第11話


「ハマダ大尉、俺はここに残り部隊の指揮を執る」


 四つ星将校、黒人のレバノン国籍大尉が臨時特務部隊を離れて民間人らの指揮を行うと告げに来た。何故か少佐も許可を出したようで咎められない。


「郷の者でしたか。ここが崩れれば内陸へ広がります、何とか踏み留まることを期待します」


 同格のはずだがハマダ大尉が丁寧に話していた。


「皆で祝杯をあげるまで死ぬなよ」


「ここが死に場所ではないと解っています。では後ほど」


 たった一人を残して部隊は更に南進を続ける。後ろでは「我らが神に勝利を捧げるぞ!」大声で激励が発せられていた。宗教による絆、そんなところだろうと一等兵は無理矢理に納得してしまうようにする。かなり走りっぱなしで汗が滝のように流れて来る。一口だけ水を飲み渇きに耐えた。


「何でもいいから足が欲しいな!」


「ここに来るまでタクシーでしたからね、絶対的に不足してるんでしょう」


 無い物ねだりをしても仕方ない。解ってはいても愚痴りたくもなる。砲撃でなぎ倒されてしまった軍旗が幾つも復活していた。攻め寄せる側の分厚い布陣に比べて、守る側はあまりにも薄かった。小高い丘から海沿いの散兵線を睨む。


「あれじゃ持たんぞ!」


 それほどまでにギリギリ、一個小隊だけでも側面から攻撃を行えばすべてが崩壊しそうな程だ。まるで表面張力で耐えている溢れる寸前のコップの水のように。


「ブッフバルト少佐、ただ今帰着しました!」


「ブッフバルト、俺の後ろに入ってくれ、整い次第ボスの前に出る」


「解ったマリー、任せろ」


 部隊の役職や階級ではなく個人名で連絡を取り合う。正規軍では注意を受けるだろうが、民兵はそこまで厳格ではない、特にクァトロでは。


 幾らか数を減らした臨時特務部隊が防衛線に参加した、すると目の前で頑張っていた部隊が一斉に後退し彼らの脇を抜けて後方へと去っていった。


「走るのは終わりだ、熱烈歓迎してやるぜ!」


「攻めるより守る方が楽ですからね」


 断続的に簡易陣地が建設されている、後方で作業している民間人の成果だろう。圧倒的多数が火力も大きく勢いもある。


「どいつもこいつも勝ち戦で腰引けてるんだよ!」


 シリア軍全体の特徴だ、自分がやらずとも誰かがやればそれで充分という差が押し切れない原因になっていた。


「狂った自殺志願者が敵に出てこないことを祈りますよ」


 弾丸を抱えたレバノン人が後ろから駆けて来ると足元に置いて這って逃げ帰っていく。自分たちの国を壊されそうになっているのは解るが、命がけの協力をこうまで多くの市民がしてくれるというのには違和感があった。


「あ、あれ!」


 先ほどまで目の前に居た部隊が左後方から時計回りで移動、戦線を支えていた部隊に重なり前進した。


 「4」「15」の軍旗の前に「8」が躍り出る。


「海岸沿いに敵が集中してる、一番の激戦区だな」


 真っ向勝負で激突する、黒服が劣勢だ。負傷者が次々と出ると後送する為に引っ張られていく。ゴーグルに▼がまた表示される。


「航空部隊か?」


 点滅しているのは左後方、南西方面だ。首都からの援軍であれと願った。


「閣下が負傷された!」


 クァトロナンバーズに激震が走った。二等兵も閣下が将軍を指していることは知っている。


「将軍が負傷したみたいです、でもどうして?」


 副司令官はパールベックで指揮を執っているのでここの通信には出てこないだろうし、クァトロ師団長は首都に居るはずだ。


「ベイルートに抜けた敵が居るのかも知れんぞ」


 軍曹らは聞き及んでいないようで特に反応を見せないが、ハマダ大尉とキール上級曹長は緊張を隠せない。


「秘書官エーン大佐だ、司令部を後退させる、全軍最優先で撤退を援護せよ!」


 全部隊の将校に命令が下る。下士官以下には聞こえないはずだが、相変わらず二等兵には通信が入った。


「マリー中佐です、それでは戦線が崩壊してしまいます!」


 全てが水の泡と消えてなくなる、何のために多くが犠牲になり努力してきたのか。


「我々にはより重要な守らねばならぬ方が居る」


「ですが……」


 エーン大佐が言っていることは正しい。レバノンの主権が失われてもクァトロは存続できる。だが司令官を失えば全てが終わってしまう。


「俺だ、死んじゃいないさ。方針は変えん、死守だ! エーン、済まんがここで指揮を執る、支えて欲しい」


「ヤ! セニャール!」


「軍旗小隊、将旗を掲げろ! 一歩も退くな!」


 攻勢を受け止めながら一部始終を伝え聞く。一等兵は精神論などもってのほかと信じていたが、人の根底に流れる何かが突き動かされる感覚を得た。


「臆病者の方が長生きできるってのは本当だな」


 馬鹿にしているわけでは無い、何とかしてやりたいと思っただけだ。


「嘘、ちょ、あれって!」


「よそ見してんなよ――」


 敵は正面にしか居ないぞと繋げようとして言葉を失う。「4」の軍旗のすぐ隣に中将旗が翻ったのだ。居場所を敵に教えるなど正気とは言えない、だがそれは味方の士気を大いに震わせた。


「えーい、閣下を危険に晒すな! 敵を押し返すぞ!」


 ハマダ大尉が前進攻撃を命じると自らが先頭で一歩を踏みだす。戦列を担っていた全ての部隊が敵に肉迫、壮絶な接近戦を始めた。


「こうなりゃヤケだ、俺達も行くぞ!」


 塹壕を這い出るとシリア軍へ向けて銃を撃ち走った。不思議と撃ち返されても被弾しないもので、及び腰の敵をあっさりと駆逐する。


「くそっ、いつから俺はこんな男になったってんだ!」


 小銃を撃ちまくりながら自嘲する。頭脳派を誇っていたはずが、感化されてしまった。一旦は退いたシリア軍が後備と交代して押し寄せて来る。


「流石にこれは無理でしょう!」


 物量だけでなく戦車が突進してきた。中将旗を見る、せりだした崖のような場所の上にそれは翻っていた。左右の斜面を登れば簡単に攻撃できるし、迫撃砲のような曲射兵器があれば充分直接攻撃可能だ。


「後退だ! 交互に退け!」


 上級曹長の命令が下る。周囲の味方も被害を減らすためにか一斉に退き始めた。


「下がるぞ!」


「でもそれじゃ司令部に攻撃が集中するんじゃ?」


「解ってる、だが命令には従うんだ!」


 無意味な後退などするはずがない、今の今までずっとそうであったようにこの命令にも意味があるはずだと信じて従う。我が物顔で蹂躙して来るシリア軍を何とか突破させないように押さえながら引き下がる。戦車が先頭になり、崖の脇を進軍、戦闘車が後ろに続いた。


「司令部が陥落します!」


 挟撃を受ける、砲弾が次々と撃ち込まれた。将旗が揺れ「4」の軍旗がついにその場から南へと動き始める。


「現在地を死守だ」


 ハマダ大尉が司令部の援護をせずにその場に留まれと命じた。


「どうなってる?」


 一等兵が怪訝な視線を向けるが大尉は正面を向いて歯を食いしばったままだ。よく見ると脇腹あたりに血が滲んでいる、激戦で被弾したのを黙殺し最前線に立ち続けていた。無傷の者などどれだけ居るか、殆どがどこかしら傷を負っている。


 司令部護衛「15」の部隊が司令官を必死に守りながら盾となり命を散らしていく。左斜め後方、追撃する戦車の後ろが目に入る。


「畜生、これまでか!」


 部隊全体の士気は高いが、何せ戦闘力の低下が酷い。連戦に継ぐ連戦でとうの昔に後送されるべき状態なのだ。ゴーグルの▼が点滅する。その表示は西側を指し示していた。


「西だって?」


 その時だ、戦車が大爆発を起こし注目を集める。


「せ、戦車が次々撃破されています!」


 ゴーグルに一気に青い点が表示された。それは下がって来る司令部を半包囲するような形で現れ、追撃して来る戦車に集中砲火を浴びせた。


「反斜面陣地か!」


 攻撃を受けやすい場所に囮を置き、攻め寄せる敵をクロスファイアポイントにおびき寄せる配置戦術。司令部、それも師団長を囮に使うとはブチギレ思想も良いところだ。


 南方伏兵部隊の頭の上をガゼル編隊が通り過ぎていく。その際にロケットを複数発射した。戦車が黒い煙をあげて擱座、戦闘力一切を失う。


「こちらレバノン空軍戦闘ヘリ部隊バビナ中佐、これより首都防衛戦に参戦する。総司令官よりクァトロ司令官の指揮下に加わるように命じられています、ご命令を」


 もう一つのヘリ部隊も飛来すると地上攻撃に入る、こちらはチェーンガンを連発している。


「クァトロ航空部隊トリスタン大尉、地上攻撃兵装で着陣。戦闘車を狙え!」


 地上と上空からの射線が伸びる、回避行動をとろうとする車両同士が接触する事故も頻発した。


「援軍か! なっ――」


 海岸沿い、左斜め前の敵が炎の海に巻き込まれるのが見えた。砲撃と射撃が同時に始まる。


「クァトロ海兵部隊ウッディー中佐、海上より側面攻撃を行う。敵味方識別を間違えるな!」


 西海岸に現れた大型巡視艦と数隻の僚艦、全て黒の四つ星軍旗を掲げていた。


「民兵の海軍かよ!」


 陸海空揃えて来るとはどんだけだよ、そう呟きながらも必死に攻勢を防ぎ続ける。数の劣勢は変わりはしないからだ。


「バビナ中佐、助力に感謝する。クァトロを代表して礼を言わせてもらう」


「お礼を言うのはこちらです教官殿――いえ閣下、どうぞ後方へ」


 クァトロ全体へのオープン回線で会話が流れる。


「そうはいかん、あと少し、あと少し耐えれば転機が訪れる。それまで俺はここを退かん」


 シリア軍の機動戦力を減殺させると、燃え盛る車両の隣を再度前進して崖にまで司令部を戻す。後方に配備されていた「14」の野砲部隊と「10」の民間人歩兵部隊、それらのうち歩兵隊が崖の左右にある斜面に陣取った。崖の下、敵との競合地域には「6」の部隊が突入する。


「おいおいありゃ無茶だろ! あんな場所に陣取ったら全滅するかも知れんぞ、何してんだあの歩兵隊は!」


 遮るものが無い斜面、敵に撃ってくださいと言わんばかりの場所に民間人を置く。

 「10」の軍旗はあるが黒服の姿は見えない。毛皮と杖の部族旗が目立つ。 阿鼻叫喚の地獄絵図とはこれだ。人の命がかくも簡単に失われるとは信じたくなかった。味方が次々と倒れ、敵が屍を越えて迫る。


「どうしてだ、どうして逃げ出さない!」


 敵味方双方への疑問と怒り。戦場で正気を保っている者はどれだけいるのか問いたい気分だった。敵戦闘機の姿はない、これ以上の撃墜は許されないからだ。戦車の数も減り歩兵が主たる戦いを行っている。


 重砲を発見次第決死隊が突入しそれを排除、幾度か繰り返されると反撃を恐れてか砲撃も無くなって来る。足元に転がっている民間人の黒人、死に顔を見ると妙に安らかだった。


「何なんだよこいつらは」


 不気味さが強くなり背筋が寒くなる。狂信者。そんな単語が浮かんできた。


「損耗三十パーセント超えてますよこれ」


「全滅状態だな」


 三割の損害、通常ならば全滅だ。五割で壊滅としてもう部隊として計上出来ない被害になる。継続戦闘不能な線が三割で、敵を防ぎ続けているのは異常なことだ。


 死体はそのまま、負傷者も戦っている。重傷者は後送されているようだが。 目の端で崖上の司令部を見る。度々砲撃を受けているが、ついにその場に留まり続けた。


 銃弾の届く場所で指揮を執る将軍、なるほど居る所には居るものだと知る。何度目になるか数えるのすら忘れた攻勢がまた来る。


「しつこい奴らだ、いい加減にしてくれよな!」


 何せ補給だけは潤沢で、焼けた小銃の交換も手に入った。自分たちですら不気味に思えているのだ、シリア兵はどう感じているだろう。死を恐れずに戦う軍兵、聖戦でも無いのにどうしてと。


「デュー!」


 民間人らが倒れる時に叫ぶ言葉、フランス語で神。次第に彼らにとっての聖戦、ジハッドなのではないかとの疑念が湧いてくる。


「なんだ?」


「敵の攻撃が止みましたね?」


 激しい攻めが収まると、妙にぎこちない動きでシリア軍が後退していく。再攻撃の為の戦線縮小だろうか、今のうちにと補給を行い、治療出来る傷は応急処置を施した。


 緊張が戦場を走る。何が起きているかを知る者はたったの一握りしか居ない。二等兵がヘルムに片手を当てて通信を拾う。 にやりとした表情を浮かべた。


「どうした?」


「こっちの勝ちですよ、守り切ったんです!」


 何を言っているのかと目を見る。敵はまだすぐ傍に居るのだ。


「傾注! 司令官訓示!」


 下士官があちこちで叫ぶ、二等兵がほらねといった感じで笑う。


「クァトロ師団司令官イーリヤ・ハラウィ中将だ。シリアで政変が起きた。軍事大臣が罷免され拘束されている。国外に居る全軍に大統領名で帰還命令が出され、これから停戦交渉の場が持たれる。防衛成功だ」


 大きな、とても大きな歓声が上がった。一方でシリア軍はすごすごと引き上げていく。戦場の兵が感激と安堵の表情を浮かべた。だが黒服ら、喜びはしてもまだ緊張を解かない。


「なんかおかしいですね?」


「……このまま終わらないってことなんだろうな」


「もう停戦になるって?」


 二等兵が訳が分からないとの視線を向ける。ガゼル戦隊はベイルート方面へ帰投していく、民間人もその場に座り込んで空を仰いでいた。


「こいつは俺の予言だ、もうすぐお前にだけ神のお告げが下るよ」


 一等兵はシニカルな笑みと共に突拍子もないことを言う。


「お告げって――」


 そう問い返そうとした時、不意にコムタックに通信が入る。一等兵がヘルムを脱いで耳を近づけた。


「俺だ。ベイルートの防衛は成功した、だがレバノンの危機はまだ去っていない。首都の要人を暗殺する計画がある。サルミエ」

「はっ、スライマーン大統領、ハラウィ軍事大臣、ダッバス外務・通信大臣、エッデ治安・交通大臣、ヤフィー経済大臣、ナカーシェ建設大臣他、閣僚十二名の警護です」

「大統領と軍事大臣は専属警護隊が居るので良いが、他は信頼できるかどうか不明の者しか居ない。クァトロで護衛を行う、停戦交渉が成立するまでの百二十時間だ」

「無茶です、それよりもボスは治療に専念を!」

「マリー、今が重要なんだ。俺は良い、ここで一人でも閣僚を喪えばレバノンは国が麻痺してしまう。そうなれば多くの難民が産まれる。解るよなお前なら」

「ですが……」


 相次ぐ激戦で殆どが負傷し、これから更に五日も気を張り続けろなどとは言えない。命令ならばやる。何が正しいかも理解しているつもりだが、マリー中佐は言葉を返せない。大切な人を心配してだ。 一等兵がヘルムごとひったくると自分の頭に載せる。


「あー、あー、こっちの声聞こえてるよな」

「誰だ、ナンバーズチャットに割り込んでこられるとは」

 司令官が直々に応じる、冷静な声だ。

「あんたの兵、今はハマダ大尉の部隊に居るデュナン一等兵だ」

「大尉」

「はい、確かに居ります」

「防衛は終わったんだろ、だったらもう契約は満了ってわけだ。俺は打ち切りで良いよな」

「ああ構わん、よく戦ってくれた感謝するよデュナン一等兵」

「ん、じゃあここからは別の商談だ。あんた傭兵を雇わないか」

「――もしかして君は?」

「そう、クリスタルディフェンダーズ社・スイス本部取締役執行役員ジェルダン・デュナン。期待と信頼には結果でお応えする弊社をどうぞご利用ください」

 おどけてわざと丁寧な言い回しをした。

「するとレオンハルトは君の?」

「親父だよ。色々と伏せてこんなとこ送りこむんだから参るよ。だが良い経験をさせてもらった、絶対の信用がスイス傭兵の売りだ。護衛任務の契約、二十四時間で着任させる、代金は目玉が飛び出る程高いぜ、どうだ」

 挑戦的なデュナンの提案に島は即答した。

「依頼する、好きな金額を請求してこい」

「契約成立。太っ腹な客は大好きだぜ、斡旋傭兵じゃなく、本部の正社員を選りすぐって送る」


 正社員は軍隊で言う将校の意味だと受け取る。


「クァトロ司令官代理マリー中佐」


「ウィ モン・コマンダンテクァトロ!」


 クァトロ師団司令官代理ではなく、クァトロ司令官代理と指した。島は師団長イーリヤ・ハラウィと、クァトロ司令官イーリヤを使い分けていた。この先の命令はクァトロナンバーズにのみ下される個人的なもの。


「要人の護衛を二十四時間行え。その後はクリスタルディフェンダーズ社に任務を引き継ぐんだ」


「ダコール!」


「俺は足手まといにならんように引っ込んでる、義父の全体指揮補佐でもしておくよ」


 すぐにでも入院が必要な傷を負っているというのに微塵も感じさせない。常に最前線に在り続ける、彼がこの世界に足を踏み入れてからずっと。


「ベイルートへ戻るぞ!」


 マリー中佐の命令が下る、四つ星の戦闘服集団が休みもせずに行動に移った。レバノンは今後も揺れ続ける、まるでそれが定めでもあるかのように。彼は何度でも立ちはだかる、それが使命とでもいうかのように。そしていつの日か、誰かが志を継いでくれると信じていた。


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IFレバノン死守戦 愛LOVEルピア☆ミ @miraukakka

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