二
遊んでいる子供を見ながら、啄木は話題を出す。
「……そういえば、まゆみさんは人が好きだと言いましたよね? まゆみさんの好きな人も、男の人だったんですよね」
「っ!? 何でわかったの!?」
顔を赤くして慌て出すまゆみに、啄木は突っ込みをいれたくなる。何故わからないと思ったのかと。木霊は人に恋をすると人の形をとるという。人から名前をもらい、またまゆみの「待っている」との発言で容易に考えられる。
「まゆみさんを見て考えればわかると思いますが……」
啄木は素直に突っ込みをいれると、彼女は全身を顔を赤くして顔を膝に埋めた。察しがよい人間はすぐにわかるぐらいの分かりやすさだ。
「……わかっていたなんて……恥ずかしい……秘密のつもりだったのに……」
「……すみません」
謝るとまゆみは顔をあげて苦笑する。
「啄木くんが悪い訳じゃないよ。……でも、わかっているなら仕方ないか」
頬を指で掻いて、町を見つめる。前にも見た目だ。遠い目をして愛しそうに見ている。彼女は頷いて町をみて唇を動かす。
「うん、啄木くんの言う通り、私には好きな人がいたの。その人の武士で向こうに見える町を治めてた。その人はまだ小さい頃から私をよく愛でてくれたわ。……沙羅双樹と勘違いしていたけれどね」
沙羅双樹は本来日本では生育が難しく、夏椿などの花に沙羅と別名の名がつけられる。啄木は武士の話を聞き、平安の末期と鎌倉の時代の人だと推察する。どんな人なのか、啄木は気になるため話を聞き続ける。
「勘違いしていたけれど、その人はとても花を大切にしてくれた。……その人に仕える人と家族も私を大切にしてくれたの。その人の愛でてる表情が……あの、ね……とても素敵で……この人と一緒にいたいと思ったの」
後半で顔が赤くなり段々と声が小さくなる。見ていても照れ臭くなり、啄木はむず痒さを感じた。まゆみから見てもその武士の男は良い人であったらしく、啄木は胸の内にモヤモヤとするものを感じる。
「……で、私は人の形をとって……その人の元にいったの。最初は怪しまれたけど、身寄りと名前がないことを哀れんで私にまゆみと名前をくれて、人として住む場所を用意してくれた。優しくて本当にいい人だった」
嬉々と語るがその表情は切なくなっていく。
「……本当にいい人だった」
彼女の悲しみの表情をみて啄木は悟る。
「その人は、戦に出て亡くなった。その当時は今みたいに情勢が決まってない時代だったから……戦に出て人がなくなるのは仕方ないとは思うけど……亡くなっちゃうなんて思わなかった」
まゆみは小さな声でポツポツと話す。人は脆く、寿命は短い。自分も人の血は引いて入るが、人ではない血を引いており長く生きる。呆気なく死ぬ人間の脆さを思い知ってしまう辛さは啄木は理解できる。
「あの人が亡くなって、しばらくしてからあの町から去った。木霊とばれると不味いし迷惑かけちゃう。……悲しかったけど、苦しかったけど、迷惑をかけるより私は私の元の場所に戻った方がいいと思った。それで、今はこうして見守り続けているの。あの町は、あの人の治めていた町だから……」
まゆみは再び町を見る。
彼女の見ている町は昔の想い人の思い出がある場所なのだろう。まゆみの瞳は慈愛に満ちていている。時代が流れて、町の有り様が変わっても彼女にとっては大切な場所なのだ。大切な場所があり、その大切な場所の人々に受け入れられていた。迷惑かけぬように、静かに去って静かに町を見守り続けている。その在り方は美しく、啄木にとっては羨ましくも尊いものであった。
「……って、ごめんなさい。辛い話をしちゃって」
啄木は首を横に振り、彼女を見て答える。
「……いいえ、そんなことありませんよ。貴女はすごい。…外の国にはこんな言葉があるんです。
【愛は寛容であり、愛は情深い。また、妬むことをしない】
……何処かの信徒への手紙だったかな。その方なりの愛についての名言で、貴女はこれを体現している。過去に大切な物をおいてきても、貴女は今ここにあるものを大切にしようとしている。……凄いですよ」
パウロ書簡から引用して励ましをするとは皮肉だなと、啄木は自嘲したくなった。まゆみは表情を和らげる。
「……慰めてくれてありがとう。いい言葉だね」
彼女はこの言葉を誉めた。誉められることではないと感じ、迫害された想いを啄木は含ませて声を発する。
「言葉はよくても、それをできるかどうかの問題です。はっきり言ってこの言葉を使う人、俺は好きになれない」
強く断言した。それは己自身も含まれていると自覚して啄木は話す。
「どんな素晴らしい言葉があって聞いても、中には自分達とは何処か違うものがあるだけで忌避をする。俺にとってその言葉は所詮言葉なんです」
啄木はキリスト教という宗教が嫌いではない。だが、信じてない。聖書は正しく導く言葉があれば、正しく導かないものもある。宗教は完全に生き物を救えないと、昔の宣教師に言ってやりたかった。だが、キリスト教は迫害した人々が信仰していたもので、啄木の母と助けてくれた人々も信仰していた。聖書を読んでいるのも、形見の十字架を持っているのもかつて彼の母親が信仰していた宗教だからだ。
啄木にとって心の拠り所は主でもない。宗教ではない。守ってくれた母と人々、共に過ごした時間だけ。
「……ああ、でも、俺にとってはただの言葉でも」
彼は笑みを浮かべる。
「まゆみさんの励ましになったらよかった」
嬉しくも辛そうな笑い方をしていた。彼女は目を丸くし、啄木は立ち上がる。
「もういきますね。皆の顔を見れて安心しましたから、子供たちにも俺が帰ったことを言ってくださいね」
「……待って!」
彼の手を握って、まゆみは引き留めた。啄木は顔を見ると、瞳を潤ませて寂しそうな顔をしている。置いていかれた子供のような顔だった。
「行かないで、ここにいて」
初めてみる顔に啄木は驚く。
「……まゆみ、さん?」
名を呼ばれ、彼女は顔を赤くして手を離す。
「……あっ、ご、ごめんなさい! ……本当にごめんなさい!
間違えちゃって……!」
分かりやすいほど、全身を赤くして慌て出す彼女。啄木はおかしそうに笑って頭を掻く。
「間違えたなら仕方ありませんよ。……じゃあ、今度こそ俺はいきますね」
背を向けた瞬間。
「啄木くん、また会おうね!」
まゆみは必死に大声をあげた。啄木は振り向くと、子供たちも気付いたのか、啄木に手を振っている。まゆみと目が合い、彼女は顔を赤くしながら愛らしく笑う。穏やかで優しい彼らの微笑みに、啄木の頬が自然と緩む。彼は軽く手を振って去っていった。
夜。本部に帰り、履き物を玄関においてくる。通りかかる仲間に「おかえり」と声をかけられて「ただいま」と返す。
部屋に戻ると荷物をおいて、棚にある数冊の本をみる。そこにあるのは数ヵ国の言語で書かれた聖書であり、乗っている内容は少しずつ違う。机にある十字架を手にして、彼は上半身を床に倒す。暗闇の中、十字架を掲げて月明かりに当てる。色褪せてしまったが、まだ十字架の輝きは鈍っていない。
「……母さん。罪人の俺に加護なんてない。前の俺は人を殺めて、今の俺も人を殺めている。悔い改めても意味ない。試練なんて日々当たり前……」
十字架を見つめて、深いため息をはく。
「……塩は強すぎても弱すぎてもいけない。光は輝きすぎてもよくない、か」
起き上がって、十字架を机におく。
【私は人から名前をもらい、人に大切にされた。だから、人には出きるだけ恩を返したいの】
人に恩を返そうとする彼女は偉い。組織の中でも人々のために尽くしている半妖もいる。ふっと啄木はある考えがよぎる。
「人の為、か。今の俺が過去にいったら母さんを守れるのかな」
と、甘い考えをして彼は嘲笑う。
「本当、甘ったれが考えることだ」
夕食を食べようと起き上がり、十字架を机に置いて部屋を出ていった。
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