第16話 湘南レグルス
全ては、あの日から始まったように思う。
小学五年生、と言っても学校にいってなかったらその実感はあまりなかったけれど、とにかくあの年の夏。
死を望んでいた真っ暗闇な自分の世界を、青いギアはその拳で切り開いてくれた。
不屈の闘志は、少女をファイトギアに熱中させた。
いつかあのパイロットのように、輝いて生きてみたい。
夢は勇気と噛み合って、生きる意味を与えてくれた。
でも、あの日焦がれたヒーローは―――、
「へへ。結局、言えなかったな。数年来の想い人だって」
頬に、ひんやりとした感触が伝わる。
ぼぉーっとしていたところの不意打ちで「ふぇ」と気の抜けた声を出してしまう。
「小雛ちゃん」
「なんつう顔してんだよ」
小雛は美兎子の隣にやってきて、あぐらをかいて座り込む。
「あたしは別に、空也にこだわる必要はないと思うぜ。パイロットなら他にもいるだろ」
「それは…」
「強豪チームからの誘い。滅多にないチャンスだろ? もっと喜べよ」
小雛は先ほど美兎子の頬に当てた炭酸飲料の缶を渡してくる。美兎子はそれを受け取って、プルタブを開ける。缶の口から真っ白な炭酸が溢れ出てきた。
「どうしようもねえこともある」
「!」
「あんなカッコよかった王子様が、今じゃゲロ吐いてぶっ倒れる体たらくだ」
「そんな言い方…」
「あたしは、ファイトギアのことはよくわかんねえけど、ありゃダメだろ。多分、努力とか根性とかそんな次元じゃない。もっと根深い心の問題だ」
小雛は、美兎子に買ったのと同じ銘柄の缶を開けて飲む。
美兎子は遠くを眺めるように、兎火丸を見上げながら呟いた。
「空也殿が…」
やがて、ぽつり、ぽつりと声を絞り出す。
「空也殿が、バイトの面接に来るって知って…わたし、運命だって思ったんです」
「うぉお、突然キモイこと言うなお前」
「でも、本当に、すごい確率なんですよ」
「ま、確かに偶然にしちゃあ出来すぎだよな」
「きっと、今まで意地悪だった神様が、わたしにチャンスを与えてくれたんだって…空也殿はわたしの兎火丸に乗って戦ってくれるんだ…って。でもあの人はそれを望んでいない」
「…へっ、あんなへなちょこのどこがいいんだか、私はさっぱりだけどな」
「空也殿は、優しいです。わたしの下手な話も、ゆっくり聞いてくれますし」
「そりゃお前が美人だからだろ」
「へ?」
「口下手でも可愛けりゃ男は話聞いてくれんだよ。下心だな、下心」
「し、下心…」
何か恥ずかしいことでも想像したのか、美兎子は頬を赤らめてしゅんとする。
そんな俯いた姿が面白くて、小雛はけらけらと笑った。
「冗談だよ。別に空也はそんなやつじゃねえ。お前のことを一人のエンジニアとしてリスペクトしてる」
彼女の空也に対する『覗き魔』の印象も随分変わったようだ。
「あいつはきっと私と同じくらい、お前の未来を願っている」
「……」
「お前はどうしたいんだ? 美兎子」
それを聞かれて、美兎子はしばらく黙りこむと、そっと顔を上げる。
「空也殿は、きっと……ファイトギアが、まだ大好きなのです」
炭酸水に浮かぶ泡のように声を出す。
「あの日、砂浜でギアに乗った空也殿が、とっても楽しそうで……それを普段、押し殺している空也殿を見るのが、辛くて。まるで昔の、わたしを見ているみたいで」
美兎子は胸の奥が疼くのを感じる。あの時、病室で見たビデオに映る幼き彼の姿とは全く違う空也の『現在』は、彼女の心に言い知れぬ寂しさを呼び起こす。
「だぁ~、そそっかしいな。それなら、ハッキリ言ってやれよ」
「…!」
「アイツはアイツなりに、自分の人生に納得しようとしてる。それを捻じ曲げて欲しいんだったら、ちゃんと言葉にしなきゃだめだ」
「…言葉、に?」
「私はお前と戦いたいんだって、しっかりとアイツの目の前で、言ってやれ」
言わなきゃ伝わらない。―――当たり前だけど、忘れがちなことだ。
小雛はポンっと美兎子の背を叩いて朗らかな笑みを浮かべる。
「フラれたら、慰めてやっからさ」
その週の土曜日―――、空也は目覚める。思いの外、清々しい朝だった。
「行ってきます」
歯を磨いて顔を洗う。上下揃った黒いジャージに着替える。玄関に向かう。
「ねえ、空也」
扉を開ける寸前、母・香澄に呼び止められた。
「最近、帰り遅いけど…バイト大変なの?」
「え。ああ、いや、そういうわけじゃなくて。ただ、友達と喋っててさ」
「そう…でも、勉強はしっかりとやらないと」
「わかってるよ」
「もしかして…ファイトギア、やってるんじゃないの?」
「…! なんで?」
「なんとなく、そんな気がして」
「違うよ」
空也は表情を変えずに否定する。
「俺はもう、諦める。今日、だから」
「?」
「行ってきます」
空也は、母の重たい空気を振り払うように家を出る。
爽やかな潮風が頬を撫でた。
そうだ。今日こそ、本当の意味で空也の夢が幕を降ろすのだ。
(美兎子が、風月のチームに加わる。そうだ。今日この瞬間の為に、俺はファイトギアをやってきたんじゃないか?)
美兎子と小雛と駅で待ち合わせをして電車に揺られる。
電車の中では緊張からか、美兎子どころか小雛までも、口数は少なかった。
(そうだ。美兎子は天才だ。俺とは違う。こいつなら、きっとどこまでだって)
目的の駅に着き、地図に従って〔湘南レグルス〕の本拠地に向かった。
「すっ、げえ…」
聳え立つ建物を目の当たりにした瞬間、小雛が感嘆の声を漏らした。
ドーム状のスタジアムが展開され、そこに巨大なラボが併設されている。規模、清潔さ、全てが規格外だった。獅子のマークが入ったロゴデザインが彼らを出迎える。
圧倒されながらも、敷地内に入ると。
「ようこそ、諸君」
透き通った美声が三人を出迎える。ボブカットの黒髪に、麗しい顔立ち。一流モデルのように流麗な肢体を、チームの黒いユニフォームが引き締めている。
「私が、嶋田風月だ」
中学ファイトギアリーグ二連覇。昨年高校リーグでは一年生ながらも、全国ベスト4の位に昇り詰めた。確かな実績と、その華やかな美貌。足の運びから重心の揺らぎに至るまで淀みがない。
競技に詳しくない小雛までもが、彼女の風格に当てられ息を呑んだ。
「どうだ。大したもんだろう」
建物に入ると、ロビーには数十体のギアが立ち並んでいた。
まるで中世の城で甲冑が飾られているように、鋼鉄の巨人達が空也達を出迎える。
「これらは全て、かつて我がチームで猛威を振るった強豪機たちだ」
「……」
「そして私の虎風も、いずれこの一つに並ぶ」
風月は流し目で背後を歩く美兎子を射抜く。
美兎子は、頬を赤らめて目をそらすが、それは人見知りだけが理由ではないだろう。
同性でも、見とれてしまうほどの美しさなのだ。彼女は。
「そして、神橋美兎子。君が造りあげる機体も、このメインフロアに飾られるだろう」
「!」
ハッキリと、風月はそう告げた。
それはつまり、美兎子を―――、
〔湘南レグルス〕のメンバーとして迎え入れようと言う意味に他ならない。
「君に紹介したい男がいる」
彼女が案内した先は、このチームのギア製造施設。
メインラボだった。
「…!」
空也は横目に、美兎子の表情が明るくなったのを見た。
メインフロアとは桁違いの広さの施設だ。
立ち並ぶ大型の格闘競技用ギア。最新式の〔パーソナル・ドッグ〕に設置され、
「ファイトギアの強さは、懸けられた金額で変わると言っても過言じゃない。金は力だ。まあ、こんなことを言えば、今から紹介する男に怒られるかもしれないがね」
「ヒヒ。違いねえ」
ぬらり、と風月の背後から現れたのは、丸眼鏡をかけた少年だった。
爬虫類のような顔をしているが、その佇まいからは知性と野望の色が滲み出ていた。
彼の背中からは8本の腕。否、ロボットアームが生えている。
「おい。客の前でそれは外せと言っただろう」
「悪い悪い。どうにも、2本の腕だと効率が悪い」
腰に巻いた操作盤を巧みに利用して、8本の腕で二つのネジをジャグリングした。ちょっとした曲芸は、彼なりの歓迎の証だろう。
「ヒヒ。俺は
「久しぶり。晶」
「ヒヒ…反論もなしか。寂しいね」
「ちょっとばかし性格がアレだが、こいつは私のメインエンジニアで、〔湘南〕の技術部門のトップだ。君を仲間にしたいと直々に指名したのも彼なんだよ」
「ヒヒ。そこの洒落た『つなぎ』のお嬢さんが神橋美兎子だろう?」
来栖木は、爬虫類のような鋭い目で美兎子を見つめる。
「お前の兎火丸。見させて貰ったぜ。ありゃあ、エロい脚したいい機体だ。ヒヒ」
「っ! なんで」
「舐めんな。見りゃあわかる」
「……」
「神橋美兎子。お前、マジにたった一人であのギアを組んだのか?」
「い、いえ、こ、こ、小雛ちゃんにも、て、手伝っていただきましたし、決して一人というわけでは」
「あたしは別に言われた通りにネジ締めただけだよ」
「ヒヒっ、二人でも上等だ。それにあのイカれたギミック。最っ高に反り立ったぜ。緊急脱出アタックだったか? ネーミングがちと良くねえが、発想は認めてやる」
「来栖木。そうがっつくな。彼女が怖がっているよ」
「おっと、こりゃ失礼」
風月にたしなめられると、来栖木はロボットアームの掌を広げて引き下がった。
「神橋美兎子。俺ぁ、杓子定規のエンジニアは嫌いだ。今年の後輩どもは随分腑抜けた連中ばかりでなぁ、お前みてえなイカれた奴が欲しかったんだ」
来栖木は、八本のロボットアームで背後のラボを指さす。
「最新鋭の設備! 馬車馬のように働く部下共! 鍛え抜かれたパイロット! そして、俺という最高の先輩! より高みを目指すなら、お前にはこの場所が相応しい」
「……」
「ヒヒヒヒヒヒ! さあ神橋美兎子! 〔湘南〕に入れ。最高峰の費用と技術をお前に献上する! だから俺たちと」
「そそ、そのことなのですが…」
「あ?」
空也は誇らしかった。喜ばしかった。
かつて自分が遠く及ばなかった傑物たちに美兎子が賞賛され、その力を求められている。それがこれ以上なく嬉しかった。
だから、美兎子が振り絞った次の答えは、空也にとって信じられないものだった。
「わたしは、〔湘南〕に入るつもりはありません。わたしのパイロットは、空也殿ただ一人なのですから! 今日はそれをハッキリ言おうと…」
「…え?」
〔湘南レグルス〕に入らない? どうして。なぜ? 疑問が渦巻く。ここなら美兎子の才能を十全に発揮することができる。彼女の未来が満開に花開くはずだ。それなのに、彼女はどうして、今、なんて言った?
「…なるほど」
風月は表情を崩さずに頷いた。
まるで美兎子の答えを、予測していたようだった。
「だそうだが、諸星」
「…え」
「私と君で教えてやらないか。彼女が歩むべき道を」
彼女はそこで、初めて彼を見た。
その声は、凍てつくように低かった。
「地下に来い」
ファイトギアゲーム~パイロットの夢に破れた俺が、もう一度立ち上がる物語 @nanafushi10101
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