後編

6.

 それからのトゥルーとの旅も楽しかった。今まで「両親」という存在が絶対者だった私にとっては、見るもの知るもの全てが新鮮だった。しかし、これは旅だ。いくらその旅が目的のない放浪であったとしても、いつか旅は終わる。

 そのことを意識するようになったのは、彼女から「目的」を聞かされたことだ。私のように目的のない旅をする人間とは異なり、彼女には旅の目的があった。その目的とは「海に帰る」というものらしい。

 その言葉の意味が字面通りであるのかは「秘密」と言って教えてもらえなかった。その代わり、海に着いた時に彼女の秘密を教えてあげると約束された。私はそのことが嬉しかった一方、少し彼女との距離を感じた。

 

 秘密を教えてもらえるのは楽しみだ。ただ、この二人と触手たちによる旅も海に着けば終わる。私と彼女は別れて、特に意味もなく一人でこの終末世界をサバイバルしなければならない。時間が経てば経つほど、陸上にいる人間は滅びていくだろう。いつしか、私と彼女以外の人類が全て滅んでしまうかもしれない。そんな世界を、たった一人で目的もなく生きていく。それはとても苦痛であるように思えた。

 もしも、私も彼女のように目的があるのなら。それを頼りに私は生きていけるだろうし、いつか死ぬその日まで充実した日々を送ることができただろう。だが、私にそんなものはない。ないものを望んでも、突然湧いて出てくることはない。


 あるいは、目的がなかったとしても「帰るべき場所」があったのならそれでも良かった。私は彼女と別れた後に「帰るべき場所」に戻れば良いし、「ただいま」「おかえり」とやり取りをして、過酷な旅を語って聞かせることができただろう。だが、この世界は終末世界だ。両親は「永遠なる心中」をして死体になっている。

 第二の故郷を探そうにも、もう世界の人間のほとんどは死んでいるのだ。そんな都合のいい場所があるわけがない。私の帰るべき場所など、もうこの世界のどこにもなかった。私にはもう、「未来」を見ることができなかった。


 そんなある日のことだった。彼女が死体を食べている間、手の空いた触手たちとジャンケンをしていた。触手たちは発声器官がないので喋ることはないが、伸縮自在に動くことができる。なので、物理的にグーやチョキの「形」を作ることができるのだ。今の所は二勝二敗である。そろそろ彼女の食事が終わる頃合いなので、これで最後の一戦になる。


「最初はグー、ジャンケン……」

「パー」


 触手たちがグー、私がチョキ。完全に敗北を喫していたと思っていた所に、彼女のパーが加わる。予想外の結果に対して触手たちは彼女の頬をつついて不服を訴えていた。しかし、彼女の鋭い目で睨まれると萎縮すると、すぐに抗議をやめてしまった。私が代わりに抗議をしてあげようかと思ったが、なぜか異様なほど不機嫌そうだったのでやめておいた。とりあえず、触手たちに「続きはまた今度ね」と小声で耳打ちをする(触手たちに耳はないが)と、彼女にバレない程度に小さく頷いてくれた。密かに頬を緩める。


「……なんで笑ってるのー」

「なんでもないわ。天気が良いなーと思って、頬を緩めただけよ」

「……ふーん、まぁいいけど。今曇りだよ?」


 トゥルーは、私のミスに対して欠伸なのか溜息なのか分からない息を漏らす。口先を尖らせると、そのまま私を置いて先に行こうとする。普段は適当な癖に、こうやって不貞腐れると機嫌を直してもらうのが大変なのだが。まぁ機嫌を悪くしてしまったのは私なのだから、仕方ない。どうやって彼女の機嫌を直してもらおうかと悩みつつ、彼女に置いていかれないようにその背中を追った。



7.

 今回の不貞腐れは予想以上に長引いていた。触手たちの代わりに死体を食べさせてあげても、仮眠を取る時に膝枕をしてあげても、いつもより話題を振って話すようにしてあげても、全部が空回りだった。思い付くことは全てやった。尽くせることは全部尽くした。これ以上、どうすれば良いのか私には分からなくなっていた。

 

 仮にこれが逆の立場なら楽だったのにと思う。私が不貞腐れていて、彼女が尽くしてくれる。それだったら、私は彼女が「ごめん」と言ってくれたら一瞬で許しただろう。そうでなくても、翌日には不貞腐れていた原因すら忘れて、またいつものように彼女と接することができただろう。だが、現実は非情だ。不貞腐れているのは彼女で、尽くしているのは私なのだ。

 もしも、このまま彼女との関係性が戻らなかったらどうしようか。海に到着した時点で戻っていなかった場合、彼女の「秘密」も教えてもらえないまま、全てが中途半端で別れることになるかもしれない。私は目的もないまま、不完全燃焼の問題を抱えて意味もなく死ぬことになるかもしれない。ストレスで胃がキリキリと締め付けられる。

 こうなるぐらいなら、彼女との関係不和が起こる前に一人で死んでおけば良かった。あのホテルで出会った男性のように、「変化」が起こる前に死んでおくべきだったのだ。そうすれば、愛を永遠なるものにすることができた。このままだと、あの女性のように落ちぶれてしまう。意味の分からない存在として、愚かに死んでしまう。それは、それだけは嫌だった。どうにか、以前のように関係性を戻したかった。そのためなら、悪魔に魂を売っても良い。そんなことさえ思った。


 そんな風に悩む私を心配したのだろうか。触手たちが私を元気づけようとそのあたりに落ちている死体が持っていた時計やらネックレスを見せてくれたが、ファッションに一切興味がない私にとっては無用の長物だった。ただ、彼らの気持ちは嬉しかった。私はより一層、彼女へとアタックした。塩対応されてもめげず、時々めげてしまうことがあっても、その時は触手たちに励ましってもらったり爆睡したりして、なんとか精神を保っていた。

 しかし、何回も何回も彼女の不機嫌を直そうとチャレンジしても一向に直らない。それどころか、どんどんとトゥルーが不機嫌になっているように感じた。やり方が不味いのだろうか。もっと、貢ぎ物なんかを渡した方が良いのだろうか。どんどんと成り下がっていく日常に焦燥感を感じる中、段々と一つの手段が頭に過っていた。



8.

 ついに、海へと到着してしまった。本や映像の中でしか見たことがない世界だったが、こうやって現実で見てみると大分と印象が変わった。映像だと「広大な海!」と言われてもイマイチ実感がなかったが、地平線の果てまで続く広大な海を見ると、私たちが今まで歩いてきた陸上が酷くちっぽけなものに思えた。

 彼女は海まで一歩手前で足を止めると、そこに腰を落ち着けた。そうか、そうだった。ここで私たちは「お別れ」するのだったと思い出す。悲しそうな様子の触手たちについ私まで悲しい気持ちになっていると、プイッと不機嫌な彼女が振り向く。


「これで私の旅は終わりなんだけどさー。……約束だからねぇ。秘密見せてあげようか?」

「見たい。見たいけど、その前に言いたいことがあるの」


 久しぶりに顔を合わせてくれたトゥルーは、相変わらず美少女だ。背中から生えている触手たちも可愛い。私は今までの旅の記憶を振り返ると、深呼吸をして息を整えた。


「……私と、してくれませんか」


 唐突なことであると分かっていた。だが、秘密を教えてもらったらそこで私たちの関係性は打ち切りだ。直感として、秘密を教えてくれたら、すぐさま彼女はどこかへ消えてしまうという感覚があった。ここを逃せば、もう告白するシーンはなかった。もちろん彼女は戸惑うと思った。こんな唐突な告白なんて、冗談だと断られてしまうとしまう可能性があった。

 それでも、彼女との日々がそうではないと言っていた。彼女は私を「おぞましい」と表現した。私は今でもその評に対しては不服ではあるが、そう思ってもなお、彼女は私と一緒にいてくれた。おぞましいと思う私のことを許容してくれた。だったら、きっとそんな彼女なら許容してくれる。心中ぐらい許容してくれる。そう、信じていた。信頼していた。しかし、現実は非情だった。彼女は私に近付いてきて頭を撫でると、首を横に振った。


「君の気持ちは大いに分かるよぉー。でもね、君と私は違うんだよねぇ。別の生き物なんだ。私は頸動脈を切っても、心臓を貫いても、あるいは深海の奥で。そんな簡単に死ぬことができないんだよ」


 彼女は私に背中を向けると、突然海の中に飛び込んだ。何事かと揺らぐ海面を覗き込んだが、彼女の姿が揺らぎはじめていた。ただの人間の姿から、どんどんと身体が緑色に染まっていく。どんどんと身体が大きくなっていく。やがて完全に変化し終えると、そこにいたのは絵本でしか見たことがないような緑の「悪魔」がそこにいた。

 トゥルーは陸上にいる私を見下げると、蟻でもつまむようにして私の裾を掴んだ。口元でうにょうにょと動く触手のような器官が私のお臍のあたりを撫でると、ピリリと身体に痺れが走る。そのまま、巨大な掌の上に載せられる。

 その人間離れした肉体はまさに絵本で「おぞましい」と表現されている容貌をしていた。これは多分、世間一般の人間にとっては「おぞましい」ものなのだろう。

 私は見下げてくる彼女の目を見つめ返すと、笑みを見せた。


「本当にすごいわね、トゥルー。どうして最初から人間じゃないことを教えてくれなかったの?」

「……別に、さっさと君にこのことを教えても良かったんだよー。隠すようなことじゃないし、敵対されたら殺せば良いしねぇ。でも、私の姿を見た時と同じ”発狂”を引き起こす兵器……オトガデールを使ってもなお、狂わない君に驚いてね。どうせ君以外の人間の大半は眷属のお手伝いで滅ぼし終わったことだし、急ぐ理由もなかった。だから、暇つぶしみたいな気持ちで旅をすることにしたんだよぉ。……最初は」


 彼女は私の頭を指先で撫でると、広大な海の方を見た。


「でも、死体を見ても平然としていてさぁー。なぜか触手たちにも気に入られている姿を見ていたら、私の心もちょっとずつ変化してきてねぇ。踏み潰せばすぐに死に姿を見れば発狂する。その程度だと思っていた生き物にも、こういう変な個体がいるんだなぁと思ってねぇ。……ちょっと好きになってしまったんだよ」

「じゃあ、私と」

「だから、心中は無理だってー。生命力が違いすぎるし、なにより私は心中ってものに意味を感じていないからねぇー」

「だったら……せめて、私を食べてくれないかしら。それだったら私は今のまま死ぬことができるし、いつかトゥルーが寿命なのか事故死なのかで死ぬ時には、血となり肉となっているんだから概念的心中ができるでしょう? どうかしら」


 彼女は目に見えて分かるほど渋い顔をしていた。私だってその気持ちは分かる。きっと私が先に死んでしまう心中という形に、どこか違和感を持っているのだろう。だが、彼女も言ったように私と彼女は違うのだ。全てが違う。種族が違う。寿命が違う。だったら、心中だって人間同士の規定に縛られたものではなく、もっと自由な心中をするべきなのではないか。ように好きな心中をするべきなのではないかと思うのだ。やがて彼女は私の方を見ると、欠伸をもらした。


「……分かった。私はその心中というものに意味を感じることができないけど、君がそれを望むならやってあげるよぉー。でも、本当に後悔しないのぉ? 確かに君が死ねばその愛は永遠になるかもしれないけど、私はまだ数万年は生きる予定だしさー。その間に愛が冷めてしまうかもしれないよぉー?」

「冷めないよ。私が死んでも信じている限り、その愛は消えたことにならない。私の肉体がトゥルーの血となり肉となったら、絶対に死んでも忘れさせないから。ね?」

「……やっぱり君は、変なやつだよ。そういう所が好きなんだけど」

「ありがとう、トゥルー。私も大好きだよ」


 彼女の触手のようなうにょうにょに一生分のキスをすると、彼女は私の服の襟を掴む。大きく口を開けると、私の肉体は彼女の中へと落ちていく。

 人間じゃない生き物の肉体に入ったのは初めてだったが、その中は案外にあまり変わらない。いや人間の身体の中に入ったことがないので比較はできないのだが、多少内部が緑な程度だった。

 やがて、彼女の胃腸まで転がっていく。そこにはしゅわしゅわと音が鳴る胃液があった。この中に飛び込めば、私は死ぬ。彼女の一部になることができる。予想される痛みに鼓動の高鳴りを感じると、私は飛び込んだ。皮膚が焼けるような痛みが身体に走る。私は痛みに打ち震えたが、彼女の胃液は容赦なく私を溶かしていく。痛い、とても痛い。だが、その痛みこそが彼女と私の愛の象徴に思えた。この痛みこそが、彼女と私が永遠になる試練だと思った。私は彼女に包まれていた。私の肉体は彼女に犯されていた。私の子宮を擦り、全てに肉体に彼女は痛みというキスをしていた。快感が迸る。彼女と愛を育くんでいる。その感覚を激しく肌で感じていた。

 

 意識がブラックアウトした。思考することもできなくってきて、ただ彼女と私が一体化していることだけを感じる。完全に思考ができなくなる直前、私は深海の奥深くにある神殿で眠る彼女の寝顔が見えたような気がした。

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永遠なる死体心中 海沈生物 @sweetmaron1

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