあげたいの」

 「どうやって」

 「何かで音を出してメロディーに・・・そうだ、これを楽器にしましょうか」

 と言って、ベランダにある洗濯用のハンガーや洗濯バサミを揺らして窓ガラスにぶつけると、ピンピーンときれいな音がしました。


 「うんうん、われながらいい感じ」

 そよ風はうっとりすると、秋風も調子に乗って側にあったタライを叩いたり,物干し竿を揺らしたりしました。 そよ風はあわてて

 「あらあらダメよ、そんなんじゃぁ。メロディーになんかなってないわ」

 そう言うと秋風に歌って聞かせました。

「ねーむれー、ねーむれー、母の胸に・・。ねっ、あなたもうまくやってね」

 「うん、わかった。ねーむれー、ねーむ、ドンドン・・ピー・・」

 「ちがうちがう。ねーむれーって、やさしくやさしく伸ばすのよ。もう一度やりましょ」



昨日の夕方に降って窓のひさしで眠っていた雨が、風たちの声に目を覚ましました。

 「あーあ、なにがねーむれだよ。これじゃァ賑やかで眠れるもんか。」

 「そよ風さんはまだいいよ、だけど秋風君はもっと力を抜かなくっちゃァ。

子守唄なんだろう。僕たちはうまいから見てなよ。歌い方教えてあげるから。」

 と言って仲間たちに合図をすると、みんないっせいに派手なダンスをしながら軒下の水たまりに向かってピーンポン、ぴちぴち、ポチャーンと、音をたてながら飛び込みました。

 「あらあら、それじゃぁまるっきり違うわ。ねーむれー、ねーむれーなのに・・」


 そよ風の妹は一人で頑張っているお父さんに喜んでもらいたいと思ったのに、これではまだまだ無理だなとガッカリしました。そしてそよ風さんにしては珍しく、生まれて初めて大きな声で号令をかけました。

 「ねーむれー、ねーむれー、はいっ、そうそう、はーはーのーむねーにぃ・・」


そよ風さんたちの特訓は一晩中続きました。でも残念ながらそれは子守唄にはあまりにもほど遠く、そよ風さんはすっかり気持ちが沈んで、疲れて眠りこんでしまいました。


 翌日になって気が付くと、お父さんはもう会社から帰って来て、横浜の家に電話をかけているところでした。

 「そうなんだよ、それで横浜工場が再開して来年の春には帰れることになったんだ。いやぁ、嬉しいよ、ほんとにうれしい。マミとまた毎日一緒にいられるんだね」

 「あなた、良かったわねぇ。本当にあきらめずに頑張ったかいがあったじゃないの」

 「今夜は嬉しくて眠れないかも知れないな。昨日もひと晩じゅう風や雨がうるさくって眠れなかったんだけど・・」


 お父さんの言葉にそよ風の妹は申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。でもそれはすぐにお父さんの次の言葉で吹き飛んでしまいました。

 「いやぁ昨日の風はひどかったけど、やっと僕にもいい風が吹いてきたっていうもんだな」


 そよ風の妹は自分をいい風って呼んでくれたお父さんがますます好きになりました。そしてさらにお母さんの言葉に、そよ風の姉も嬉しい気分でいっぱいになりました。

 「あなた、我が家にもとうとう待ちに待ったいい風が吹いてきたのよねえ。」

 「ああ、神様ありがとうございます」


 来年の春になったらそよ風の妹はお父さんと一緒に横浜の家に帰ります。

またみんなで楽しく暮せる日がもうすぐそこまで来ています。 


 さわさわ、そよそよっと、なにげなく吹いている風。ほっと癒されるそんないい風が、どんな人の家にも吹いていることを、みんなは気がついているでしょうか。

 

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