第11話 ドフィーネの女王

 ル=ロワの男衆が左右をチラチラと見る。そんなことをしても最後は全員なぶりものにして殺されると解っているのに。二本の羽を兜につけた男が数歩進んでいき、槍を真っすぐ上にしてから、目の前に片手で突き出す。


「決められないようだから俺が決めてやる。この線から右だけを殺す、左は助けてやろう」


 弓矢を手にしていた兵が右側にだけ狙いをつける。膝が震えてる男衆の一人が、ついに耐えきれなくなり後ずさると「いやだ、死にたくない!」背を向けて逃げ出した。


「撃て!」


 弓兵が一斉に矢を放つ。別に誰でも良かった、適当に狙いもつけずに密集している場所へ矢を射続けると、門のところに集まっていた殆どの男衆が死傷するか、逃げ出した。敵うはずがない、時間稼ぎにもならない、結末は変わらないのだと悔しくて涙が出た。十人だけがその場に残り、手に持っている獲物を強く握りしめた。


「自殺志願者がいるようだ。全て殺せ」


 二本羽根の男が無感情に命じた。兜の二本羽根は指揮官の目印、百人以上を指揮する階級の者。いつまでも遊んでいるわけにもいかない、士気の向上のためにこうして残虐な真似もしなければならなかった事実は彼の中だけにしまっておく。槍を構えてゆっくりと近づくグロッカス兵を前にしても、残る十人は逃げ出さなかった。


「死ぬと解っていても、ここで退るわけにはいかねぇんだ!」


 歯を食いしばり死ぬ覚悟を決めて腰を落とした。せめて最後は前を向いて死のう、そう決めた時に目の前の兵を細い槍が貫いた。真横からだ。悲鳴をあげてグロッカス兵がバタバタと倒れる「て、敵襲!」声をあげた兵が北を指さして叫んだ。


 黒い布を被せた軍馬に、黒い軍服の、黒い肌をした者が騎乗し、投擲用の槍を馬上から投げつけて来た。黒地に四つ星の軍旗と、一流のドフィーネ王国旗を掲げて。


「よくぞ堪えた、後は任せて退け! 我等は将軍直属軍だ、敵を殲滅せよ!」


 エーン秘書官が部族兵に命じる。軽騎兵が二本目の槍を投擲後、鞍に括られている長槍に持ち替える。身軽な騎兵は固まって守ろうとする敵を無視し、隊からはぐれた兵を狙っては刺し殺していく。馬上短弓でつかず離れず射撃をし、相互の距離を保ち戦った。


 指揮官を守ろうとしてグロッカス軍が一カ所に集まると、それを囲むようにして走りまわる。その間に教会の人たちを裏山に逃がすと、肌の色が違うイーリヤ将軍が前に出る。当然事情が分からない者からも異質ということだけは感じられた。


「俺はクァトロのイーリヤ将軍だ。力なき民に刃を向けて軍人が何を誇るつもりか! 戦いたいならば俺を狙って来い!」


 ビリビリと痺れるような一喝に、グロッカス軍兵は生唾を飲み込む。見た目だけでなく、その存在がただの部隊指揮官ではなく、将軍であると物語っていた。避難誘導を終えると、その場に黒のクァトロ旗を突き立てて一斉に北へと部隊を引き戻して姿を消した。


 二本羽根の指揮官は軍旗を引き抜くと「本営に伝令だ!」すぐさま報告するようにさせ、部隊を集結させる。略奪して遊んでいる場合ではない、倒さなければならない敵が現れたから。



 ダロンヌの丘に集まってきたグロッカス兵は千、ところが別動隊が居たのか徐々に増えて行き、増援を後回しにして総勢三千もが包囲に加わって来た。防衛しているのがクァトロが二百、そして親衛隊が百。簡易陣地に籠もり多くの敵を誘引し、民が逃げる時間を稼いでいる。


「ボス、狼煙が。無事に避難を終えたようです」


「そうか」


 数千の民を逃した代わりに死地に閉じ込められてしまう。この劣勢では血路を開いて逃げ出すことすら出来ない。幸いまだ攻撃を受けているわけではないので考える時間は残されていた。黒人の秘書官エーンが傍にやって来る。


「閣下。我等が囮となり北への道を確保します。獣道より脱出下さい」


 じっと目を見て落ち延びろと提案して来る。そろそろ陽も傾いてくる、暗くなれば或いは少数ならば逃げられるかもしれない。だとしても残された兵は良くて全滅、ドフィーネへの今後を考えたら殲滅されてしまう恐れがあった。


「エーン、お前は俺を卑怯者にしたいのか?」


「いえ、申し訳ありません閣下」


「防衛だ」


「ヤ! セニャール!」


 その直後、周囲のグロッカス軍が攻撃を始めて来た。日没までには攻め落とすつもりなのだろう。本部に予備、四方に同数の兵力を置き、将校を全て配置し防御につかせる。


 木々が邪魔して多数が一斉に攻めることも、矢を射かけることもし辛い。接近しての切り合い、だからこそ兵力差が影響する度合いが少ない。手練れが多いクァトロが簡単に崩れることはなかったが、交代要員が居ないので体力を減らしていくと傷が増えて来た。


 予想外の行動。グロッカス軍は夜になっても篝火を置いて攻め続けた、大抵は暗夜は退き待機になるというのに。増援に来たはずがこんなところで包囲戦をして時間を浪費している、援助軍の司令官は何を考えているのか。


 何者かを知っていて、尚且つ政争というのを解っていれば、ドローム司令官をサゲて、ドフィーネの将軍を討ち取るボーナスを狙った仲間内の足の引っ張り合いと気づいたかもしれない。無理をしてここで兵を減らしたとしても、将軍を撃破できたならば余るほどのボーナスと捉えることが出来るから。


 指揮官たちがたまに水を口にするだけで必死に防戦を行う。既に予備兵も尽きて、戦線を縮小しながらも秩序を失っていないのは主将が背に居るからだろう。朝日が昇って来る、隣に立っている味方が怪我だらけなことに気づかされた。良くぞ一晩守り通したものだ。丘の周りにはグロッカス王国の旗を掲げた敵ばかり。


「マリー、帥旗を掲げ太鼓を打ち鳴らせ」


「ダコール」


 それが激励の意味合いでしかないのをわかっていながらも、僅かな気力の為に命令を遂行する。小高い丘の頂点に立てられた黒の四つ星の軍旗、その隣にイーリヤ将軍旗がはためく。あたりの山々にぶつかって太鼓の音が響いた。兵らはまだ負けていないと気合いを入れた。


 攻め寄せる敵は毎回新しい戦力、疲れを知らない新鮮な兵。一歩、二歩と退きながら戦い続け、今や丘の一部のみを支配しているに過ぎない。これで士気を保ち続けているのだから恐ろしい話だ。


 ドドドンドドドン!


 グロッカス軍の総攻撃の合図が聞こえてくる。手が空いた瞬間に水分を補給して、波状攻撃に備えた。体力の切れ目が命の切れ目にならないように、仲間に警戒をしてもらい少しでも目を閉じて休めるうちに休む者が混ざる。丘に殺到する兵が、徐々に浸透してきた。


 一晩中寝ることも出来ずに戦い続けて来た、集中力が鈍り、身体が重い。負傷して後退しても応急手当だけを受けてまた前線に復帰するが、それも限界。深手を負ってしまい、せめて仲間の盾になろうと散る者が出て来た。


 イーリヤ将軍は椅子に座ったままそのさまを眺めている。表情はないが握りしめられた拳から血が滴っているのをエーンは見た。爪が食い込むほどに力が入っている。戦略的にはほぼ無意味、戦術的には害悪でしかないこの行動。だとしても間違っているとは誰一人言わない、これがイーリヤ将軍が望む行為だから。


「一気に攻め落とせ! 一人残らず殺せ!」


 そうすれば増援軍は間に合わなかったが、敵に致命的な被害を与えたと援助軍司令官が評価される。これは敗北したグロッカス軍で唯一褒められる点になり、祭り上げる絶好の材料になる。英雄の誕生ともいう。


 圧力が強まり、円陣が残されるだけまで押し込まれた。もはや時間の問題だ、それでもクァトロは諦めない。最後の一人になっても前を向いて戦うつもりで。ピクリと将軍が眉を動かす、顎を上げて東の空を見上げた。立ち上がると前を向く。


「聞け! これよりクァトロは国を成し、その理想を掲げる。俺と生きるか、俺と死ぬかだ。おめおめと倒れてなどやるものか!」


 戦場に過不足なく聞こえたその言葉に、皆が腹の底から声を出した。疲れ切きった身体に再度気力が満ちて来る。それは気のせいなどではない、神を信じぬ男に宿っている星の加護。これから生まれようとしている名も無き神の啓示。


 太陽が登って来るとついに変化が訪れた。ダロンヌ河を遡上して来る河船が戦場近くに停まると、軍兵を吐き出した。真っ先に下船して、五十程の小勢で丘へ突き進む部隊は見慣れない軍旗を掲げている。


「勅令により騎士ヴァリスがこれより参陣する、進め!」


 シャトー=イーゼルに詰めていたはずの兵を連れ、自ら先頭になり包囲中のグロッカス軍に真っ正面切り込んでいった。河船からは次々と兵が降りてきて、中隊ごとに進軍を開始する。イーゼル地方民兵、ヴァランス地方民兵、そしてサンヴァリエ守備隊の混成部隊だ。


 雑多な兵らを指揮するのは、副司令官ロマノフスキー。彼は民兵指揮のプロ、兵の力を底上げする能力を持った指揮官だ。


「はっはっはっは! ピクニックの始まりだ、楽しめよ!」


 サンヌから勅書を貰い、国軍を含めて指揮を執れるようになったので大手をふるい編制をしている。その手配を促したのは王都の参謀長だというのは明らか。


 戦場北からも喚声が聞こえて来た、何者かがやはりグロッカス軍と交戦をしていた。だがこちらは正規兵のように見える重武装、数も数百もいる。どこからともなく現れた部隊はドフィーネ王国軍の旗を示した。


「侵略者を追い出すぞ、ここは我々の国だ! 掛かれ!」


 重装備のそいつらは強かった、どうしてこんなところにいるのか。どう考えても歩兵ではここに到着できない、在地の兵ではない。だが考えるのは後にして、今は防御を固めるのに集中した。太陽が南中する頃、西の平地から土煙を上げて迫る集団が見える。それらはグロッカス軍の包囲を背中から突き崩して、一直線丘を駆け上って来た。


「ブッフバルト着陣! 総員下馬で防衛に加われ!」


 追撃戦を終えて駆けつけてきた、彼らも休まずに戦い続けているが、文句を言う者は一人もいない。傷ついた仲間を支え、肩を寄せ合い丘の頂点を守り続ける。


 増援すべきグロッカス潜入軍が居なくなった以上、速やかに引き上げるしかない。グロッカスの援助軍は包囲を解いてル=ロワ方面へと撤退を開始した。統率を失わずに、徐々に下がっていく形で。


「ボス、追撃は?」


 マリーが確認する、もし行うならば負傷が少ない兵を選抜して隊を組みなおさなければならない。


「不要だ。しかし、あの軍は一体」


 ロマノフスキーの非正規軍は想定していたが、謎の正規軍は不明だった。取り巻きを連れてその軍の指揮官が丘に登って来る。五十代ほどだろうか、厳しい顔つきの男が明らかにドフィーネ正規軍の装備をした者達と共に。


「クァトロのイーリヤ将軍です。救援に感謝します」


 敬礼して謝辞を述べた。相手が何者であるかなど関係なく、その事実に対して。


「元ドフィーネ王軍司令官デルロン。フェリシアンならびにル=ロワの民を助けてもらい感謝する」


 デルロン元王軍司令官が敬礼を返した。出奔していた人物がここにいたかと、目の前の人物と兵を紐づけすることが出来た。デルロンは陣営の惨状を見て「まずは手当てを、そして移動だ」幸い河船もあるのでサンヴァリエへ向かうことにする。


「そうしましょう」


 言葉を容れると治安維持をロマノフスキーに任せ、軽傷者をフェリシアン、重傷者をサンヴァリエへ向かわせることにした。



 国王パージェスが崩御。継承権者が王位の請求をすることになり、ナキ・アイゼンシアが名乗り出た。異を唱える者は誰も無く、ここに女王が誕生する。サンヌの王城で式典が開かれる、混乱を収める為に速やかに。


「ドフィーネ王国はグロッカス王国の攻めを受け、国を失う危険にあいました。ですが、敵を退け、民を安んじ、秩序の何たるかをここに確立しました。我が名はナキ・アイゼンシア、ドフィーネの女王です」


 簒奪ではない、正当な継承だ、少なくともグロッカス王国の侵略よりは。先の王族は全て葬り去られてしまっているものの、王家の血は繋がっている。何よりも国民がナキを望んだ、より良い国になるはずだと信じて。


 論功行賞、女王による勲功への褒美の授与が行われた。下から始められていき、外国からの援助をしてくれたユーナが呼ばれる。臣下ではないので膝をつくことはない。謁見の前に居並ぶ沢山の高官や貴族の前で、礼服のユーナが段上のナキを見つめる。


「ソーコル王国アンデバラ子爵ユーナ・フォン・デンベルクにドフィーネ王国最高勲章を贈り、宮廷伯の爵位を授けます」


「受け取るわ」


 無礼、そう感じたものが多かっただろう。しかしナキが「ありがとう、あなたは私の親友」微笑むと、ユーナも笑みを返した。その姿を見て反感を持った多くが恥じて顔をしたに向けてしまう。


 左右の列ではなく玉座の右に立つと、ついに最後の人物が呼ばれる。黒の軍服、赤い裏地の黒い外套、黒い髪に黒い瞳、このあたりの人種ではない。


「クァトロ司令官ルンオスキエ・イーリヤ将軍にドフィーネ王国最高勲章を贈り、イーゼル侯爵と従属爵位のヴォアロン伯爵、ロマン=イーゼル子爵、サンジュ=イーゼル子爵及び、シャトー=イーゼル男爵を授け、イーゼル河域の領土を与えます。王国軍最高司令官に任じ、王国の治安を預けます」


「拝受します。どうか理想の国をお作りください、私は決してその意志を無駄にはさせません」


 これまた敬意が足らない態度に、臣下の高官が嫌そうな顔をする。こうなるまでどこに隠れていたかわからないような者達でも、大事がおさまれば口を出しに戻って来るものだ。


「ええ、必ず導いてみせます。どうか支えて下さい、私の同盟者」


 イーリヤ将軍は玉座の左前に立つと、諸官と対面する。力強く圧倒されるその存在感に、高官らは須らく頭が下がった。自分では対抗出来ないと直感して。


「目指す希望の為ならばいかな苦難があろうと私は諦めず、信じた正義を曲げず、勇気を示し続けてみせる。不満があれば正面から私に挑戦してこい、必ず受け止める!」


 長き放浪の旅を終えて、クァトロがついに自身の根拠地を得た。これは彼等の伝説の序章に過ぎない。


次の時代のお話

https://kakuyomu.jp/works/16817139554851859430

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