第27話 永久を誓う
やがて花の季節の折り返し、蓮の花の頃となった。太陽は輝きを増し、日毎にじりじりと強まってゆく。そんな太陽もまだ穏やかな朝、離れの庭には太鼓橋に向かう春鸞と蓮香の姿があった。
「さぁ、香。気を付けて。」
「えぇ、春様。ゆっくり行くわ。」
「今年も見事に咲いてくれたよ。ほら、見てごらん。」
大きくなったお腹を抱えた蓮香の手を引いて、春鸞は蓮の花を眺めている。
「えぇ、本当に見事だわ。美しい。不思議ね。今は、蓮華がゆりかごのように見えるわ。」
「あぁ、そうだね。そうだ、この子の為に蓮華のゆりかごを用意しようか?」
「春様、それはやめておきましょう。悲しい出来事を想い出してしまうわ。」
春鸞は黙って頷いた。
それからしばらく、二人はたわいもない話をしながら蓮の花を眺めていた。その二人の様子を離れの窓から、静と兼悟が見つめている。
「仲睦まじい姿を、また見られてよかったですね。一時はどうなる事かと思って冷や冷やしましたよ。」
「そうね。旦那様もああ見えて不器用で怖がりなのよね。でも、善かったわ。蓮香も随分と大人になった。」
「えぇ、本当に。旦那様の方が子供のようだ。」
「本当にそうね。でももう、若様ではなく玄家の旦那様なのよね。」
「えぇ、ああ見えてもね。外へ出たら立派な玄家の旦那様なんですから。これがまた、皆が一目置く立派な方なんですよ。」
静は微笑んで兼悟の言葉を聞いている。穏やかな離れの日常に二人は安堵していた。
その頃、遠くの赤英の都では内乱による戦火が上がっていた。役所側に不満を募らせた民との対立が起こったのだ。事の発端は、度重なる役人の横暴な振る舞いと横領が表に出た事のようだ。
赤英の街を司る街長に反旗をひるがえした名家が民を先導し、この機に乗じて役人の中からも街長にとって代わろうとする者が立ち上がり街は混乱し戦場と化していた。
遠い赤英の街の事とはいえ、名家として陰ながら街長と共に京州の街を治める立場にある玄家も他人事ではなかった。勢いづいた赤英の民が暴走し、いつか京州の街にも戦火が迫って来るかもしれない。この機に乗じて京州でも内乱が起きるかもしれない。その恐怖を玄家も街の人々も感じていた。
「香、この街にも戦火が迫って来たらどうする?」
「どういたしましょう・・・ 私はただ、春様の傍らにいて出来るだけ長くこの離れに居たいわ。」
「あぁ、そうだね。私もそう思う。私は、出来るだけ戦を避け解決できる道を選ぼうと思う。街が荒れ民を失うのが怖い。それは弱いと思うか?」
「いいえ。あなたの答え一つで、この街の動向が変わってくる。人々が血を流さずに済む道があるのなら、私はそれを弱いとは思わないわ。たとえ悪しき体制が生まれたとしても、いつか体制は変える事ができるかもしれない。けれど命を失ってしまったら、もう何も起こせないわ。」
「あぁ、君の言う通りだ。私もそう思う。私もそのように、街長に進言するつもりだ。」
「えぇ、春様。大丈夫。私は最後まであなたの味方よ。あなたを信じるわ。」
「香、ありがとう。君が味方でいてくれることが、何より心強い。そしてこの京州の都が平穏である事が有り難い。」
「えぇ。都の平穏があってこそ玄家は役割を全うできる。龍箏香堂を保つ事も出来るわ。」
赤英の街の内乱は、蓮の花が散り終わる頃に鎮圧され他の街に戦火が及ぶことはなかった。赤英では名家を中心とした新しい街長が立ち、民はより経済が発展し暮らしが潤いそうな新たな赤英に期待を寄せている。そして機に乗じて京州で内乱が起こる事もなかった。京州の街では穏やかに時が過ぎ、人々が蛍を追い鯉雛を流して願いを託し美しく四季が移ろっていった。
冬になって寂しかった玄家の離れの庭に、今年は彩りが灯った。山茶の花が開いている。離れの庭は春鸞と蓮香の想いが加わり新しい姿を見せている。四季の巡りに沿って出番が来ては咲き香る花々に欠けがなくなり、風が途切れる事無く花の香を運び巡る。
龍箏香堂は春鸞と蓮香にとって、誰に構う事無く二人だけで過ごせる安らぎの場であり続けた。龍笛と箏の音が響き、花の香が漂う穏やかな場所であり続けた。
「ねぇ、春様。知ってらして? 紅い山茶は、‘あなたが最も美しい’と云い、白は‘あなたは私の愛を退ける’と教え、薄紅の山茶は‘永遠の愛’を見せるそうですよ。」
「ほう、山茶にそんな意味があるのだね。知らなかった。」
「ふふっ。私も知りませんでした。大奥様の書を読むまでは。山茶は色に関係なくどれも‘ひたむきに困難に打ち克つ’という姿を見せるそうですよ。厳しい冬に美しく咲くからでしょうか? なんだか私たちの離れでの想い出と重なるように思えて親しみが湧きます。」
「うん。そう云われれば、君は幼い少女から私にとって最も美しい女性に成長し、私の愛を拒んで山の別荘へ隠れてしまったね。」
「えぇ。そうでした。でも恐れに打ち克って今は、春様との永遠の愛の中に居ますわ。」
「うん。そうだね。私たちのこれまでの日々と似ているね。この先、心がすれ違うような事が起きたとしても、庭の山茶を見る度に絆を保てそうだね。」
「えぇ、私もそう思います。」
冬空に開いた山茶の花が、これからも永く永く巡る愛の時の始まりを告げている。美しく開き沈黙のような香を放って。
今、その離れで大人たちを翻弄し優美で静寂な時を唯一騒がしているのは、小さな小さな赤ん坊の元気のよい泣き声だった。
完
龍笛の風 七織 早久弥 @sakuya-t
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