インス探偵の即席推理

六畳のえる

父は言う 「かき氷飲みたい」

「はあ……」


 先月の春風のような溜息が、机の上で捲りかけていたノートの端をゆらゆらと揺らす。右にも左にも定まらないページは、どうしていいか分からない自分の心のようだった。


「よお、どうした日々花ひびか


 昼休みで前の席が空いていたのをいいことに、同じクラスの桐崎きりさきはやてが座り、ワックスをつけた短い黒の前髪をクッと上げ直した。身長が私と同じ160センチくらいなので、ちょうど目線が合って会話が楽だ。


「月曜から浮かない顔してるじゃん」

「……そんなことないよ」

「表情で分かるって。小5から3年目の付き合いだろ」

 言いながら、颯はワイシャツの袖をグッと捲った。GWを過ぎて日に日に元気になる太陽に、中1の私達はじんわり汗を滲ませながら、夏に向けて体を慣らしている。


「で、どうしたんだよ、言ってみな」

「ううん……実は、ちょっとお父さんとお母さんのことで謎な出来事があってね。別に深刻な話じゃないんだけど……」

「へえ、謎ねえ」


 颯は少しだけ斜め上を向きながら腕組みをして考え込んだあと、「なあ」と切り出した。


「それってさ、食べ物の謎だったりしないか?」

「食べ物? まあ、うん。食べ物と言えなくはないわね」

「そっか! 実は探偵を一人知っててさ。食べ物の謎専門なんだよ」

「……食べ物限定の探偵?」


 血を見るのは嫌だから物騒な事件はごめんだ、とかなら分かる。でも食べ物の謎しか解かないなんて。


「俺の兄貴が前に、クラスで謎に巻き込まれたことがあってさ。親戚の叔母さんから紹介されて、その探偵のところに行ったら、あっという間に解決してくれたんだよ。ちょっと変わった人だけど、歩いて行ける場所に事務所があるから、今日帰りに寄ってみようぜ」

「ん……わかった」


 半分勢いに押され、私は頷いた。颯の言う通り、他にこれを解明できそうな人はいない。解けなくてもいい、ダメ元だと思い、放課後一緒に行ってみることにした。


 ***


「ねえ、颯。ここ住宅地だけど……?」

「ああ、あの先を曲がればすぐだよ」

 意気揚々と進む颯の後ろを、息を切らしながら付いていく。


「曲がって、と……ほら、あれ!」

 彼が指差した場所にあったのは、すすけた3階建てのビルだった。


「……こんなビルに探偵事務所があるの?」

「まあ探偵事務所っていうか家だねもはや」


 石の階段を上りながら、颯はこっちを振り返ってニヤニヤを押さえられないような表情で返事をする。何だろう、今から会う人は、なんとなくまともじゃないような予感がする。


「はい、ここだ!」


 2階に着き、颯はガラスのはめ込まれたドアに掛けられたプレートを開いた右手で示す。そこには、如何にも適当に打って印刷しました、というだけのシンプルなテキストが並んでいた。


足山あしやま積斗つむとのソクセキ探偵事務所】


「よし、日々花、入るぞ」

「え、ちょ、ちょっと待ってよ颯。まだ私、心の準備が——」

 言い終わるより先に、彼はドアをコンコンッとノックした。


「ソクセキさん、前にお世話になった桐崎です!」

「ああ、桐崎君か、待っててね!」


 中から大声がしたかと思うと、まもなく駆け足で寄ってくる音が聞こえる。

 そしてグッとドアが開き、1人の男性がニュッと現れた。


「ひさしぶり。おや、こちらの方は?」

 颯に促され、私はピッと背筋を伸ばして挨拶する。


「こんにちは。晴野日々花です」


 すると、緊張気味の私に向かって彼は握手の手を差し出し、自信ありげな笑みを浮かべた。


「ようこそ。僕が探偵の足山積斗です」




 

「狭いところで恐縮だね。ささ、そこのソファに並んで座って」

「ど、どうも」


 ローテーブルと、それを挟むように向かい合わせになっている。布の2人掛けソファ。

 颯の横で、恐縮しつつそのアイボリーのソファに座りながら辺りを見回す。



 普通「狭いところで」と言われたら謙遜というパターンが多いと思うんだけど、全くそんなことはなく、言葉の通り狭かった。部屋の面積ではなく、物が多い。


 事務所だというのに、端っこの方にベッドが置いてあり、漫画で見るような大きなベルをつけた目覚まし時計が布団の上に乗っている。どう考えてもここで寝泊まりしている証拠だ。


 さらによく見ると、仕事場らしきテーブルの上にカセットコンロと電気ポットがある。壁際の棚にはシンプルな電子レンジと小さめの炊飯器があり、その横には小型の2つドアの冷蔵庫。横のカラーボックスの上に畳まれているタオルは明らかにバスタオルサイズ。寝泊まりを通り越して、ここで生活していることがよく分かった。



「足山さん、ここで生活しているんですか?」

「そう! ここで暮らせば家賃も浮くからね。残念ながらキッチンはないんだけど、簡易シャワーのある事務所で良かったよ」


 その口ぶりからは、ここを事務所兼住居にしていることに対する誇りすら感じられた。


 そのまま、彼をもう少し観察してみる。年齢は30歳くらいだろうか。180センチの高身長に、目にかかるくらいの黒髪、あまりフレームの目立たないシルバーのメガネ。利発そうな顔立ち含め、なんとなくミステリアスな雰囲気を醸し出しているものの、生活感いっぱいの事務所で台無しだった。


「そういえば、さっき颯がソクセキさんって呼んでましたけど」

「そうそう、『足』山『積』斗だから、音読みしてソクセキ。すぐに謎を解くっていうのとかけてるんだ。事務所の名前にもなってるだろ。日々花ちゃんもソクセキ呼びでいいからね」


 なるほど、だから「即席」ではなくてカタカナだったのか。


「日々花、ソクセキさんは食べ物の謎ならホントにすぐに謎を解いてくれるんだぞ」

「あ、私、それ気になってたんです。なんで食べ物に関わる謎だけなんですか?」

「良い質問だね、日々花ちゃん。それはね、僕は美味しい物が大好きだからなんだよ」


 美味しい物が大好き? でもそれなら、謎解きじゃなくて食べた方がいいのに。


 私のその疑問もお見通しだったのか、彼は続けて口を開いた。


「本当は美味しいものを食べたいだけどね。ほら、僕は住居の家賃をケチるくらいお金がないし、ここはキッチンがないから作るのも難しい。コンビニやスーパーはここから遠いから出来合いのものを買ってくるのも大変だし、せいぜい作れるのはインスタント食品くらいだよ。だから、せめて謎解きくらいは色んな美味しい物に触れたいと思ってね」

「へえ、謎の中に出てくる食べ物を楽しんでるんですね」


 それなら限定しているのも頷ける。私がこれから相談するものも、きっと想像してもらえるだろう。


「さて、日々花ちゃんの謎解きだったね。じゃあちょっと待ってて、準備するから」


 そう言って、ソクセキさんは立ち上がって自分の机に向かった。メモ帳やパソコンを持ってくるのかと思いきや、電気ポットの「沸騰」ボタンを押している。そして、縦型ではない、平べったいカップ麺を持ってソファに戻ってきた。


「さて、話を聞くよ」


 透明なフィルムを剥がしながら、彼は私に真剣な眼差しを向けた。どう考えても謎解きではなく食事の準備だ。


「あの、一体……」

「僕は時間を無駄にするのが好きじゃなくてね」


 ソクセキさんが、粉末スープの袋を取り出しながら説明してくれる。


「推理にだらだら時間をかけるくらいなら、その時間で美味しいものを見つけに外に出たり、ネットで探したりしたいんだ。だから、推理の時間は調理の間だけって決めてる」

「調理の、時間……?」

「そうだよ、日々花ちゃん。今日食べるカップ麺はお湯を入れて5分だからね、推理時間は5分だ。で、食べながら推理を聞かせてあげるよ」


 推理時間が調理時間によって決まる。こんな探偵がいるだろうか。


「俺の兄貴のときはカップうどんだったんだ。あの時もすごかったなあ」

「あ、日々花ちゃん、安心してね。カップのものばっかり食べてるわけじゃないんだよ。ほら、あそこに冷凍庫があるから冷凍食品も入るんだ。チャーハンとかパスタとか、よりどりみどりだよ」

「偏ってますね……」


 結論。この人は変人だ。少なくとも私が小説で読んできたホームズとかポアロとか、そういう類の探偵とは全くかけ離れている。



「さて、じゃあ改めて日々花ちゃん、話を聞かせて」


 かやくの袋を破り、乾燥したもやしやチャーシューをカップの中に入れながら、ソクセキさんはこちらを見る。私は、「ダメ元だ」と脳内で言い聞かせてから、話を始めた。


「えっと、まずうちの父は結構かき氷が好きだ、ということを頭に置いて話を聞いてください。今朝の出来事なんですけど……母が洗面所で仕事に行くために化粧していたんです。昨日、良い化粧品を買えたらしくてそれを試してたみたいなんですね。そしたら父が母に近づいて……」


 そこでひと呼吸置く。2人が私の次の言葉に注目していることを確認してから、口を開いた。


「ヒソヒソ声で母に『』って言ったんです」


 ソクセキさんがピクッと眉を動かした。


「……で、日々花ちゃん。それを聞いたお母さんは?」

「はい。一瞬父の方を見て、『もう!』って怒ったんですけど、その後はなんか仲直りしてて。だから、2人に何があったのか、かき氷を飲みたいってどういう意味なのかを教えてほしくてここに来ました」


 しばらく黙っていたソクセキさんは、やがてポンッと右手を左の手のひらに打ち付けた。


「すごく面白い事件だね。早速推理させてもらうよ」


 そしておもむろに立ち上がり、カップ麺を持って電気ポットまで行く。給湯ボタンを押してたっぷりお湯を入れてからソファ席に戻ってきて、5分のキッチンタイマーを作動させた。


「じゃあはじめ!」


 5分間の推理が始まった。


 ***


「……………………」


 どんな風に推理するのかと思えば、ソクセキさんはただ黙り込んでいるだけ。口に手を当て、目だけがぎらぎらと左右に動いている。やがて、「あっ!」と声をあげた。


「何か分かったんですか、ソクセキさん!」


 隣に座ってじっと待っていた颯が身を乗り出して聞く。


「調味油!」

「……へ?」


 思わず私の口から間抜けな声が出てしまった。


「このカップ麺は後入れの調味油が決め手なんだ。先にフタの上で温めておかないと、融解して液体になった状態で出てこない」


 言いながら、まるでジェンガを積むかのような慎重さで、フッと油の小袋をフタの上に置いた。何なのこの人……。


「よし、推理再開だ」


 そしてまた黙り込む。私と颯にとって、それは1分が5倍にも6倍にも感じられる時間。


 やがて、キッチンタイマーが残り15秒になった。これはさすがに無理だろう。解けなかった場合は依頼料は払わなくていいのだろうか。そんなことを考えていると。


 ピピピピッ ピピピピッ


 制限時間を知らせるタイマーが鳴る。それを聞いた足山積斗、ソクセキさんはストップのボタンを押しながら小さく頷いた。


「今回は結構ギリギリだったな」

「……え?」

 私が聞き返すと、颯もそれに被せる。


「ソクセキさん、解けたってことですか?」

「うん、難しくはなかったよ」

 彼はまるで、小学生の算数の質問を受けたかのように答えた。


「これでも僕は腕は一流のつもりだからね。それじゃあ」

 合図のように、顔の目の前で割り箸をパチンと割る。


「説明に移るよ」

 こうして遂に、目の前の探偵が謎解きを始める。






「まずね、大事な部分なんだけど」


 ズゾゾゾッと麺を啜りながらソクセキさんが話す。


「あ、これは豚骨が濃すぎなくて美味しい! 細麺にスープがしっかり絡むね!」


 こんなに緊張感のない推理劇が存在するのだろうか。


「えっとね、日々花ちゃんはお父さんの言ったことについて一つ勘違いをしてるんだ」

「勘違い? 『かき氷飲みたい』の部分ですか?」

「うん。本当はね、『かき氷の、みたい』だったんだよ」

「の、みたい……?」


「そう、かき氷のものみたい、って言いたい時に、日本語だと『かき氷の、みたい』って表現してもいいよね。ちゃんと発音すれば全然違うけど、ヒソヒソ声って言ってたからイントネーションは分からなかった」


 颯は小さな声で交互に発音している。確かに、並べて聞いたらどちらもほとんど一緒だ。


「で、かき氷の、って何なんですか?」

「かき氷についてくるものとしたら、ストロースプーン以外は1つしかない。シロップだ。お父さんはね、お母さんに『かき氷のシロップみたいだ』って意味で『かき氷のみたい』って言ったんだ」


 スープを一口ずずっと飲み、ふうと熱そうな息をつきながらソクセキさんは話す。言っていることは分かるけど、でも余計に謎が深まった気がする。


「それで、ソクセキさん。シロップみたいってどういうことなんですか?」

「ああ、うん。かき氷のシロップって実は同じ味だって知ってた?」

「え、そうなんですか!」


 私より先に颯が、目を丸くして反応した。


「もちろん抹茶とかは別の味なんだけど、いちご・メロン・レモン・ブルーハワイとかは同じ原材料を使ってるんだ。違うのは色と香りだけ。人間の脳は食べなくてもその食べ物の見た目で、『こんな味だろうな』と思い込んでしまうし、香りでも味の変化を感じるからね。それで色と香りだけであの4つの味を再現してるんだ」


「それを化粧のときに言った……ってことは、お父さんひどくないですか? 化粧してもどうせ同じ顔ってことですよね?」


「そう、だからお母さんは始めに『もうっ』って怒ったんだ。でもその後に気がついた。かき氷好きなお父さんがそんな悪口のためにかき氷を使うだろうか。だから褒め言葉だって考えたんだ」


 褒め言葉、とはどういう意味だろう。ああ、ずっとラーメンを食べて話してるだけなのに、この人の推理が気になる。


「捉え方を逆にしたんだよ。シロップは同じ味なのに、色や香りであんなに違う顔を見せる。化粧も同じだってね」

「あっ!」

 今日一番大きな声が出た。そうか、そういうことだったんだ。


「化粧はシロップみたいに、お母さんを色んな形で美しく見せてくれる。お父さんはきっとそう言いたかったんだろうね。それですぐに仲直りしたんだ」

「なるほど、日々花のお母さんもすぐそれに気付いたんだ」


 颯が握り拳をあごに当てて、ふむふむと頷く。ちょうど同じタイミングでソクセキさんもラーメンのスープをごくりと飲み干し、完食した。


「これが僕の推理だよ。日々花ちゃん、どうかな?」

「そう、ですね。それが正解だと思います」


 その言葉にソクセキさんは満足そうに微笑みながらメガネをクイッと上げる。

 間違いない、変人だけど、この人は名探偵だ。



「ソクセキさん、ありがとうございました。あの、依頼料って……?」


 私はおそるおそる一番気になっていたことを聞いてみると、彼は「うん、僕は子どもからもきっちり取るからね」と私に向かって指を差す。


 そしてしばらく考えた後、ニヤッと笑ってパンッと手を合わせた。


「ここから7~8分歩いたところにスーパーがあるんだけど、そこにかき氷風のシャーベットが売ってるから、買ってきてくれないかな。味はどれでもいいよ、全部一緒だからね」

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インス探偵の即席推理 六畳のえる @rokujo_noel

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