第6話 海辺の少女(6)

 *このエピソードには「玉藻たまも姫騒動」の話があります。『荒磯の姫君』シリーズの結末の一部がわかってしまいますので、ネタバレを避けたいかたは『荒磯の姫君』シリーズを先にお読みくださいませ。

 『荒磯の姫君(上)』

https://kakuyomu.jp/works/16816700426904751796

 『荒磯の姫君(中)』

https://kakuyomu.jp/works/16816700428592930275

 『荒磯の姫君(下)』

https://kakuyomu.jp/works/16816927860288308656



 夏弥子かやこが言う。

 「江戸時代には岡平おかだいら藩ってこのあたりじゃ豊かな藩だったらしいんだけどね。いまの駅の向こう側にお城があって。けっこう立派なお城だったらしいよ。いま城跡って小さい公園みたいになってるのはほんの一部分で、お城本体部分はその向こう側の竹やぶとか畑とかの下なんだって」

 駅からここまで、昨日、タクシーで十分以上かかった。昔もいまも、このあたりは辺境らしい。

 夏弥子が合流してから道は上り坂になっていた。

 「じゃ、明治になってから?」

 「いや、その前に玉藻姫たまもひめ騒動っていうのがあってね」

 夏弥子は話し続ける。

 「相良さがら讃州さんしゅう、まあ本名は易矩やすのりっていうらしいんだけど、そんな名まえの家老がいてさ、それが藩主の家を乗っ取ろうとして、藩主に毒を盛って殺してさ、その罪を、その藩主の女の子の玉藻姫ってお姫様に押しつけちゃったわけ。で、そのお姫様はお城を逃げ出したんだけど、行くところがなくてさ。最後は街道沿いの松で首をくくって死んでるのが見つかったいうんだけど、ひどい話だよね」

 陰惨な話だと思う。

 そんな話も、こんな明るい朝、せみの鳴きやまないなかできくと、やっぱり別世界の話に聞こえる。

 「それで?」

 みちるがきいた。

 「でも、けっきょく、その相良讃州って家老のやったことが幕府にばれちゃってね。讃州は覚えがないって一点張りで、それで幕府によけいに悪い印象を持たれちゃったみたい。で、讃州は切腹、藩は取りつぶしにはならなかったけど、それ以来、なんかぱっとしなくなっちゃってさ」

 夏弥子が熱心に話すのを房子ふさこがきいて、笑った。

 「夏弥子ってほんと歴史好きだよね」

 「いや、歴史が好き、っていうよりさ、郷土史、っていうのかな、このあたりの昔のことを調べるのが好きなんだよね」

 夏弥子もにこっと笑う。

 「で、その讃州に追われていた玉藻姫っていうお姫様をかくまったのが、相瀬あいせっていう、唐子浜出身の若い女の人だったっていうんだ。お姫様をかばって、その悪い家老と対決したって。まあ、かばいきれなかったんだけど」

 「それで、その相瀬って人、どうなったの?」

 「さあ」

 夏弥子は首を振った。

 「それがよくわからなくて。うちのおばあちゃんは、家老に逆らったんだからもちろん殺されたんだろう、って言ってるし、わたしもそうじゃないかな、って思う」

 「そうなんだ……」

 さらに悲惨すぎる、と思う。

 その相良讃州って人が野心を持ち、藩主が殺され、藩主のお姫様が死に追いやられ、讃州自身も切腹、そして讃州の野心を阻止しようと身をなげうった相瀬っていう若い女の人もたぶん殺された。そして、藩は没落……?

 何もいいことなんてない。

 「あ、あのさ」

 房子が気後れがちに言った。

 「いまの話さぁ、唐子からこの浜と町以外ではしないほうがいいよ。とくに学校でしたりしたらだめだよ」

 「え? どうして……」

 みちるが細い声で訊き返す。房子と夏弥子は顔を見合わせた。房子が、ためらってから、言う。

 「相瀬が英雄扱いなのは唐子の浜と町でだけだから」

 「それにさ」

 夏弥子が房子に続いて言う。

 「江戸時代の中ごろって、どこでもそうだけど、岡平藩も財政危機っていうやつでさ、藩政改革っていうのをやってたわけ。で、相良讃州って家老、昔から悪者ってことになってたんだけど、最近はさ、その藩政改革を推し進めた中心人物、ってことで、なんていうの、プラスって評価する人が出てきてるわけ」

 「うん……」

 みちるにはよくわからなかった。

 そうかも知れない。

 でも、やっぱりその相良讃州が悪い家老で、お姫様や殿様を犠牲にしてわがまま勝手をやり、ついに自業自得で切腹に追いやられたというほうが収まりがいいと思う。

 「ま、いろいろ複雑なんだから、学校でその玉藻姫騒動の話、しないようにね」

 房子が念を押すように言う。

 「うん」

 「いなか」のことだから、何か口に出せない複雑な事情があるのかも知れない。

 せっかく別世界に来たような気分になっていたのに、その気分に水を差されたようだ。

 坂を上りきり、車が普通にすれ違えるくらいの幅の道路に出る。学校はここを左に曲がって少し行ったところだ。

 みちるはここまで歩いて来た道を振り向いて見た。

 村の上に少しだけ海が見えた。

 岬が見えている。それは、今朝、というより、さっき、みちるがいたあたりだろうか。

 思ったより遠くまで歩いて来たと思う。

 そして、そのずっと向こうに、青い海のなかで白い波がかたまっているところが見える。その波立っているところのまんなかに小さい島があるようだ。

 みちるは、何かに惹かれるように、自分が新しく住むことになった海辺を見ていた。

 その海からの風が、二つにまとめた髪の房を揺すり、制服を波打たせて吹き抜けた。

 「ほら、学校こっちだよ」

 房子が声をかけた。みちるが学校の場所を知らず、反対方向に行ってしまいそうだとでも思ったのだろうか。

 「あ、うん!」

 みちるは小走りに走って房子と夏弥子に追いついた。

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