〈後編〉真相

「ずっとつけて来てたよね? 何か用?」


「用というのはなくて……」


「用がない人間を付け回すの? 大体、僕が誰だか言える?」

 この「笙野圭」は冷たく、突き放すような話し方をした。


「あの……」


「知らない人間を付け回すんだ」


「いえ……」と首を振った。私は後を付けてきた事を真底後悔していた。


「じゃあ言えよ。僕が誰だか言えよ!」


「笙野……圭」


 その言葉に相手の顔色がみるみる変わった。

「笙野圭を知ってるのか!? いや、その、知ってるの……ですか?」


「え! 笙野圭を知ってるんですか、逆に!? ていうかやっぱりあなたは笙野圭なんですか?」私はさっきまでのオドオドした態度から一転、相手に掴みかかるような体勢になっていた。


「待て待て。落ち着いてよ、頼むから」




 五分後、私達はカーブを上った先の高台のマンション前にある小さな公園にいた。


 並んでベンチに座ると、私は鞄の中のLP盤を取り出して彼に見せた。

「私は筑南高校一年の前田乃愛っていいます。このレコードを出した歌手に似ていたのでビックリして追いかけてしまいました。ごめんなさい」


 相手は、私の取り出したLP盤をじっと見つめていた。


「僕は柳井裕翔やないゆうと。城北高三年。このレコードがどうして前田さんの所に今あるのか聞いていい?」


 それで私は、説明した。祖父母の貸家を大掃除した時、このレコードを発見した事。この中の歌を聞きたくてプレーヤーのある家電ショップに今から行こうとしていた事。柳井裕翔は、一つ一つの言葉にうなずいていた。


「で、笙野圭とはどんな関係なんですか? 他人ではないでしょ? あんなに驚いてたから」私は相手に尋ねた。


「どんな関係だと思う?」


「生まれ変わり」


「まじで? んなわけないよ。笙野圭は今も生きてるし。実は僕もこのレコードを探してたんだ。これは僕の大叔母にあたる人が出したものなんだ。彼女の本名は生野圭子。ショウノは生きるに野原の野なんだ。このジャケットに書かれた名前の笙野圭は芸名」


「え? あの……笙野圭は女性?」


「ん。でも男と思ったのはおかしくない。そんな風に見せてたんだよ。大叔母さんはね」


「……わけ、きいてもいい?」


「ん。まず大叔母さんは性同一性障害とか、そういう訳ではないんだよね。実はこういう男の子みたいな格好で歌手してた事を僕が知ったのも最近なんだ。


 大叔母さんは僕が生まれてすぐ位に離婚してたから、ずっと独り暮らしの姿しか見てないんだ。子どもはいない。でも子ども好きで、小学生の英語教室の講師をしていたり、優しい印象の人でさ。僕は小さい頃からずっと大叔母さんが大好きで、いつもついて回ってた。今は大叔母さんは療養施設にいるんだけどね」


 そう言って、私にスマホで一つの画像を見せた。そこには、裕翔が一人の柔和な笑顔の高齢女性と一緒に写っていた。品の良い頬のラインに間違いなく笙野圭の面影がある。その笑顔を見た時、私は両眼から涙があふれた。どういう涙か自分自身にも分からなかった。


「え? どうしたの?」


「……美しい人だから、涙が出た」それは本当。


「だよね」


「療養施設にいるって、どこか身体の具合が悪いの?」


「病気のせいで記憶障害があって。ただ心の問題も大きいってお医者さんは言うんだ。自分がどこの誰だかはっきり見極められなくって、ストレスになってるって。


 それで、大叔母さんの兄、つまり僕のじいちゃんが話してくれたんだ。自分の妹の昔の事を。


 厳しい家の次女に生まれ、大学在学中、すでに親の決めた良家の青年との縁談があった事。とにかく曽祖父は全てを題名の付いた箱に入れないと気が済まないたちだった事。良家の娘、優等生の子……とかね。でも彼女は、自分だけは箱に入れられたくなくて、自分に合う箱なんて無いと思ってた。自分を表現する唯一の方法が音楽だったんだ。それで家を飛び出し、男か女か分からない格好で歌って、歌詞でも自分を僕と呼んでいた。そしてついに才能を認められレコードを出せたんだよ。


 でも元々体が弱かったから音楽を続けられず、結局故郷に戻って親の言う通りの人生を送るしかなかったって。誰も応援してくれなかったから。じいちゃんも兄として応援できなかったの、すごく悔やんでる。『妹にとって一番輝いていた時期は、一枚のレコードを出した時だったのに』って。でも夢を捨てた時、歌に関する物は全て捨ててしまったから何も残っていない。

 まじで最近このレコードを探してたんだ。自分の歌を聴いたらきっと大叔母さんは大切な何かを思い出して幸せな気持ちになれるんじゃないかと思って」


「そう……」



 沈黙の時が流れた、数秒、数分。


 陽は傾きかけていた。私は膝の上のレコードを見つめた。これは歌っていた本人に返すべきものだ。たぶん最初からそういう巡り合わせ。


「ね、これ、大叔母さんにあげて……」


「え? いいの? きっと喜ぶよ」


「うん。でも一つだけお願いがある」


「何?」


「これを手放す前に、ヘッドフォンでこの中の曲、聴いてみたくって。夢だったから。家電ショップに行っていい?」


「待てよ。家電屋なんか行かなくても、すぐそこの店にプレーヤーもヘッドフォンもあるよ。知り合いみたいなとこなんだ」


 マンションの周辺には様々な小さな店が集合していた。その中の一つがレトロな喫茶店。店の名前はブロッサム。黄昏時の蜂蜜色の中で入口の百合の形のライトがぼんやり辺りを照らしている。





 裕翔を知っている店主は快く一番後ろの席へ案内してくれた。その店に来るまでの間に裕翔は、いつか本物の笙野圭に紹介すると受けあってくれた。私はこれからもこの町に縁がある気がする。



 店の奥のレコードプレーヤーの前に私は座り、店の主人が針をレコードの円盤の上にそっと置いた。ヘッドフォンから流れる音楽を息をひそめて待っている間、紅茶の薫りがたちこめる。


それは、アカペラで始まった。細やかな雨音のような声は優しく私を包み、ギターの弦の音色と混じり合った。


――いつの間にかきみは僕の中で砂時計のように降り積もっていた――


 その歌声は私の心に降り注ぐ。そして別な場所へと連れて行く。


 そこはどこか、都会でも田舎でもない芝生の多い、でも都会的な場所。太陽が雨上がりの街を照らし始める。そんな幻想の中にかつての笙野圭がいる。切なく優しく微笑みながら。私は心の中で叫ぶ。時代をさかのぼって。


――私は、あなたの夢を応援しています、全力で――


 伝えたかった想いを切り取り、私は心の中のレコードにしっかりと帯を付けた。「誰も知らず消えた恋」という言葉と一緒に。




〈Fin〉


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誰も知らず消えた恋 秋色 @autumn-hue

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