俺の妹が強すぎる

アジのフライ

第1話

「――お兄さま。私、魔王を倒しにいこうと思うのですが」


 とある昼下がり。俺の妹はぽつりとそう漏らした。


「だめです」

「な、なんでですかっ!」


 即答した俺にシャルが小さく叫ぶ。

 銀色に輝く艶のある髪が揺れ、空のように透き通った瞳がむむむと不満そうに俺を捉える。

 いや、なんでですかと言われても。


「シャル。おまえはまだ十四歳だ。魔王は大人になってからだと何度も言っているだろう」

「私はもう大人です!」


 年齢の割にかなり立派な胸を張るシャル。

 どういう意味での大人なのかはあえて聞かないでおく。そして、実を言うとこのやりとりは今日が初めてではない。


「だめだ。危ないからせめて十六歳になってからだと前にも言ったろ?」

「お兄さまは去年も同じこと言ってました!」

「…………いやどういう意味だよ。一瞬考えてしまったけどそのままだろそのまま。十六歳になってからにしなさい」

「私、いてもたってもいられないんです。こうしてお兄さまといちゃつきながらお茶を飲んでいる間に魔王の手にかかる人たちがいると思うと……」


 シャルは悔しそうに下唇を噛むと、テーブルの上のクッキーを手に取る。さくさくとした軽やかな音が聞こえる。悔しそうにクッキー食うな。そして誰がいちゃついたんだ誰が。


「そもそも、俺が良いって言ったとして。それを父さんと母さんが許すわけがないだろ?」

「良いって言ってました。ちゃんとお兄ちゃん連れて行くのよって」

 

 軽すぎるだろ。晩ごはんの買い物かよ。

 ……そうだった。うちの両親はそういうやつらだった。時折、頭がおかしい。放任主義と言えば聞こえがいいが、放任ではなく放棄だろ。


 それともまさか、本当に俺とシャルの二人で魔王をなんとか出来るとでも思っているのだろうか。絶対に無理だ。少なくとも今は。


「それでもだめだ。お兄ちゃんはシャルを魔王討伐に行かせるわけにはいかない」

「ど、どうしてですか? わたし、魔王を倒すところまでの道筋はイメージ出来ているんです!」


 シャルは混じり気のない声でそう言った。

 イメージ。確かにイメージは大切だ。魔法が全てのこの世界において、どれだけ繊細に、綿密に、具体的にイメージができるかはとても重要な要素だ。


 そして、シャルの言葉はきっと嘘ではないのだろう。この妹がとてつもない才能を持っているのは事実。その才能という刃は、魔王の首元にも届く得るかもしれないと、そう思わせるだけのものだと俺は知っている。


 それでも俺は。シャルを絶対に止めなければならない理由がある。


「シャル。あと二年の辛抱だ。おやつだって好きなのを買ってやる。おこづかいも半分渡す。これはお兄ちゃんの唯一のお願いだ。な? 聞いてくれるだろ?」

「お兄さまのお願いだとしても、わたし、これだけはうんとは言えません」

「わかった。よし、次の春が来たら行くことにしよう。そうしよう!」

「明日から行きます」


 ……どうやら意志は固いらしい。

 これまではなんとか延ばし延ばしで誤魔化せてきたのだが、もうこのあたりが潮時か。


 俺は大きく息を吐く。テーブルの向こうで真剣な表情でクッキーを頬張るシャルを見つめる。妹が覚悟を決めたのならは、兄である俺も覚悟を決めなければ失礼だろう。


「よし。シャル。聞いてくれ」

「はい」

「お兄ちゃんは正直に話す。このことを話すのは今日が初めてだ。……今までお兄ちゃんは、シャルが魔王討伐に出ると言ったのを何度も止めてきたよな」

「はい。わたしのことが大切だから、お兄さまは心配してくださっているのですよね」

「そうだ。うん。それも、本当だ。……でもな。心配しているのは魔王にシャルがやられてしまうかもしれないからじゃない」


 驚いたように目を見開くシャル。その瞳にはわずかに悲しそうな色が混じっているのが分かった。だからこそ俺は、言わなければならない。大切な妹を、そして俺を傷つけないため。

 

「――俺が、恥ずかしいからだ」


 時が止まる。シャルも固まっている。

 しばらくしてようやく動き出したシャルは、手元に置かれたマグを両手で口元に運ぶ。こくんと喉が鳴って、ふうと小さな吐息が漏れて。


「お兄さま。この世界とお兄さまの一時の恥。一体どちらが大切だというのですか」


 向けられたのはシャルの素直な目。まぶしい。その目で俺を見るのはやめてくれ。

 しかし折れるわけにはいかない。これは俺の名誉と尊厳が掛かっているのだから。


「シャル。世界と俺、どっちが大切なんだ」

「もちろんお兄さまです」

「なら――」

「でも、お兄さまのためにも世界を救わないといけないのです」


 言い切るシャル。我が妹ながら格好良い。

 だが俺にはイメージできる。シャルが次々と強敵を薙ぎ倒し、賞賛されると共に俺が風評被害を受けるのが。だから俺は、妹を止めるしかない。


 そして今ここには、彼女を止めることができる条件が揃っていた。勝算のない戦いはしない。これが俺のモットーだ。


「意志は固いようだな。……シャル、魔王討伐までのイメージは出来ていると言ったな」

「はい。もう完璧です!」

「ならば、その強さを俺に示してからにしてもらおうか」

「まさか! お兄さまが死んでしまいます!」


 驚愕の声を上げるシャル。腹立つな。まあいい。


「今ここで、これで決着をつけよう」

「…………これは?」


 シャルは小さく首を傾げる。

 俺はというと、肘をテーブルについて手のひらをシャルに差し出していた。


「遠い国の遊びだ。手と手を合わせ、自分の手と反対側のテーブルに相手の手の甲を付けることが出来れば勝ち。もちろん魔力だって使っていいぞ」

「…………」

「言っておくが、お兄ちゃん一人にも勝てないようなら、魔王には絶対に勝てない。魔王討伐は俺を倒してからにしてもらおうか」


 辺りを見回すシャル。今この家には誰もいない。父さんは山に魔物狩りに。母さんは街に買い物に。確認済みだ。


「……ええと」


 逡巡するシャルに俺はたたみかける。


「受けられないなら諦めるんだ。どうする? やるのか? 逃げるのか?」

「やってやります!」


 いそいそと腕まくりをして腕をテーブルに乗せるシャル。妹は負けず嫌いだ。かかったな。

 ――この状況下であれば魔力、純粋な腕力の合計値は俺のほうがわずかに上。今なら、勝てる!


「行くぞ。レディ、ゴー!」

「――たっだいまー!」

「あ」


 買い物に行ったはずの母が、扉を勢いよく開けた。俺とシャル以外に、を認識出来てしまう人間がこの場に唐突に現れた。このことが意味するものを、その結末を、俺は知っている。


 シャルの目が輝いたのが見えた。


『お兄さまは間違って持って帰ってきた好きな女の子のローブの匂いを、こっそり嗅いでました!!!』


 ――――瞬間。


 赤い光がシャルを包む。

 時が止まったような感覚。爆発的に増大するシャルの魔力。天から一筋の稲妻が落ちるような錯覚と共に、家の天井は割れ、勝利へと向かっていたはずの俺の右手はテーブルへと叩きつけられる。軽やかに割れるクッキーのように砕け散ったテーブルと共に、俺の右手は床へと突き刺さる。


 後のことはよく覚えていない。


 ありありとイメージが出来た。

 俺の妹が、俺の秘密を叫びながら魔王討伐への階段を駆け上がって行く姿が。


 シャルの能力。

 それは、俺の恥ずかしい秘密を叫ぶことで、爆発的な魔力を得るというもの。


 妹は明日、此処を立つ。

 俺がやるべきは、俺の秘密を守ることで。


 そして。

 ――俺の妹は、強すぎる。


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