雪月花物語

雨瀬くらげ

雪月花物語

「あのオリオン座の下でまた会おう」


 世界を終わらせた《大災害》が起きてから早いことにもう十一か月が経つ。


 私――松島月は人類生存可能地のひとつであるミンタカ地区で避難生活を送っていた。「まだ」と言っても当分は元の生活に戻れないことがわかっている。私が生きている間には絶対に復興できないだろう。百年、二百年、きっとそれくらいの歳月がかかると思う。


 この《大災害》で多くの人が死んだ。SNSなどの情報ネットワークは崩壊。全く外部の情報がわからない。それ故に、世界での死傷者数は未だ不明である。


「次の方どうぞ」


 いつもの配給員。この避難所で働く大伴律というおじさんだ。言葉遣いが丁寧で、明るい正確なので避難所の人たちみんなから愛されている。


 気が付いたら、自分の番が回って来ていたようだった。


「栄養バーください」

「はいよ」


 幸いにも、この地区には綺麗な水が豊富にあった。おかげで飲み水にはあまり困っていない。問題なのはやはり、衛生面。一年間テント暮らしで、風呂も毎日入れない。風呂と言っても、簡易的に設けた水浴び場だが。


「あ、月ちゃん。新聞が久しぶりに入荷してるよ。どうする?」

「え、ください!」

「じゃあ、切符出してね」


 私は急いでボロボロの財布から娯楽切符を一枚だし、おじちゃんに渡す。目的の物を受け取ると、例を言うのも忘れ、自分のテントに戻った。


 新聞はミンタカ以外の地域の情報を得る唯一の手段だった。記者が様々な地域に足を運び、その場所のことや《大災害》の現状のこと書いていたりする。記者の数が少ないし、どこに行くにも徒歩しかないので、制作ペースが遅く、だいたい一か月から二か月に一部発行される。


『極寒のクリスマス到来』


 という、大見出しが目に飛び込んでくる。


 そうか、もうクリスマスか……。『約束の日』が近い。


 私はリュックサックの中から一枚の写真と桃色の鉱石を取り出した。写真には私を含む三人の女子の笑顔が映った、《大災害》以前の写真。そして、鉱石はオリオン座の方向を示す光線を薄っすらと放っている。


 この鉱石はもともと三つあった。写真に写っている長い髪の子、天橋雪が見つけたのだ。それを私、雪、もう一人の宮島花と分け合ったのだ。


「私たち三人の友情の印だよ」


 あの頃は毎日が楽しかった。日々が輝いていた。光る石だなんて、よく考えたら不気味なのに、そんなことも気にならないくらい三人でいることが幸せだった。


 《大災害》発生による避難が始まって、私たち三人はそれぞれ遠く離れた別々の場所へ行くことになった。


「クリスマスの夜、オリオン座の下でまた会おう」


 そう約束をして、私たち三人は別れた。


 その約束の時がもうすぐそこまで迫っていた。


 私は再びテントの外に出て、川まで向かう。ミンタカ地区の人間は皆、この川の水を飲み水として利用するのだ。お昼なら多くの人がいる河原だが、夜ということもあってか人数は少ない。私は持参していた水筒で川の水を掬い上げる。中身が透き通るような綺麗な水で一杯になったことを確認して、蓋を閉めた。


 テントに戻ってリュックサックにその水筒を入れる。先ほど配給で貰った栄養バーも空いている隙間に詰めた。マッチも内ポケットに収納し、テントの上部に吊るしていたランタンを手に取る。


 桃色の鉱石でも十分な光量だが、夜道を歩くには昔ながらのランタンの方が周りを見やすい。そうだ、鉱石も忘れちゃいけない。これからの旅で一番大切なものだ。


 他に詰め忘れがないかも確認したいので、水筒や栄養バーも一度取り出してリュックサックの中身を空っぽにした。


 写真、鉱石、マッチ、水筒、栄養バー、コート、寝袋、方位磁石。忘れ物はなさそうだった。後はテントを畳めば問題ない。


 最後の作業を始めると、うるさくしてしまったのか、隣のテントにいた同い年の少年である天楽が顔を覗かせる。


「え、どうしたの。なんでテント畳んでるの?」


 彼は目を丸くしてそう尋ねてくる。それもそのはず。今の世界では避難地区の住人が協力しなければ生活できない状況なのだ。それなのに、この地を離れようとする行動を取っているのだ。驚かれても仕方がない。


「私、旅に出るの。会いたい人がいるから」

「いやいや、馬鹿だろ。こっから一番近い避難所まで寝ずに歩いても二日かかるんだぜ? 今、外がどんな状況かお前わかってるだろ」

「わかってるよ。でもいいの。私は行く。今までありがとうね」

「おいって」


 彼と話している間にテントを畳み終わり、出発の準備が整う。


「じゃあね」


 私の行動に呆れたのか、彼がそれ以上止めることはなかった。異端者に構っている余裕などないのだろう。この地区に来て彼とも色々あったが、その思い出を懐かしむよりも旧友との約束の方が私は大切だった。


 リュックサックから鉱石を取り出し、光が射す方向へ進む。避難所を囲む森の中をランタンで足元を照らしながら歩き進めた。


 森を抜けると廃墟街か荒野かもわからないほど荒んだ景色が広がる。かつての美しい景色はもうない。全ては《大災害》のせいだ。この景色を見ると、本当に百年、二百年で復興できるのか怪しく思えてくる。まあ、復興できたとしてもその頃私は既に死んでいる。気にしてもしょうがない。今は雪や花と再開することだけを考えよう。


 あの少年が言って最寄りの避難所・ニラム区に雪はいる。さらにその近くの避難所・アルタク区にいるのが花だ。


 離れ離れにはなったが、決して遠い距離ではない。必ず再会できる。私はそう信じていた。


 廃れた大地を一歩一歩踏みしめる。


 人がいない世界というものは一年前までは考えられなかったほど静かで、耳に届く音は風の音と自分の足音くらいだった。動物も植物さえも生きられない世界。まるで闇の世界のように無音だ。


 避難所の外に出る時、本当はガスマスクと防護服を身につけなければならない。汚染された場所に普通の格好で入ると、段々と内臓が蝕まれていきやがて死に至る。


 それを知ってでもなお私は行く。


 雪も花も来る。


 死ぬと言ってもすぐではないのだ。寿命は一週間ほど。それだけあれば再会するには充分過ぎる。それに、再会した後もこんな世界じゃ話題はすぐに尽きてしまう。でも一週間という期限ならちょうどいい。三人がそれぞれ話し尽くして、満足した状態で終わることができる。


 最後の時まで、【あの楽しかった日々】をもう一度だけ味わえる。


 そう信じて私はこの土地で二回夜を過ごし、鉱石が発する光線が真っ直ぐ上空を射す場所まで来た。


 今まで歩いてきたところを見渡せるほどの丘の上。


 この場所がオリオン座の下で間違いなかった。


 私以外に人はいない。きっと二人はまだ到着していないのだ。早く会いたいが、ここまで来たなら焦ることはない。待っていよう。足も痛いし、二人が来るまで休むのが良さそうだ。


 大きな岩に腰を下ろすと、だんだん意識が遠のいてきた。


 ふと、自分が寝てしまっていたことに気がつく。私は慌てて体を起こして辺りを見渡す。ここに着いた時と同じで暗いままだ。それほど時間は経っていないようだ。いや、そうとも言い切れない。ほぼ休まずここまで歩いてきたのだ。その疲れもあって、丸一日寝込んでしまっていたという可能性もある。


 雪も花もまだ来ていないようだった。


 ちょっと遅い気がする。二人に何かあったのだろうか。


 私はこれ以上待ちきれなかった。雪のいるニラム区はすぐ近くのはずなので、迎えに行こう。


 立ち上がるために足に力を入れようとするが何だか上手くいかない。痺れているという感覚とは違うがそれに近い。全く足に力が入らない。そもそも体を起こしているのが精一杯で、身体中に力が漲らないのだ。


 そんな状態で立ち上がろうとしたせいで、重心を上手く移動できずにバランスを崩してしまう。体が地面に叩きつけられ、痛みを感じる隙もなく私の体は転がり始めた。


「え、嘘!」


 丘の上から転がり始め、どんどん加速していく。荒れた地面はコンクリートのように硬く、私の体を痛めつけていた。せめて草が生えていればと馬鹿げたことを考えてしまうほど、気がおかしくなりそうだった。少しでも冷静になろうという理由と目を開けたままだと酔ってしまいそうという理由で私は目を閉じる。


 体の痛みが治まってきた時に、転がり終えたことに気がついた。顔に付いた砂を手で払いながら目を開けると、そこには花と雪の姿があった。


「月、気がついた?」


 そう声をかけてくる彼女達に気がついた瞬間、私は勢いよく上半身を起き上がらせた。あれだけ坂を転がり落ちたのに、不思議と痛みはもう感じない。


 髪を高い位置で一つ結びにしている男勝りな雪。ふわっとしたボブで、いつも眠たそうな花。去りし日と変わらない姿の二人に私は抱きついた。


「おお、どうしたんだよ急に」


 そう言いながらも雪はしっかりと私を受け止めてくれた。


「会いたかった。会いたかったよ本当に」


 目は大粒の涙が溢れ開くことができない。頬を伝う涙は花がハンカチで拭ってくれた。


「私たちも会いたかったよ」

「実は、私と花はちょっと前に再会しててさ。早く月にも会いたいって話してたんだ」

「でも月のペースに任せて、私たちは待っておこうって話してたんだよね」


 私は潤んだ視界でどうにか二人の輪郭を捉える。


「え、ずるい。私も早く会いたかったのに」


 頬を膨らませながら、雪と花と手を握った。雪は空いている方の手で頭を掻く。


「そうは言ってもなあ」

「まあ、良いじゃない。こうしてオリオン座の下で会うっていう約束も果たせた。それにこれからはずっと一緒だよ」

「ずっと一緒?」


 妙な違和感に、私は思わず聞き返す。


「そう、ずっと一緒」


 花はそう答え、握り合う手の上からもう片方の手を重ねた。


「月は美しく生きたんだ。だから迎えに来た」

「美しくだなんて、そんなあ」


 また雪がふざけているのだと思い、私は謙遜した素振りをして見せた。しかし雪は至って真面目に続ける。


「本当だよ。こんな世界で美しく生きた。月も私たちも最高に綺麗だよ」


 その言葉で大方、今の自分の状況を察することができた。それにも関わらず、私は冷静だった。坂から転げ落ちた時の方が取り乱していた気がする。


 それでも二人に再会できた。その喜びが今、私を私たらしめていた。


「さあ、おいで。久しぶりの再会なんだから。飽きるまで語り尽くすよ」


 立ち上がった花が私の体を引っ張り上げる。それに合わせて、雪も腰を上げた。


 どれだけ世界が廃れようと、私たち三人が揃えばその空間は輝く。


 それはまるで闇夜に輝く小さな星のように。

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