えいえんユートピア

しうしう

えいえんユートピア

 はい、どうも。神様です。

 偶然を司ってる神様です。

 知ってる? いや、仕切り直しって奴ですよ。せっかく舞台に上がったのですから。

 と言うことで、どうも、どうも。祈ってもいいですよ。崇めてください。

 真面目にやれ? はい。

 えーっと、何から話しましょうかね。

 とりあえず、世界が滅亡しかけたところからで、いいですかね。いいですよね。

 それでは居住まいを正して、ごほん。改めまして、始めましょう。

 さてさて、何がきっかけだったかと言いますと、この世界に人間というものが生まれた訳ですよ。括りとしては動物ですけれど、ちょっと彼らのやったことを『動く物』が『動いた』だけで済ますのは、まあ、その、図々しいですよね。そんな言葉で済ませるには、やり過ぎでした。とんでもない事でした。私たち、神様一同、声を揃えて言わせていただきます。なんて事をしてくれたのですか。あ、そうですね。あなたに言っても仕方ない事です。責任を取るべきは、あなた達よりも少し前のご先祖さま方ですものね。

 知ってます? アダムとイブと、禁断の果実。あれが事実かどうかについては明言は避けますが。秘密の方が浪漫があるでしょう?

 それよりもね、大事なのはここで人が手にした『知恵』なのですよ。人は知恵を持ってしまったのです。悪いことなのかと聞かれると、必ずしもそうとは言えないのですけれどね。私たちが、知恵を持たない、愛玩動物の様なものであることを、人間に求めていたのかと言うと、それもどこか違いますし。だから、あなた達が知恵を獲得したことは、歓迎すべきことではなくとも、別に目くじらを立てるようなことでも、なかったはずなのです。ある時点までは。

 けれど、超えてはならない一線を、ひょいと超えてしまえるのが、『人間』だったのです。知識に傾倒するあまり、その一線を見失ったのか、それとも、知識で持って『超えていい理屈』を捻り出したのでしょうか。

 彼らは進歩しました。知恵を用いて木を削り、石を砕いて道具を生み出し、家を建て、台地を馴らして苗を植え、動物を家畜化し、衣服を纏い、どこまでも、どこまでも行きました。それはもう、進化を置き去りにするくらいのスピードで。

 他の動物が、何千年も何万年もかけて手に入れてきたものを、たったの数百年で身につけてしまいました。属性過多の武装過多ですよ、まったく。

 だから、余りにも齟齬が生まれすぎました。皆で足並みを揃えてゆっくりと回していた世界を、ある日突然人間が飛び抜けた速さで引きずり回すようになったのですから。

 人は、獣が爪を得るのにかかった何十分の一もの時間で槍を産み、彼らと戦い勝利しました。そして彼らが人の猛攻に対抗する術を身に付ける間もなく、火薬を見つけ、銃を産み、ミサイルを作り出しました。海鳥が進化を繰り返し、どうにか飛空手段を手に入れてやっと飛び超えた海の、その隅々まで船で駆け渡り、空をも飛び回り、やがて星にさえ到達しました。

 ここだけの話、氷の大陸や月の裏、海の底に火山の中……そういう所って私たちの遊び場だったんですよ。それなのに人間がガンガン近づいてくるから、慌てて立ち去ったんです。

 ほんと、こんなに早く、こんな場所まで来るなんて思ってもみなくて。結構色々落し物もしちゃいましたし。分かります? 暇で、しかもちょっとテンションが可笑しかった時にうっかり生み出した黒歴史が、オーパーツだ、なんて各国研究機関に引っ張りだこにされちゃう気持ち。居た堪れませんよ。え? 誰の黒歴史か? ……ワタシジャナイデスヨ?

 と、とにかく、きちんと噛み合っていた歯車の中に、一つ、他の歯車と全く異なる、アバンギャルドでアクロバティックな動きをする歯車が現れたんです。

 一人で勝手に回って、勝手に自滅するなら、別によかったんですけれど、生憎それも大きな世界の一つの歯車。しかもやたらと頑丈で、例えるならば周りを溶かすくらい高温。他の歯車は堪ったものじゃありません。あるものは熔け、あるものは砕け、あるものは変形し……。そうしてついぞ、世界という機械に不調を来たし始めたのです。噛み合わない歯車たちは歪みを産み、それはやがて世界を粉々に砕く要因となるようなものでした。

 あ、ここで言う世界が砕けるって言うのは、あなたたちの住む星が生存に適さない環境になる、とか、食料が云々、多様性が云々、絶滅が云々って話じゃないですよ。弁明の余地なく、弁解の余地なく、弁護の余地なく、正真正銘、宇宙の果ての果て、万の次元の尽く、輪廻に回る魂の一つ一つまで、全部無くなるってことです。

 そこまでの大事なのかって? ええ。あ、あなた達の行いだけでそこまでの事になった訳ではなくですね、積み重ねってやつですよ。だって何も人類が生まれたのが、これで初めてって訳でも無いのですから。あなたの知らない星で、あなたの知らない次元で、あなたの知らない時空で、何度も人類は生まれ、その度に世界を歪め、そして絶滅して逝きました。その都度その都度降り積もった歪み、それを私たちがどうこうする間にまた新しく、『知恵持つ人』が生まれ落ちては歪ませてゆく。

 どうしてもっと早く動かなかったんだって、やっぱり思いますよね。ごめんなさい。なんでも出来る私たち、けれどなんにもしようとしませんでした。ええ。神様には現実を見る機能が搭載されてなかったんですよ。びっくり。

 私たちがようやく行動を始めたのは、世界に余す所なくヒビが入り、崩壊をカウントダウンする様に世界の欠片がぱらぱらとこぼれ落ち始めた時でした。そんな事態になってやっと、私達は現状に気づき慌てて腰を上げたのです。

 遅すぎました。遅すぎたったら遅すぎました。全知全能の癖に、馬鹿でした。私達は。どれほど愚かで浅慮だったかと言うと、それはもう笑ってしまうくらい。実際、人が世界を滅ぼすくらい馬鹿だったのと、それを何ともせずに眺めていた私達は同じくらいですよ。

 全知でも何も考えないから、全能でも何もしないから、意味が無い。こうやって本当に取り返しのつかなくなった世界を前にマグマに身投げするくらい後悔しても、それをすぐに忘れるんですよ、私達。忘れちゃうんですよ。マグマに浸かっても熱くも痛くも無いですから。反省も後悔も、また同じ事が起こってから思い出すんです。いつだって。

 ……世界を滅ぼすのだって、本当はもう何回目かなのに。

 でも今度こそ、今度こそどうにかしようって、思ったんです。なんの後悔もなんの経験も蓄積されていない空っぽの頭で、『いつも死んでしまう人間が可哀想』なんて、やっぱりなんの重さもない同情をして。でも頑張ったんです。いつもは吐き出すだけで数瞬後には誰の頭にも残らない泡のように無意味な言葉を、必死に留めて、現実にする努力をしました。

 ホコリを被っていた無限の知識を引っ張り出して吟味して、組み合わせて、どうにか世界を救う方法を生み出そうとしました。必死に必死に考えて、いっぱいいっぱい試してみました。

 ある時は破壊の神様が、またある時は愛の神様が、またある時は機械の神様が、またある時は蝋燭の神様が、またある時は幻想の神様が、手を替え品を替え、七転八倒? えっと四苦八苦? して、心を物理的に砕いてみたり、力を底が見えるまで尽くしたり、そうしてやっとこさ一つの均衡を作り上げました。きっとそれは、最適解ではなくとも、最善解でした。それ以上は無理なほど。

 私の司る偶然で用て、この世を保つ。それが私達の今打てる限りの最善策。そう、何もかもが偶然、たまたま、奇跡的に調和し、誰も争わず、誰もが満たされる世界。思想のすれ違いのない世界。

 例えば電車で、今降りる人、と今から長く乗車する人が同じ駅で乗下車するとか。例えば一つの物を欲しい人と要らない人がフリーマーケットで鉢合わせるとか。例えば、死にたい人と殺したい人が人目のない場所で巡り会うとか。

「え? それ、私も今ちょうど考えてたんだよ、偶然だね!」

 なんて言う、偶然と奇跡だけが溢れ返る世界。一つの決定は万人の総意。誰の意見も蔑ろにはされない。だって誰の意見も同じなのだから。そこに多数派も少数派も無いのだから。

 私達は人間から不満を取り除きました。つまり、進む力を取り上げました。奇跡を待っても、偶然を頼んでも、不満が解決しないから、あなた達は進むんです。自分の力で満ち足りるべく、ひたすらに。いっそ愛おしい程、愚直に。今でも、その姿勢は立派だと思いますよ。奇跡を見捨て行くその軌跡が、例えこの世を砕く起因になろうとも、その貪欲さは眩しかった。

 けれど私たちはそれを奪いました。いっそ知恵そのものを取り上げれば、本当に根本的に絶対的に解決でしたでしょうけれど、でもあまりにも数が多すぎて、全ての人の全ての脳と全ての機能をちまちまと修正するのは、まあ、面倒くさがったんですよね、私達。雑草を全部引き抜くより、その周りをコンクリートで埋めることで、繁殖を抑えたって感じです。こういう所がダメなんでしょうね。

 そうしてね、人の足並みを、周りと、世界と揃えたんですよ。いえ、人はきっと変わらぬスピードで進んでいるつもりだったんでしょうね。今まで通りに進歩して、快活に快適に、他の何よりも特別に生きてるって、思ってたはずです。何もかも上手くいかせることで、そう錯覚させて、いつまでも足踏みをさせる。それが最後の最後の取り返しのつかない境界の一歩手前で立ち止まらせる、私達の最善の一手。

 五億年、それで上手く行きました。何種類か人が絶滅し、また知恵を持って生まれて、けれど周りと足並みを揃えたままゆっくりと進化していく。その間、崩れた世界にトドメの 一撃が加えられることはありませんでした。けれど、それも終わりになります。

 あなたが産まれてしまいましたからねぇ。うふふ。

 いやぁ、本当に。こんなに不運な人がいるなんて。笑っちゃいます。嗤うじゃなくて笑う、ですよ。微笑ましくて好ましい方の笑顔です。

 何となくわかると思いますけれど、『偶然、たまたま上手くいく』ってなんて言うと思います? ええ、そういうのを『ラッキー』って言うんですよね。正解です。不幸と不満と不遇こそ、進撃のエネルギー。それを取り除かれた状態とは、すなわちそのまま幸せでしょう? だからこの世に不運な子なんて居て良い筈が無い。不運は偶然の調和を乱す。そしてこの調和の齟齬は、つまるところ、究極のところ、結局のところ、この世の齟齬。そんな存在はやっと揃った足並みを乱し、すぐにでも世界を潰す。ええ、すぐにでも。

 だって私達はただ、死の淵へと爆走し続けるこの世界を、立ち止まらせただけ。彼らは一ミリも引き返していないし、一度だって進行方向を変えていない。止まっただけで回復はしていない。だから彼らを引き留めるものが無くなれば、また走り出す。希望を持って、欲望に向かって、無謀にも、破滅へと。

 でもそんなことを言ったところであなたが生まれたと言う事実は何も変わらない。有り得なくても在るのだから。まあ、原因として思い当たるのは、やっぱり私達の怠慢なのですけれどね。はい。因果律まできちんと点検しなかった私達のミスです。

 あ、でも、原因とかミスとか言うと嫌な感じですけど、私はそんなに悪くないと思うんですよ。

 こんな言い方すると、運命論者なんて言われちゃうかもしれないですが、こんなのまるであなたが産まれてくるために、世界があったみたいだと、そんな風に思っちゃいます。

 ロマンチスト過ぎますかね? だけど考えてみると、なおさらそんな気がするんです。だって私達、神々によって私達に都合の良い様に作り替えられたこの世界を、真っ向から否定する様に生まれてきたあなた。そのために世界は崩れ、消えていく。

 ええ、それこそあなたを産み落とすことで、役割を果たしたかの様に、なんて。ああ、でもこれだと運命論者じゃなくて、非運命論者ですね。

 運命とは覆すためにあるのだ! なんちゃって。えへへ。

 ごほん。話が逸れ過ぎた気がします。軌道修正、軌道修正。とにかく、あなたというあまりにも不運体質な子がこの世に生まれてきた訳です。

 あなたの思考は必ずしも周囲の人と一致しない。あなたの行動は時に周囲の人の望まないものであったりする。そこには不調和が生まれていく。あなたを中心にあなたに関わる人が、この世界に不満を持ち始める。

 そして私達の魅せるまやかしから覚め、見せる世界から飛び出していく。足並み揃えて、仲良く横一列に、万物斉同、在る物皆平等に、なんて世界観を終わらせる。

 ……ああ、何か、すみません。一応気をつけてはいるのですけど、どうしても何だかあなたが生まれたことが悪いことのような言い分になってしまって。つい最近までの思考回路が染み付いちゃっているんですね。

 誤解しないでください。私は今、あなたがそこに居ることをとても嬉しく思っているんですよ? それにあなたの存在は何も悪くない。あなたが回りを不幸にするとか、そんなことでも無いんですよ? 本当はそれが正しい姿なんですもの。

 ……そうですか。ありがとうございます。あなたは本当に、優しい方、ですね。

 えっと、それでですね。まあ、あなた自身の不運さなど、今更私が語るまでもないことかもしれませんが、ここで、私的面白不運ベストファイブ! なんてやらせていただきます。あ、異論は受け付けませんので、悪しからず。

 まずは五位から。『自販機で一番飲みたいものが基本売り切れ』凄いですよね。しかも、これが通常モードですものね。何しろ『基本』ですから。基本これですから。まだ最初から無い、とかなら諦めつくのに、売り切れって言うのが何とも。

 いえいえ、止めません、断固として。

 それでは四位。『通学路では必ず一回何かにハマる』雨上がりの時は水たまりから異様にぬかるんだ泥んこ、いえ晴れていてさえ側溝に突っ込み、マンホールに落ちかける。何かしらを避けようとして、秋は落ち葉の山に、冬は雪の山にすっぽりと。

 ……これでまだ四位なのに、場合によっては結構命に関わる事案ですよ。マンホールとか……。よく死にませんでしたね。

 そこで死なないあたり、むしろ絶対にこの世を滅ぼそうという意思のようなものさえ感じます。なんてね。今日まで生き抜いていてくれてありがとうございました。

 ……え? いいえ。私の加護など焼石に水ですよ。九割くらいはあなた自身の強さが故、です。

 はい? 次? ノリ気になってきました? それとも照れくさくなりました? ふふ。

 それでは三位。『頭上が超危険』。この辺りになると、そろそろ私も出しゃばり始めましたね。高層マンションから植木が落ちてくるとか、よりにもよってあなたが通った瞬間、雪の重みで大きめの枝が落ちてくるとか。あなたが下にいる時だけ、窓掃除の人とか、電線工事の人とかの失敗確率が異様に上がるんですよね。あと、鳥の快便率も。

 本当、これに関しては私が助けてなきゃ早晩あなたは死んでいましたよ。…って、よく考えたら助けないで死んでしまった方が世界のためではあったり? あー、少し前までの私なら、ここはしまった! って言うところですね。

 今の私からしたら? もちろん、さすが私! って言うところですよ。

 長くなって来ちゃいましたね。時間も余りある訳じゃないですし、巻きで行きましょう。もちろん中断なんて選択肢はありませんよ?

 はい、ちゃきちゃきと二位を発表します。『ヤバい人と会う確率の高さ』。いや、確かに偶然に祝福されていない以上、思想のすれ違いは必至とも必然とも必須とすら言えるのですけれど、それにしても、思想がすれ違った時逆上するタイプの人、を引き寄せる確率も本当に異常で……。

 ええ、この辺ももちろん手ぇ出してますよ、私。じゃないとあなた、そのうちシャレにならない犯罪に巻き込まれてしまいそうでしたし。もう、自然さをガン無視してあなたと相手の間に物理的にコンクリ隆起させたこともありましたよ。この辺は堂々と恩着せさせていただきますよ。あ、はい。あれ、私です。

 それでは、とっとと一位発表。『人間のくせに空を飛ぶ』。もうこれ不幸とかどうとかそういう次元ですか? とにかく私としては自転車は控えて欲しいんですよね。坂とか下っている時、かなり頻繁にスリップして飛ぶから、あなた。あと、高い所にも登らないで欲しいんですけど。屋上とかフェンスをものともせず飛びますからね。

 いえ、だから、たまたま着地先が水だったのも、柔らかいマットが置いてあったのも、私が頑張ったからなんです。偶然そこにあったとかそういうのじゃないんですよ。あなたは偶然に祝福されていないんですから。私が神速で穴掘って水張ったり、体育倉庫からマット引っ張ってきたりしたんですよ。物理的に。肉体労働したんですよ。神様が!

 はい、じゃあベストファイブはこれで終了。それでは、あなたが生まれてしばらくの間の話でもしましょうか。私目線で。あなたはそれはもう可愛らしい赤ちゃんだったんですよ。そうそう、ごく一般的な体重三千キロ前後の。あれ? 人間の赤ちゃんの体重、単位あってました? 三千ミリグラム? 三千トン? まあ、どれもあんまり変わらないですよね。え、三千グラム? ああ、ありがとうございます。すみません、ややこしくて。どうも。

 そうそう、それで、おおよその赤ちゃんがそうであるように可愛らしく、おおよその赤ちゃんと同じように余り他の子と区別のつかない子でした。強いて言えばこの世にどれほどぶりかの例外で、逆子でへその緒で首が締まりかけてたくらいです。よく考えるとあなたの不運さで未熟児じゃなかったていうのは、それこそありえないほどの奇跡な気もしますけれど。最初で最後の偶然の加護ですかねぇ。

 もうね、ふわふわの軽くて小さな赤ちゃんの時から、あなたってば不運だったんですよ。私、すぐに気づいて慌てて神様の国から降りてきて見張りを始めたんですから。お母さんが目を離した隙に死んだりしない様に面倒見てあげたりしたんですよ。うっかり気道を塞いじゃった毛布を取ってあげたり、金具が外れてベビーベッドの柵が取れちゃったのを直してあげたり。でも当初の目的はこの世界を守ることだったって考えると、私、初っ端からやらかしてる気がしないでも……ま、いいか。

 そしてあなたは、可愛らしく成長していくわけですよ。ふわふわの赤ちゃんはまるまるプリプリの幼児になって。そろそろ立ったり歩いたりし始めるって時はもう気が気じゃなくて。転んだ時になぜあなたの下敷きになる様な場所にポジショニングしてた危険なものは、ほとんど全部私がどうにかしてあげたんですから。誤飲も、あなた即死しそうな物ばかり手に取るから、もう。

 それで、小学校入学はとーっても可愛かったんですよ! 灰色の生地に緑のリボンの帽子にね、小さな校章をつけて、それがキラキラするのを嬉しそうに見てる笑顔なんて、プライスレス!

 ちっちゃなシャツにちっちゃなズボンに蝶リボンのネクタイ。男の子の膝上ショートのズボンはちびっ子特権ですよね。さすがに十八歳現在で履いてたら引きますから。あ、体育着は除きます。あれはなんか爽やかでいいので。

 そして体の半分くらいもありそうな黒いランドセルをしょってね、ほらあれの腕を通す部分、なんて言うんでしょう? とにかくあそこをぎゅっと握ってちょっと不安そうにしてるのも可愛くて可愛くて。校門の前の入学式のパネルの前でピースしてた姿なんて目に焼き付いてて、今でも視覚化出来ますよ。見ます?

 けれど、もうこの頃にはあなたは何となく、感覚的に察し始めていたのでしょうね。自分のことを。だんだん口数が少なくなっていって、声が小さくなっていきました。あんなに朗らかだった笑顔も、小学四年生になる頃には、なんだか嫌に枯れ果てた、疲れきった笑顔になっていました。やっと二桁に乗ったばかりの歳で、もう周りに合わせて自分を押し込めるってことを学んじゃってました。

 周りの人は何でもかんでも上手くいくのに、自分だけ何も上手くいかない。自分一人だけが苦労して、失敗して、苦労も失敗も知らない皆は、自分以外の世界中の人は、誰も理解してくれない。そんな環境でひねくれなかったのは、あなたの性格なんでしょうけど。辛くても、苦しくても、困ったように笑って大丈夫なんて言えるのは、強さであっても、良さではないんですよ。いえ、元凶が何を言っているのかって話ですね、忘れてください。

 この時、私はあなたのそばに居てあげたかった。いえ居たところで何ができたと言うのでしょうか。過去にも今にも未来にも、決してあなたと世界の両方を救いあげることなんて出来ない私が、あなたの隣にいた所で何が出来るとも思いません。でも、何かが出来るとか出来ないとか、意味が有るとか無いとか、そういう理屈は抜きで、いえむしろ何も出来ないならいっそ、あなたが大変な時、世界なんかに構ってないで、あなたの傍に居れば良かった。

 けれど実際の私は、あなたの存在でこの世界が歪み始めていることに気づいて、焦って、神様の国に飛び戻って皆と会議に没頭している中でした。数年間くらいですかね。向こうでもあなたのことは見ていたんですけど、その顔が翳り始めても、飛んでいくようなことはしませんでした。

 結局私が帰ってきたのは、会議で『よく見張り、対策を考えつき次第行動しよう』と言う結論が出てからでした。こんな身のない結果を出しているうちに私は、あなたの苦しい時間を見過ごしてしまっていました。半袖短パン姿も。

 学ランも学ランでいけてましたけどね。詰襟黒服金ボタン。色合いと形の野暮ったさが黄金律ですよね。硬い生地が体の形にフィットしてない感じがまた……。まだまだ着ているって言うより着られてるって感じなのが可愛くて。それでもちびっ子のみに許されたラフな私服の半袖短パン姿をまだ堪能し足りないと言う後悔がっ! 人間の時間で数年って微妙に長いっていうのを忘れてました……。こほん、不毛ですね。

 いえ、別にショタコンってわけでは……私からしたら、全世界誕生した瞬間から滅亡するまでの全ての生き物が幼い子供みたいなものですから。ええ、こんな見た目で存在してきた半生は、聞くだけで気が遠くなりますよ。

 そうそう、意見のすれ違いが最も顕著に現れたのは中三のときでしたよね。あの時には学ランの大きめだった丈もちょうど良くなってて。

 確か進路のことでした。あなたのご両親や先生はあなたに学力重視の学校に行って欲しかったんですよね。そしてあなたは部活で始めたスポーツを真剣に続けられる学校に行きたかった。他の人たちは周りの期待と自分の希望が偶然たまたま常に一致してますから、そんな事態にはならなかったんですけれど、あなたは違いますから。

 いつもいつも周りに合わせて、他人の為に折れ続けてきたあなたが、これだけは絶対に譲らなかった。けれど、あなたの周りの人達は妥協を知らない。自分の意見を変えるということを、したことが無い、しないでずっと人生を済ませてきた。そんな人達とずっとずっと対立して、あなたはあの一年いつも泣いていましたね。学校から帰ってきては部屋に鍵をかけて、声を押し殺して。

 あの時初めて私は、私の生み出したこの秩序世界の残酷さを知りました。あなたの隣で私も泣きました。あなたに申し訳なさ過ぎて。泣いても喚いても、どれだけ苦しんでも、どれだけ助けと理解を求めても、けれどそれは相手に届かない。

 五億年かけて、自分と異なるものを受け入れる必要性を失い、そのチカラを奪われた人類は、あなたに理解も助けも差し出さない。差し出せない。差し出すものを持っていない。私が五億年かけて、世界をそういうふうにした。あなたにいつも残酷なこの世界は、私が作ったんです。

 結局あなたは、一人で泣いて一人で苦しんで一人でもがいて、ひとりでに諦めた。あなたが、いつもの困ったような、何もかもに疲れ果てたような顔をして、後の進路希望調査の第一志望に自分の希望ではなく、周りの期待を書き記した時、私は、どうしようもなく惨めだった。何が神だと、たかが全知全能な程度で何が出来ると。私はこの世界でもってあなたの希望を潰し、それでいて、あなたの小さな夢すら叶えられなかった。多分初めて、本当に悔やんだ。

 あれから三年弱経って今に行き着くわけでした。もっと正確に言うなら、今日から二週間少し前のあの日に。何となく皆、もうこれしか無いんじゃないかと気づいていて、でもできればそんな方法は取りたくないなぁと、目を背けてきた解法。でもついに世界は、とうとう世界は、もうダメになってきて、もう時間が無くなってきて、だからそれを採決しなくてはならなくなったんです。『あなたを殺す』その解決方法を。十八年、期限が差し迫っていたとはいえ、私たちにしては即断の英断でした。

 私が選ばれたのは、立候補したからです。あなたが誰かに殺されるなら、その誰かは私がいい。そして私は顕現してあなたの前に降臨したのです。空は抜けるように青く雲ひとつなく、夏休み真っ最中で誰もいない、そんな十字路で。真っ白なワイシャツを腕まで捲ってましたね。サブバックを肩にかけて、休日なのに学校に向かう、昼下がりのあなたの前に。

 「神様です」と言ったら思ったよりもあっさりと受け入れてくれましたよね。え? 羽を生やして、光輪を頭に乗せた人が宙に浮かんで「人間です」って言う方が嘘だと? 確かに……。ええ、それで私は率直に実直に、告げた訳です。「世界の為に死んでください」と。諸々の説明部分は回想するまでも無いですよね。そう長くかけることなく、あなたは分かりました、と言ってくれました。いつも通りに物分りよく、聞き分けよく、言ってくれました。

 けれどその後に条件を突きつけられたんですよね。見た目によらず豪胆なこと。「二週間、待ってください」って。その前に、世界が滅びる前に二週間ありますか? とか聞かなきゃ意味無いでしょうにねぇ。ええ、でもその程度の余裕ならありましたので、私はそれを了承したんです。

 それから理由を聞いたら、文化祭って仰いましたね。一瞬はあ? ってなりました。それから、道中詳しく聞いて納得しました。早く行きたいので道すがら、なんて促されたのは初めてのことでした。十字路から四つの道の一本を真っ直ぐに歩き、もうだいぶ装飾の進んだ校門を潜り、あなたに連れられて校舎裏まで行きました。

 あの時、少し感動したんですよ。想像よりもずっと立派で。パネルを組み合わせた大きな大きなキャンパスに、綺麗な絵をそれはそれは大胆に描いてあって、櫓の設計図はかなり本格的、薄紙と竹ひごの長いので作り上げた立体的な像も迫力がありました。

 小さな筆用のバケツに水を汲みながら、あなたの呟いた「後夜祭、絶対成功させたいんだ」ってセリフ、声の響きも、音の高さも、僅かな震えもしっかり覚えてます。真剣でした。あなたの出した条件は、二週間後高校最後の文化祭が終わるその時まで、待って欲しいと、そういうことでした。

 それからあなたが小さな筆から大きなハケまで巧みに使ってパネルを彩っていくのを見ているうちに、あなたのお仲間、後夜祭実行委員会でしたっけ? の方々がいらして、それから日が暮れるまでずっと頑張ってましたね。

 あなたは絵が、とても上手でした。周りに期待されて入った高校には、あなたの続けたかったスポーツの部活はなくて、他の競技をやる気も出ないと入学当初はぼやいてたのに、また別方向で好きなものが見つかったようで、少し嬉しかった。中学生の時熱心に部活に励んでいた姿を少し思い出しました。

 私が二週間あなたのそばに居続けたのは、監視でも何でもなくて、ただ楽しそうなあなたを見ていたかったからなんですよ。監視なら世界のどこに居たって出来ますからね。そして、いつも通り、十八年間そうしてきたように、あなたの描く絵の上に容赦なく降り注ぐ鳥のフンの着地点を風で変えたり、校舎の窓から投げ捨てられたペットボトルが薄紙細工の像に被害を出さないように蹴り飛ばしたり。雨が降ってきたら、慌てて作品にブルーシートを引っかぶせるあなた達が風邪をひかないように羽根で雨よけをしたり。

 あなたの熱意がそうさせるのか、類友的に真面目な人が多いのか、着々と舞台装置は完成していきましたね。午前中から来て黙々と作業に取り組み、お弁当をかきこんでまた再開。余念なく、必死な程に取り組むあなたを見つめながら、あなたに降り注ぐ不運を、具体的にはめんどくさいタイプの人が寄り付くのとか、池に落ちかけるとかそういうのを阻害しながら、一日一日と過ごしていった。

 さすがに日曜日まで出てくるのはあなただけでしたね。その時ばかりは二人きりでした。おにぎりを片手に設計図を覗き込むあなたに、どうしてそんなに頑張るんですか? って聞いたのは確かあの日だった気がします。あってます? 良かった。

「認めてもらいたくて。僕がここで一生懸命頑張っていたことを、認めて欲しいんです。変な話しますけど、僕は小さな頃から、僕の存在が誰からも取るに足りないものだと言われているように感じてきたんです。多分被害妄想だと思います。けど、僕は時々とても不運で、それを頑張って乗り越えてきたつもりです。でもそれを誰も見ていてくれないような、そんな感覚がいつもしていました。僕の不幸も苦しみも、幸福も功績も、他人にとっては気にするべくも無いようなものだと、僕が苦しむことや喜ぶことが、他人にはなんの影響も及ばさないような、僕は世界中の誰にとっても、居ても居なくても変わらない存在のような、そんな気がして。だから、何か皆が僕に気づいてくれるような、そんなことをなし得てみたいと、まして最期と言うならと、思ったんです」

 そう、あなたは仰いました。夏の日差しと蝉の声に包まれて、やっぱり貫くように青い、ひび割れた空を少し見上げて。

 あなたのその不安もまた、他ならぬ私が生み出したものでした。あなたの影響が他の人に連鎖して歪みを大きくすることが無いように、周りの人の考え方を変えてきたのも、辻褄を合わせてあなたの影響を消してきたのも、やっぱり私でしたから。

 その日はそれから、空に走るあのヒビは世界が壊れ始めた時に出来たもので、昔はあんなものは無かったのだと教えてあげましたね。あなたはビックリしていました。そうですよね。だってあなた方にとってあれは、現象でもなく事象でもなく事件でもなく、視認はしても認識することはない、そんなもので、世界が存在する理由とか、神の意志とかを真面目に考えるくらい意味の無いものなんですから、と言ったらあなたの返答はシンプルでしたね。へぇ、僕みたいですね、って。正直あなたの存在観について罪悪感が凄すぎて話を逸らしたのに、戻された気分でした。逃げるものじゃないですね。

 それからまた幾日か経ちました。一度絵を書きあげたパネルを分解して持てる大きさにして、後夜祭まで隠して閉まっておくのだと、それを背負いながら階段から降りて。そこにランキング第一位、人間のくせに空を飛ぶ、を持ってくるのがあなたなんですよね。誰も見てないのをいい事に、私があなたを受け止めちゃいました。人に見られていたら、あなた浮いたことになっちゃいます。

 辺りが暗くなるまで制作を続けていたあの薄紙の像は、実はライトなのだと、灯りをつけて見せてくれましたね。紙から明かりが透けて、浮かび上がる幻想的な姿が素敵でした。でも灯りをつける前に掃除しておきましょうよ。内蔵したは良いものの、像の完成まで放置してた大きなライトにホコリが積もってるのは当然でしょうし、その熱で発火するっていうのも考えられないことはなかったでしょうに。あれは不運じゃなくて不注意でしたよ。発火寸前のホコリを私が羽根で吹き飛ばしてあげなかったらどうなっていたことやら。危うく像が全焼でしたよ。

 キャンプファイヤー用の丸太を運んでいた時には第四位の何かにハマる、を発動するし。散々の力仕事の後自販機に行けば、一番飲みたいものは売り切れ。第五位ですね。第三位と第二位は私が断固として阻止しましたから。結構な苦労をしながら、それでもあなたは楽しそうでしたね。肩にタオルなんかかけちゃって、結構様になってるのが何とも。いつの間にか可愛いじゃなくて、かっこいい、になっちゃって。いけ好かないですねぇ、まったく。遠くの自販機まで飛んででもあなたが飲みたがってた梅ぶどうサイダー貢ぎたくなっちゃいましたよ。いや、こんなの飲みたいのか、とは思いましたけど。

 文化祭前々日なんて、疲れて眠っちゃったんですよね、あなた。木陰で。木漏れ日に包まれてるあなたはちょっと綺麗でドキッとしました。ゴロンと投げ出された手に触れたら、あなた赤ちゃんの頃みたいに私の手を握ったんですよ。覚えてません?

 そして、ついに文化祭前日になりました。あとは後夜祭に組み立て設置するだけとなった諸々の機材を人目につかないところに準備して、あなたは実行委員会の子達に労いの言葉をかけていましたね。なかなか立派なことを言っちゃって。あなた、委員長だったんですね。皆も晴れ晴れした顔をしてて。やり切ったんだーみたいな感じと、クライマックスを前にワクワクしてる感じが半分ずつの顔で。

 それから解散して、多少の片付けをして自分も帰ろうとした時、呼び止められたんですよね、あなた。皆帰ったと思ってたのに、一人残ってて……セミロングの綺麗な黒髪の、背の低い子で、委員会の後輩さんだったんですよね。大人しそうで可愛らしい子だなって思いました。あなたはきょとんってしてましたけど、アホですか、このパターンは決まってるでしょう、告白以外無いでしょう、とやきもきしたものですよ。

 案の定、その子は少しもじもじした後、あなたの名前を呼びました。あなたを呼んだと言うよりは、自分を奮い立たせるように。そしてちょっと上擦った可愛い声で、好きです!  って。人類を見守る出歯亀神類としては、きゃー! なんて王道! って盛り上がっちゃいました。あなたは言葉に詰まったのか、ぽかんとした感じでしたね。

 女の子は必死な感じで、好きなところ、好きになった理由、好きという思いの丈を語りあげていきました。落ち着きがあって、優しくて、ちょっとドジっぽいけれど理知的で、真面目で、一生懸命頑張っている姿がかっこよくて、普段はゆったり大人しそうなのに、体育の時とかは意外と逞しくて運動神経の良いところとか……って。ああ、この子は本当にあなたが好きなんですね、と思いました。その子の語るあなたの良さは、十八年あなたを見守ってきた私をしても、なるほど確かにその通り、分かります分かります、と頷かされました。

 けれど、笑顔がステキ、というのだけは同意できませんね。あなたの本当の笑顔はもっと素敵です。

 とにかく、あなたはその辺でやっと得心がいったと言うような顔になって、言い終わったその子に言いました。

「気持ちはとても嬉しいよ。でもごめん。僕は十二日前に一目惚れをしてしまったので、君の思いには答えられない。どうか、もっと素敵な方を見つけてください」

 これ聞いた次の瞬間、私は神様仲間の所まで全力ワープしてたので、その後女の子がどうなったかは知らないんですよ。だって十二日前って、私とあなたが出会った日じゃないですか。いえ、出会ったと言うなら、あなたの生まれたその時に、私の方は一方的に出会っているのですが。

 もしかして、わたし? いえいえ、でも私以外の誰かに会っていた可能性もありますね。あの時以来ずっと私があなたのそばに着いているのだから、それ以前? 朝とか? でもでも、やっぱりわたし? いや、そんな都合のいいことって……いえ、都合がいいってなんですか! 何も良くないですよ、私はあの子を殺すためにあの子の前に降りたのですよ。そりゃ多少の愛着があることは認めますけれど……。って、雲の上で転がり回ってました。飛行機が飛んできましたけど、逃げ隠れるのも面倒ですし、雲の中に埋まってやり過ごしました。いっそ墜落でもさせてやろうかと思ったんですけど、それは調整が難しいので辞めておきました。

 世界のヒビが深まる音を聞きながら悶々としていると友達に声をかけられました。破壊を司ってる子で、気のいいさっぱりした子でね、下半身の巨大なタコ足とイカ足がチャームポイントなんですよ。

 なあ、お前大丈夫か? あと二日ちょっと位しかこの世界持たねぇぞって言われました。本当はあなたは世界の終わる日がいつなのか知ってたんじゃないかってくらい、二週間って数字はギリギリだったんですよ。

 その二日間で文化祭があってそれが終わったら殺すことになってるのだと伝えると、殺せるのかって聞かれました。

 意味がわかりませんでした。そうしなければ世界は滅びますし、何より他ならぬあなたがそれを了承してくれたのです。私達だってその為に頑張ってきたのだから、きちんとやらなくては失礼というものでしょう。

 そう言ったら、真面目だなあって返されちゃいました。別にそんなに四角四面にならなくてもいいじゃんか。こっちだって、お前が恋をしたって言うなら、こんな世界御祝儀にくれてやるくらいの甲斐性はあるぜって。恋とかなんのことですか。思い出せる限りのここしばらく色恋沙汰は見ることばかりに徹してますけど? あの子が何を言いたいのか、その時は心底不思議でした。

 けど、その子に言われて気づきました。だって、お前あの坊やに惚れたんだろ。だからさ、ケリつけんなら後二日、いやもう後一日位か、で決めなきゃだぜって、あの子にそう言われなきゃ私は自分の気持ちに気づくことも無かったでしょうね。

 愛着はいつからか執着に、愛情はいつの間にか恋情に。私はあなたが好きみたいだと。あなたが一目惚れしたという相手が私なら舞い上がるほどに嬉しくて、そうでないなら、何兆年だって泣き暮らせそうなくらい。

 そして私はもう一度地上に降りました。あなたの元に馳せ参じてみたら、あなたってば文化祭で買ったアイスとスタンプラリーのカードを手に持ったまま階段から転げ落ちた所でしたね。それから一緒に文化祭を巡ったんでした。とっても楽しかった。

 せっかくお化け屋敷に入ったのに、あなたってば私に学校の紹介とかクラスでの話とかばっかりして、終いには暗闇の中笑顔で話し続ける狂人役だって皆に思われてましたよね。私が他人には見えないってこと、失念しすぎにも程がありますよ。

 それから焼きそばとかタピオカジュースとか買って、人目を避けるように屋上に行きました。そこでならいくら話しても、あなたが変な目で見られることもありませんからね。真っ青な空を背負って嬉しそうに話してくれるあなたを見て、破壊神の子に気付かされた気持ちは確信に変わりました。

 屋上はお祭りの喧騒からも、寂しくない程度に少しだけ隔離されていて、夏の終わりの少し乾いた風が、爽やかで気持ちよかった。その時もあなたは梅ぶどうサイダー飲んでましたね。え? ああ、中身は違うんですか。外側だけ私が買ってあげた奴なんですね。なかなか可愛いことなさるじゃないですか。ふふふ。

 やがて日が暮れ、文化祭が終わりました。一般客は帰っていき、いよいよあなたにとっての大詰め、後夜祭の時間がやって来ました。校庭にパネルを立てて、舞台を組み上げ、薄紙の像を並べ、あとは暗くなり次第点灯すれば良いようにして。舞台発表を行う団体にプログラムの確認をとったり、司会の立ち位置を指示したり、なんだかデキる男って感じが堪りませんでした。

 やがて出来上がった会場に、生徒がなだれ込んできました。像に灯りを点け、舞台をライトアップさせて、後夜祭が始まりました。なんででしょうね、皆疲れているはずなのにとても楽しそうでした。賑やかに盛り上がって、場酔いしそうな位。

 けれどそのまま順当に終わるなんてあなたの不運が許してくれませんでしたね。舞台の背景の大きなパネルが倒れそうになって、させるか、この後夜祭だけは絶対に成功させてやるって、私とあなただけで応急処置を施して、それで祭りの終わるまでずーっと二人してあっちを直したり、こっちを支えたり。

 きちんと用意したはずなのにどうしてこんなことにって嘆くあなたを、そんなの準備不足とか不注意とかではなくて、単にあなたの不運さが遺憾無く発揮された結果だと思いますから落ち込んでないで、頑張りなさいって励ましてあげましたね。感謝してください。

 どうにか後夜祭が終わった時にはもうヘトヘトでした。こんなに慌ただしく力仕事なんてしたのはいつ以来でしょう。それこそこの世界を作った時くらいだったかもしれません。生徒は皆帰って、校庭はさっきまでの騒ぎが嘘のように静まり返ってました。

 片付けは明日になるなあって呟いたあなたに、そんなの必要ないですよ。夜が開ける頃には世界は終わりますから、と言いました。あなたは少しきょとんとした後に、じゃあ、約束の時間なんですね。後始末は他の委員会の子達に丸投げになっちゃうな、って笑いました。

 それから顔を上げたあなたに習って私も空を見ました。満天の星がヒビの間で煌めいていました。このままやがて空は欠片となって降り注ぐのですから、まさに降るような星空。あなたは立ち上がって、世界の底の暗がりで私を振り向いて言いました。

『神様、好きです』

 おや、ハモリましたね。はい? ……なかなか照れちゃうこと言ってくれるじゃないですか。

 私も嬉しかったんですよ。心の底から。私はこの為に生まれてきたのだと、確信できました。今この瞬間のために。何百、何千、何万、何億、何兆、何京、何垓……いいえ、そんな数などでは、到底数え切れない無限の私の半生は、この為だけにあったのだと、確信しました。

 ごほんっ。それで星を背負って私を見下ろすあなたに、私も告白したんでした。

 あなたは太陽のような笑顔で、夜の帷の中私の手を取りました。そして私を連れて、ついさっきまでパフォーマー達が熱気をばら撒いていた舞台の上に登りました。あなたは踊るような足取りで私を舞台の中央まで誘って、弾む声で言いました。

「ああ、きっとこの世界で僕より幸せな生き物はいませんよ」

 そんなことを言われてしまったら私も負けられないですからね。

「じゃあ、私は今から愛する人を殺さなきゃならない、世界で一番不幸な生き物ですけれど、あなたの幸せを分けてくれません?」

 なんて言っちゃいました。そして二人して世界を見捨てて結ばれたのでありました。

 はい、結末。愛は世界を救いません。

 他の神様? 多分新しい世界でも作って移住するんじゃないですか? 今度こそ上手くやりますよ、きっと。まああの人達に残された時間は永遠ですからね。いつか知恵の扱いだってどうにかなりますよ。

 ……ふふ、今更私に申し訳ないなんて言わないでくださいね。私は永遠の時間にも、これからにも今までにも、なんの未練もありませんよ。そもそも今まで生きてきた時間が永遠みたいなものですから。あなたを手に入れられないまま、これからもずっと生きてくことの方がよっぽど未練がましく辛いですからね。

 ところで人間にとっての永遠、とはどんなものでしょう。ずっと続くもの? 終わらないもの? でも、例えば永遠の命とか、永遠の愛とか言っても、本当にそんなものがあったとしても、肉体と世界は必ず、変わらず終わります。

 それは確かで、でも永遠はそんな確実さも飛び越えて、体も心も世界も無くなっても残るのかしら。けれど現実的に言うのなら、世界が終わるまで続くものが私達の身の丈にあった永遠じゃないでしょうか。だとしたら、きっと私達の愛は永遠だということになりますね。

 あら、もうこんなに経ったんですか。名残惜しいですけれど、残る時間も1分ばかりとなりましたし……。どうします?

 キスとか、しときます?

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えいえんユートピア しうしう @kamefukurou

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