番外話 ふたりだけのやくそく 後

「ダニエル、みんなは? ねぇ」


 声をかけられて、驚いて飛び起きた。見ればレフィ様が訝し気に見上げている。厭な夢を見たものだと、慌てて立ち上がれば、レフィ様がポツリと呟いた。


「泣いてた?」


 え? と思いつつ、エーリク様の様子を振り返って、穏やかな寝顔に一瞬だけホッとする。それから、昨夜までしていたひどい呼吸音が聞こえないのに青褪めて、エーリク様の肩を揺すった。


「エーリク様!?」


 当たり前だ。昨夜、自分の手に掛けたのだ。なのに、どうしようもない焦りと哀しみが湧いてくる。レフィ様をほったらかして、部屋を飛び出し人を呼ぶ。まるで、自分が自分じゃないようだった。

 ろくに弁明も説明もしなかった。そのまま手打ちになってもいいとさえ思っていた。けれどその憔悴は、違う意味に取られたのか、城から遠い辺境警備に回されただけで済んでしまった。

 淡々と与えられたものをこなす日々。

 ある日、城に戻らないかと打診が来て、断るつもりで上官に会った。もうあの場所に居場所はないと思っていた。


「レフィ様の護衛にどうかという話なんだ。お前、亡くなった子の護衛してたんだろ? 経験もあるんだし、ここでも真面目にやってるし、そろそろ戻ってもいいんじゃないのか?」


 思いがけない話だった。失態を犯したのに、確かにまたとない話だろう。けれど、首を縦に振ったのは、そういうことじゃない。エーリク様に「レフィを助けてあげて」と言われたのを思い出したからだ。

 そうして戻ってみれば、レフィ様本人が渋っているという事実を知った。聡い子だったから、兄を見殺しにした男は嫌だと思っているのかもしれない。

 数えてみて、四年ぶりに会ったレフィ様は怜悧な刃物のような人物になっていた。エーリク様より薄い瞳の色が、冷ややかさを増している。無邪気に駆け回っていたことが嘘のようだった。エーリク様が亡くなって、生活が一変したからなんだろうか。

 彼が嫌がるのなら、無理にとは言わない。「助ける」解釈はどうとでもできると思っていた。


 試験のように、もうひとりの若く明るい騎士とどちらかを選ぶと言われて、それにも特に異を唱えなかった。貴族ではなく、平民の子から従者が欲しいと、一見わがままを貫くレフィ様と、その子供と親を説得しに行くのに付き添う。

 少し離れたホテルで二人で待機になって、レフィ様はまじまじと私を見つめていた。


「ダニエルは、僕の護衛につきたくて戻ってきたの?」

「上からの打診があったので、断らなかったまでです。どうぞ、お好きに選んでください」

「ひとつ、訊きたいことがあったんだよね」


 言葉を切って、なおもじっと見つめられるので、私は首を傾げた。


「何ですか?」

は、エーリク兄さんの命令だったの?」


 何のこと、と言い返せずに顔色を変えた私に、レフィ様は答えを聞かずとも納得した顔をした。

 レフィ様を引き立てるための陰謀だとか噂があったのは知っている。私にしてみれば何のことやらという話で、一顧だにしていなかった。だから、そういうことを聞かれたならば、笑い飛ばせたのに。やはり兄弟だから、考えることが似通っているのだろうか。周囲の大人が陰謀論に振り回されている時に、この少年は全く別の答えに辿り着いていたのかと思うとぞっとする。

 何より、エーリク様との約束がある。誰にも知られてはいけないのだ。罪に問われ、刑を受けても、私はあの夜のことは話してはいけない。それを、他者の口から漏らされるのも看過できない。


 気付けば、私はレフィ様の首に手を伸ばしていた。それがさらに答えを補強すると気付いても遅い。

 一瞬、「レフィを助けて」とエーリク様の声が頭に響いて力が緩んだ。その隙に逃走される。反射のように追いかけて、追いかけてどうするのだと自問する。その口を塞ぐのに、どうすればいい?

 決められないままに、私は彼を追い続けた。


 用水路に飛び込む背中を見て、人気ひとけがない場所を選んでくれたのかと妙なことを思う。覗き込めば、赤髪の少年がレフィ様に引かれるようにして一緒に逃げていた。

 誰だ、と眉を寄せる。

 彼はレフィ様を土手の上に逃がし、自らはまだ先まで行こうとして、レフィ様の差し出す手を取った。

 ああ、と、この町に来た理由を思い出す。彼なのか。

 少し大柄だが、どこが気に入ったのか。


 彼がレフィ様の上着を着て私の気を引き、レフィ様がナイフを使って私を動けなくして、なるほどいいコンビだと苦笑した。

 人を呼びに行かせている間に、レフィ様はもう一度訊いた。


「エーリク兄さんは何てお願いしたの?」

「貴方には、関係のない話です」

「どうして頑なに話さないの。わかった。誰にも言わないから、答えをちょうだい。それによっては、おふざけがエスカレートしただけってことにするから」


 もう、ほとんど確信しているのだろうに、レフィ様は私の口から聞きだしたいようだった。本当に、可愛らしくない。


「嫌です」


 薄く笑った私に、レフィ様は不機嫌そうに眉をしかめてみせた。




 事情を聞かれても、私は何も話さなかった。事実だけを認めて、その動機はいっさい口にしなかった。レフィ様が話すだろうと、投げやりな気持ちもどこかにあったのだが……彼も何も言わなかったようだ。

 どういうつもりなのか、さっぱりわからない。庇ってやったと恩を着せられるのもごめんなのだが。

 炭鉱送りにされ、不穏な計画に誘われても無視していた。私はエーリク様との約束を守っているだけで、別にレフィ様を恨んだりしているわけでもない。彼を個人的に好きか嫌いかは、別の話だ。


 何やら別の事件の聞き込みにきたイアサント様達と一緒にレフィ様もいた。どうやら従騎士になったようだ。彼らしい成長に少し目を細めて、ベルナールが連れている従騎士に驚いた。赤髪の、目つきの悪い少年は見覚えがある。

 レフィ様を気にして、彼を守れるような立ち位置に立つ様子は、あの日からずっと一緒にやってきたのだとすぐにわかった。レフィ様がわがままを通した理由も――



 * * * * *



 千切れそうな腕の感覚も無くなって、寒さで身体が震えてくる。

 赤髪の少年は無事だっただろうか。ちゃんと見つけられただろうか。騎士を失くした主人と、主人を失くした騎士では、どちらが不幸なんだろう。

 レフィ様は私が他の人間を主人と仰ぐことをしないと気付いていたから、あの時、渋ったのだな。本当に、本当に、子供の考えることではない。


 エーリク様、約束は守れたはずです。どうか、心配なさらずに。あとは、赤髪の少年がレフィ様を守ってくれるはずです。

 私が地獄に落ちても、どうか――……


 ふいに、小さなものが私の傍に

 その気配に重い瞼を持ち上げる。

 小さな気配は屈みこんで私を見下ろして、小さな手で私の頭を撫でてくれた。




* ふたりだけのやくそく おわり *

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