第三話 バクバクムシャムシャ

 ――突然、部屋が白光に包まれた。


 激しいがとても優しく、暖かな光。

 それはミナト以外の全てを勢い良く包みこむ。


「ギャアァウッ!」


 突然の光に怪物は情けない声を出し、仰け反りながら目を瞑った。 

 しかし、瞼の裏にまで張り付く様な煌めきは怪物の視力を奪う。


「グガアァア」


 ――やられた。


 完全な油断。

 もう打つ手など存在しないとばかり勘違いしていた。

 圧倒的に不利な状況だった筈だが、ミナトははやってのけたのだ。


 怪物は無様な声を出した事を恥じ、呻き声を出す。

 今頃、自分が罠に掛かったのを見て嘲笑っているに違いない。 

 そう判断した怪物はプライドを傷つけられたと、湧き上がる怒りを抑えられなくなる。


「グルルッ、ガアアァアアッッ!!」


 こめかみに血管を浮き出し、唾を撒き散らしながら吠えた。

 今すぐにでもあの少年の首筋を噛み千切ってしまいたい。

 しかし未だに光が収まる気配はなく、怪物は目を開けられそうにもなかった。


 ――だが、怪物には人間と違い尻尾がある。


 トドメをさす為に尻尾を振り上げた怪物。

 そして記憶を頼りに、ミナトがいた位置に向かって一切の躊躇なく振り下ろし――、


「……?」


 ――その時、怪物は奇妙な感覚に震えた。


 尻尾の感覚が無くなり、全く力も入らなくなってしまったのだ。

 まるで、その部位がそもそも存在しなかったかの様に。


 怪物は自身に何が起こったのかを確認する為、顔を後ろに向けて薄く目を開けようとする。


「――ッ!?」


 ――目が開かない。

 いや開いている。開いている、筈だ。


 だが全く何も見えない。何の感覚もない。

 あまりにも現実離れした状況に、怪物は酷く混乱し始める。


 一種、尻尾や目が潰された可能性が脳裏をよぎったが、痛みが無いので即座に否定した。

 どちらにせよ、このままでは気が狂ってしまう。


 怪物はこの状況を一刻も早く終わらせる為、根本の原因であろうミナトを食い殺そうとする。


 ――何をされようとも、自身の勝利は揺るがない。


 怪物は深い孤独感を打ち消す様に、そう自分に言い聞かせた。

 そう、何も心配はいらない。相手は格下の餌代わりなのだから。


「――――」


 怪物は自らを鼓舞する為に咆哮をあげようとした。

 だが、声が出ない。いや、聞こえないのか。


 次第に何も理解できなくなっていく怪物は、じりじりと恐怖を心に蓄積していく。

 そして気づいた時にはもう、立っているのか倒れているのか、もはや自分自身で判断がつかなくなってしまっていた。


 そう、何も分からなくなっていく。何もかも――。



               ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎




 部屋が白光に包まれた瞬間、ミナトはぼんやりとだが意識を取り戻した。


(なん、だ………?)


 ぬたりとした暖かさを感じ、目をゆっくりと開くが何故か眩しさは感じなかった。


 そして、目の前の惨劇に目を見開く。


「――っ」


 ――怪物が、白光に喰われている。


 比喩でもなんでもなく喰われているのだ。

 喰っている音も出さず、血飛沫も出さず、ただゆっくりと。


 光が怪物に纏わり付き、蝕んでいく。

 最初に尻尾が、次に目玉、喉、耳、頭、最後に胴体が消失していった。


 あまりの惨さにミナトの背筋は凍る。


 そしてこの光の暖かさも、優しさも、全て不気味に思えた。

 ここから逃げるにしても体は動かず、四方八方は光に覆われている。


 完全に詰んでいるが、既に死への恐怖は無かった。


(もう、終わりか)


 人間、自死は進んで行えるが、他人から殺されるのはどうしても恐怖を抱くものらしい。

 でもこれで最後だ。


 血がどくどくと流れていき、やっと取り戻した意識が混濁していく。

 そして視界が白く染まるにつれて後悔や痛みが薄まり――、


「ぁ?」


 ――瞬間、目の前で光が球体状に収束した。


 その握り拳ぐらいの大きさの球体の中心には、"スマホ"があった。


 ミナトが理解する間もなく、それがひび割れていき、中身の金属がまるで液体のように染み出してくる。

 そして、ミナトが流した血がゆっくりと光に吸い込まれていくと、その金属と混ざり合った。


「ぐあっああぁああ!!!」


 ――突如、ミナトに激痛が走る。


 それこそ飛びそうな意識を呼び戻し、瀕死なのに絶叫してしまう程の。


 痛みが訴える箇所を見ると、血と金属が混ざり合った藍色の"何か"が、ミナトの胸にべっとりと貼り付いていた。


 凄まじい不快感だ。

 故に取り除こうとした瞬間、今まで意識しなかった胸の奥に、その"何か"が入り込んでくる。 


「ぁあ、あっ」


 どんどんと染み込んでいく。広がっていく。

 熱さも冷たさも感じない。


 しかし、自分自身がこの"何か"に包み込まれ、作り替えられていくような感覚があった。

 その感覚に耐えきれずに胸から引き抜こうとするが、もう体に力が入らない。


 だがそれでも掻きむしっていると、漸くその何かはミナトの胸から離れていく。

 そして今度は光の球体の表面に纏わり付くと、円環を成しながらゆっくりと混ざり合った。

 ひとしきり混ざると再度変形し、幾何学模様が刻まれた藍色の金属球が空中に生成された。


(こ、れは……?)


 激痛で意識を引き戻されたミナトは、ただただ困惑する。

 突然の激痛が走った後に生み出された謎の物体。十分に理解するには、まだ情報が足りなさすぎるのだ。


 ――また、いつ襲ってくるか分からない。

 そう警戒しながらも、藍色の金属球を何故か自分の体の一部であるかのように感じていた。

 そして突如、金属球が勢い良く震える。


(な、なんだ…?)


 ミナトが警戒した矢先、それは胸に勢いよく飛んでくると音も無く消滅した。

 突然の出来事に呆けていると――、


「なっ……! なんだこれッ!!」


 直後、体の中から溢れんばかりの力が湧き出てくる。

 同時に傷が塞がっていき、全身から白光が立ち昇った。

 加えて今なら何でもできそうな万能感に包まれ、思わず叫んでしまうミナト。


 ――だが、それは一瞬だけだった。


 自らの体から迸る白光が収まった後、どっと押し寄せてきた疲れで、その場に座り込んでしまう。


「はぁッ……」


 ミナトの溜息が何も無い殺風景な部屋に響く。


 いきなり怪物に襲われて殺されかけ、激痛が走ったかと思えば、謎の球体が出現した。

 それが胸に飛び込んできたかと思えば、突然胸に消えていき、その後に力が湧き出て完治したのだ。

 あまりにも非現実な出来事の連鎖。ミナトが疲れない筈がなかった。


「とりあえず、俺は生きてるのか」


 心の底から生きててよかったという安心感はない。

 あのまま死んでいれば、きっと楽になれただろう。

 だが今、生きている。


 それだけは覆す事が出来ない事実であった。


「――さて、どうするかな」


 ミナトは左腕が動くことを確認しつつ、今後どうしていくのかを天井を見ながら考えていた。


 こんな危険な場所にいつまでも居る訳にはいかないだろう。

 しかし下手に動こうものなら、また怪物に出会ってしまうかもしれない。

 なんとしても早く地上に戻らなければ。


「とりあえずこの部屋から出るか」


 こんな殺風景な場所でじっとしていても仕方がない。

 腹を決めたミナトはすっと立ち上がると、服に付いた埃を払う。


 そして扉に向かう途中、あの力が湧いて出た感覚をふと思い出した。

 ミナトはあの独特な高揚感を忘れられず、思わずフラフラとした足取りになってしまう。


(もう一度あの感覚を……いや違う。早く、早く戻らないと)


 湧いて出た邪な考えを押し殺し、ミナトは歩み続ける。

 その目は、もはや人間のものではなかった。

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ダンジョン・イン・アナザーワールド 風ビン小僧(カラビンコゾウ) @krbpkp17

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