第29話 「外で済ませて」の意味

 独占欲が強いのだろうなと感じたことはあるが、ここまでとは思わなかった。自分の息子に嫉妬するほどとは、びっくり仰天である。

「そうですかね。案外いますけどね、子供よりも自分を愛して欲しいっていうおこちゃま夫って。まあ、それだけ自分に自信がないんでしょうよ。」

 笑いながらジンジャーエールで喉を潤す真北は、近くを通った若い店員におかわりを注文した。

 カフェオレに口をつけながら、梨央は小さく息をつく。

 先日のバス停での言い合いから、真北に言われて夫ともう一度、いや、二度も三度も話し合うように言われた。

 あれから、毎晩のように丈晴が寝てから夫と対話を繰り返すようになり、今は夫婦関係を修復している真っ最中だ。

 離婚は嫌だと繰り返すだけの夫は、うまく自分の感情を表現できないようだったが、回数を重ねるごとに、少しずつ変わってきている。梨央を侮辱する暴言の数々にもしっかりと謝罪し、二度と言わないと約束した。言われた妻の心情がいかに辛いものだったかを吐露した梨央に、泣きながら頭を下げた。

『酷いことを言われればますます心が離れるのに。自分がされて嫌なことは相手にしちゃいけないって、習わなかったの。』

『愛情があれば、何を言っても許してくれるもんだと思ってたんだ。・・・でも、そうじゃなかった。好きだからこそ許せないこともあるんだって、思うようになった。』

 勘違いも甚だしい。愛が有るから許すのではない。許容できる態度だから愛情を持って接する事が出来るのだ。長く一緒に入れば恋愛感情も薄れて、ただの家族となる時もある。”恋は盲目状態”では無くなった時、に相手の立場や気持ちを考えて行動できるかどうかが大切なのだ。

「それで、今後どうするかの結論は出そうですか?」

「まだ、手探りな感じです・・・。ただ、以前ほど別れたいとは思わなくなりました。幸人が、夫がどこまで変われるのか、それを見てからかな。」

 職場に隣接するカフェはランチタイムを過ぎて空いている。客も疎らな店内は静かだった。地方都市の商業施設、平日の昼間なんてこんなものである。

 越してきたばかりの頃は、それがなんだか空虚な気がしていたけれど。

 パートとは言え職を得て、この場所に少しずつ愛着を持ちはじめた梨央には、その閑散とした様子も悪くないと思えるようになった。都心の喧騒とはまた違う良さが有る。

「そのように、史帆さんには伝えておきます。」

「はい。また明日から東京に?」

「ここから通うのは中々大変なので。毎日定時の仕事ってわけじゃないからどうにかなりますが。」

「倉田さんのおうちは中々居心地が良さそうでしたけど。」

「だから困るんですよ。」

 真北が快活に笑う。それにつられて、梨央も笑ってしまった。

「本当に史帆にも、真北さんにもお世話になって・・・どうお礼をしたらいいか。」

「いいんですよ。史帆さんもお姉さんの事理解出来てよかったと思ってると思います。これからも、どうぞよろしく。」

「こちらこそ。」

 綺麗で若くてカッコイイ、イケメンの真北薫。彼女が、元劇団員で、離婚経験者だと知ったのはついこの間の話。実は年齢も梨央と同じだった。

 そして、ずっと男っ気のなかった妹の、内緒の恋人なのだということも。

 知らなかったことが多すぎる。幼い頃から知っていたつもりの妹のことも、全て理解したつもりで結婚した夫のことも。セックスレスなんかよりも、その事の方が今はショックだった。

 そういう意味では、”外で済ませて”と言われたことは、やはり意味があったような気がする。

 見納めになる端正な横顔を見つめながら、そんな風に思った。


 

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外で済ませて。 ちわみろく @s470809b

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