童心村

秋原 零

童心村

 「だからこんなこと無理だって言ったんだよ。小島。もういい加減諦めろよ」

 親友である川口のその言葉は、小島にとってひどく辛辣に聞こえた。

「何を言う。こんなことで諦めていて、興信所の職員が務まるか」

 パイプを咥えた小島の語尾は強かった。小島という男は、小学校以来の友人である川口を半ば強引に興信所事業に引き入れた。大学も一緒だった二人は、就職活動がうまくいかず、就職できないなら自分で会社を作ればいいという短絡的な発想で雑居ビルの一室を借り、探偵業の届出を役所にし、開業した。

「お前は言ってたな。探偵になって難事件を解決したいって、小学生の時から。まあ小学生らしい夢と思うよ。でもなもう大人なんだからさ、いい加減現実見てよ。そんな事件が起きたら、それはもう警察の担当だ。興信所ってのはな、浮気調査だとか、素性調査とかそういう事件性のないものを扱うんだ。わかるか。マドロスパイプ咥えて、推理して、それは完全にフィクションの世界だ。フィクションと現実の区別もつかないほど馬鹿なのか、お前は。せっかく来た素性調査の仕事もつまらないとか抜かして、断っちまうし。もうついて行けないよ」

 川口は呆れ果てていた。

「ところが、難事件が飛び込んできたんだよね、この事務所に」

 小島は自慢げに語った。

「なんだよ。難事件って。うちに来るのはせいぜい、迷い猫探しくらいだろ」

 川口は自虐的だった。小島は引き出しから茶封筒を取り出し、中から一枚の紙を取り出した。

「今日、事務所のポストに投函されていたんだ。読んでみろ」

 川口は差し出された紙を受け取り読んだ。

「お二人を童心村に招待します。どうぞお越しくださいってなんだこれ」

 川口は首を傾げた。

「童心村ってネットで調べたんだけど、そんな村もレジャーランドも存在しなかった。これって事件の匂いがしないか」

 小島はしたり顔をした。

「なんでそういう結論に至るんだ。俺たちは、揶揄われているんだよ。童心を忘れないお前のせいでな」

 川口は嘲るようにそう言い放った。

「地図が同封されていた。とにかく童心村に行ってみよう」

 小島は徐に立ち上がり、川口を引っ張った。

「やめろ。とうとういかれちまったのか。小島、俺はいかねえぜ」

 川口の悲痛な叫びが事務所にこだました。

 薄暗い路地裏を歩く二人の姿があった。不満を垂れ流す男一人と好奇心に取り憑かれた男一人。二人は地図の示す場所に着いた。木製の扉に[OPEN]と書かれた看板がかかっており、その横には「童心村」と書かれていた。

「こりゃあ、カフェかバーだよ。あの手紙、店の宣伝だったんだ。ほれ見ろ。だから行きたくないって言ったんだ」

 川口は鼻で笑った。小島は黙って扉のノブに手を掛けた。

「お前まだ諦めてないのか。お前馬鹿だよ」

 そう言いつつも川口は小島について、店に入った。店の中はとても狭く、所狭しと昭和のものと思われるブリキの模型や、お人形といったおもちゃが陳列されていた。照明は薄暗く、カウンターが照明に照らされて、わずかに明るかった。昭和時代、子供たちが胸を躍らせ、学校の裏山に作った秘密基地はこんなものだったのだろうかと川口は思った。カウンターにいる老人がこちらを振り向き、ニッコリと笑った。

「お待ちしておりました。小島さん。川口さん」老人は深々と頭を下げた。

「なんで私たちの名前知っているんです」

 川口はこの不気味な現象に僅かに焦燥した。それとは対照的に、小島は冷静に

「お招きいただきありがとうございます」と老人に挨拶した。老人に促されるまま、二人はカウンター席に並んで座った。

「何を差し上げましょう」老人は尋ねる。小島はウイスキーを、川口はビールを頼んだ。ジョッキに口をつけながら、

「お前と一杯飲むのも久しぶりだな。まあたまにはいいか」と川口は満足げだった。小島は沈黙していた。

「なんだよ。ハードボイルドな探偵気取りか。いつまでもガキみたいなやつだ」

 川口には、小島を罵る言葉のレパートリーだけは豊富にあった。

「マスター、この店いい名前だね。ほんとに童心に帰った気がするよ」

 川口は、小島を放ってマスターと話すことにした。

「ありがとうございます。たとえ大人になっても童心を忘れないことは、大切ですからね。だからこの名前にしました」

 マスターは丁寧な口調だった。

「でもね、マスター。童心を忘れなさすぎるのも考えものだよ。こいつ見ればわかると思うけど」

 川口は隣で静かにパイプを咥え、ウイスキーグラスに口をつける小島を指差した。

「小島さんのお気持ちは、よく分かります。大人になるのは、悲しいものですからね…」

 マスターは名残惜しそうに呟いた。

「へえ。僕は子供の頃は、早く大人になりたいって思ってたけどね。大人になれば自由だからね。酒も飲めるし、パチンコも打てる。いいこと尽くめだ」

 川口はそう言った。すると小島が重い口を開いた。

「マスター、大人になるってやっぱり悲しいものですかね」

 川口は小島の意外な発言に驚いた。

「ええ、それはもう。子供というものは、夢に溢れています。目に入るものは全て新鮮にみえ、明日を期待し眠りにつくことができます。明日への期待は過去の傷より優り、過去の事など自然と頭から消え去るようになります。なににも囚われず自分の行きたい所までどこまでも行ける。そんな風にさえ感じられます。しかし大人になるにつれ、見慣れたものはいずれ燻んで見えるようになり、現実を見過ぎるあまり夢を抱かなくなります。自分にまとわりつくしがらみが増え、行きたい場所に行けなくなります。これは過去への執着を生むのです」

 マスターは淡々と語った。

「なかなか鋭い分析じゃないの。マスター。賢いね」川口は感心した様子だった。

「じゃあ、過去への執着のせいでこんなに苦しいん出るですかね、僕は」

 小島は哀愁に満ちていた。

「いつまでもガキの脳みそのお前が、苦しんでるだって。笑わせてくれるぜ」

 川口は嘲笑った。マスターは川口を嗜めつつ、小島にこう声をかけた。

「小島さん。あなたは子供時代という過去に執着しているのですよ。全てが輝いて見えた子供時代に。大人がよく陥る病のようなものです。大人は過去に執着し、子供は未来に執着します。子供時代の小島さんは、きっとマドロスパイプを咥え、難事件を推理して、華麗に解決する。そんな未来を思い描いていたはずです。しかし、時がたつにつれ、そんな探偵など現実には存在しないこと、ご自身がその探偵にはなれないこと、そんな現実に直面し、子供時代に思いを馳せているのですよ。これはジレンマなのです。童心を忘れることこそが、童心を取り戻す方法なのです。子供時代という過去を捨て去り、大人としての未来を歩む。これこそがあの日へと戻る唯一の方法なのですよ」

 マスターの話を聞くうちに、二人は酔いが回り深い眠りへと落ちていった。

 川口は、目を擦りながら起き上がった。いつもの事務所と窓から夕焼けを眺める小島が見える。

「僕は、もう夢を見るのはやめるよ。まともに興信所の仕事をする。大人になることを恐れていたんだ。大人になることの重責に耐えられそうになくて。川口、僕と一緒に仕事をしてくれるか。この興信所の職員として働いてくれるか」

 小島は呟いた。

「ああ、もちろんだ」

川口はそんな小島の背を眺めていた。

 二人は童心村を再び訪ねた。そこには錆びついたのブリキの模型やボロボロのお人形が捨てられている空き地が広がっていた。


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