民族の誇り

スヴェータ

民族の誇り

 息子が生まれて2年を迎える目前、この国の名は変わった。国土が広がり、豊かな天然資源を手に入れ、いくつかの傷は半年ほどで見えなくなった。


 我々の民族は、人類の突然変異か、桑の実のような暗い赤紫の髪を持つ。その見た目から「桑の民」と呼ばれるが、我々自身がそう呼ぶことはない。


 息子には、この桑の実色の髪こそ我々民族の証だと教えてきた。国の形や名前、言葉などが変わっても、この髪だけは1人の例外もなく、変わらず帰る家を示し続けるのだと。


 小麦畑の真ん中に立つと、我々の髪は特に目立つ。風が吹き、穂が波打つと煌めく黄金の小麦畑で、濃厚なインクのようにゆらりと私の髪もなびく。妻が、ゆらめきに時差があるようで好きなのだと言うので、私は時々、帽子を取って畑中に立つ。


 妻に手を引かれて畑の傍で遊んでいただけの息子は、私と同じ時間に起きるようになり、少し道具の準備を手伝ってから家を出るようにまで成長した。鞄には農具ほどではないが重たそうな本が数冊。息子は、ひいき目でなく、賢く育ってくれているようだった。


 私は、生まれてから今に至るまで、小麦を作ること以外何も学んでこなかった。息子の話は時々難しく感じられたが、小麦の苗の育て方や適切な植え時、病害への対処などを教える時は、父親の役目を果たせているような気になれた。


 小麦の仕事は決して刺激的ではなく、また新たな学びがあるものでもない。しかし息子はいつも楽しそうに仕事をした。農繁期には友人と語らう時間はおろか、勉学の時間さえ削って働いてくれた。


 息子は私の背丈をとうに超え、妻は私ではなく、息子を目印に昼食の声掛けをするようになっていた。昼の知らせを聞いて嬉しそうに帽子を取り、私より深い紫の髪が艶めいて動くのを見上げると、希望と安心が胸に満ちた。


 この国の名が変わって20年を迎えようとした頃、攻め入る黒い影がもう国境近くまで来ているのだと、誰もが噂していた。息子が生まれてすぐにもそんな噂が起こり、隣家の主人は鍬を銃に持ち替えた。


 スープを掬いながら、息子が「戦う」と言ったのは、そんな折だった。


 初めて息子の決めたことを頭ごなしに否定した。故郷を離れて学ぶと決めた時も、農家を継がないかもしれないと言った時も、息子の意見を尊重した。ただ、今回ばかりは息子の気持ちを考えられなかった。


 匙を静かに置くと席を立ち、玄関脇の重たそうな鞄を片手に、何も言わずに息子は家を出た。両手で顔を覆って泣く妻をなだめることさえせず、私は自室のベッドに腰掛け、頭を抱えた。


 半年後、速達で呼び出され、私は妻とともに、国境近くの粗末な建物に行った。元は学校のようだが、壁に「病院」と殴り書きされていた。うめき声、泣き声がかすかに、あちこちで聞こえる広い部屋を通り過ぎ、「こちらです」と案内された場所は無音だった。


 そこに横たわっていたのは、この国の名の民族が持つ黄金の髪をした息子だった。根元がわずかに紫で、私は小麦畑を思い出していた。


「懐かしいな」


 そう私がつぶやくと、本当に、と妻が息子の髪をひとつまみして撫でた。鋏を借りて、息子の髪を根元から2つまみ分切り、私と妻、それぞれ仕舞った。


 そのまま棺に入れるよう頼むと、案内役は安心した。息子はわずかに服の下がいびつで、膝より下は毛布で覆われていた。


 戦場で書いたらしい手紙に、息子の誇りはこの国にあることが記されていた。小麦畑で無邪気に笑い、汗を流した息子。いつまでも少年のように見ていた息子。私は、あの時怒鳴ったことを悔いた。


 結局、この国は再び名を変えた。今度は天然資源こそ増えなかったが、自由な経済が取り入れられ、農家の私にも上司ができた。そして彼から、高品質の小麦を効率的に安定して供給できるように、2か月に一度、適切な育て方の指南書が届くようになった。


 息子が生まれて25年が過ぎた日、私はふと、息子の髪束を机に出した。根元は桑の実のような暗い赤紫で、その先は小麦の穂がなびくような黄金。私は、根元が変わらなければ良いと言い聞かせ、息子が死んで以来、初めて涙を流した。

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