第4話 「ありがとう」



 ゆっくりと目をこすって外の景色を見ると、そこにはきれいな朱色が広がっていた。


 左腕につけっぱなしだった腕時計を見ると、ちょうど4時になっている。


 この時間なら門限まで2時間あるから最後にあの崖に行って少し話をするくらいの時間はあるだろう。


 ただ、偶然出会った普通の女の子は正体不明の女の子に変わってしまい、外へ出る一歩を踏むことを躊躇している自分がいた。


 まあ、十分楽しかったし、このままでのいいか。


 あっちも昨日の様子だとそこまで俺といたいとうわけじゃないようだし。


 そんな考えが頭の中でよぎった。


 このまま、何もしなくていいか…






 ふざけるな。



 あれだけ仲良く遊んだのにこんな別れ方で言いわけがないだろ。


 それに、写真に写っている女の子が、本当に俺がこの島で会っていた女の子であると決まったわけじゃないはずだ。


 この科学の時代に幽霊の類があってたまるものか。


 生まれて初めての女の子の友達にありがとうの一つも言えないまま別れて言いわけが無いだろ。


 このままあの場所に行かなければ絶対に後悔する。


 俺は部屋のタンスに入れておいたブローチを持って頭の中のぐちゃぐちゃとした考えをまとめた。


 そして、大きく一呼吸をした。

 



 あの洞窟に行こう





 俺は今までにないくらい全力で走った。


 周りの人はそれぞれでスーパーの帰りの人、仕事帰りのサラリーマン、ランニングをしている高校生らしき人などでまるで俺1人がこの島から浮いているようなそんな感覚にも思えた。


 それでも1分1秒でも早くあの女の子に会いたかった。


 少しでも遅れるともう2度と会えないような気がしたから。


 俺はその思いでいつもよりも大幅に早い時間で崖の入り口まで行くことができた。



 崖の端からゆっくりと顔を出すと、そこにはいつもの女の子が座っていた。


 俺はそれに少し安堵するとゆっくりとその女の子のもとへと近づいた。


「来てくれたんだね。今日は遅いからもう会えないかと思ったよ」


 女の子の表情は言葉通りで落ち着いている感じだった。


「うん。午前中にちょっと出かけてきたから遅くなっちゃった」


 俺も女の子に答えるかのように平然とした態度を装った。


 正直、この後どこまでこの表情が持つか分からないが。


「どこか出かけていたの?」


 さっそくか。


 俺はあまりまどろっこしいことは嫌いだからどのみちすぐに言い出すつもりではいたが会話の始めからで緊張の色が自分でも分かった。


「ちょっと親戚の家まで行ってたんだ」


 俺はそう答えると、一番気になっていることを聞くことにした。


「ねえ、蒼ちゃんって女の子、親戚にいる?」


 俺がそういうと、女の子の目は少し下を向いた。


 そして、全てを悟ったようで諦めたような今までに俺に見せてこなかった表情で俺のことを見てきた。


「もう、きづいちゃったんだね」


「うん……」


 俺は小さな声で返事をすることしかできなかった。


「蒼って私にピッタリの名前だと思わない?」


 彼女はわざと明るく振舞っているということはすぐに分かった。


「そうだね。蒼の元気でどこか繊細な感じはすごくぴったりだと思うよ」


 俺がそう言うと、蒼はありがとうと少し下を向きながら言った。そして、話の続きをした。


「ねえ、名前を知っているってことはもう家にでも行ったのかな」


「うん。そこで君の仏壇を見たよ」


「仏壇の写真の私、すごく可愛かったでしょ。あれ、私のお気に入りの写真なんだ」


 まるで全てを諦めたような表情で蒼は語っていた。


 俺は、これ以上聞くべきか悩んだがどうしても知りたいことだったため、蒼にさらに問いかけることをした。


「蒼は幽霊なの?」


 俺の問いかけに対して蒼は少し笑った表情をして答えた。


「やっぱりきになるよね」


 俺は、少し下を向いて頷いた。


「うん……」


「幽霊かどうかは私には分からない。でも、ここに私がいるのは理由があるんだ」


「理由?」


「うん。初めに会った時にブローチを無くしたって言ったよね。実はあれ私が生きていた時にお母さんからもらったものなんだ。だから最後にこれを持って成仏したかったんだけど、どうやら無理そうだね」


「どうして?これからまだ一緒に探そうよ。きっと見つかるから」


 この場になっても自分がそれを持っているということを言えないことにつくづく嫌気がさす。


「だめなんだよ。今日は8月の15日だからお盆が終わる。そしたらもうここにいることはできないんだ」


「そんな……」


「君とはさよならだね」


 蒼の目はすぐにでも泣き出しそうな赤く腫れた目をしていた。


 それと同時に俺の中で罪の意識がのどを伝ってだんだんとこみ上げてきた。


 本当なら2週間前に成仏することができたはずの蒼を俺の身勝手で思い付きの行動に着き合わせてしまった。


 もうこれ以上、自分勝手なことをするわけにはいかない。


 俺は、ありったけの気持ちを持って蒼に頭を下げた。


「ごめん。そのブローチを持っているのは俺なんだ」


 俺は右のポケットから出して蒼にブローチを差し出した。


 すると、予想通り蒼はきょとんとした顔をしていた。


 当然だろう。


 2週間も必死になって探していたものを実は一緒に手伝ってくれた人が隠し持っていたなんてわかったらこんな表情になることも分かる気がする。


 もし、俺だったらきっと時間を返せって怒っていただろう。


 特に、蒼には現世の中で時間がほとんど残っていなかった中でも探すくらい大切なものだったのだから怒るだけでは済まないかもしれないなと俺は思った。


 でも、俺のしたことだからどんなことを言われてもされてもそれは仕方ないことだと覚悟を決め、頭を下げたままゆっくりと目を閉じた。


 そして、頭に小さな手が当たりそうになるのが感覚で分かった。


 まずは叩かれるのかな。


 すると、その小さな手はゆっくりと俺の髪の毛をなだめるように触ってぽんぽんと頭を撫でた。


 そして、俺の心を包み込むかのように優しい言葉をかけてきた。


「ありがとう。君が見つけてくれたんだね」


 この場において怒りではなくて感謝を伝えることができるのか。


 もう、俺の目からは透き通った蒼色の雫を流してただ泣くことしかできなかった。


 俺よりも泣きたいのは蒼のほうのはずなのに、この優しさを前にしたらもう我慢なんてできない。


 でも、このまま終わらせるのは卑怯すぎる。


 本当のことを伝えないといけない。


 たとえ俺がどれだけ嫌われたとしても俺だけ感謝をされて終わるなんてことはあってはならない。


 俺は、涙をできるだけふき取ることもせず、一呼吸をすることもなく、本当のことを伝えた。


「違うんだ。ほんとは違うんだ。俺は、あの初めて蒼と会った日にブローチを見つけていたんだ。でも、これを渡したらもう蒼に会うことが出来なくなるんじゃないかと思うとできなかった。蒼といつまでも一緒にいたいと思ったから見つけたことを言えなかったんだ」


 俺は、本当のことだけを包み隠さずに伝えた。


 きっと蒼は幻滅しているたろう。


 今度こそきっともう二度と顔を見たくないと言われることだろう。


 俺が顔を上げるともう、蒼は完全に涙で顔が覆われていた。


「本当にありがとう。私は現世から帰るまでにお母さんのブローチを受け取ることができたからそれで十分だよ。それに、君と過ごした日々は今までの人生に負けないくらいすごく楽しかった。君には感謝してもしきれない。その気持ちだけは変わらないよ」


 蒼は涙の中に笑顔を見せた。


 もう、俺はひたすらに謝ることしかできなかった。


「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……」


「そんなに謝らなくていいよ。それに、ごめんをいっぱい言うよりもありがとうって笑いかけてくれた方が私はうれしい。私は笑っている君が好きだよ」


 蒼の目は優しさで包まれてあったかい色に染まっていた。


「うん。ありがとう……」


 一度くらい現実の蒼に会って見たかったな。


 会っていっぱい話をしたかった。


 俺の家にも一度くらい来てほしかった。


 そして、できるならこんなかわいい友達もいるんだぞって家族にも伝えたかったな。


 きっと蒼は笑って「ありがとう」って言ってくれるだろうなと思った。


 そして、俺の涙の量は限界に達していた。


 それでも、涙の止まる気配はなかった。


 もしかしたらこのまま止まることはないかもしれない。


 そうとすら思えるほどだった。


 そして、蒼は最後の笑顔を振り絞って俺に質問をしてきた。


「せっかく会ったんだし、最後に名前を教えてよ。こういうのって本当は最初に聞くべきだったんだろうけど、聞きそびれちゃって」


 蒼は涙で目元を真っ赤にしながらもまるで泣いていないかのような笑顔だった。

 俺は今までの涙を全てふき取って蒼の顔を正面から見た。


 身長は同じくらいなので目をまっすぐ向けるとそこには蒼の淡い蒼色の目があった。


 もう、これから先の人生で言葉を交わすことはどんなに願っても叶わないだろう。


 正直、最後に聞くのが俺の名前でいいのかななんてことは俺も気にしている。


 でも、俺はゆっくりと蒼の質問に対して答えることにした。


「俺の名前は陽太っていうんだ。これからもよろしく蒼。そして、今日までありがとう。この2週間は絶対に大人になっても忘れない。蒼のことは永遠に心に刻んでおくよ」


 俺は全て言い終えると少し落ち着きを取り戻し始めた。


 そして、お母さんとの思いでのブローチと共に蒼が少しずつ消えかかっていた。


 でも、出会った時のようにおどおどすることはなかった。


 だって、蒼は思い出と共に俺の心の中に記憶として残るのだから。


 今まで蒼には多くのことを教えてもらった。


 ありがとうを何回言っても足りないだろう。


 でも、これから先の人生で直接蒼に言える機会はもう来ない。


 残りのありがとうを直接伝えるのはしばらく先になるだろう。


 薄れゆく蒼の姿とブローチを見ながら俺はゆっくりと最後の言葉をかけた。

 



「ありがとう」



 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

俺は君のことを忘れない ~俺の忘れられない2週間の話~ 柊 つゆ @Tnst

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ