かくれんぼの鬼嫁
梶野カメムシ
かくれんぼの鬼嫁
目を閉じれば思い出す、誓いのキスの緊張。
紆余曲折の末、オレたちは結ばれた。
《かくれんぼの鬼》なあのコと、あきらめの悪いオレ。
オレの初勝利は、この結婚だと言っても過言ではない。
しかし、ほどなくオレは知ることになる。
結婚はエンディングではなく、ニューゲームなのだと。
あのコとの勝負は、まだまだずっと続くのだと。
── ── ──
「ただいまー」
その日、残業を終え帰宅したオレに、嫁の出迎えはなかった。
食卓の上には夕飯の用意と、書置きが一枚。
また始まったか、とオレは思う。
新婚一年目。賃貸だが好物件の新居。愛しい妻。
幸せ過ぎる現状だが、トラブルがないわけじゃない。
その一つがこれ、《かくれんぼ》だ。
奥ゆかしく、文句一つ言わない嫁は、定期的にプチ家出する。
最初は不満がつのってかと思ったが、必ずしもそうではない。単にオレに甘えたいだけに思える時もある。
この書置きも定番だった。普通なら「探さないでください」と書くところだが、嫁は毎回、「探してください」と書く。
どのみち探さないという選択肢はない。オレはあきらめの悪さだけで彼女を捕まえた男だ。探さなければ、愛を疑われかねない。
それに、《かくれんぼ》を終えた嫁は、きまって甘々になるのだ。
報酬はそれで十分すぎる。まあ《鬼》に勝てたことは、ほぼないのだが。
オレは改めて、書置きを取り上げた。
文面は、「本気で探してください」。
血の気が一気に引いた。
ヤバい。これはマジのやつかもしれない。そう思った。
晩飯を早々に済ませると、オレはまず、PCを立ち上げた。
目的は一つ。ゲーム仲間のタクヤと話すためだ。
タクヤ=嫁だと知った、あの時の衝撃は忘れられないが、何食わぬ顔で、タクヤが活動を続けたことにも驚いた。他のゲーム友達のみならず、オレ相手でもあくまでもタクヤとして接してくる。嫁の話には嫁の親友的なスタンスで返す。別人格じゃないかと思うくらいだ。
ともあれ、オレは親友を失わずに済んだ。嫁の難題にアドバイスをくれる、切れ者の相棒も健在である。
タクヤのアイコンを見つけ、ほっとした。どうやらガチ家出ではなさそうだ。
オレはいつも通り、
「タクヤ。嫁の行先、聞いてねえ?」
:知ってても言わないよ。
「そう言わず、ヒントくれよ」
:「今回はノーヒント」らしいよ。
それきり、タクヤはうんともすんとも言わなくなった。
オレは途方に暮れた。さすがにノーヒントでは探しようがない。
それともゲームをやってて、
ふと思いつき、オレはいつもの対戦ゲームを立ち上げた。
ログインすると、やはりだ。タクヤはゲームをプレイしている。
つまり、嫁はネットゲームをやれる環境にいることになる。
タクヤの存在そのものが、ヒントだったのだ。
サンキュー、タクヤ。そう言い残して、オレは家を出た。
車を走らせながら、オレは考える。
嫁との《かくれんぼ》には、暗黙のルールがある。
一つは町内を出ないこと。嫁の移動手段である自転車の範囲だ。
二つ目は、オレが立ち入れない場所に隠れないこと。
以上を踏まえて、嫁がゲームをやれる場所と言えば、どこか。
このゲームはPC専用なので、PCのある場所に限られる。
まず思いついたのは、嫁の実家だ。
家出の行先としてはベタだが、町内だし嫁の部屋にはPCがあったはず。
「いつもごめんなさいねえ。今回も口止めされてるのよ」
扉を開けた義母は、ニヤニヤしながらそう言った。
すでに嫁から連絡があったらしい。さすが、手慣れている。
だが、収穫がなかったわけではない。
玄関に嫁の靴がない。嫁のいた部屋の窓が暗い。ここではない。
なら、どこだ。
友人の家の可能性もあるが、他所の家でゲームをするほど、嫁はずぶとくない。他にPCでゲームができる場所と言えば……
「ネットカフェか」
PCのある個室なら、気兼ねなくネットゲームが遊べる。
オレもたまに使うが、あらかじめゲームがインストールされたPCなら、ソフトを持ち込まなくても、IDだけでプレイできるのだ。
町内にあるネットカフェは、三つ。
オレは車を飛ばし、一つずつ調べることにした。
まずカウンターに話しかけ、部屋を借りる名目で空室状況を調べてもらう。一緒にモニターを見れば、部屋の配置や客の有無は一目瞭然だ。PCのある部屋は多いが、ゲームの遊べる部屋は限られる。客が入っていなければハズレだ。適当に理由をつけて撤退する。
客がいるならトイレ名目で店に入れてもらい、目当てのブースを通って確認する。個室はパーテーションで仕切られているので、上から覗けば後ろ姿で判別できるのだ。マナーはよくないが、背に腹は代えられない。
三店目で、不審な部屋を見つけた。
PCでゲームが動いている。なのに客はいない。放置されている。
オレは思い切って個室の扉を開け、画面を確認した。
表示されているIDは、嫁のものだ。
間違いない。嫁はここにいる。いや、さっきまでいた。
オレが店に来たのを察したとは思えないが、念のため、他の部屋も確認。
やはりいない。細い通路にも隠れる場所はない。
店は出ていないはずだった。用心深い嫁が、ログインしたPCを放置していくとは考えにくい。
思い当たるとすれば、トイレだ。
たまたまトイレに入っていたなら、つじつまが合う。
さっそく女子トイレに張り付いたオレだが、さすがにマズいと気がついた。
となりにある男子トイレに入り直し、扉越しに出入りの音をうかがう。
スマホを見ると、タクヤがまだ
嫁の動きを待ちながら、オレは今回のかくれんぼの原因について、考えていた。
確かに最近の嫁は、どこか不機嫌そうだった。
怒らせる理由は、いくらでも思いつく。脱いだ靴下をカゴに入れなかったり、使ったカップを水に漬け忘れたり。残業続きなのも不満そうだったな。そもそも嫁の方が稼ぎが多い時点でどうなんだ。そのくせ晩飯は作ってもらってるし。
いかん、マイナスしか浮かばない。なんで結婚できたんだオレ。
汗ばんだ手を洗い始めたその時、女子トイレから音がした。
オレはあわてて扉を開けた。
女性客が一人、立ち去っていく。背に明るい色の長髪。嫁ではない。
オレは考え直した。
他の客がいるなら、ここより部屋で待つ方が確実かもしれない。
女子トイレはルール違反だ。嫁はすぐに戻ってくるはず。
オレはブースに引き返し、通路の角から見張り始めた。
ほどなく店員が現れ、嫁の部屋に入っていく。
なんだ? 何が起こってる?
怪しまれるのを覚悟のうえで、オレは店員にたずねた。
「この部屋のお客さんなら、さっき退室されましたよ。
その際に、ログアウトも頼まれました」
完全にやられた。
放置したゲームは、脱出用の
全速力で店を飛び出すオレ、遠ざかる自転車の音。
車を出す余裕はない。今、追いつかなければ、見失ってしまう。
音を追って、オレは駆け出した。
暗い夜道の先に、自転車の灯が浮かんでいる。
スピードは大したことない。あきらめなければ追いつける。
そして、オレはあきらめの悪い男だ。
必ず追いついて、あっと言わせてやる。
仕事の疲れも何のその。オレはじりじりと距離を詰めていく。
しかし、あと少しのところで「あっ」と言わされたのは、残念ながらオレだった。
自転車に乗る女性の背中に、明るい長髪を見つけたのだ。自転車にも見慣れないステッカーが貼ってある。
嫁ではない。人違いだった。
全身から力が抜け、オレは闇の中で立ち止まった。
マズい。完全にストーカー事案だ。バレないうちに引き返さねば。
だが、そう上手くはいかなかった。
自転車が反転したのだ。光が闇を走り、オレにスポットライトを当てる。
万事休すだ。嫁になんて言い訳すればいいのか。
オレは光に目を細め、ついでポカンと口を開けた。
「えっ?」
正面から見た自転車の女は、嫁だった。
手にあるスマホを見せて来る。オレの名だ。電話をかけている。
つまり、オレのスマホが鳴ってい──ない。
しまった。トイレだ。置き忘れた。
青ざめるオレに、《かくれんぼの鬼》は盛大なため息をついた。
「ウィッグにステッカーまで用意してたなんてな」
:「本気で探せ」って、そういう意味だったわけだ。
「でも、なんでオレがスマホを忘れたのに気づいたんだ?」
:今は、いろんなアプリがあるからね。家族見守りとか、浮気調査とか。
「こわっ。いつのまに仕込んだんだ、んなもん。
店に来たのも、それでバレてたのかよ」
忘れたスマホを回収した後、オレたちは家に帰った。
オレはリビングのPC前、嫁は自室から《タクヤモード》だ。
《かくれんぼ》は終わったが、今回は消化不良だった。
嫁もそう思っているのだろう。いつもの笑顔はなく、帰宅後すぐに引きこもってしまった。いちゃいちゃタイムもお預けだ。
仲直りには、やはりオレが頭を下げるしかない。
「タクヤ。嫁に伝えてくれ。
悪かった。全部、オレの責任だ。
理由は色々あるだろうけど、改めるから許してくれ」
:……「全部じゃないよ。半分だけ」だって。
「半分?」
:それより、何を改めるって?
「洗濯物も洗い物も気をつけます。
残業も断るようにします。
給料は……すぐは無理だけど、がんばります」
:そうだね。がんばった方がいいとオレも思う。
含みのあるタクヤの言葉に、既視感を覚えた。
嫁と再会する直前の、あのふわふわした感覚。
「……嫁は、なんて?」
:「頼りにしてるね、 」だって。
最後の二文字を見るなり、オレは部屋を飛び出した。
振り返る嫁の笑顔を、思い切り──抱きしめた。
おわり
かくれんぼの鬼嫁 梶野カメムシ @kamemushi_kazino
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