真っ暗な視界。松明の明かりを便りにゆらゆらと視界が揺れる。潮の香りがして、異形の子供は遠ざかる岸辺を見つめていた。水面には小波がたち、風は強い。遠くなっていく岸辺には泣いている着物の女性がいた。

 母親の仲の良い人々の手助けで子供は逃げられた。その母親はポタポタと涙を流している。母親に子供は船に乗せられて、逃げるように海へと押された。母親は何度も名前を呼んでおり、子供はずっと母を呼ぶ。返ってくる言葉は自分の名前と一言。


「たくぼく、貴方に主の御加護があらんことを……」


 両手を強く握りしめ、子供はそれを見て首を横にふって叫ぶ。


「………へっぱばっか嘘ばかり……神様はへっぱばっか嘘ばかり

神様がほんなこてこまっとーなら助けてくると!?

おっだ神様は願うて、祈ってん、試練ば与えるだけで、何もせんやなかかっ!

隣ん人ば愛せてぬかして、ある村ん人はおいば見ただけで避けて、かかぁとおっがば悪魔扱いする!

悪魔扱いはおっかだけでよかとにっ…」


 母親の元に複数の松明が近づく。仲間かと思ったが違う。彼自身の見覚えがある。啄木を迫害していた人々と悪魔扱いをした宣教師だ。彼は目を丸くして、手にしている十字架を握りしめて泣き叫ぶ。


へっぱや……神様なんて……へっぱ。助けれや……助けんねっ! かかぁば、かかぁば、助けんねっ!」


 船は母親の元には戻らない。泣いて声をあげた。


「助けれやぁぁぁぁ!!」




 勢いよく目を開ける。小鳥の声が聞こえ、啄木はびっしょりと汗を掻いていた。寝間着の着物も肌についており、鬱陶しそうに起き上がる。

 机の上にあるものを見た。十字架の首飾り。人間の母親の形見だ。鼻を利かすと、潮の香りが部屋に入り込んでいる。しかも、覚えのある潮の香りだ。


「……肥前の海の香り。誰かが漁をして持ってきたのか……?」


 不思議に思いながら、水を浴びようと桶と手拭いを持つ。

 時期はまだ夏。鬱陶しい蒸し暑さに耐えられず、啄木は戸を開けて換気をする。

 どこにあるのかわからぬ、山奥の大きな屋敷に啄木は住んでいた。

 下駄をはいて、井戸に立ち寄る。水を組み、桶にいれようと考えるが手を止め、井戸の桶の水を見つめた。桶の水面は小波のように揺れている。

 助けてくれた人々と母、迫害する者と宣教師。

 桶を頭の上に逆さまにし彼はそのまま水を頭から被った。

 髪がびっしょりと肌にくっついて、着物も汗を掻いていた時よりくっついている。桶をそのまま地面に置く。

 瞳は薄暗く、啄木はじっと地面を見つめていた。追加の水をかけられる。


「つめたっ……っ誰だ!?」


 啄木は驚いて背後に振り返ると、いたずらっ子の微笑みの青年が目にはいる。


「なぁに自分の世界に入ってんだ。たくぼっくん」


 ふわふわした髪を束ねた茶色に近い黒髪の青年。整った顔立ちは女子の受けに良さそうだ。同じように寝間着の着物と下駄の姿で桶を手にしている。


「……八一かよ……おはよう」

「ああ、おはよう。朝から暗い顔はやめろよ。今日の朝御飯は、肥前の海でとれた魚の干物だ。お前好きだろ?」


 肥前の海と聞き、啄木は言葉を詰まらせた。夢で見たものを思い出して納得する。


「……なるほどな。だから、潮の香りがしたんだな」


 啄木の反応で八一は笑みを消す。


「……夢見悪かったのか? 啄木」

「……母親と別れた時の夢」


 言いにくそうに話し、聞いて八一は「ああ」と声をあげた。


「百五十年前の……聞いたけどあれは酷かったな。異宗教が入ってきてましになるかと思えば、全然人は変わらなかった奴か」

 

 啄木は自前の手拭いで顔を拭う。


「生まれた瞬間に異形の姿となった俺を悪魔扱い。悪魔扱いは仕方ない。だが、生んだ母親までも悪魔扱いする必要はないだろう」


 帯紐を解いて、彼は寝間着の着物を取る。


 啄木は姿を変えていた。髪を下ろし、牛のような長い角と緩やかな毛を持つ尾を生やす。服は身軽なもの忍びに近いもので、下駄ではなく足袋をはいていた。腰には十手と刀が携えられている。手には口だけを覆う白い髭が生えた仮面。彼の額には一つの目が開かれていた。代わりに人間の耳はなく、自身の血を引く姿へと変えている。仮面をして啄木は呆れた。


「地の塩の世の光って言葉があるけど、塩は使いすぎると害があるし、使い方次第で悪くなる。光が強くなる分だけ影も強くなる。……ちょうどいい塩梅がないのかよ」


 彼の言葉を聞いて、八一は感心した。


「へぇ、流石母親が切支丹なだけあるな。啄木」

「……それ地元で言うなよ? 上手く隠れているとはいえ、今でも迫害は続いているんだ。変に言うと迷惑かかるからな」


 啄木は補助するように言うが、八一は淡々と。


「そのキリスト教信者からお前は迫害されたのに?」


 意地悪な指摘される。迫害したのはキリスト教信者であるが、助けてくれた人々と母もキリスト教信者だった。宗教が違っても本質も変わらない人に彼ら組織の『半妖』は嫌悪している。そう彼らは人であり人でない存在の半妖だ。半妖によって構成されている組織に属しており、啄木と八一も百年以上長く生きた半妖である。

 啄木は一瞬だけ苦渋の表情となり、背を向けた。


「昔のことだ。……かといって、今の迫害から助ける気はない。人の起こした出来事に始末をつけるのは人だ。俺達は俺達のすることをすればいい」


 仕方ないと息を吐いて、八一は声をかけた。


「けど、あまり背負い込むなよ。朝飯はいいのかよ? 啄木」

「……悪い八一。今いらない」

「ふーん、じゃあ……これ」


 八一は竹の包みを宙から出して、手にとって啄木に投げる。彼は驚いて受け取った。炊きたてのお米の香りがし、八一はいたずらっ子の微笑みを浮かべる。


「茂吉がこっそり隠してた握り飯。具は梅干しだったな。ちょっどいいから持ってけ」

「ありがたいけど……お前あの食いしん坊に急襲かけられるぞ」


 突っ込みした啄木に八一は手で狐の形を作り、不敵に笑う。


「構わないさ。狸との化かし合いなら、こんこんっと私は受けてたつぞ」


 あきれて啄木は頭を押さえる。この八一と呼ばれる青年はなかなか癖のある性格をしているらしく、また茂吉と呼ばれる誰かも癖があるらしい。八一は手を振って見送る。


「お仕事いってらっしゃい。後片付けは私の式神にやらせておくから、安心していってこい」

「……あんがと。じゃあ、いってくるな」


 啄木は笑ってその場から姿を消した。




 静かな森の中。葉が擦れる音と、小さな苦しみの声しか聞こえない。啄木は太刀をふるって赤い滴を地面には振り落とす。鞘に納めて、地面に倒れるものを静かに見つめる。数人の侍だ。無論人であり、地面には赤い血が滴っている。

 地面に倒れる人間はある大名の手の者。妖怪の存在を認知し力を手に入れようと、妖怪の世界へ行こうとしていた。何人か陰陽師や僧侶を連れていき、準備を整えていたようだが啄木によって斬殺された。

 今いる啄木の森は、妖怪の世界と人間の世界が曖昧となっている。そこを狙って妖怪の世界へ侵攻しようとしていたのだろう。


「白滅」


 言霊を吐く。地面に倒れるもの、滴っていた血が砂となっていく。啄木は指で印を切り出すと、宙に格子のような印が出来る。数秒して格子が宙にとけて消える。境界線を直したのだ。


「……これでよし。……妖怪と人間も余計な死人を出すなっての」


 頭を掻いて、ふっと気配を感じ啄木は頭を掻くのをやめる。警戒を解かずに背後に振り向くと、見覚えのあるものがいた。


「……何か強い気配を感じると思ったら……貴方誰?」


 木霊のまゆみである。険しい表情で見ており、警戒されている。この近くに夏椿の樹があることを思いだし、啄木は跪いて頭を下げた。声色を変えて話す。


「誠に申し訳ありませんが、身の上は明かせません。ただ私は貴女方を害するものではありません」

「……けど、今。この森に入った数人の人間の気配は消えた」

 

 あまりいい顔をしておらず、敵意を向けている。啄木は静かに聞いて、冷静に答える。


「あれは森の境界線を壊そうとした人間。故に始末しました」

「……始末って……」


 まゆみは声をあげ、眉をひそめた。


「殺したと言うことだよね。境界線を壊そうとしたなら、追い払うぐらいでよかったじゃない」


 前に子供達と遊んでいたときといい、町を見ていた時の穏やかな表情で確信した。彼女は人が大好きなのだろう。彼は素直に抱いた思いを吐き出す。


「……妖怪であるのに、人を大切になさるのですね」

「ええ、私は人から名前をもらい、人に大切にされた。だから、人には出きるだけ恩を返したいの」


 逆のことをされてきた彼は、まゆみの抱く思いに凄さを感じていた。羨ましくもあり、敬う思いが沸き上がる。啄木は顔を見せずに立ち上がり、飛び上がってこの場を去った。

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