第23話
突き刺すような視線を浴びながら、春木陽香は目を瞑り、息を吸うと、肩を張って大きな声で言った。
「田爪瑠香さんが証明したかったのは、――いえ、実際に証明してみせたのは、そんなことではないと思います」
一瞬の静寂を破って、隣の席の皺のジャケットの男が再び頭を掻きながら言い放った。
「じゃあ、何だって言うんだよ」
春木陽香は、今度は少し控えめに小さな声で言う。
「ベクトルです。――ではないでしょうか。瑠香さんの田爪博士への想いのベクトル。2人のベクトルが、ちゃんと向かい合っているということ。――だと……なんか、私は、そう思います……」
「はあ?」
皺のジャケットの記者は、首を大きく傾げると、大袈裟に溜め息を吐いた。
彼女の、先輩記者たちから飛ばされる冷ややかな視線を気にしながらの自信のなさそうな言い方が失敗だったらしく、今度はどの記者も自分の仕事を継続させ、その新人記者の感情的で抽象的な推理を全く無視した。
春木陽香はもう一度、大声で自分の説を唱えようとした。
「10年間、夫に向け続けた自分の思いを行動で示して……」
「ところで、永山氏の今後の処遇はどうなるのでしょうか。あの録音を聞く限り、彼がマシンに乗ることを臆したりしなければ、政府も今頃、田爪博士の貴重な研究データと新型マシンを手に入れることができていたと思うのですが」
出口ドアの隣の若い新人女性記者の推理は、最前列に座した大手通信社の若手記者の質問にかき消された。その紺色のスーツ姿の男が流れるように質問を述べ終えるとすぐに、神作真哉が顔を紅潮させて声を荒げた。
「おい、ちょっと待て。ウチの永山のせいだっていうのかよ。ふざけんな。臆しただと? あいつはな、父親としての家族への責任を全うしただけじゃないか。だから、あんな危険なマシンには乗らずに、大スクープのチャンスを捨てて、生きて確実に日本に帰る道を選んだんだろ。田爪健三が話していたのは、そういうことだろうが。結局、永山は試されていたんだよ。田爪に。おまえら、それが分かんないのか!」
神作真哉は記者たちを指差しながら厳しくにらみ付けた。
彼を無視して、津田幹雄は最前列の紺のスーツの男に顔を向ける。
「はい。永山記者につきましては、今後も政府と国民の皆様のために、調査にご協力いただきたいと思っています。ええ、このような席ですが……」
津田幹雄は、奥の壁際に並ぶテレビカメラの列に顔を向けた。
「司時空庁長官として、この場を借りて、改めて永山氏にお願い申し上げます。ご不便をお掛けいたしますが、どうか、国民の皆様の利益のために、今後とも政府にご協力いただきたい」
眉を寄せ、懇願する顔を作った津田幹雄は、カメラに向かって深々と頭を下げた。彼にレンズを向けるカメラマンの列の中で、金髪の男が津田にカメラを向けたまま、強く舌打ちする。
津田幹雄は顔を上げる途中、最前列の端の方に座っている白いスーツの栗毛の女に一瞬だけ視線を送った。彼女は腕時計に目を遣ると、少し渋々としながら、その細く白い腕を高らかに上げた。そして、さっきまでとは違い、棒読み口調で発言する。
「その司時空庁についてなのですが、これまで司時空庁はタイムトラベルを管理する省庁として存在してきました。しかし、実際には、これまでの技術が異空間への瞬間移動、つまり『ワープ技術』であったとすると、司時空庁の名称も含め、抜本的な組織改編が必要になるものと思われますが、いかがでしょうか」
「へっ。どうせなら、また郵便事業でも始めたらいいんじゃないか」
部屋の後方から皺のジャケットの男が茶化した。会場内に笑いが響く。その隙に、津田幹雄は演台の上のデジタル時計を確認した。
白いスーツの女は、膝の上のメモに目を落としながら質問を続ける。
「それから、津田長官は司時空庁長官として、二期目の任期を今期で終えられますが、任期満了を待たずに次の国政選挙に出馬されるとの噂もあります。現在のご心境をお聞かせ下さい」
記者たちがヒソヒソと口を開いた。白いスーツの女は栗色の髪をかき上げながらメモ用紙を机上に放り投げると、眉間に皺を寄せて溜め息を吐く。
ネクタイを直した津田幹雄は、姿勢を正して再びカメラのレンズに顔を向けた。彼は落ち着いた声で作り笑顔を交えながら話し始めた。
「ああ、どうぞ、ご静粛に。――タイムトラベルもワープも、利用している原理は共にAT理論であり、また、悪用されないよう管理する高度の必要性にも、両者の間に何らの差はありません。従いまして、名称はともかく、組織改編までの必要は無いと考えます。ただ、タイムトラベル事業の凍結に伴う人事異動は必要になるでしょう。それについては順次進めて参り、引き続き行政の責任として、国民の皆様からお預かりしている貴重な税金を少しも無駄にすることが無いよう最大限に努めて参りたいと思量しております。ええ、私についてでありますが、お蔭様でこの津田幹雄、司時空庁の長官職を二期も務めさせていただいております。司時空庁も、先ほど申しましたとおり、異空間場所的瞬間移動の管理、AT理論の逆応用機器の実践的開発と管理など、今後の課題が山積しております。従いまして、今は、引き続き長官職としての責任を全うさせていただきたいと思っております。任期満了後の進退につきましては、天命に従うのみ、とでも申しておきましょう。もし、私の、この二期連続の長官職としての経験が国政において何らかの形で国民の皆様のお役に立てるのならば、そうすることもまた、私の責任なのかもしれません。後は国民の皆様のご判断にお任せしたいと思います。どのような立場であれ、この津田幹雄、国民の皆様のために全身全霊をささげるつもりでございます。――では、本日はここまでということで」
津田幹雄はカメラに向かって綺麗に一礼すると、姿勢を正し、部屋の前方の出口ドアの方に歩き始めた。
壇上を歩いて行く津田に、立ったままの神作真哉が大声で怒鳴る。
「ちょっと待て! 逃げるつもりか。長官なら他にも国民に言うべき事があるだろ!」
演壇の途中で立ち止まった津田幹雄は振り返り、神作を強くにらみ付けた。
神作真哉は津田を指差して言う。
「あんたは、あんた自身は、今回の田爪の話を聞いて、どう思うんだ。司時空庁長官として、この話を聞いて、何を、どうするべきだと思う。あんたのやるべき『仕事』とは何だと考えているんだ」
「それは、私が独断で決めるべきことではありません。彼の話を聞いた国民の皆さんお1人お1人が考え、その意見を集約した議会と政府が決めることです」
津田幹雄はそう即答した。
後ろのドアの横に立っている新人記者は、赤い顔で強く津田をにらんで叫んだ。
「そうやって、ご自分の責任から逃げるおつもりなのですか。司時空庁長官は、あなたではないですか。どうして自分の立場の責任を果たそうとされないのですか」
津田幹雄は春木の方に不機嫌そうな顔を向けると、厳しい口調で彼女を叱咤した。
「失礼な発言は慎みなさい。ここは記者会見場だ。公の場で他人を侮辱すると、あなたが責任を問われますよ。私は司時空庁長官としての責任を全うするつもりです。話をすり替えないでいただきたい」
カメラのフラッシュが津田の険しい顔を捉える。
津田幹雄は一度溜め息を吐いて項垂れた。そして顔を上げ、その新人記者を指差しながら、今度は諭すように穏やかな口調で言う。
「本当は分かっていらっしゃるのでしょう。もし、そうでないのなら、彼の話をもう一度よく細部まで聞いてみなさい。田爪博士の話の核心は国家や社会の話ではない」
津田幹雄は並んでいるカメラを順に指差し、記者たちを順に指差し、最後にまた、その新人記者を強く指差した。
「皆さんお1人お1人の問題です。それぞれが自分の過去に意識を戻し、考えてみるべき問題だ。今、何をするべきかは、それからでしょう。それは、あなた自身の問題なのですよ、あなた自身の」
「話をすり替えているのは、あんたの方だろうが! 官僚としての、あんたの責任を尋ねているんだよ!」
神作真哉が怒声を挿んだ。
津田幹雄は再び神作をにらみ付けて、大きな声で言い返す。
「私は国の官吏として責任を全うしてきたつもりですがね。それに、これからもそうすると言っているでしょう」
春木陽香はスカートの横で拳を握りながら肩を上げ、紅潮させた顔で必死に訴えた。
「さっきから責任、責任って言ってますけど、田爪博士も、瑠香さんも、責任感で何かをしないといけないから、そうした訳じゃないですよね。相手のことを想ったり、周りの人のことを考えたりして、誰かのために何かをしようとしただけですよね。あなたたちは、そんなことは何も考えてはいないじゃないですか! なんで、もっと優しくなれないんですか! どうして、みんなをタイムマシンに乗せたりしたんですかあ!」
彼女の叫びは大きく場内に響いた。しかし、津田には届かない。彼は春木に顔を向け、きっぱりと言った。
「契約したからですよ、搭乗者たちと。約束事は守らないといけないのでしょう? それに、我々が乗せた訳ではありません。彼らが望んだのですよ。彼らは自ら申し込み、国と契約したのです。タイムマシンの搭乗契約をね。国としては、その通常の搭乗契約を履行しただけです。我々は契約当事者である国に雇用されている公務員だ。公務員として当然の責任を果たしたに過ぎません。それを責められましてもねえ」
新人記者は目に涙をためて叫んだ。
「どうしてですか。家族とか、社会とか、愛する人とか、そういう人たちに対する想いとか、気持ちとかが『責任』ってものの根底にはあるんじゃないですか。頭でっかちなことばかり言って、結局それじゃあ、本末転倒じゃないですか! 『無責任』じゃないですか! それじゃあ、郷里を捨てて都会に出てきて、親兄弟のことも何もしない人たちと同じです! 田爪博士が言っていたことって、そういうことですよね。長官は、田爪博士の話を聞いて何も思わなかったんですか。そんな風だから、あなたみたいな人が国の中央や社会のトップにいるから……」
首を傾げた津田幹雄は、彼女の発言を遮った。
「どうやら、随分と田爪博士の主張に傾倒されているようだが、大丈夫ですかな。彼は犯罪の容疑者なのかもしれない男ですよ。しかも、大量殺人の」
「それは、確かにそうですけど……」
春木が視線を下げて口籠ると、津田幹雄はすかさず彼女に言った。
「感情論で事を決するべきだと言うのですか。責任論について、刑法や民法の教科書を読まれるべきですな。倫理学の本でもいい。公の場に意見を晒すご職業なら、もう少し見識を深められた方がよろしいかと思いますがね」
会場内の記者たちは、その新人記者を冷ややかに笑う。
春木陽香は必死に言い返した。
「主観的構成要件とか、要件事実論について言っているのではありません。生き方のことを言っているんです。国の事務処理の仕方の話ではありません!」
津田幹雄は鼻で笑った。そして、床を指差しながら言う。
「私は国の行政官として、今、この場に立っているのですがね。それに、個人の生き方は自由でしょ。この国は自由主義国家だ」
神作真哉が津田に激しく指摘した。
「同時に個人主義国家でもあるだろ。ひとりひとりを大切にするのが、個人主義だろうが!」
津田幹雄は片笑んだ顔を神作に向けると、深く頷いて見せて、落ち着いた声で言った。
「そのとおり。だから、そのために国を守る必要があるのでしょう。――ま、政治的な主義主張が自由であるのも、この国のモットーですから、あなた方のご主張は否定しませんがね。ですが、ここはそのような議論をする場ではない。またの機会にしましょう。とにかく、事態が事態ですので、私も急いで次の執務に掛からねばなりません。予定より時間が押している。申し訳ないが、これで失礼させてもらいます」
再びカメラのフラッシュが連続して何度も津田を強く照らす。
津田幹雄は手で光を避けながらそちらを向くと、もう一度深々と一礼した。顔を上げた彼は、姿勢を正したまま演壇から降り、記者たちに背を向けて、出口へと歩いていく。
記者たちは慌てて椅子から腰を上げ、津田を追い掛けた。ドアを開け廊下へ出ようとする津田の背中に、記者たちから矢継ぎ早に質問が飛ぶ。
「長官、お待ちください。光線銃とワープを軍事利用するという話は、本当ですか」
「2025年の核テロ爆発の爆心地で発見されたメッセージボードは、なぜ公開しないのですか。以前の発表のとおり、それには『敵どもよ。滅びるがいい』と刻まれているのですか。現物を見せてもらえませんか。それを永山記者のレポートと照合しないと……」
「政府としては、本当に、永山記者への責任追及はしないのですか。国家的財産を消してしまったのですよ。長官」
「転送された方々の名簿は公開されるのでしょうか。また、ご遺族への賠償金や渡航費の払い戻しの予定はないのでしょうか」
「タイムトラベルについて、来年度の小学校の社会科教科書から削除するそうですが、教師組合から抗議が……」
「庁内で賄賂を貰っていた職員がいるんじゃないですか。監督責任は感じませんか」
「南米戦争は、現地の天然資源の確保が目的だというのは本当でしょうか。長官」
「新ワープ事業立ち上げは、いつ頃になりますか。一回の渡航費は幾らになりますか」
「長官、待ってください。長官。――ちゃんと答えてください、長官」
津田幹雄は黙って去った。後ろの壁際から競うように走って前に出るカメラマンたちに押し退けられて揉みくちゃにされながら、神作真哉が叫ぶ。
「待てよ、話は終わってねえぞ。おい、津田あ!」
前のドアの付近に殺到した記者たちが互いに押し合い、怒号と罵声が飛び交った。
後ろの出口のドアの隣では、最後まで食い下がった新人記者が立ったままだった。彼女は俯いたまま声を漏らす。
「違う……だって、だってそれじゃあ……だって……」
隣の皺のジャケットの男が椅子から腰を上げながら彼女を一瞥し、しかめ面で言った。
「まだ続けんのかよ。ウゼえなあ。長官が行っちまうだろうが。何が言いたいのか、さっぱり分かんねえんだよ、おまえ」
若い女は下を向いたまま黙っていた。この話の本質を理解できる人間と理解できない人間がいる。それは彼女にも分かっていた。それでも彼女はスカートの横で拳を握り締めた。上げた肩を震わせながら唇を強く噛む。悔しくて、悔しくて、悲しくて仕方なかった。涙が溢れた。零れないよう彼女は必死に堪えたが、それは頬を伝う。
大きな雫が床に落ちた。
了
インタビュー・ウィズ・T 横組みスマートver. 与十川 大 (←改淀川大新←淀川大) @Hiroshi-Yodokawa
ギフトを贈って最初のサポーターになりませんか?
ギフトを贈ると限定コンテンツを閲覧できます。作家の創作活動を支援しましょう。
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます