第15話 憧れたのは


「もう、体調は大丈夫なのか?」

「はい。二日も休み貰ってすいません」


 店に戻ると、午後の営業では小雛と美兎子は整備の仕事があるとガレージに引っ込んので、店頭に出ているのは空也と宗一だけである。


「ギアで戦っただけで吐いちまうとは難儀なもんだな」

「………自分の心が弱いだけなので」

「まあ、無理もねえか」

「え?」

「密閉された閉鎖空間で戦うんだ。典型的なコクピット恐怖症だな」

「……」

「工事現場でギアのバイトやってたっつうのも、その症状の克服の為か?」

「いえ…自分のやってきたことがお金になるなら、それが一番いいと、それだけです」

「そうか」


 歪な話だ。ただギアに乗るだけならば降り注ぐ鉄骨にも飛び込める勇敢さを持つ空也だが、ひとたび敵機と相まみえれば全身が委縮して呼吸さえ困難になる。


「あの後、賀蒙って人が、オリオンズの医務室貸してくれたんですよね」

「流石にガキが吐いて倒れたのに何もしない奴じゃねえよ」

ならば何の為に戦ったのかという徒労感も残る。


 結局、その場の感情に流されて暴走してしまった。という事なのだろうか。


「アイツ、お前を寄越せって煩かったぜ。オリオンズのパイロットになってみたらどうだ?」

「俺はもう、ファイトギアには興味…ありませんから」

「興味ない、ねぇ」

「…見えませんか?」

「さあな。お前がそう思うならそうなんだろう」


 俺がとやかく言うことでもない。と宗一は言い切った。踏み込んでくるわけでも、突き放すわけでもない。この絶妙な距離感が心地よくもあった。


「でもよ」

「?」


「夢を諦めんのと捨てんのは、全然ちげえぞ」


「…!」

「諦めんのは簡単、って言ってくるやつがいるがありゃ嘘だ。捨ててるだけだ。本当に諦めるってことは、時に叶えるよりも遥かに難しい」


 宗一の言葉は、濁りない水のように流れ込んでくる。


「悪い。歳食うと余計な言葉が増えるな」

「いえ…」


 宗一は、瓶に詰めた棒突きキャンディを手に取る。


「いるか?」


 と聞いてくる。

 味は最初にあった日と同じ『ガツポン酢味』だ。


「じゃあ、貰います」


 キャンディを受け取って、包みを開けて飴を舐める。

 塩っぽくて酸っぱい、大人の味がした。


(諦めるのと、捨てるのは、違う……)


 その言葉遊びにどれほどの意味があるのかはわからない。

 しかし、自分の胸で問い返してみる。


 自分はファイトギアを諦めたのか…それとも―――。


「!」


 悶々と考え込んでいると、ベルが鳴った。

 店の備え付け電話からだった。

 宗一は立ち上がり、カウンター端に置いた電話まで向かって受話器を取る。


「はい。もしもし。白鳥モーターですが」


『……』


 空也の耳に、受話器の向こうから微かに声が聞こえてくる。

 お客さんだろうか? と考えていると―――、


「そりゃあ、どういうことですかい?」


 と宗一が訝しんだ表情を浮かべる。


『……………』

「おい空也。お前に電話だ」

「?」


 突然自分が呼び出され、疑念が浮かんだ。もしかしてクレームだろうか。そんなに客に対して不用意な態度をとった覚えはないが…恐る恐る受話器を受け取って耳に当てる。


「変わりました。諸星です」


 なるべく。ハッキリと声を出すよう心がけると…。


『久しぶり。諸星空也』


 少女の声で返事がくる。


「…?」

『声を聴いても、わからないかい。寂しいね』

「っ! 風、月か?」


 途端に、空也は身が震えるのを感じた。額に冷や汗が浮かぶ。視点が定まらなくなる。呼び起こされるのは、かつての挫折。敗北。


『はは。久々に喋れて嬉しいよ。それとも君は、私の声なんて聞きたくなかったかな』

「……」

『乗ったんだろ? ファイトギア。いい戦いぶりだったじゃないか』

「! どうしてそれ…」

『動画で見たんだよ。君の試合を』

「動画?」

『酷い試合だったね。君があんな腑抜けなプレイをするとはね。まあそんな話はべつにいい。少し、頼みがあるんだ』

「…頼み?」

『そっちに神橋美兎子というエンジニアがいるだろう。彼女を我が〔湘南レグルス〕に連れて来て欲しい。予定はなるべくそっちの都合に合わせるけど、できれば今週中がいいかな』

「え」

『頼むよ。同じチームで競い合った仲だろ?』


 電話越しの少女の声は、一方的に要件だけを連ねる無機質なものだった。


『あの機体は持ってこなくていいから。修理も大変だろうし。用があるのは彼女自身だからね』

「…それって」

『そうだ。私は神橋美兎子というエンジニアに興味がある』

「…………わ、わかった」

『話が早くて助かるよ。じゃあ彼女によろしく』

 ツー、と電話が途切れる。

 受話器から耳を離すと、店の静寂だけが残る。


「元カノか?」

「……違います」


 宗一の軽口のおかげで、少しだけ状況が整理できてきた。


「ただの、昔の仲間です」










「スカウト、ですか?」


「ああ。俺の昔の仲間でさ。そん中でも一番強い奴が、自分のチームに美兎子を連れてきてくれってさ。オリオンズでの試合の動画を見たらしくて」

「え…」

「すげえじゃねえか! 美兎子!」


 小雛は突如飛び込んできた朗報を、自分のことのように大喜びしている。

 しかし当の美兎子といえば、複雑な表情を浮かべて俯き気味だ。


「なあ、美兎子」


 空也はしゃがみこんで、椅子に座る美兎子と目線を合わせる。


「こんなチャンス、逃す手はない」

「空也…殿?」

「なんてったって、相手はあのテツジン・カズトラの娘だ」

「はぁ? マジかよ」


 横で聞いていた小雛が露骨に目を輝かせる。ファイトギアにそこまで造詣が深くない彼女にとっても、テツジン・カズトラの名はビッグ・スターなのだ。

 世界選手権三連覇。オリンピック二度の金メダル。その功績を挙げればキリがない。

 この国で最も偉大なファイトギアパイロットだ。


「ああマジだ。嶋田一虎の娘、神の子・嶋田風月。俺なんか足元にも及ばねえ、俺たちの世代のエースパイロットだ。そんなすごいやつが、お前に興味があるって言ってたんだよ」

「……テツジン」

「美兎子も、ギアやってんなら憧れただろ? あのテツジン・カズトラに!」

「わたしが…」

「?」

「わたしが憧れたのは…」


 美兎子は一瞬、何か大事な言葉を振り絞ろうとして、それを途切れさせる。


 きっと、何か言い辛いことでもあるのだろう。

 だがここで退いては彼女の未来が閉ざされる。


「確かに、オリオンズは肌に合わなかったのかもしれない。でも、人と一緒に夢を追い求めるってことは、何よりも楽しいことなんだ。もしかしたら、〔湘南レグルス〕でそんな相手を見つけられるかもしれない。なんたって全国常連チームだ。すげえパイロットもエンジニアもわんさかいる!」


 どの口で夢を騙るのだ。

 と耳元で誰かが囁くが、そんなことは御構い無しにまくしたてる。


「ファイトギアは誰かと戦って、競い合って、初めて意味があるんだ。だから行ってみよう! 〔湘南〕なら、美兎子はもっと高みへ昇れる」


 喉が干上がるほどに言葉を紡ぐ。

 美兎子に、どうしても未来を切り開いて欲しかったからだ。

 小さなこのガレージから、飛び出して欲しかった。


「あたしも、賛成だぜ。美兎子はちょっと閉じこもりすぎだ」

「……」


 小雛も賛同してくれている。一緒に暮らしてきた彼女の言葉は百人力だ。


 美兎子はしばらく俯いて、二人の意見を反芻する。

 数秒。考え込んでから、ゆっくりと顔を上げた。

 その顔は未だ晴れてはいないが、それでも決意の灯火のようなものが瞳の奥に見えた。


「二人がそう言うのなら…」



 美兎子は、ぽつり、と掠れた声で呟く。




「行ってみます。湘南、レグルス」



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