時間断層のずれ
高黄森哉
時がずれる時
「なんだか軽薄な気分がする」
俺は何となく感じる、軽やかさを言葉にしてみた。その言葉は、やはり軽薄に、横にいる杉本の耳に届いた。
「理由がないなら気のせいさ」
やはり軽薄に答える。
「いや、理由はある。過去がない。そうだ、過去がない」
俺は、過去をありありと思い出せた。だが、どうも、繋がっていない気がするのだ。幼年期から大人までの工程は、記憶にしか存在せず、身体も昨日のそれとは別物で、ぽっと現れただけな気がするのだ。
「俺もそう思ってた」
◇
過去への断絶感は、日本中で広がっているそうだ。ある日を境に過去への不信が芽生え始めたのだ。そもそも、過去は手に触れることも目にすることも出来ないものである。観測をし、それを発表することは出来なければ、それは架空の存在でしかない。我々にとって過去は、架空の存在以上ではない。
そもそも、過去があるのか否か、という疑問は、以前にも、五分前仮説として現れていた。現在は五分前に生成されたものでしかない。これに対する十分な反論は、今も、なされていないのだ。だれが過去なんて信じるのか。過去なんて信じるものか。
「だれが信じるのか。それがそこにあったなんて、勘違いなのかもしれないじゃないか」
俺は主張する。
「勘違いに縛られて生きるなんて間違ってる」
例えば風習、例えば伝統、例えば歴史。それがずっとあり続けた証拠を俺に提示せよ。あったとしても捏造かもしれない。そうだ、捏造。実際、繰り返されてきた。これは不謹慎だが、原爆は本当に落ちたのだろうか。いや、冗談ではない。我々は戦争を知らない。知らないが故、信じることもできない。何があって何がなかったのか、はっきりしない。都合のいい解釈と数字しか載せない。俺は二次戦の全貌を把握していない。歴史の教科書で明らかに端折られているからだ。俺達の子孫は、アジアの植民地でいったい何をしていたのか、謎である。謎だからどうとでも解釈できる。私のように馬鹿みたいに悪い方向にも、むしろアホみたいに楽観的な方向にも。
「教科書は本物か。ただの脚色された物語に過ぎないのではないか。そうだ、歴史は物語に過ぎない」
全ては記述出来ない。記述漏れが必然的に起こる。それに内容の取捨選択は飽くまで作為的である。それはノンフィクションを謡う物語と変わらない。記述漏れは、初めから無かったと同じに写る。
「歴史は全て記述漏れを起こしたんだ。まるで教科書の第二次世界大戦みたいに省略されたんだ」
すべてが馬鹿らしかった。無条件に信じることを、盲目的に信じることを、強制されてきた反動。しかも、ずっと裏切られてきた。ベトナム戦争の始まりだってそうだ。あれはきっと白旗作戦であったのだ。歴史程信用できない物もない。
「今日からは全てやめだ。撤廃だ。真実を、若者に伝える努力を怠ったのがいけない。ぜんぶ欺瞞だらけだ」
過去なんてなかった。正確には遡ることが出来なかった。みんなで捻じ曲げたからだ。遡れない過去は、無いと同じだ。
◇
過去に対する無信仰は、歴史の儒教的敬意への攻撃が理由だったのかもしれない。なにが引き金か分からないが、一旦作られた流行は熟成される。
まず、年功序列制が廃止された。年に寄る積み重ねなんて、バカバカしいからだ。そして、カジノが出来た。いままでの、教訓上、ギャンブルは不幸を生みそうだが、そういった過去の教訓は無になった。日本経済の停滞。停滞を無視して、引き延ばされた。過去が無ければ停滞もないからだ。フェミニズムは、人類数億年の歴史で完成された、育児の制度を破壊しようとしている。人口の減少が止まらない。
これらは全て流行に過ぎない。全てが軽薄だった。歴史に対して不真面目だったからかもしれない。引き金は歴史に対する不信かもしれない。みんな本当は歴史なんて信じてないのだ。
我々にとって歴史とは、架空の存在にすぎない。そう考えても支障がない。歴史の教科書は虚構に過ぎないし、エッセイは娯楽小説に過ぎない。だれも信じない。冗談半分で読むより他なかった。
時間断層のずれ 高黄森哉 @kamikawa2001
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