第2話 山中でのトラブル(航平)

「あぁ、ツイてないなぁ」 航平はため息ともとれる独り言を呟いた。

目前には、まだエンジンの熱が冷めていない赤いバイクが置かれている。


久しぶりに予定の無い日曜日。

航平は半年前に取得したばかりの二輪免許の練習をするべく、朝からツーリングに出かけていた。

休みが不安定な職場だった為に、免許取得まで一年近くも掛かってしまったが、その分、免許が発行された時の喜びは大きかった。免許が発行された日に、社員寮へ戻る途中にあったバイク屋でたまたまこのバイクと出会った。

数日前に入荷されたばかりのバイクは、真っ赤なタンクが太陽の光を反射して非常に美しく見えた。バイク屋の入口に置かれている姿に、航平は一目惚れをしてしまい、免許取得の喜びのテンションも手伝って、その場での契約となった。


納車されてから約半年。毎日、通勤で乗っている事もあり、街中を走る分には危なげは無くなってきた。しかし、山道や下り坂のカーブが未だに慣れず、不必要に速度を落としてしまう。会社の先輩たちとツーリングに行っても、一人遅れてしまい、毎回、足を引っ張っているように感じていて引け目があった。

その為、脱初心者を目指すべく、こうして時間がある休みの日に、練習を兼ねたツーリングをする様にしてた。


社員寮から北へ2時間ぐらい走った所にある県境の山道に入る。この山道を1時間以上走った所にある道の駅で、ソフトクリームを食べてからUターンすると言うのがお決まりの練習コースだった。道のアップダウンやカーブの多さから、神経を使うが、それが初心者の自分にちょうど良い練習になると考えていた。


残暑が残るこの時期は、日中はまだまだ暑いが、山道に入ると少しヒンヤリとした。清々しい空気を吸いながら、法定速度よりも少し遅いスピードで走るツーリングは、航平の嗜好とマッチして非常に気持ちが良かった。


前日、仕事中の雑談で、先輩からリアブレーキの使い方のコツを教えてもらっていたので、それを実践しながら走っていた。頭ではなんとなく理解できたつもりだったが、実際にやってみるとなると、思った様な操作ができなかった。コーナーになる度に、色々なタイミングを試してみるのが面白く、周りの景色を楽しむ余裕が無いまま走っていた。


山道の半分ぐらいを通過した所で、先日の台風の影響と思われる砂利が道路に散乱していた。幸いスピードが乗っていなかった事もあり、初心者の航平でも大事には至らなかった。しかし、大きめの砂利を乗り越えた衝撃で、ステムホルダーに取り付けていたスマホを落としてしまった。その場でバイクを停めようとした際に、慌てていた事もあってエンストしてしまった。エンストしたまま、道の端へバイクを寄せてからスマホを回収した。無事に回収できたと思ったスマホは、画面は暗くなっており、いくら電源スイッチを押しても再起動する事は無かった。


航平は酷く気落ちした。スマホそのものは買い替えれば良いが、データの復旧はできるのか不安だった。データが残らないと、もう2度と連絡が取れない人が何人出てくるんだろうか、、、 バックアップをとっておけば良かった、、、 ネガティブな思考が航平の頭の中を駆け巡る。今日はもう戻ろう。寮に戻る前に携帯ショップに寄って、故障を見てもらおう。これからの行動を考えながら、スマホをタンクバッグの中に放り込んだ。


道路の脇に停まったバイクの横に立ち、空になったスマホホルダーを睨みながら、バイクのセルをスタートさせる。ギュギュギュギュとセルが回る音はするが、エンジンに火が飛ぶ様子がない。

一度、スイッチから指を離し、軽く車体を揺すってから再度スイッチを押す。再び、ギュギュギュギュとセルが回る音はするが、エンジンは始動しない。


「最悪だ」 呟かずにはいられなかった。スマホが使えない以上は、ロードサービスもバイク屋を呼ぶ事もできない。そして、この山の中では、歩いて街まで戻る事も絶望的だ。ましてや、バイクを押して歩くとなると、、、

草むらから聞こえる虫の鳴き声が、より一層に不安を煽り立てる様に感じた。


このバイクはこれまでも、何回も原因不明でエンジンがかからない事があった。突然、エンジンがかからなくなり、数日放置しておくと治ると言う症状で、バイク屋や車種専門店で何回も診てもらっていたが、原因は分からなかった。そのせいもあって、会社の先輩達には「呪われたバイク」などと嬉しくない名前で呼ばれていた。


少し時間をおいてから、軽くエンジンの温度が下がったのを確認し、航平は祈る様な気持ちで再スタートを試みた。ギュギュギュとセルが回る音は、どこか悲鳴にも似ていた。相変わらずエンジンに火が飛ばない。このまま続けていてば、バッテリーが上がってしまう。初心者の航平には、押し掛けをする技術は無い。ここでのバッテリー上がりだけは、なんとしても避けたい。


航平は車載工具を使い、目視でチェックできるところを組まなく確認した。先輩達のアドバイスもあり、車載工具に色々な工具を追加していたおかげで、ある程度の整備までは出来る様な準備は整っていた。もう一度セルを回す前に、異常箇所が無いかだけでも確認しておきたかった。


立ち往生してから、どれぐらい時間が経っただろうか。元々交通量が少ない道だが、今日は特に少なく感じる。立ち往生している間、一台も車が通っていないからだ。車が通ったら、電話を貸してもらおうと考えていたのだが、ここまで車が通らないとは思わなかった。不安や焦りも手伝って、嫌に時間を長く感じた。


そろそろ日が傾いてきた。木漏れ日がだんだんと暗くなり始めてきた。このままでは、あっという間に真っ暗になってしまう。時間を掛けて確認したが、当然のことながら異常箇所は見当たらなかった。

気温も下がってきていて、肌寒く感じる。このまま夜になったら遭難してしまう。航平はバッテリーが上がるのを覚悟で、最後のトライをする事にした。スイッチを押す前に、バイクに跨がりハンドルを強く握る。「本当に頼むよ」 切実な祈りを込めて、車体を前後に大きく揺らす。揺らす事に大した意味は無いが、航平にとってはおまじないみたいなモノだった。


「本当に動いてくれよ。おねがいだから」バイクに話しかける様に、強く願いながらスイッチを押す。ギュギュギュギュっと今までと変わらずセルだけが回る。心なしか、セルが回る音が弱くなってきていた。一度スイッチから指を離し、すぐにまたスイッチを押す。再び虚しくセルが回る音だけが響き、絶望感が航平を襲い始めた瞬間に、ドッっと火が飛ぶ音がした。その音を認識した瞬間には、ドッドドドドとエンジンが元通りに元気な音を奏でた。 航平は安心感と喜びで体の力が抜け、ヘナヘナとタンクの上に倒れ込んだ。うっすらと涙も溢れてきた。


アクセルを回すと、それに呼応して回転数が上がる。今までが嘘の様に復活した。「はぁ、良かったぁ」油断すると泣いてしまいそうな気分の航平は、また動かなくにる前に帰ろうと、いそいそとヘルメットとグローブを装着する。


これでエンストしたらシャレにならないとばかりに、アクセルを煽りながら、慎重にクラッチを繋ぐ。バイクはいつも通り走り出した。当たり前の事が奇跡の様にも感じて、航平はなんだか可笑しくなってきた。


山道を抜け、無事に街に着いた頃には、すっかり日は暮れていた。街灯の光を眩しく感じながら、家路を急いだ。昼食を食べ損ねたせいもあり、空腹を感じた。普段ならラーメン屋にでも寄るのだが、寮に着くまではエンジンを止めたくなかったので、真っ直ぐに向かう事にした。帰ったらビール飲んで寝よう。もう何もしたくない。そんな事を思いつつバイクを走らす。


航平がスマホが壊れている事を思い出し、再び絶望感を味わうのは、就寝の直前だった。

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バイクライフを楽しむお話 安斎仙狸 @hikaru900

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