第5話

老婆が僕の祠にやって来た。

 

今は普段の猫の姿では無く、本来の姿に戻っている。

 特に理由があったわけではない今日はこの姿でなくてはいけない気がした。というのも猫の姿でいると知性が退化する。思考力が低下し、幼児のような状態になってしまうからだ。

 いつでも本来の姿でいれればいいが、本来の姿は力を使いすぎるせいでずっとその姿で居られるわけではない。

ただ、今日は今日に限ってはこの姿でなくてはいけない。そんな気がしたのだ。

そしてその予感は的中する。


「守り神様、もう終わりにしましょう」

 

 長年、この村で村長をやっていた者が僕にそんなことを言った。

 彼女は他の村人のためただ独りでこの村に残り、村の虚像を作り続けた。

 そんな彼女に向けて分かりきったことを返す。


「終わりにするなにを?」

「守り神様も意地が悪いことを言うのですねぇ、決まっているではないですか、この村を、もう終わりにしましょう」

「そんなこと認められるか!」


 彼女はただ、独りで何年もここに残り続けこの村の維持をし続けた。そんな彼女から聞きたくない言葉を聞かされた。いつか、こうなると分かっていた。だけど、それは今じゃないはずだ。まだ彼女には時間がある。残された時間がある限り、この村を終わらすなんてことはしたくない。今二人の旅人がこの村に訪れている。彼女らがここに留まってくれさえすればこの村はまだ…


「いえ、認めていただきます。もういいのです、この村はとっくに終わりを迎えていたのですよ守り神もそれがわかっていたのでしょう?」

「いや、まだ終わっていない、まだ終わらせない」


 ジャックが作った村をこんな形で終わらせるわけにはいかない。

 少しでも、彼が作ったこの場所を守りたい。少しの時間稼ぎかもしれない。一秒でも長くここを守ることは僕が彼に行えるただ一つの贖罪だ。


「では死神様、私のお願いを聞いていただけませんかねぇ」

「なぜその呼び名を知っている!?」


 心臓が高鳴り、鼓動の音が大きくなる。

 ああ、眩暈がしそうだ、なぜ彼女がこの呼び名を知っているのか、

 問いただそうとすると彼女は語りだした。


「その様子では間違いないようですねぇ、もっとも、ここで姿を見たときには少々見当はずれたかと思いましたがねぇ。昔、旅人が言っていました。死期が近い者に鬣を靡かせて、黒猫がやって来ると、死神様なら私の死期が迫っていることも、きっとわかっているのでしょうねぇ?

 お願いします。私はただ独りで生涯を終えたくはないのです。誰かに手を握ってもらい、人の温もりを感じたまま死にたいのです。彼女たちの温もりを、優しさを感じたまま私を終わらせてください。お願いします」

 

 そう言うと彼女は涙を流しながら笑った。


 ずっと前からわかっていた。この村はもうすぐ無くなる。僕の力を近くで浴び続けた村人は僕の力に侵されてしまった。

 ある時、誰かが言った、この村の名前は何だったかと、だが誰も知らなかった、誰も憶えていなかった。そこからだ、そのことに怯えた村人達が村を出た。村中でこの村に対する疑心が生まれていた時に僕が溢してしまった言葉が彼らに聞かれてしまった。

 僕が話しかけようと決心した時には既に手遅れだった。村にはオルタしか残っておらず、虚像を作り続けていた。独りでこの村に残り、虚像を見ながら微笑む。そんな日々を彼女は送っていた。

 

ずるいな、そう思ってしまった。

 彼女のその願いを僕は断らない、いや断れない。

 

虚像を見ていた彼女がそれに手を伸ばす。だけど、決して触れない伸ばした手を引っ込めながら悲しそうな顔をする彼女を何回も見た。いつしか手を伸ばすことすらせず、ただ涙を流す彼女を何回も見た。そんな彼女がもう一度人の温もりを感じたいと思うのは至極全うなことだろう。そしてそんな彼女をずっと見てきたからこそ、僕は彼女のこの気持ちを踏み躙れない。


「わかった、この村を終わらそう」

 

 村人が居ない村などない、彼女が居なくなった時点で、ここは村では無くなってしまう。最も彼女独りになってしまった時点でそう呼べなくなってしまっていたかもしれないが、彼女がここに居続ける限りここは僕にとっては立派な村だった。

 そんな彼女に依存し続けてしまった結果がこれだ。村人達が夜逃げしてすぐ彼女に話しかけさえすれば、彼女はこんな思いをせず済んだかもしれない。そんなことを考えていると彼女が言った。


「ねぇ、守り神様、きっと私たちはもっと早く歩み寄っていればこんなことにはならなかったんでしょうねぇ。私も、この村も、守り神様も、もっと良い結末を迎えられたかもしれないですねぇ」


 ああ、そうか彼女も僕も一緒だ。この結末に納得なんてしてない。後悔しかない。ただこの結末が残された中で最良であることは間違いがない。だから、どんなに後悔が残ろうが、今あるこの結末を受け止めるしかない。あの時こうしていればなんてことは考えれば考えるほどに溢れてくる。考えても今が変わるわけではない。


それでも考え自分の中で結末を書き換えようとしてしまう。


「そうだね、だけどそんなことはこれまで幾らでも考えてきた。その度に変わらぬ今が目の前に突きつけられてきた。だから、もういいだろう最後くらいは気持ち良く幕切れを迎えよう」



本当に僕は彼女ら人間にどうしようもなく寄ってしまったらしい。

こんな無駄なこと考えたくなかった。きっとそれは彼女も一緒だろう。

だから、最後だけは全て無かったことにしよう。彼女の最後の時だけは。


彼女はいつもと変わらぬ笑顔で言った。


「ありがとうございます」


 ああ、そんな言葉聞きたくなかった、皆最後にそう言う。僕に『ありがとう』だなんて、

 恨んでくれたほうがずっと楽だ、石を投げられたほうがずっといい。僕は死神なのだから、タイミングを見計らって仕事をするだけの者なのだから。


「そんな顔をなされるとは、やっぱり、守り神様は優しいですねぇ本当に今までありがとう……」


 彼女のその言葉をきっかけに僕は咆哮を上げる。

 この決心が揺るがぬよう、もう後悔をしないよう。

この村に、この物語に幕を引く。


 


☆☆☆


 

 懐かしい声が聞こえる。

『おばあちゃんもうお昼だよ、早く起きて』

 そう言って私の身体を娘が揺する。

 ああ、もうそんな時間なのか、早く起きようと思うが、その考えとは裏腹に身体は言うことを聞いてくれない。後少し少しでいいから寝かせていて欲しい、そうすればきっと気持ち良く起きることができる、そんな気がする。


 そんな私の考えとは裏腹に娘は窓を開ける、窓からはいつもと変わらぬ景色が広がっていた。

 

 広場で井戸端会議をする村の女達、その周りで駆け回る子供達、いつも通りだ。どこにでもある村のありふれた風景だ。

 その風景はいつもと変わらず、ほとんど変化がない風景だ。なのに、どうしてこんなに私の胸は躍っているのだろうか。心が満たされる。そんな気がした。


「おばあちゃん起きて」


 そう言って娘が私の手を引く。

 その手がやけに温かい。いつも感じている娘の、人の温もりのはずなのにそれが、酷く懐かしく感じた。


 ああ、今起きるよ、今行くかから、少し待っていておくれ。

 

 そんなことを考えながら、私はいつもの風景に溶けていく。


 


☆☆☆


 走っていると見覚えのある景色が広がる。

 クロの祠がそこにはあった。ただ、そこに大きな黒いライオンが居た。その姿は神秘的で、妙に引き込まれる。

恐らくさっきの咆哮はこいつの仕業だ。

まずい、そう思ったところでふと下に視線が移る。黒いライオンの足元に人が倒れている。

オルタだ。オルタがそこに倒れていた。俺はそれを認識すると同時に駆けていた。

ライオンにギリギリまで接近しオルタを抱えて距離をまた取る。幸いなことにライオンは見ているだけでこちらに手出しはしてこなかった。

オルタに目立った外傷は見当たらない。倒れていただけかと、安堵しかけた瞬間


「息をしてない?」

 

 言葉が漏れた。


どうして?まだ助けられるか?そもそも目の前のこいつは何だ?村がこんなことになったのはこいつが原因か?こいつから逃げられるか?いや、そもそもオルタがこんなことになったのはこいつが原因か?


思考が加速する。幾多の自問自答を繰り返した結果、一つの結論に辿り着く。

 


こいつがオルタ、村をめちゃくちゃにしたならこいつにはしっかりつけを払わせないといけない。オルタはもう助かるかわからないし、オルタの仇を取ってここでこいつを殺す。


ピキッ、自分の中で何かが砕けた音が聞こえた気がした。


目の前が赤く染まって行く。身体から黒い何かがドロドロ流れ落ちる。


『殺せ、許すな、目の前の全てを壊せ』


 その声が聞こえた瞬間、黒い何かが勢い良く身体から飛び出る。


 ああ、全部壊してやる。こんなくそみたいな世界は俺がぶっ壊してやる。

 

「大丈夫、もう大丈夫」

 

 興奮しきった俺に冷や水をかけるようにその言葉が耳に届いた。


「マリア?」


 気が付くとアリアが後ろから俺を抱きしめていた。

 赤く染まっていた視界が徐々にクリアになる。


「落ち着いた?」


 抱きしめていた腕を解き、くるっと俺を回転させてアリアが俺に言った。


「ああ、だけど、オルタが!」

「うん、もう手遅れだった」

 

 ああ、そうだよな。本当はわかってたんだ。抱えたオルタから温もりを感じなかった。

 それでも、もしかしたらと思っていた。


「くろ?」


 不意にそんな言葉を漏らしてしまった。

 クロは猫くらいの大きさでこのライオンとは大きさが全然違う。ただ、よく見ると纏っているオーラがクロと一緒だった。


「今頃気づいたの」

 

 アリアが悪態を突きながらそう言う。

 俺はそんなアリアに慌てるように頭を切り替え言った。

 

「いや違う、オルタが…」

「うん、もう手遅れだね」


 俺はアリアの予想より随分とあっさりした返答に言葉がつまった。

 なんで、こんなにアリアは落ち着いているんだ?

 昨日まで一緒に喋っていた人が死んだのに、なんでこんな落ち着いていれるんだ。

 たった数日一緒に過ごしただけ、そういえば簡単かもしれない。それでも、その数日で俺はオルタと色んなことを話したし、色んなことを教えてもらった。たった数日の関係かもしれないが、俺にとっては、とても大事な思い出だった。だけど、アリアは違うみたいだった。

 誰かの死に慣れきっていて、それが日常。そんな雰囲気だった。

 

 掛ける言葉が見当たらない。俺にとって死はありふれたものではなく、誰かの死は悲しい。それが身近な人となれば余計そうだ。


 出会って数日だけで、彼女のことを知った気になっていたのかも知れない。

 

 アリアが遠い。


 そんなことを考えていると彼女が俺の心を覗いたように言った。


「君は正しいよ、私がおかしいだけだから気にしなくていいよ」

 

 そう言った彼女に俺はなにも言うことが出来なかった。

 

 それからはあっという間だった。

 クロの頼みで近くに森に火が移らぬよう注意しながら村ごと火葬をした。

 俺は特になにかを考えるわけでもなく、燃える村をじっと見ていた。

 いや、正確に言うと何も考えたくなかった。整理しきれない気持ちを押し殺し自分

の中で蹴りをつける時間が必要だったんだ。まだ燻る村だった物の残骸を見ながら

その日は野宿をすることになった。


 


夜中に目が覚めた。

 最近は夜中に星を見るのが習慣かしていたからか、どうにも寝付けない。

 

「眠れないの?」


 アリアはどうやら起きていたようで俺にそう問いかける。俺の気持ちを察したのか、アリアは


「あっちにいけば気持ちいい夜風が吹いてるよ」

 

 と俺に言った。

 

 俺は寝付けそうにないし、その夜風を浴びに行った。

 ふと空を見上げる、空には満天の星が輝いていた。ただいつもより輝きが弱い。

 

「ああ、そうか」


 声が漏れる。

 空には溢れんばかりの星、そして煌々と輝く満月。

 

 こんなにキラキラと光る空の中で光る星が一つ消えたところで一体誰がそのことに気が付くだろうか、きっとほとんどの人は星が消えているなんてことに気が付かない。だけど、無くなったのが月なら、きっとほとんどの人がそのことに気が付くだろう。

 

空に輝く星は月には成れない。 


 ただそれだけのことだ。

 

 俺はそのことに気が付けたのかな。そんなことはわからない。けど、きっとこの心が答えだ。

 そろそろ戻るかと考えていると、風が吹いた。

頬を撫でたその夜風は少し冷めたく感じた。


 


次の日、この村の墓を建てることになり、墓を作った。

 もっとも墓と行っても木を削って作った簡単な物だ。

 何やらクロに言われてアリアが色々木に刻んでいたが俺には見せてくれなかった。

 どうやら字が汚くなって見られるのが恥ずかしかったらしい。

 

「さぁ、いこうか」

 

 墓を作り終わったアリアがそう言った。

 もうここに滞在する理由はない。これでクロとも…

 

「さっ、クロもボケっとしてないで行くよ」

 

 クロは驚きの余り、言葉が出ていなかった。


 俺たちはクロに全部聞いて知っていた。この村のこと、クロのこと。

 その上でアリアはそう言った。

 俺は思わず笑ってしまった。

 ここは彼女に乗っておこう。


「もう、断る理由もないよな」

 

 村はもうない。クロがここに留まる意味もない。


「いいの?」


 そんなことを言うクロに俺達は声を揃えて歓迎した。


 三人でわちゃわちゃしながら、歩き始める。ふと気になり後ろを振り返った。


 そこには村の墓が確かにあった。


 クスっと笑みが零れる。

 

 ああ、確かにあれは…字が汚い…人に見せたく無くなるわけだ。


 でもちゃんと読めた。それで十分だ。

ここには確かに村が在って人が暮らしていた。

 これで忘れない。

 

『猫守の村ここに眠る』

 

 そう刻まれた墓をしっかり目に焼き付け、俺は二人に追いつこうと駆け出した。

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どこにでも転がっているそんな物語 けみまゆげ @chemimayuge

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