障害調教

 土曜日。マイルチャンピオンシップの前日。ロドピスの休養も終えて調教が始まる。

 障害馬の調教は桜花牧場で育成専任の調教助手である赤見さんが行う。中央で乗っていた元障害ジョッキーのベテランだ。


 まず、障害レースの調教は障害物を覚えさせることから始まる。本番と同様の障害を用意し、馬をその障害の前まで連れて行って覚えさせる。これを何度も繰り返して怖くないことを教えてあげることが重要だ。

 次に角馬場でウォームアップ、その後角馬場内に設置してある低い障害物で飛越を行う。ここまでやって前準備が完了だ。


 本日の調教メニューは障害物三箇所の飛越と三ハロンの追いだ。といっても、メニューは直前週までほとんど変わらないんだけどね。

 調教馬場が見えるスタンドから赤見さんの調教を観察していると、首筋に温かいものが。そちらを向くと尾根さんがカップ入りのホットコーヒーを持って立っているではないか。


「珍しいところで会いますね」

「調教後のロドピスを献身しないといけないからわざわざこっちに来てんのよ。本島で調教しなさいよ、まったく」

「設備が違いますからねぇ……それに着地隔離があるので諦めてください」

「わかってるけど文句は言いたいもんなのよ」


 ズゾゾと音を立ててコーヒーを啜る尾根さんに苦笑いを浮かべ、視線をロドピスたちに戻す。ウォームアップを終えて飛越の練習に入るようだ。


「あら、えらく障害物の種類が少ないわね。もっと色んなものがなかった?」

「ありますとも。生垣、大生垣、竹柵ちくさく、大竹柵、水濠すいごう、グリーンウォール、バンケット、置き障害、坂路の全部で九種類」

「全部練習しないの?」

「中山大障害って中山の大障害コースで行われるんですけど、このコースって水濠が一つと竹柵が大を合わせても二つ、あとは全部生垣なんですよ。だから水濠と竹柵と生垣の三つ練習するだけでいいんですよ」


 当然、坂路の練習はまた別にあるわけだが、またそれは飛越の練習とは別のタイミングで行う。


「……案外やることは少ないのね」

「平地と比べると教えるという作業に注力しないといけない分根気がいる競走ではありますけどね」


 障害物を馬が怖がって適正なしの印を押さないといけないこともある分野なのだ。

 平地で勝てなかったから逃げるようなサブ分野では決してない。


「それに、障害競走は数が少ないですから一戦一戦の重みは平地より重いですよ」

「そうなの?」

「障害馬は一勝すればオープン馬、条件戦が未勝利しかありませんからね。強い馬同士が当たる確率は平地よりも多いです。だから障害G1で何勝もしている馬は本当に化け物級の強さですよ」

「あー、彼のことね」

「そうです、彼のことです」


 中山の覇者で世界で一番金を稼いだ障害馬の彼です。


「平地とはまた難しい世界なのねぇ……。ホースパークに馬術の馬がいるじゃない? あのこたちも障害馬なの?」

「いいえ、彼らはまた別の訓練を受けた馬たちですよ。障害レースと障害馬術は飛越の方法が違うので」

「へぇ。そうなのね」

「レースは加速したうえで適度な高さで飛越するのに対し、障害馬術は障害を崩さないように高く飛ぶので馬の学習能力では混在して覚えるのは難しいんですよね。不可能ではないんですけど」

「馬の世界も色々ね」


 尾根さんと雑談をしていると、本日のメニューを終えたロドピスが洗い場のほうへ向かっていく。


「さて、アタシも仕事するかぁ」

「異常があったら報告よろしくお願いしますよ。まぁ、赤見さんから日報もらいますけど」

「任せなさい。どんな異常も見逃さないわよ」


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