自然とまぶたが開き、輪郭のはっきりとしない滲んだ光景が目に入ってくる。境界線のある不思議な光景。それが枕と襖であることに少女が気付いたのは少ししてからのことだった。


「ぅん……? ふぁ――ンぎゃひぃぃっ!?」


 自らが体を横たえていることに気付き、仰向けになろうとして背中を襲った激痛に少女の口から尻尾を踏まれた猫のような悲鳴が上がり、彼女は布団から転がり出た。


「……? ……っ!?」


 畳の上に這いつくばり、じんじんと傷みの滲む背中に言葉を失う。少女の脳裏によみがえるのはあの夜、青年の危機を救わねばと飛び出したところまで。


「……とこ、ろで……ここ、どこお……?」


 何もかもが分からずに、忌々しくて少女がぎちぎちと畳を引っ掻いていると、突然彼女の側にある襖が開いた。


 襖の方に少女が目を向けると、そこには瑠璃紺初めの男着物を着て髷を結った、十になるかどうかというような子どもが佇んでいて、子どもはカエルのように這いつくばった少女を黒く大きな瞳で見下ろしていた。


「起きたか」

「へ……あ、はい……?」

「ついて参れ、日々野ひびの進歩すすむ


 見ず知らずの子どもに名前を呼ばれ、困惑する少女こと進歩であったが、そんな彼女など構いもせずに子どもは踵を返して行ってしまう。


 どうしたものかと思いつつも、背中を庇いながらもたもたと立ち上がった進歩は急いで子どものあとを追った。


 一部屋に畳が何枚も敷かれた、広大で立派な屋敷。進歩は何か自分が時代劇にでも出ているような気分になった。すたすたと突き進む子どもの背中を見ながら彼女は訊ねる。


「あの……ここ、どこなの?」

「左様な瑣末事が気になるのか?」

「え……? さま……? いや、気になるでしょ」

「ふむ、もっとマシなことを訊くと思っておったのだがの」

「は?」

「例えば……どうしてわたしの名前を知ってるの、とか」

「そっ、それもそうっ! なんで!?」


 子どもは振り返らず、そのまま何かを進歩の方へと投げた。

 驚く進歩だったがそれは彼女が慌てて差し伸べた手中へ自ずと飛び込んだように収まる。そして彼女は「あっ」と声を上げた。


「わたしのサイフ!」

「学生証もあった」

「見たの!?」

「そりゃあ、見る。素性を知らねば対処できまい」

「……で? ここはどこ?」

「おれの屋敷」

「あの……そゆことじゃなくって」

「己頃の山ん中よ。田舎も田舎よ」

「はあ!? 己頃って……己頃!?」

「他に己頃なんて場所あったかの?」


 進歩は目を回した。

 己頃おのごろと言えば他県。岩戸町のある県とは反対のところにある。


 なぜそんなところに自分が居るのか進歩にはまるで理解出来ない。あの晩、“ちょっとした小遣い稼ぎ”していただけなのにと頭を抱えてしまう。


 幾つかの座敷を通り過ぎながら、見事な庭園を見ることの出来る回廊を進むことしばらく、廊下の突き当たりにある座敷の前で子どもが立ち止まる。追っていた進歩も然り。


 そして進歩が何か訊こうと口を開きかけて、子どもは閉ざされていた障子戸を勢い良く開け放つ。ぴしゃりと威勢の良い音が響いて、そして子どもは声を上げた。


「ぼんくらども、仕方がないから連れてきてやったぞ!」


 ちらと座敷の中を進歩は覗き込んで、そしてまた「あっ」と声を上げて両目を見開いた。


 広い座敷には数人の男女がごろ寝していたり本を読んでいたりしていて、その中の一人に顔面に傷痕を残した、あの夜の青年がいたのだ。


 皆の視線は子どもではなく進歩に向けられていて、気圧された彼女が思わず障子の影に引っ込もうとしたところ、件の青年――驚鬼が読んでいた漫画本を放り捨て声をかけた。


「おお、女。


 驚鬼の不可解な言葉に進歩が眉をひそめる。

 するとごろ寝していた巨漢が起き上がり、ぱんと柏手を一つ打って、彼は子どもへと告げた。


「いやっ、お美事! 流石は桃姫ももひめ殿!!」


 巨漢の不可解な言葉に進歩の眉はますます歪む。

 そして桃姫と呼ばれた子どもの方へと視線を移すが、そこにはもう子どもの姿はなかった。そして巨漢が上げたものと思しき悲鳴に進歩の視線が釣られる。


 そこでは巨漢の股間を右足で踏み潰している子どもと悶える巨漢の姿があり、周りは呆れ返って助けにもいかない。


 とはいえこれではラチがあかないと、灰色のジャージ一式に身を包んでいる色白の女性が桃姫へと言うのだった。


「それで、桃姫トウキ。そのコ、使えんの?」


 女性の不可解な言葉に進歩はついに表情を無くす。

 巨漢を足蹴にしながら桃姫は女性に一つ頷く。


「ああ、仙桃ももも無駄にならず良かったわ」

「じゃああとは……」

「おう、こっからが本番てぇことよ」


 立ち上がった驚鬼が進歩の許へと詰め寄り、見下ろす。進歩もまた、警戒した様子ながら彼のことを見上げ返し「……その節はどーも」と言う。すると驚鬼は鼻を鳴らし、口角の片方を釣り上げて笑った。


「気骨のある女だぜ、こいつぁ。良い鬼にならぁ」


 彼のその言葉に、桃姫を除いた二人の眼がギラリと色を変える。わけも分からぬ進歩はただ、意味不明なことを言う驚鬼に「はぁ……?」と怪訝に振る舞うばかりなのであった。



 END。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

NIGHT RUNNERS~驚鬼~ こたろうくん @kotaro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ