第10話 クァトロ追撃戦

 イーリヤ将軍を主と呼んだ彼は、黒人ばかりの部隊を率いている。百人の親衛隊は、その全てがイーリヤ将軍を神と崇める南の大陸からやって来た部族兵だ。耐えろと言われれば幾日でも耐え、死ねと言われたらいつでも命を差し出す、ある種の狂信者たち。


 だが将軍は決して命令をしない、彼等でなければ成しえない特別な時を除いて。将軍は願うだけ、エーンは自分が頼られるのが何よりも嬉しかった。かつて絶望の淵にあった時、手を差し伸べてくれた人物の役に立てるのが。苦境の際に一族を救済してくれた主が微笑んでくれることが。


「よし、俺に続け!」


 集団が形成されビダの部隊が前へ出た。マリー司令が全軍の移動とその後の結果を鑑みて「ボス、ドゥリーの隊を急行させ橋の確保をしては」急所を押さえるようにと進言した。


「そうさせるんだ」


 指揮官ドゥリーが率いる五十の騎兵が本隊から突出し真南へと疾走する。途中で馬が一杯になるのを承知でだ、それだけ橋が重要になって来ると読んでいる。戦闘部隊が独立して動けるのは三日が関の山だ、それ以上の物資など持っていないから。


「グロッカスから南の平野を迂回してくる部隊がいる可能性があるな」


「そうならば敗残兵の撤退援護が役目でしょう。向かっている道中では王都への増援のつもりでしょうけれど」


「ならばどうする?」


 イーリヤ将軍がマリー司令へしている質問は、問題の解決であると同時に教育でもあった。何を求められているかを思案する、あまり時間を掛けて答えるのも即答するのも避けて。


「……敗残兵には迎えが来ているのを報せ、増援には撤退中だと報せる。そうすることで我等の目的を果たします」


 真面目な表情でこうあるべきだとの姿を示す。追われ始めて絶望すれば無茶をするが、生き残れそうならば必死で逃げる。助けをもとめる仲間がいれば、それを守るために尽力をする。相手の目的を誘導することが出来れば、取れる作戦行動の効率も効果も高くなるというもの。


「味方だけでなく、敵も動かせることが出来るようになれば一人前だ」


 微笑むと若者の知恵を認める。将軍にとってマリー司令は、かつての軍での後輩であり、特別な繋がりをもっている。そういう意味ではブッフバルトも同じだった。


「強敵が現れてくれると好いんですけどね、このままじゃ何ともあっさりしすぎていて」


 余裕を見せることで更なる笑みを引き出す。マリーの言う通りこのままでは圧勝、これといった苦労の一つもない。それはそれで素晴らしいことではあるが、兵の強さというのは苦難を乗り越えた経験と正比例する。


 サルミエ副官がマリー司令と反対側に近寄ると「ドローム司令官が自害したと報告がありました」極めて事務的に事実のみを上げて来る。おめおめとこのまま生き残ることは出来ない、感じていたことではある。


「そうか」


 短く反応するとそれ以上は何も言わずに馬を走らせ続ける。何時間も移動を続け、暗くなったところでサンヴァリに到着する。ここでは未だににらみ合いが続いていたが、砦に入り補給を受けた。主将に起きていることを伝え命令を待っているように指示すると、馬を休ませた。


 先に到着していたドゥリーがやって来ると一度襲撃を受けたことを報告してきた。しかも工兵のようなものを連れていたというから、備えが当たりだったと言える。


「少なからず指揮が生きている証拠だな。逃げの一手など逃げではない」


 本当に逃げるならば相応の準備をしなければ、それは壊走しているだけ。整然とした逃走は撤退作戦として極めて重要な行為として認識出来た。


「先行偵察に出ますか?」


 ドゥリーが提案して来る。


「そうしろ。だが、夜明けまではきっちりと休むんだ」


 地理不案内で暗夜に動いてもロクなことはない。今はまだどこで何が起こるかわからない、不安定で流動的な戦争の最中なのだ。新鮮な情報は幅広く欲しいが、その為に部下を不必要な危険にさらすつもりはない。


 翌朝、きっちりと日の出とともに先行偵察部隊が出て行ったと聞かされる。らしいな、将軍は小さく笑うとそう浮かべてしまう。朝食をきっちりととり、携帯食料を少量だけ持つと橋の西岸へと行き待機する。程なくして先行偵察部隊が帰還してきた。


「閣下、グロッカス軍がル=ロワよりフェリシアンへ進軍中です。自警団が武装して防衛しようと構えております」


 それは無理は話、盗賊や猛獣相手にするのとは違う。抵抗するならばそれを叩きのめす、侵略とはそういうことだ。


「マリー、フェリシアンに急行しサンヴァリエへ集団疎開をさせるんだ」


「了解、バスターにさせましょう。敵軍の規模は」


 このあたり出身者、それも年長者を指名する。そうすることで住民が指示を聞きやすいだろうことを想定しての采配。


「二千規模ですが、軽歩兵が半数の見込み」


 急な増援部隊だ、動きが早いものを運用するのは理にかなっている。全てがその兵種ではないだろうが、いち早く送り込む為に先行させている可能性が高い。それだけに物資の現地調達も行われているのは、想像に難くない。


「四時間だ、それだけ時間があれば避難させられる。散開して動いているはずだが、どう足止めをする」


 今回のお題を突き付けられる。数は圧倒的に不利、足手まといの民衆が居る。北へ援軍へ向かって貰いたいのは山々だが、そのついでの蛮行を見逃すことは出来なかった。間に合わなければ、知らなければ捨て置かれたフェリシアンではあるが、判断一つで未来が変えられる。


「派手に存在を知らせて誘引します。将軍旗があれば魅力的に映るのでは?」


 イーリヤ将軍へ不敵な笑みを向ける。上官へ向けて囮になれと言っているのだ。


「ふふ、言うようになったものだ。いいだろう、俺を上手く使って見せろ」


「仰せのままに。ドゥリー、近くの地形を」


「はい。フェリシアン東にダロンヌ河が伸びていて、そこに丘があります。木々が深く生い茂っており、見通しが悪いところが」


 地図上でしか見たことが無かったが、ドゥリーの言葉で脳内補完をする。そこまで幅広い河ではない、想定通りに利用出来ればとの目算が立つ。失敗は許されない、どのような成功を残すか、それしか求められていないのだから。


「適当な敵を拉致し、撤退中部隊からの偵察を装い現状を伝えさせます。それとは別に、丘に将軍旗を立てて統率を明らかに」


「そして」


 先があるのを承知で促す、どんな楽しい続きが聞けるのかと。


「こちらが少数だと見抜かれないように、盛んに銅鑼をうちならして防衛している……というのを装います。偽の陣営だと見抜いたと思い、攻撃してくれれば戦うのみ」


 少数を多勢に見せて迂回させる、それが真の狙いだと敢えて勘違いさせる作戦。それならば将軍が本当にそこに居なくても成り立つのだが、イーリヤ将軍は後輩の努力を認めた。参謀長ならばもっと完成度が高い別案をだしていただろうが、生憎ここには居ない。


「旗だけじゃ不信もあるだろう、軽く敵の本営を攻撃してから逃げ込むとしよう」


「それは名案。ではそのように」


 参謀長がいたら露骨に顔をしかめていただろう会話だ。危険を進んで受け入れる必要はない、ここで座っていろと言われてしまいそうな内容。誘因に失敗しても街が壊され、不運な逃げ遅れの住民が幾らか犠牲になるだけで大勢に影響はないのだから。


 イーリヤ将軍はそれが許せなかった。損をする性格で、正義感が強すぎて、己を粗末に扱い過ぎる。本来ならばどこかで野垂れ死んでしまっていておかしくないというのに、神は彼に味方をした。神など信じてすらいないのにだ。フォーチュン。星の加護をその身に宿し、心通わせた者に加護の欠片をまとわせる奇跡の存在。


「部隊を五つに分ける。疎開誘導と丘の確保に各一部隊、残る三部隊で誘引を仕掛けるぞ」


「ボスはどちらに?」


 それこそ答えが解っていて相手に語らせるつもりだ。


「無論、囮として最前線にだ。司令官が後方で縮こまってて兵が従うものか」


 この意思の在り処が軍兵からの信頼を受ける重要な要素になっている。常日頃、末端の兵とも親し気に接し、己も苦楽を共にしていた。


「どの隊に拠るつもりで」


「エーン、俺の命はお前に預けるがいいか」


 それまで側に控えていたが、何一つ口を挟まずにいた黒い肌の男に呼びかける。エーン秘書官は目を見開き「必ずやお守り致します!」望んでいた言葉を返して来る。



 ル=ロワの北東直ぐにある、ボサの教会。グロッカス軍の兵がまばらな家々を略奪し、放火して進む。住民は着の身着のままで逃げ出し、聖マリーベル教会へと身を寄せた。


 行き場がない信者を全て受け入れ、教会の前に司祭が一人で立っている。後ろには女子供に老人、戦える男衆はその殆どが教会の囲いの門で固まり敵を睨んでいた。一般人の烏合の衆と、武装した軍兵、結果がどうなるかなど火を見るより明らか。


「ここで降伏しても殺されるだけだ、俺は戦うぞ!」


 鋤を握った農夫が眉を寄せて身を固くした。包丁を持った肉屋の大将も膝が震えながらも踏みとどまっている。鍛冶屋は金槌を、パン屋はのし棒を両手で握りしめてじっと前を見ている。背には家族がいて怯えている、逃げることは出来ない。


 恐怖でどうにかなりそうだったが、グロッカス兵はにやついて状況を愉しんでいた。圧倒的優位にたつ余裕を味わう、人は残虐な生き物で、他者の命運を握るとそれをもてあそびたくて仕方がないのだ。


「お前ら、半分に別れて殺し合えば、残った方は助けてやるよ。ほら殺し合えよ、ははははは!」

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