母親の後悔と未来(ハンスの母親視点)

「そろそろ店をあけるぞ」


 テーブルの上を濡れ布巾で拭いていたら厨房から声を掛けられて、あたしは慌てて店の中を見渡した。

 オプゥテナという町にある酒場で、あたしは働いている。

 生まれ育った村からこの町に来るには、村から一日歩いて隣町に行き、そこから辻馬車に二日程乗らないといけない。来たときは娘の夫が馬車で送ってくれた。

 村に残したハンスの様子が気になって一度だけ村に帰ったことがあるけれど、夫に金の無駄だと罵られそれからは行商人をしている遠い親戚に頼んでお金を夫へ届けて貰っている。


 あたしは料理人の天性技能を持っている。

 あたしみたいな女には、勿体ない技能だと夫には笑われた。

 夫の天性技能は農夫で、この世で一番多いと言われている天性技能だと聞いたことがある。

 料理人という天性技能を持っていたものの、貧しい農村に生まれて育ったあたしはその技能を生かすことは出来ず、成人してすぐ幼なじみの夫と結婚した。

 正直あまり好きな人じゃあなかった。

 付き合う様になったのも合意じゃない。

 祭りの夜にお酒を無理矢理飲まされて、気がついた時には同じ布団に裸で寝てたのだ。

 にやにや笑う顔を見た時は死にたくなった。

 それからは暇が出来ると呼び出されて、最後は子供が出来て結婚するしかなくなった。

 お前が村で一番綺麗な顔をしてたから、好きに遊んでただけだったのに。ガキなんて作りやがってと一緒に暮らし始めた最初の夜に顔を打たれた。

 そこからは辛い生活の始まりだった。

 あたしの父親はとっくの昔に亡くなっていたし、結婚前に子供が出来てしまったあたしは母親に見限られていた。

 あたしは、付き合っていると親に報告もしていなかった。

 真面目な付き合いじゃなかったしそもそもあたしは男と別れたかったから言い出せなかった、母親は別な家にあたしを嫁がせようとしていたところだった。

 殆んど話が決まっていたところであたしの妊娠が分かり、温厚な母親は顔を真っ赤にして怒りだした。

 夫との結婚は、一番の親不孝だった。

 そんなこと自分が一番分かっている、だってあたしだって幸せじゃない結婚だものそんなの親不孝にきまっている。

 親が子供の結婚を決めるのが当たり前の閉鎖的で保守的な村で、勝手に結婚を決めたどころか子供が出来ての結婚。

 母親も妹も泣きわめいて、追い出される様に嫁がされた。

 だから辛くても家には帰れなかった。

 夫が働かないから家は貧乏な村の中でも一番の貧乏で、僅かな食べ物は夫が全部食べてしまうから、あたしも子供達もいつもお腹を空かせていた。


「あの子達寝たかな」


 店の中は問題ないと判断して、布巾を洗いに調理場に入る。

 仕事をしながら考えるのは、幼い三人の息子達のこと。店の二階にいる二人の子供と村に残してきたもう一人の子供ハンスのことだ。


「用意終わりました」

「ありがとう。外のランプに灯りを点けてきてくれ」

「はい」


 忙しそうに調理場で働くジャンクさんに言われて、小走りで外へ出る。

 店の外壁に取り付けられたランプは魔道具で、火の魔石に魔力を流すと灯りが点く。

 蝋燭の灯りしか知らなかったから、初めて見た時は凄く驚いた。

 蝋燭よりも物凄く明るいし、もう一度魔力を流すか魔石の力が無くなるまでずっと灯ったままだし、何より部屋の中を明るくする為に使うんじゃないのだ。

 店がやっていると周りに知らせる為だけに点ける灯りがあるなんて、村にいた頃考えたことも無かった。


「明るいなあ。毎日見てるけど、びっくりしちゃう」


 殆んど魔力がないあたしでも点けられるランプ。

 盗まれないように、壁の高いところに付いていて使用権限というものもついているらしい。

 使用権限って何だろう。説明されても最初は良く分からなくて、首を傾げるあたしに、ジャンクさんはランプを使える人が限られるって事だと教えてくれた。

 難しい言葉は分からない。

 村ではそんな言葉使ったことも聞いたことも無かったし、魔道具だって、多分村長さんが持ってる位だったから、この店に色んな魔道具があって驚いた。

 魔道具には安い物もあって、生活を楽にするために町の人は気軽に買うし使う。

 村でそんな魔道具が売っていてたとしても、貧乏なあたしにはきっと買えなかった。だけどそんなあたしが、仕事とはいえ毎日魔道具のランプに灯りを点けている。

 村にいたらあたしが死ぬまでの間に魔道具に触る機会すらなかった筈なのに、ジャンクさんが田舎者のあたしを信用してランプを使える様に使用権限設定というものをしてくれたお陰だ。

 初めて灯りを点けた時、凄い凄いと喜ぶあたしをジャンクさんは子供みたいだなと笑ったけれど、本当に凄いと思ったんだもの。ハンスにも見せてあげたいって本心から思ったんだもの。


「お、丁度開いたか」


 ランプの灯りを横目で見ながら店の前にゴミが落ちていないか確認していたら、後ろから声を掛けられた。


「いらっしゃいませ。今日は早いですね」

「ああ、今日は売れ行きが良くてさ。もう売るもんがなくなっちまったんだ」

「凄いですね」


 店の近くにある市場で串焼きの屋台をやっているベンさんが、今日の口開けのお客さんのようだ。

 ベンさんはあたしの両親と同じか少し年上な感じの見た目で、少し小太りな気のいい人で、町に慣れないあたしに良くしてくれる人だ。


「今日は奥さんは」

「あいつは娘のところに行ってるから、今日は俺だけだよ」


 一緒に店の中に入りながら、いつもは隣にいる奥さんの所在を聞く。

 奥さんも優しくていい人だ、結婚する時縁を切られた母さんを思い出す、母さんに会いたくてたまらなくなる。


「娘が産み月でさ、そろそろらしいんだ。心配だから数日あっちに泊まらせるんだ」

「そうですか。初産でしたっけ?」

「そうそう、だから心配でさ。あ、麦酒と腸詰めと後は、そうだなオーク肉の煮物がいいかな」

「ありがとうございます。すぐ持ってきますね」


 注文を聞いてジャンクさんに伝えると、もう腸詰めを焼き初めていた。

 元は一人でやっていた店だからか、ジャンクさんは手際がいい。

 あたしがいなくても、本当はやっていけそうな気がする。

 だから、一人で十分だからもう辞めていいよと言われないように、あたしは毎日一生懸命働いている。

 ここで働くのは大変だけど楽しい。

 朝早くから夜遅くまで働きづめだけど、それでも苦じゃなかった。


「はい、麦酒と煮物お待ちどう様です。腸詰めはもう少し待ってくださいね」

「おう。まずは麦酒、命の水ってね」

「命の水ですか、上手いこと言いますね」


 お客さんがまだベンさんだけだから、話に付き合う。これも仕事。

 最初は、話しかけられてもなかなか会話にならなかった。

 夫は気に入らないことがあると、返事次第で手が出る人だったから、顔色を見ながら話さないとあたしも子供達も危なかった。

 あたしの父親は静かな人だったけれど、あたしが成人する前に死んでしまったし、男兄弟はいなかった。

 幼なじみは女の子ばかりで、少し年上の夫以外親しくしている男の人は居なかったから、慣れてなかったというのもある。

 変なこと言ったら打たれるかも怒鳴られるかもとビクビクしながら答えていたら、誰も取って食ったりしないから困ったら笑っとけとジャンクさんが教えてくれた。


「あんた子供は」

「家は息子が四人と娘が一人ですよ。娘は嫁に行ってますが、子供はまだなんですよ」


 一番上の息子はこの町で働いている。娘も近くの町に住んでいるから二人には時々会える。

 幼い息子三人の中では一番年上のハンスだけは夫のところにいて、残り二人はあたしと一緒に暮らしている。本当はハンスも連れて来たかったのに、夫が家の事をさせるからと言って許してくれなかった。


「そうか、大きな子供がいるようには見えないなあ」

「成人してすぐに結婚しましたし、娘も結婚が早くて」


 答えながら娘が嫁いだ時のことを思い出して、泣きそうになる。

 親より年上の人のところに、娘は無理矢理嫁がされた。

 いつの間にかあの人が結婚相手を決めてきて、娘に教えず届けを出してしまったのだ。

 悲しくて、嫌だ駄目だと言ったのに夫は笑いながらあたしを蹴って「気に入らないなら出て行け、子供は全部奴隷商人に売る」と言い出した。

 泣いて泣いて、蹴られて打たれて、それでも何とか子供達を売るのだけは止めさせたくて謝り続けた。

 泣きながら嫁いだ娘は、今は幸せにやっているようで時々食べ物を届けてくれる。

 娘の夫は怪我で冒険者を辞めた後商売を始めたという人だった。

 優しい人らしく、いつも娘と一緒に馬に乗って村に食べ物を届けに来てくれていた。

 けれど夫はそれが気に入らなかったのだ。どうせなら酒か金を寄越せと娘を怒鳴り付け、娘が無理だと拒否しあたしもそれは図々し過ぎると反対したら「それならお前が稼ぐか子供らを奴隷商人に売るか選べ」と言い出した。


「そうなのか、まあ早い人は早いからなあ。そういやジャンクもいい年だな。いねえのか?」

「俺みたいな男に、嫁に来てくれる女なんかいるかよ」

「そうかな。あんたは優しいし、稼ぎもあるし旦那にするにはいいいと思うがな」

「こんな熊みてえな顔じゃもてないんだよ。昔っからもてたためしがねえよ」


 腸詰めが乗った皿をベンさんの前に置き奥へと戻りながら、ジャンクさんが笑う。

 自分を熊と言うジャンクさんの体は、とても大きい。初めて会った時は凄く驚いたし怖かった。 

 ジャンクさんは、大怪我したのを切っ掛けに冒険者を辞めてこの店を始めたのだそうだ。

 娘の夫も元冒険者だった。

 この店に働ける様に口を聞いてくれたのは彼だ。

 夫に、踊り子の様な服を着て客を相手する酒場に連れていかれそうになっていたあたしを「そんな店じゃ長く働けないから結果的に損するぞ」と夫を言い含め、この町に連れてきてくれたのだ。

 そしてジャンクさんを紹介してくれた。

 娘と結婚したせいで、娘の夫にはしなくてもいい苦労をさせてしまっている。

 冒険者向けの道具を売っているから稼ぎはそれなりにあるのだと、彼は笑って話してくれたけど、それなら家の娘じゃなくても良い相手がいたんじゃなかったのかと気の毒になる。


「あんたみたいないい人が、こいつにもいたらいいのになあ」


 酒は好きでも強くはないらしいベンさんは、顔を少し赤くしながらそんな事を言い始める。


「ジャンクさんはいい人ですし、その気になればすぐに相手が見つかりますよ」

「あんたが一人もんならなあ」

「あたしなんて駄目ですよ。愚図だし気もきかないし」


 夫に毎日言われていた事をベンさんに言いながら、落ち込む。

 あたしがもっとマシな人間なら、夫と結婚せずにすんだのかもしれない。

 要領よくて、頭がよくて、あの頃の夫が何を考えてるか分かるような人間だったら、望まない結婚をしなくてすんだのかもしれない。

 町に来てから、そう考えるようになった。


「そんなことないだろ。あんたは働きもんだし、家のも言ってたが気持ちの優しい良い娘だよ。子供達もあんたみたいな母親がいて幸せだな」

「ありがとうございます。そんな事言ってくれるのベンさん位ですよ」


 町に出て来て、ジャンクさんやベンさんや他の人が優しくて驚いた。

 打たないし怒鳴ったりもしない。

 子供達が何か手伝おうとすると、誉めて頭を撫でてくれる。

 子供達が優しくされているのを見るとハンスの事を思い出す。

 ハンスは、あの子は夫のところで辛い目にあっているだろう。

 お腹を空かせて、仕事を一日中させられて、馬鹿だノロマだと夫から怒鳴り散らされているんだろう。


「なんだか嫌なことを言ったかねえ。すまないな、俺はいつも一言多いって言われるんだ。おい、ジャンク」


 ハンスの事を思い出すと涙が出そうになる。

 ベンさんは泣きそうなあたしを見て、慌ててジャンクさんを呼んだ。


「スミマセン、村に残してきた息子を思い出してしまって」

「こっちに連れてきてる子以外にもいるのか」


 驚いた様にベンさんが目を見開いた。

 一緒に暮らしている二人の幼い子供、それに嫁に出た娘、その話を聞いた上でさらに村に子供がいると知れば驚いて当たり前だと思う。

 町の人はそんなに子供を産んだりしない、村とは違う。

 村の人達はどこも子沢山だ、ハンスに親切にしてくれるアルフォートは珍しく一人っ子だけれど、その他の家は四人、五人は当たり前だ。

 子供が多ければ幼い内は大変でもすぐに働き手として使える様になる。

 ハンス位の年でも畑を耕したり、動物の世話をさせたりは出来るし駄目なら夫の様に奴隷商人に売ればいいと考えて子供を作るんだ。

 奴隷商人は年に何度も村にやって来るから、あたしはその度に緊張して毎日を過ごしていた。

 夫の機嫌次第では子供達全員を売られてしまうかもしれない。

 夫にとって子供達は自分に都合が良い働き手で、むしゃくしゃしたら好きなだけ暴力を振るえて、金が欲しければ売ればいい家畜と同じなんだ。


「幼い子がもう一人、夫が家の事をさせるから残して行けと」

「あんた、出稼ぎさせられてるんだろ。ジャンクから聞いてるよ。殆ど金を使わずに旦那に金を送ってるんだろ」

「それは、はい。あ、いらっしゃいませ」


 ベンさんに曖昧な返事をして、店に入って来た見たことない男性客を迎え入れた。

 この辺りの人ではないのだろうか、特徴のない顔立ちの仕立てのいい服を着ている男の人だった。


「酷い旦那もいたもんだな」


 ベンさんは小さな声でそう言って麦酒を飲み干してすぐ、「おかわり頼むよ」と声をあげた。


「はい」

「俺にも麦酒、後は肉を焼いたものは何か出来るか」

「今日はオークと一角兎の焼き物は出来るぞ。煮込みなら大牙猪だ」

「大牙猪、じゃあその煮込みと一角兎の焼き物をくれるか」

「あいよ。麦酒運んでくれ」

「はい」


 あたしに麦酒を運ぶように指示をしながら、ジャンクさんは店の奥へと戻って行く。


 麦酒の用意をしながら、あたしは唇を噛んで涙を堪える。

 どうしてあたしは馬鹿だったんだろ、あの時夫の言葉に騙されてお酒なんか飲まなければ、あの日あの人に……なんて事無かった筈なのに。

 嫌いだった、怠け者で他人を馬鹿にする。

 あたしを下に見ていたのも知ってたのに、逆らえなかった。

 それは今もそう、子供を売ると脅されて命令に従うしかない。


「それでいいのか? 旦那の元に残した息子が心配じゃないのか」


 ぼそりとジャンクさんの声が聞こえたのは、気のせいじゃなかったと思うけれど、あたしは答える事なんか出来なかった。

 そんなわけない。心配で心配でたまらない。

 小さな可愛い息子、あたしの大事なハンス。

 無理矢理にでも一緒に来たかった。

 あの村で暮らすのはもう嫌だから、どんなに貧しくてもあたしと子供達だけの暮らしがしたい。

 だけどこの国は女からは離縁出来ない。

 女の子は結婚するまでは父親の財産で、結婚したら夫の財産になる。

 自分の思いとか考えとか何も無く、父親や夫の考えに従うしかない。

 

「ハンス、ご飯食べられてるかな」


 お客さんのところに麦酒を運び、ベンさんの前の空いた皿を片付けて洗いながらぽつりと呟いた。

 こんな離れた町で心配していても、ハンスのお腹はいっぱいにならない。

 あの人は自分は食べてもハンスに何も食べさせてないかもしれない、水すら飲ませずに働かせているかもしれない。

 あたしが稼いだお金全部を送ったとしても、酒代にもならないと怒る人なのだ。

 ハンスの食べ物なんて何もないと平気で言う、そういう人なんだ。


「煮物運んでくれ、焼き物もすぐ出来る」

「はい」


 あたしの情けない顔を見ない振りしながら、ジャンクさんが煮物が入った器を手渡してきたから、あたしはお盆に煮物の器と匙を載せお客さんの元へと向かう。


「お待たせしました。焼き物もすぐ出来ますから」

「美味そうだな。なあ、あんたハンスと今言わなかったか」

「ハンス、すみません聞こえてましたか」


 あたしを見る目の厳しさに身構える。

 間近でみるとお客さんの服は、あたしが触ったことない位に上等な布を使っている様に見えた。

 こんな下町の店に来るような人じゃない。あたしの一ヶ月の稼ぎを一回のご飯で使いそうな店がきっとこの人が行く店だろう。

 そんな人を怒らせたとしたら、あたしは地べたに額をすりつけ謝っても許して貰えないかもしれない。


「あんた、どこの出だ」

「あの、私はデルリア村……」


 嘘を許さない様な目に逃げたい気持ちを抑えて答えると、ジャンクさんとベンさんがいつの間にか側に立っていた。


「お客さんすみません、この子が何か失礼をしたでしょうか」

「お客さん、もしそうなら俺からも謝るから許して貰えないか」


 二人があたしを庇う様にしてくれるのが心強くて、でも申し訳なくて早く謝らなくちゃとしゃがみ込もうとした手をお客さんに掴まれた。


「怒ってるわけじゃない。ただ確認したかっただけだ。店主とあんたはなんだ」

「俺はこの子の親みたいなもんだ」

「成程なあ。まあ、いいか」


 お客さんはジャンクさんとベンさんの顔をじいっと見た後、懐から何かを取り出した。


「ハンスの父親が死んだ。つまりあんたの旦那だな。あんた文字は読めるか」

「あの、読めません」


 情けない気持ちになりながら首を横に振る。

 名前は書けるようになったし、お客さんが食べたものの支払いの計算位は出来る様になったけれど、その程度だ。


「俺が読める。いいか」

「仕方ないな。こちらで読んでも信用されないだろうしなあ。ほら、読んでやってくれ」

「これは、売買証。つまり彼女は旦那に売られた? 金貨十枚」

「そういう事だ」


 金貨十枚、それがあたしの値段? あの人が死んだというより、あの人に売られたという方が衝撃で、腕を掴まれたままへたり込みそうになる。


「ハ、ハンスは? まさかあの子も売られたんですか。お願いします、何でも、どんな事でもしますから。ハンスに会わせて下さい。お願いしますっ。もしあの子も売られたのならあたしが借金してでもあの子を!」

「成程、あんたは屑じゃないと」


 小さな声でお客さんは何かを言って、それからあたしたち三人を見た。


「待ってろ」


 ジャンクさんは店の奥へと入っていき、ベンさんも懐を探り始めた。

 

「安心しな、お前さんをどこかに売ったりしないからな」

「それは俺が言うべき言葉だ」


 ベンさんは懐から皮の巾着を取り出して、お客さんの机の上に置いた。

 戻ってきたジャンクさんはそれを遮って、じゃらりと金貨を机の上に。え、金貨?


「この子はうちの店の大事な働き手だ。売るわけにはいかねえよ」

「俺には子供みたいなもんだ。金貨十枚で買われて幾らで売るつもりか知らないが、こんないい子に苦労させるわけにはいかないんだよ。ハンスと言ったか? 子供はいくらで売られるんだい」

「ジャンクさん、ベンさん、いいんです。そんな事しないで下さい」


 金貨十枚なんて大金を出させるわけにはいかない。

 それに、それよりも今はハンスの事が気になる。


「ハンスは、あの、ハンスは」

「あんたは自分の事より息子が大事なんだな。どこに売られて何をされるか分からなくても息子が無事なら良い、そうなんだな」

「大事です。あの人がどうしても許してくれなかったから離れて暮らすしかなかったけど、忘れたことなんかありません。大事な大事な息子なんです。どうかハンスに会わせて下さい。あの子も売られたんでしょうか、ハンスは無事なんでしょうか」

「売られた様な売られていない様な。まあ、今は会わせてあげられないんだが。まあいいや、どんなことでもするというのは本当だな」

「本当です。何でもします、どんなことでもします」

「あんたらはどうだ。この人と息子を助ける為に何でもすると誓えるか」

「二人は関係ありません」

「そうはいかない。俺はお前の雇い主だからな。何でもするよ。何をすればいい」

「娘も嫁に行った。それなりに稼ぎを残したから嫁も一人で生きていけるだろう。こんな老いぼれの命で良ければ好きに使うといい」

「駄目です、そんな」


 床にへたり込んだまま、二人の足にしがみつく。

 あたしのせいで二人に迷惑を掛けるわけにはいかない。


「命はいらない。ただ誓ってくれればいいだけだ」

「誓う?」

「これから話すことを誰にも言わない。これは魔法契約書だ、これに血を垂らし誓えるか」

「魔法契約書」


 ジャンクさんが読み上げた契約は、話した内容を他に絶対に漏らさないというものだった。

 良く分からないけれど、それでハンスに会えるならとあたしはお客さんから命令されるままにナイフで指を傷つけ契約書に垂らした。

 ジャンクさんもベンさんも同じ様にして、それで契約が成立したのか契約書が光始めた。


「これが光っている間に話したことは他言できない」

「はい」


 ごくりと唾を飲み込む。

 こんな契約をしてまでする話なんて、良い事なわけがない。


「あんたの息子、ハンス、ハンス様は勇者として今王宮にいる」

「え」


 勇者、勇者ってなんだろう。


「そんな馬鹿なこと。この人の息子が勇者って、おふれが出ていたあれか」

「そうだ。ハンス様ともう一人は勇者だと神殿で認められ今は王宮で能力を上げる為の訓練をしている」

「ハンスが、何だと?」


 勇者、勇者ってあのおとぎ話の? 確か魔王を英雄アルフォートと倒したって、あの勇者?


「なんだ知らないのか、数年後に魔王が現れるからそれを倒す為イシュル神が勇者をこの国に授けれてくれた。勇者の能力は天性技能を確認した時に称号として現れるから、天性技能の確認が出来る年になったら必ず神殿に来るようにと、おふれがあっただろう」

「それは、あの、本当にハンスがその勇者だと言うのですか」


 信じられない。

 あの子が勇者、魔王をあの子が倒す? そんなの出来る筈ない。


「無理です。あんな小さい子が魔王を倒すなんて、兎だって狩れない程小さい子なんです。弱い魔物だって狩れる筈ない」


 涙が零れ落ちる。

 あの小さな子が魔物と戦う? 魔王と戦う? そんなの無理だ、絶対に無理だ。


「それでもハンス様は勇者として戦う訓練をされていますよ。母親のあなたは泣くだけで父親は浮かれてあんたを売った挙句町で豪遊してならず者に殺されましたけれどねえ。本当にどうしようもない親を持ったものです」


 お客さんの言葉が変わる。

 ハンス様? あの子がそう呼ばれる様になる程、勇者は国にとって大事な者になるの? あの小さな子がそんなとんでもない存在にならなきゃいけないの。


「ハンスのところに行かなきゃ、あたし、行かなきゃ」


 連れて逃げなきゃ、ハンスを連れて逃げなくちゃ。


「行ってどうするんです」

「ハンスにそんな恐ろしい事させられない。ハンスはそんな怖い事出来る様な子じゃない。無理です、許して、ハンスに、あの子にそんな事させないで」

「勇者を連れて逃げるつもりですか」

「だって、だって」

「あなたが泣いても何にもなりませんよ。勇者は魔王と戦うのは神が決めた事です。民草一人が泣き喚いたところでどうにもならない。勇者の母ですよ、名誉だとは思わないんですか」


 民草一人、そうあたしに力なんかない。

 だから、ハンスをあの人のところに置いてくるしかなかった。

 あたしは馬鹿だからあの人と結婚なんかしたくなかったのに、あの人のところに行くしか無くて、馬鹿だからあの人の言いなりになるしかなくて。

 でも、あたしはハンスの母親なんだから、あの子を守らなくちゃ。


「それでもあたしはあの子の、ハンスの母親です。子供が危険なところに行くと分かって喜んでなんていられない。そんなの名誉でもなんでもないです!」


 掴まれた腕を振り払って立ち上がり外へ走りだそうとして、肩を掴まれた。

 強い力で、拘束されてしまった。


「待ちなさい。あなたには役目があります」

「役目」

「神殿での祈りです。もう一人の勇者の親も残念ながらハンス様の父親と同じ屑でしたから、勇者の親でまともなのはあなたしかいない」

「祈り、それが」

「神託がありました。勇者への無事を祈る者が必要だと。勇者の無事を心の底から祈る者が、祈り続ける者が必要だと。けれどもう一人の勇者の親達は祈りの意味さえ理解出来ない屑で、ハンス様の父親は屑な生き方の末死んでしまった。残りはあなただけ」

「祈りで何が変わると」


 神様なんて信じられない。

 祈って何かが変わったことなんか一度も無い。悪くなっても良くなることなんか何も無かったのに。


「勇者は偉大なる神イシュル様がこの国への希望として授けて下さった者達です。その者達が無事である様に祈る事で、その祈りは勇者の力になり守りになるそうですよ。信じられませんか」

「だって、神様なんて、本当に神様がそんな神託を」


 どうしてもハンスは恐ろしい役目を果たさなければいけないんだろうか、あんな小さな子がそんな恐ろしい事を。


「この売買証はあなたの夫が私に差し出したものです。私は国の役人です、つまり国があなたを買ったのです」

「私は国に買われた」

「あなたには勇者の無事を祈り続けて貰います。勇者はこの国の希望そのものです。どんな些細な守りでもいい。希望を失わない為に私達は動かねばならないのです」


 希望を失わない為の守り、それが祈り?

 そんなものが、ハンスの守りになるの、本当に?


「泣くしか出来ないなら、祈ること位出来ますよね。勇者の母として」

「それでハンスが本当に守れるのなら、いくらでも。だからハンスを助けて」


 肩を掴まれたまま、あたしは泣いていた。

 涙が流れ続けて、涙の向こうに茫然とあたしを見ているジャンクさんとベンさんの姿が見えていた。


※※※※※※

この後魔王討伐完了の知らせが届く日までハンスの母親と弟達、ジャンクとベンさんは毎朝神殿に祈りを捧げに通い続け、勇者の為に祈る者達がいると噂が広がり勇者達が旅した町の人々が同じ様に神殿に祈りを捧げる様になっていくのでした。


魔王討伐後、アルフォート達が賜った領地にハンスの母親、ジャンクとベンさん夫婦は移り住み、ハンスの母親とジャンクさんは夫婦になります。

本編に何の関係もない、裏設定のお話でした。

こんな裏話ばかり考えているから、話が進まないとも言う…… (><)

一応書きたい番外編も全部書いたので、完結済みにします。

ここまでお付き合い頂きましてありがとうございます。


元々はアルフォートが村を出るところから始まる物語の予定でしたが、当時書く時間が取れずラストだけ書いてみたというお話です。

余裕が出たら、ちゃんとアルフォート達の旅立ちから書きたいです。

いつになるかなあ。

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勇者パーティーをクビになったので、一人で魔王と戦うことにした。 木嶋うめ香 @Seri-nazuna

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