「……愚かな女よなぁ」

 ズル、と布を引きずる音とともに男の声が響いた。

「ロウリエ、お前が裏切ったのは、よくわかった。そしてお前が……ッ、馬鹿だということもな」

 ゴホ、と血を吐き捨て俺は立ち上がる。

「……なんのことでしょう」

 はて、と首を傾げヤツは笑った。

「この世界はまだ終わってなどいない」

「……!?」

 目を見開き驚きを顕にするようにロウリエは息を呑んだ。

「……ロウリエ」

 ぐぐ、と力を込めケラシーが起き上がった。

「どうして終わったって決めつけるの?」

「…………」

 すぐに答えが出なかったのかロウリエは開いた口を閉じた。

「ねぇ、ロウリエ。わたしが外に出たいって言った日のことを覚えてる?」

 急に何を言うのか、というように彼女は眉をひそめた。

「なんのことでしょう」

「不思議に思わなかった?アドニスから外に行くことはダメなはずなのに、どうしてわたしとアスターは外に出れたのかな?」

「……それは」

 不思議に感じていたはずなのに。そのことについては不思議とすら感じない、感じることさえもなかった。

 まるで感じないように誘導されたかのように。

「どういう……、」

 ロウリエはここに来て初めて焦ったような表情を浮かべた。

「最初から、出ちゃいけないなんてなかったんだよ」

 淡々とケラシーは言った。

「そんな、はずは……」

 果たしてない、と言い切れることができるのか。

「ロウリエ、お前は確かに頭がよく回る。だがな、」

 言葉を区切り俺は唇を吊り上げた。

「お前より更に、狡賢く人を騙すのに長けたヤツはいるんだぞ?」

 そう言ってやればロウリエはますます困惑したようにあたりを見回した。そしてはっと気づいたように口元を手で覆った。

「……いない。いったい、どこへいったのですか……」

 俺達はあのとき全員ロウリエの凶刃に倒れた。無論、今も俺、ケラシー、キュクロプスは血が滴っているがあと一人の姿が見えない。

 そう、ベリスがいないのだ。

「ベリス……!」

 ロウリエにとってベリスとは、敬愛すべき対象であり、歪んだ愛情を向ける相手でもあった。

 バッと振り返り彼を探す。だがどこを見ても人影の一つや呼吸、気配すらも感じない。

「何故、何故いないのですかッ!?」

 悲鳴に近い声が彼女から発せられる。


「出てはいけない、そう言われるだけで人はなぜか本当に出れなくなってしまう。それがたとえドア一枚だったとしてもね。禁止、と言われてしまえば破れなくなる」


 俺たちを外へ手引したのはコイツだ。

 笑顔の仮面を引っ付けてコイツは俺にこういった。


 ケラシーを外へ出してほしい、と。

 もう一度やり直す為に。


 半信半疑だった。

 今の今まで俺たちに外への情報を与えなかったコイツが何を突然言い出すのかと。


「世界を滅ぼすのに理由がいらないのなら、また世界を作り直すことも理由なんて要らないんじゃないのかな?」



 コツ、と地面に足音が響いた。振り返ればそこには優しい笑みをたたえた死にかけのベリスがそこにいた。

「何故生きて……」

「ねぇ、ロウリエ」

 ビクッと彼女の体が反応する。

 くすくす、と口元に手を添え瞳を細める。そして次の瞬間侮蔑するような視線を彼女へ向けた。

 

「よくも僕の世界を、町を壊してくれたね……ッ」


 ズォ、とベリスから怒気が漏れる。

「僕はねぇ、人が大好きなんだよ……。脆くて弱くて、けれども強いッ。そんな人間たちが大好きなんだ」

 ねぇ、ロウリエ、と再度ベリスはヤツの名を呼ぶ。

「君には罰を与えるよ。君が一番嫌がるやり方でねぇ」

 ねばっとした不気味な空気が辺りを覆う。

「なにを……」

 ケラシー、こっちへおいで、とベリスが言うとキュクロプスは彼女を連れて行った。

「はじめまして、偉大なる□□」

 ベリスはキュクロプスにそういった。そしてキュクロプスもまた、初顔合わせか、偉大なる□□、と返した。そしてベリスは彼女へ向き合った。

「ケラシー、この木に命を与えてくれるかな?」

 そう言うとベリスはポケットから別の小瓶を取り出した。

 最悪、とでも言うようにロウリエの悲鳴があがった。

「〜〜ッ!」

「スラグ病って、なんだろうね。どうして心臓が鉄へ変わるのか、不思議だった」

 ロウリエの背後に周り組み伏せる。

「そのまま見ておけッ」

「……貴方は、知ってるでしょ?」

 にこっと彼は偉大なる彼へと尋ねる。

 心臓が鉄に変わる。そんな単純なものの正体は意外と簡単なものだった。

「問おう、何をもって世界は終末とする?町が滅ぶことか、人が死に絶えることか、汚染か、はたまた戦争か?」

 ニヤリ、と豪快に笑い彼は言う。

「否ッ!人が心を失ったときだ」

 ガン、と杖を振り下ろす。

 ベリスは俺達の前でこういった。


「スラグ病はね、心臓が鉄に変わってしまう病気だよ。血液を全身に運ぶ心臓が徐々に徐々に鉄に変わっていくんだ」

 そしてこうも言った。

 「心肺能力の低下、それに伴い運動能力も逓減していく。心臓の端から硬化が始まる」


 この内スラグ病に関する真実はニ割ほど。あとはすべてでっちあげだ。よくもまぁ舌が回るものだと演技をしながら感心したものだ。


 小瓶を傾けケラシーはその木へかけた。

「どうしてわたしなんですか?」

 真っ直ぐな視線が向けられる。ベリスは笑い髪を耳にかけると少し屈んだ。

「君がケラシーだからだよ」


 【真名桜 精神美】

 

「木が!」

 俺は声を上げた。巨木にゆっくりゆっくりと薄い色がついていく。

「わたしの真名、知ってたんですか」

「さぁ?どうだろうね」


 【真名雛菊 無邪気長命】

 

「花開け、桜よ。夢を見せし泡沫の木よ!」

 大仰に、嬉しいと言わんばかりにキュクロプスは声を張り上げた。

 ふふっとケラシーは笑った。アスター、と俺を呼び手を引いた。もう、何度、彼女に手を引かれただろう。

「サクラサク」

「なんだそれは」

「希望の言葉だよ」

 驚く俺にケラシーは言った。

「ハナヒラケっ!」

 ベリスが飛び込み笑いかけた。

「そういえばわたしって病気じゃなかったんですよね?なら、」

「うん、ここの空気がただ単に悪いだけだよ。あと、ちょーっと洗脳しちゃったし」

 ごめんね、とベリスは謝った。

 心臓が鉄に変わる、それは心のことを指すのであり体自体の病の話ではない。まったく、呆れた男だ。

「どうするのだ、この女は」

 ロウリエは項垂れ生気を失っている。

「一緒にいるよ?だって僕もロウリエのこと好きだしね」

「……え?」

 ロウリエは見上げその目に涙をためた。

「正気か?世界を滅ぼすような女だぞ?」

「かわいいじゃない」

 やんややんや、と盛り上がりを見せている。

「いろんなことがあったけど、楽しかった。……でも、許さないからね?」

 わたしを騙してたなんて。ケラシーは膨れている。

「次わたしに嘘をついたら、ずっとずーっとわたしの言うこと聞いてもらうから」

「……ああ、わかった」

「本当にー?忘れちゃわないでよ!」

「忘れないさ」

 俺は紫苑だから。


 【真名紫苑 君を忘れない】

 

 

 

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キュクロプスの桜雨 夕幻吹雪 @10kukuruka31

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