「もー、そういうんじゃなくって」


 指先は手のひらへ、手のひらは手首へ、手首は肘へ。絡め寄せ合い、彼の腕に肢体を押し当てる。とおるさんは「うーん」と困ったような声を出した。こんなときわたしを振り払ったり必要以上にたしなめたりはしないけれど、それでも彼からはなにもしてこない。


「そういうのはもう少し大人になってからって言っただろう?」


「もう大人ですー。十六歳だから結婚だってできるもん」


 得意げに言ったわたしにちらっと視線を向けたとおるさんは変な笑みを浮かべて肩を竦めた。


「ところが法律が変わってできなくなったんだよね」


「え、ええ!?」


「今は男女とも十八歳からだよ。学校ではあんまり話題にならないかな?」


「し、しらなかった……」


「けっこう世代にピンポイントな話だけど、そっかー。まあ結婚は早いよね」


「そうやってしれっと否定的な意見を刷り込もうとするのずるいわ」


「い、いやいやそういうわけじゃないけどさ」


 慌てて首を横に振るけど顔に出てるのよね。わたしが溜息で答えると、彼は穏やかな表情で続ける。


「俺だって嫌がって言ってるわけじゃないのは知ってるでしょ?」


「そうだけど……」


 わたしと彼の歳の差は十歳以上だ。ふたりの関係がバレたとき、とおるさんはパパとおばさまにこう言った。


『ありすちゃんが大人として改めて俺を選ぶまで、交際相手として彼女に触れたりはしないから』


 それ以来とおるさんはわたしとの距離に凄く気を使っているけれど、でもわたしは面白くない。


 クラスのみんなは付き合ってる相手と色々……なにをとは言わないけれど色々しているのに、わたしだけ相手が年上だからってなにもできないなんてずるいと思う。

 それどころか、わたしは彼と付き合っているとみんなに言うこともできないでいる。


「わたしの十六歳は一回しかないんだよ?」


「だからだよ」


「もう、そればっかり。オトナはみんな、わたしのこと大事にし過ぎよ」


 わたしは十六歳を大事にしたいし、それは周りのオトナも同じだろう。でもその大事の意味がまったく違う。それこそ真逆と言っていいほどに。


「まあ俺も母さんもそこそこ失敗してきたからさ。おじさんにとっては大事な一人娘だし、少し臆病になってるのかもね」


「わたし今から酷いことを言うわ」


「え、うん。……ど、どうぞ?」


「いい迷惑だわ」


 わたしの辛辣な感想を聞いて、言われたとおるさんは怒るでも窘めるでもなく、むしろ楽しそうに笑った。


「はは、言えてる」


「怒らないのね。お小言くらい言われるかと思ったのに」


 わたしは不満なんだろうか、ともあれ意外な気持ちを吐露すると、彼はわたしの目を見て肩を竦めた。


「俺だってひとのこと言えるような生き方してないし、親の小言には今でも煩い余計なお世話だって思うよ」


とおるさんもパパやおばさまのことそんな風に思ってたの?」


「はは。クソジジイとクソババアだよ」


「……わたし、そこまでは言ってない」


「おっと失言だったかな」


 とおるさんが悪そうな顔で笑うのでわたしもつられて笑う。


「ねえ、パパ今日は遅いんだって」


 気付けば灯りの付いていない家の前だ。


「う、うん。知ってるけど」


 だからここまで送ってきたんだしね? という顔でわたしの暗黙の提案を流した彼は、上目遣いに見上げていたわたしの頬をその大きな両手のひらで包み込む。

 右手を離して人差し指でそっとわたしのくちびるを撫でる。パティシエの繊細な指先でリップを塗るように丁寧に、それでいて優しく。


「そうだな……おじさんと母さんが結婚すれば一緒に住めるようになるし、それまでもう少し我慢しよう?」


 わたしは口を開くとその指先を銜え、逃がさないよう歯を立てて彼を軽く睨む。


「絶対よ?」


 とおるさんはわたしの舌を撫でるように指を這わせて抜き取り、目の前でぺろりと舐めて微笑んだ。


「もちろん、楽しみにしててくれていいよ」


 その獣のような顔を見た瞬間、背筋に寒気のような興奮を覚えながらわたしは頷く。


「う、うん。じゃあね。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」


 獣に背を向けないように向き合ったまま離れ、家の門を開けて入ると、彼は小さく手を振って去っていった。

 門越しに見えなくなるまで見送ってから、ひとり熱の籠った溜息を零す。


 この恋はまだ、誰にも言えない。


 けれど、もしかすると、ずっと誰にも言えないかも、しれない。

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この恋はまだ あんころまっくす @ancoro_max

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