NIGHT RUNNERS~驚鬼~
こたろうくん
上
かつて、
刻の英雄たちにより討滅された鬼は時代から姿を消し、しかし彼らの存在こそが今のイビツの台頭を封じていたと知った英雄の縁者たちは求めたのである――鬼の力を。
――岩戸町の夜はイビツの夜。
血の如き赤い月が冴えたその夜、人は不幸と出遭う。
岩の肌を持ち、熊すら凌ぐ膂力を持つ痩躯の怪物。
体毛の一切を持たず、人と同じ形をしながら生物としての象徴を持たない肉体。在るのは殺戮のための武器だけだ。
今宵、不幸にもイビツに魅入られたのは一人の少女だった。
イビツは獣である。狙うのはより弱いもの。男よりも女。大人よりも子ども。子どもの女などは格好の獲物というわけだ。
甲高くイビツが吠える。
大きく開かれた口には唇が存在せず、剥き出しの歯茎には鋭い乱杭歯が突き出している。
白濁した双眸に見下ろされ、腰砕けになった少女は這うことも出来ずに目の前の巨大な異形に震えるばかり。
ひたりとイビツが少女へと歩み寄り、少女の口からひぃという悲鳴が上がる。生暖かな風が彼女の背後から吹いて、そしてイビツの動きが停止した。それの二つの眼球が少女とは異なる方角へと向く。
「今日は良い夜になると思ってたんだが……」
どうしてくれる――少女の背後から緩やかに吹く温風に乗って、そんな恨み節がイビツの許へと届けられた。
恐る恐ると、首を軋ませながら振り返った少女。
そこで彼女が目にしたのは赤い月光を背負い、金色の双眸を怪しく輝かせた男だった。
男はずりずりと履いたサンダルを引きずりながら少女の方へと歩み寄り、イビツへと近づいてゆく。
「こんな夜更けに出歩く奴も出歩く奴だが、そいつを食い物にする奴ぁもっと気に食わねぇ」
吐き捨てるように語る男。彼の足が少女のすぐ側に辿り着こうとしたとき、咆哮を上げたイビツが男へと飛び掛かった。
少女が甲高い悲鳴を上げて頭を抱える。果たしてどちらに対してであろうか、男は舌打ちを鳴らした。そして――
「黙ぁってろおっ!」
男が振りかざした右拳がイビツの顔面を強かに打ち据え、あろうことかその巨体を弾き飛ばした。
顔を上げた少女の目に、イビツを殴り飛ばした男の顔はまだ若い青年のように見えた。本来、端整であろう顔を巨大な三つの爪痕に台無しにされた、怒れる鬼の形相だ。
完璧に気の動転した少女はイビツへと大股で迫ってゆくその青年へと「あんた、誰に言ってんの!?」などとトンチンカンな問い掛けをしてしまう。
するとぼさぼさの総髪を揺らした青年は歩きながら半身を開いて少女へと振り返り、人差し指を向け応える。
「どっちにもでぃ」
そんな青年に少女は「前っ、前っ!!」と声を荒げる。青年は鬱陶しそうに前へと向き直ると同時に、再起してまた襲い掛かってくるイビツの顎を鉄槌打ちで地面へと叩き付けた。
そしてサンダル履きの足を振り上げ、固い地面に張り付いているイビツの頭目掛けて青年はその足を叩き付けんとする。
だが間一髪のところでイビツは青年へと飛び掛かり、押し倒すことで難を逃れた。しかし青年も倒れ込む勢いを利用してイビツの巨体を巴投げにする。
起き上がる青年の甚平はイビツの爪に引き裂かれ、自ずと彼の体から剥がれ落ちてゆく。日に焼けた屈強な鋼のようなその肉体には、顔面のそれにも勝るとも劣らない爪痕や噛み跡が無数に刻み込まれていた。
汗に濡れ、赤い月光により照る肉体を積み重ねた筋肉で隆起させながら青年はイビツへと臆することなく向かってゆく。
立ち上がり、迫る青年へと振り向いたイビツの顎を彼の左拳が打ち、再び戻ってきた顔面を弧を描くように飛来した右拳が射抜いた。イビツの上体が大きく仰け反る。
「だからオレぁ、テメェを――っ!!」
その仰け反った上体目掛け、跳躍した青年は鋭く尖った肘を落下しながらイビツの胸へと叩き付け、ともに地面へと倒れた。
胸へと押し当てられた青年の肘には彼の全体重が加わり、地面と挟み込むようにしてイビツの胸部を圧潰させる――はずだった。
イビツが大きく吠える。するとそれの胸に食い込んでいた青年の肘が弾き出されてしまう。舌打ちをしながら青年は自ら地面を転がり回ってイビツから距離を取った。
いくら殴ろうとも、叩き潰そうとも、青年が息を上げるまで全力を尽くしてなおもイビツは起き上がる。
その体に一切の傷みは見受けられず、畜生のように四つん這いになっていた青年が顎に伝ってきた汗を拭おうとすると、それを隙と見たイビツは鋭利な爪を彼へと放つ。
「ぅうぅ――わぁぁあああっ」
青年がそれを躱そうとしてその直前、彼の体を何者かが抱え転がした。体当たりでもされたように乱暴に、青年は何者かと地面を転がってゆく。
何事かと困惑する青年がその何者かへと目をやると、あの腰砕けになっていたはずの少女が彼の体に張り付いていた。
「女、テメェ――」
なんのつもりかと青年は怒鳴ろうとしたが、身動ぎしない少女の様子にはっとして彼女の体を探る。そしてすぐに見付けるのだった。少女の背中に見る間に広がってゆく深紅を。
「……クソ」
イビツはすでに追撃に走り出している。しかし青年は悠長にも少女を抱え直し、背中の傷に触れぬよう地面へと寝かせている。
もうあと数歩。
イビツにとっては瞬く間の距離に青年は居た。
だが、その間にも青年は尻目にイビツを睨みつけるだけ。
イビツが頬まで裂けた顎を開く。狙っているのは青年の頭部。首を引き千切り、頭蓋を噛み砕かんとする。
「出ろ――“
青年の呟くような声とともに、彼とイビツの合間に何かが落下して、躱せず追突したイビツが弾き飛ばされた。
その一部始終を見届けた青年は少女をうつ伏せに寝かせ終えたのち、自らは立ち上がり歩み出す。彼の背中をわずかに開いたまぶたの向こうから少女の瞳が見詰めていた。
「いつだってテメェらの存在はオレをムカつかせやがる。そのことにさらにムカつくんだ、オレぁよ……」
立ち止まった青年の隣に在るモノ。驚鬼と彼が呼ぶソレは、人の形をした甲冑であった。全身を黒鉄色の装甲で覆い尽くした、まるで城塞のような。
自らの勢いで跳ね返されただけのイビツはすぐさま起き上がり、しかしすぐに襲い掛かることはしなかった。
青年と共にある甲冑の威容が、殺人衝動ばかりのはずの異形を警戒させているのだ。
「そのクソ汚え目ん玉ぁヒン剥いてよぉく見とけ、イビツ野郎。これが
唱え、四肢をなげうつ青年を装甲を展開した甲冑が抱え込み、面頬に象られた牙を備えた口が開いて彼の頭を丸飲みにした。
そのとき、甲冑内部の生体素材に備わった無数の
青年の体内へと侵入した刺糸は彼の全身のあらゆる神経と結合。その際に生じる痛みに彼が堪える中、彼の心臓に宿る殺生石にまで刺糸が到り結合することで青年と甲冑は一つになった。
殺生石から生じる瘴気は刺糸を通じて甲冑に供給され、繋ぎ合った神経からは甲冑の情報が青年へと伝えられる。
青年こそ甲冑の骨格であり心臓。
甲冑こそ青年の眼であり耳。
二つを一つに合一するその業こそ“鬼装填鎧”。
そうして生まれるものこそがかつての世より駆逐された“鬼”。
黒鉄色をしていた装甲は瞬く間に朱に色付き、沈んでいた楕円の双眸に金色が灯る。そして最後、額に突出したのは二本角。
「――遠からん者は音に聞け、近くば寄って目にも見よ! 奇想天外、奇々怪々。驚き桃の木山椒の木。
ずんと片足で地面を踏み抜き、元禄見得をする驚鬼。
装甲の合間から吹き出した蒼い鬼火が散って吹き荒び、さながら花吹雪が如き様相を呈する。
「いざ、いざいざいざぁ! 尋常に勝負勝負っ!!」
背中に装備した金棒の柄へと右手を回し、イビツへと駆け出す驚鬼。その一歩はアスファルトの地面を容易く砕き、しかし重厚にして迅速であった。
その所以はやはり背中に備えた噴射口から噴射されている鬼火であり、さながらジェット戦闘機のエンジンのように驚鬼の巨体を押し出しているのだ。
高速で押し迫る驚鬼の威容たるやそれこそ尋常ではなく、イビツの身はその意思に関わらずすくみ上がり動きが鈍化していた。
そこへと固定を解除した金棒を振り下ろす驚鬼。溜め込まれていた力が解放され、その一振りは神速と化す。
無数のスパイクが打たれた金棒は驚鬼の巨体にも迫るほどの長大さで、その大きさと動作の鈍化からイビツがこれを躱すことはもはや不可能であった。
イビツは頭から潰れ、驚鬼の金棒が地面を粉砕したときにはイビツの体も木っ端微塵に砕け散っていた。
しかしただ叩き潰すだけに留まらず、直後にスパイクたちがさく裂。金棒が大爆発を起こし、イビツの破片たちはさらに粉砕され火炎により蒸発してゆく。
もうもうと上がる爆炎と蒼い
「……成敗」
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