移眠の子

嶌田あき

移眠の子

 俺の卒業式の翌日が、人新世の終わりの日。そう決まっていた。

 自転と公転の周期が同期する〈潮汐ロック〉のせいで、俺たちの住む街にはもう日が昇らない。地球はいつでも同じ面を太陽に向けているからだ。昼半球と夜半球ができ、世界は混沌としていた。

 俺のばあちゃんは朝焼けを見たことがあると言っていたから、たぶんこの50年とかで起こったことだろう――よく知らない。詳しいことを知ってる大人は、ほとんど別の星に移ってしまった。

「ねぇ、蛍くん。私と一緒に寝てくれない?」

 夜の理科室で先輩がくくくと笑った。いつものとおり少しの迷いもない、透き通った声。

「それ先週も聞きましたけど」

 さくっと断ると、先輩は長い髪を耳にかけ八重歯を見せてニマニマと笑った。

「けち。いいじゃん減るもんじゃなし」

 それが2コ上の先輩が言うことか。

「俺の尊厳が減るんですって」

 俺はとびきり面倒くさそうな声で応えた。彼女は動じない。

「今度は上手くいくと思う。ねぇ、お願いっ!」

 そう言って深々とお辞儀をする。

 長い髪がしゅるりと垂れ、毛先が床につくかつかないかくらいのところで顔を上げ「一生のお願い」とピンク色の舌をちょこんと出した。ずるい。絶対ずるい。もう何生目だよ。俺は心のなかで悪態をついた。

「もう。そう言って前回も寝なかったじゃないすか」

 大人たちが俺たちにつけた病名は〈移住不適合症〉だった。昔の不眠症である。

 上手く眠れない子供は、あの星には移住できない。そう教わった。

 入部して早々、俺たちは同じ病を抱えていると知り、夜な夜な理科室に来ては、いろんなことを試していた。波の音。f分の1雑音。アロマ。どれも上手くいかない。

 先週は「心臓の音」を試そうと、屋上に寝袋を広げてみた。普通の生徒が入れない屋上も、俺ら理科部は使い放題なのだ。星空観察会と称した宿泊も可。

「あれはいいセン行ってたと思うけどナ……」

 よく言うよ。

 先輩は自分から言いだしたくせに、いざ実行する段になるとめちゃくちゃ恥ずかしがった。今もその時を思い出して頬を桃色に染めている。俺はその時「なら逆に」と先輩の胸に耳をつけて俺が眠るってのを提案した。むろん速攻で拒否された。

 先輩は眠れず、俺の胸で明け方までじっとしていた。もちろん俺も眠れない。

「卒業式までに、ちゃんと眠れるようになれるかな」

 いつも自信たっぷりの先輩が、この話題のときは決まって情けない顔をした。先輩は不眠のことを皆に隠していた。俺もそうだ。なんとなく理由はわかる。

 学校ではクールビューティーを貫く先輩の、このなんとも可愛い表情を知っているのは世界で俺だけ。プチ自慢。きっと卒業式を超えられない関係だけど、このままでもいいかなと思っていた。

「ねぇ、朝に行ってみない?」

 先輩がつぶやいた。

 〈朝〉は、大人たちの言葉で東のことだ。俺たちにとって、朝晩は位置、東西は時刻を表す言葉だ。

 温かな日差しを感じながら朝寝坊したければ、太陽がその位置にある街に行くしかない。だから〈朝〉も〈夜〉も場所だ。俺たちの街は夜。朝日は永遠に昇らない。

 若者言葉は嫌いだと、ばあちゃんによく叱られた。俺たちの言葉は、時間と空間が逆だって。でも、俺たちは悪くない。ぜんぶ潮汐ロックのせいだ。

 先輩は「言葉の違いは、いつの時代もそう」なんて笑い飛ばしていた。意味不明はお互いさま。俺らだって、大人たちがなぜ異星移住のことを〈眠る〉と表現するのか理解できない。

「まぁとにかく、お願い。部長命令だから」

 お願いなのか、命令なのか。

 俺が眉をひそめると、先輩はいよいよニマニマ笑って人差し指をピンと立てた。

「列車が出てるの」

 うかつにも、楽しそう、と思ってしまった。それが運の尽き。

 列車の揺れで上手く眠れるんじゃないかという淡い期待もあって、俺は二つ返事でオーケーした。


 先輩と2人で夜の街を抜け出して、朝行きの寝台列車に飛び乗った。

 俺は大反対したけど、先輩は「蛍くんはぜったい私に手出さないから。コスパ重視」とシングルツインの客室に入った。何かを信頼いただけて光栄だ。

 彼女は白いTシャツにゆるピタサイズのデニムオーバーオールで現れた。私服こういうのなんだ――。制服姿しか見たことがなかった俺の心は、大いに揺らいだ。

 そんなことを知ってか知らずか、先輩は「どうせ寝ないし」と下段ベッドを畳んでソファーにし、窓の外を流れる夜景をぼんやり眺めて過ごしていた。

 俺は上段ベッドにあがって横になると、耳を澄ませた。先輩は「あー」とか「わー」とかいちいち景色に反応し、楽しそう。小さく鼻歌も歌ったりして。良かった。ときどきあくびも聞こえた。2人とも黙ったまま、部屋はカタタンカタタンとレールの音だけが響いていた。

 しばらくして、先輩の様子が気になって覗き込もうとしたちょうどその時、下から声がした。

「――もう、寝た?」

 少し不安そう。

「ううん。まだっす」

 俺の声で安心したのか、先輩は静かに話し始めた。

「移住する星の名前、知ってる?」

「……えーと?」

「〈永遠の眠り〉。地球から4光年の彼方にある系外惑星」

 変な名前、と思った。

「赤色矮星の周りをまわってるの」と声を弾ませる先輩。

 先輩は星に詳しい。ときどき「太陽は明るすぎ」とか意味不明なことを言うけど、大抵は正確。永遠の眠りは内側から3番めの惑星らしい。

「恒星に近いから、やっぱり潮汐ロックしてるんだって」

「なのに、移住するんですか?」

「そ。ウケるでしょ」

 なかなかの皮肉だ。

 地球が潮汐ロックしてしまった原因は不明だった。ダークマターとも異星人の仕業とも言われていたが、誰も知らない。人類に考えている暇はなかった。とにかく対応が先。地球環境も人間関係もめちゃくちゃになってしまっていた。

 今でも、昼夜の境界領域〈トワイライトゾーン〉を巡る争いは絶えない。世界中で国境紛争が起き、多くの人が犠牲になった。境界線は日本列島を跨いでいるが、日本は幸い分断を免れた。折々の変化に富んだ自然」という観光政策の成果だと日本史の授業で習った。何を隠そう、この列車もその名残だ。先人に感謝。

 大人たちは日々の暮らしに精一杯。次第に世界はコントロールを失い、やがて国連は系外惑星への移住という中二病的な計画を承認してしまった。

 他に手はなく、計画は即座に実行に移される。まず光速の20%で航行するソーラーセイルで最初の開拓民が送り込まれた。耐放射線・好熱性の光合成細菌だ。

「シアノバクテリアが30億年もかけたことを、30年で完了って。やっぱ笑えるよ」

 先輩はくくくと可愛らしい笑い声を上げた。

「そんなの、うまくいくんですかね?」

 荒唐無稽なことは俺にだって分かった。

 旗振り役の大富豪の資金は、すぐに推進用ペタワット級レーザーの電気代に融けた。でも何千ものソーラーセイルが20年かけて永遠の眠りに到着し、そこから30年でテラフォーミングが完了。3台の宇宙望遠鏡が永遠の眠りの大気スペクトルを検証すると、移住が本格化した。

「高校を出たら、先輩も行くんですか?」

 そういう決まりだった。

「そうね……」

 そのまま先輩は静かになった。ベッドに耳を押し付け待っていたが、一向に返事がない。俺は心配になり、身を乗り出して下段を覗き込んだ。

 先輩は、ゆったりとソファーに腰掛け窓の外を眺めていた。見えるはずのない惑星を見上げ、故郷を懐かしむみたいに目を細めていた。

 長い黒髪。きれいな形の耳。丸みを帯びた顎のライン。首筋に小さなほくろがある――とか眺めていたら、視線に気づいた先輩が急にこっちを振り返った。

「こっ、コラ! 見んな!」

 目元を拭ったと思ったら、ぷいっと窓を向いてしまった。

 すかさず俺はこう言った。

「いいじゃないすか、減るもんじゃないでしょう」

「私の尊厳が減る!」

 頬に一筋の涙が見えた気がして、俺は彼女から目を逸らせなくなってしまった。


 海沿いの駅で降りた。凛とした冷たい風が気持ちいい。

 真っ黒な海の向こうにオレンジ色の空。朝焼けは群青の夜空となめらかに繋がっていた。太陽は水平線の下。波の音と潮の匂いが心地いい。海岸に打ち上げられた海ほたるの青白い光は、星空を鏡に映したみたいだった。

 俺も先輩も、朝焼けを見るのは初めて。およそこの世のものとは思えない美しい光景に言葉を失った。西の空にはピンク色したビーナスベルトも見えた。

 それから、商店街のシャッター通りを歩いた。誰も居ない。

「もうこの街の人たちは、永遠の眠りについてるんですか?」

「そうね。たぶん」

 移住は自治体単位で計画的に行われた。無人になった街の建物はすべてポリエチレン合成樹脂の膜で覆われる。樹脂含浸されたコンクリートは数万年は保つという。これで人類の居た証が地層に書き込まれるんだって。

 こんもりと白いふくらみに包まれた街は、布団をかぶって寝ているように見えた。俺があくびをすると、先輩にも感染った。2人で涙目になり、互いを指差してあははと笑った。

「永遠の眠りに行くの、嫌なんですか?」

 無人の商店街を歩きながら、俺は先輩に尋ねた。

「地球も好きよ」

 も? どういうことだろ。相変わらず、意味不明。

「ほんとに? それだけですか?」

「それ聞く?」

「聞いちゃいます」

 旅のせいと眠けのせいで、妙なテンション。俺は何も怖くない。

 先輩の困った顔。

「……好きな人、いるとか?」

 図星だった。

 先輩は無言で耳まで赤くして、それでも手をブンブンと振って必死に否定しようとしていた。

 往生際が悪いと言うか、可愛いなって思ってしまった。

「恋は送れないって話、本当だったんですね」

 俺の言葉に先輩はこくこく頷いた。

 人間を4光年の彼方に光速で移動させる手段はない。だから移民はデータで運ばれた。これなら光速で送れる。行った先で〈印刷〉すればいい。それが科学者たちの至った結論だった。

 データを永遠の眠りに送り、身体は地球で冷凍保存される。移民は〈移眠〉とも書かれた。その達成度は印刷進捗率という数字でモニターされていた。

 移眠計画の肝を〈プリンター〉という植物が握っていた。永遠の眠りで繁栄が確認されると、それまで移眠に消極的だった科学者たちも一斉に意見を変えた。この植物はその名の通り、地球からのデータに従って、あらゆるものを印刷した。最初はウイルスや単細胞性の細菌をプリントアウトしていたが、やがて大型の哺乳類まで出力できるようになった。そら豆のサヤを巨大化したような構造体の中に植物性胎盤が形成され、そこで脊椎動物が印刷される。社会科見学で見た。

「ま、分かりますよ。俺だって嫌だから」

 恋愛感情が印刷されない不具合が指摘されたままになっていた。〈プリンター〉の種苗会社はリコールを拒否し、圧縮アルゴリズムやバンドパスフィルタなど星間通信機器のせいにした。ネットで散々叩かれたけれど、結局そのまま何も解決されてない。いつものことだ。

 俺たちには、世界の運命とか文明の終焉とかよりも、もっと大事なものがある。大人たちは、そんな簡単なことも分かってないらしい。

「今はまだ、心の準備が……」

 先輩が口を尖らせる。

「まーたそんなこと言って」

 誰が誰を好きだったとか、誰と誰が付き合っていたかとか。そういうのはあの星に持っていけない。でも、むこうでまたゼロから関係を構築するのも面倒だ。

 先輩たちの学年ではその手の情報を暗号化されたまま永遠の眠りに送るアプリが流行ってるらしい。なんでも〈第3ボタン〉っていうハードウェアトークンを向こうで印刷するのだそうだ。


 廃校の前に出た。

 雪のようにこんもりとした白い厚膜で覆われている。俺たちの高校も2年後にはこうなる。

「これを逃したら行けなくなりますよ」

 データはまず地球と永遠の眠りとの間にあるプリントサーバー衛星に送られる。移眠準備は印刷キューの都合で例年、高3の1月に始まる。共通一次と呼ばれるゲノムデータ抽出と二次試験の超偏極NMR脳計測。そして卒業式の翌日にデータが送信され、身体は冷凍保存されることになる。不眠症の子供はここで機器との相性問題がおこるらしい。

「いい」

「別に痛くはないですよ――たぶん」

「そういうんじゃない」

「好きな人も一緒でしょう? だったら別にいいじゃないすか」

「そうじゃなくて」

「ならどうして?」

 俺は立ち止まり、少し後を歩く彼女を振り返った。

「帰りたくない」

「は? 意味ワカンネ」

「――だって、好きな人……わ、私……」

 先輩はしどろもどろになり、黒い瞳をうるませた。

「蛍くんだから」

「ふぇ?」

 予想外過ぎて変な声出た。

「ちょ、ちょっとまった!」

「やだ。待たない――私、キミが好きなの」

 今度ははっきり言った。もう恥ずかしさはどこかに行ってしまったみたい。先輩は満足そうに笑って俺の頬に触れた。

「だから、私、行きたくない」

 それでも、俺たちの関係は3月を超えられない。

「……あの、2年遅れてだけど、俺も行きますから」

 そのためには、眠れるようにならないといけない。

「えっ?」

「先輩が行くのなら、ですけど」

「どういう意味?」

「そういう意味です」

 先輩はしばし小首をかしげて考えた。

 理数はめっぽう強いくせに、こういう時だけ、ほんとうにポンコツ。俺はニヤニヤしながら、眉間にシワを寄せる先輩の顔を眺めて過ごした。

「あ」先輩が小さく声をもらす。

「ごめん。今まで、ぜんぜん気が付かなくて……」

 ようやく理解してもらえた様子。

「いいんです。お互い様なんで。先輩はずっと前から俺の特別な人だったんですよ」

 先輩は、今日一番のはにかみ笑顔を見せてくれた。その頬は朝焼けよりも赤かった。

 帰りの列車で、先輩がついに寝た!

 俺は肩に寄せられた頭の温かな重みに「一緒に寝るんじゃなかったんですか?」と笑った。


 それから俺たちは同じ列車に乗って、何度も朝焼けを見に行った。太陽はいつも水平線の下にあって、昇ってくることはなかった。

 砂浜に出て、先輩が両手いっぱいに海ほたるを掬ってみせた。子供みたいな笑顔。瞳に映る淡い光を見つめながら、そっとキスをした。

 夢のような世界だと思った。

 帰りの列車で、先輩は必ず眠った。ソファーに並び肩を貸すと、先輩は幸せそうに目を閉じた。長いまつげ。シャンプーの甘い香り。寝息が耳にかかり、ちょっとくすぐったい。俺が眠れるようになる日は遠のいた。

 4光年先はどうでもいい。半径3メートルの世界平和を願った。

 あっという間に卒業式の日がやって来て、翌日、先輩は永遠の眠りに旅立った。

 

 2年後――。

 今度は俺の番。あれから何度か一人で列車に揺られてみたけれど、寂しさが募るばかり。眠れるようにはならなかった。理科室も屋上も、ぜんぶ試した。

 俺は移眠する気にもなれず、鬱々とした高校生活を過ごした。学校は先輩との思い出が多すぎる。でも、それも今日で終わりだ。人新世とともに終わる。先輩のデータはプリントサーバー衛星に到着した頃だろうか。

 先輩のいない地球に意味はなかったけれど、俺は残ると決めた。〈移住不適合症〉の俺がどう処理されるのか、大人たちは相変わらず何も教えてくれなかった。

 残留することをSNSに上げたら炎上してしまった。人類全員を敵にしてしまった感じ。〈非国眠〉呼ばわりされた。

 怖くなった俺は卒業式を抜け出し、朝行きの臨時列車に飛び乗った。

 もう構うものか――。どうせ俺以外の人間は、明日地上から消える。ソファーに深く座り、気を紛らわせようとスマホをいじった。もう停波しててネットに繋がらない。文明の終わりが近かった。

 先輩の写真を一枚も持っていないことに気づき、寂しさがこみ上げてきた。あれは夢だったんじゃないか。そう思うのが悔しい。虚しい。恋しい――。

 人新世の終わりが何だ。移眠が何だ。クソくらえ。

 先輩を返せ。先輩の気持ちを返せ。

 眠れないなら永遠の眠りには行けない? こっちから願い下げだ。

 だいたい、先輩は眠れるようになったから、居なくなっちゃったんじゃないか。

 先輩の寝顔を返せよ。

 先輩が居なくなったその日に、俺新世は終わってんだよ――。

 抑えきれない感情に突き動かされ、あたりを彷徨った。

 でも結局、行くあてもないまま学校に戻ってきてしまった。情けない。気がつけば、俺は裏山の地下にある身体安置施設リポジトリにいた。明日、たくさんの同級生と一緒にここに入ることになっていたからか、生体認証のゲートは普通に開いた。

「先輩、先輩はどこに?」

 俺はどうしても一目見たくなって、近くの端末で検索。名前はすぐに見つかった。番号を頼りに階段を下りるも、あえなく迷子になってしまった。

 仕方なくエレベータに乗り、直感で最下階のボタンを押した。

 扉が開くと、予想もしなかった異様な光景が広がっていた。

「どういうこと?」

 体育館ほどの広い無柱の空間に、青々とした木々が生い茂っていた。まるでジャングルだ。ツタやソテツ、見たこと無い植物も溢れている。コンクリ打ちっぱなしの無機質な部屋を想像していた俺は、すっかり面食らってしまった。

 草をかき分けて中に進むと、低木にそら豆のオバケみたいな袋がたくさん下がっていて、これが保存容器だと分かった。ドクドクと不気味に脈打つ表面はところどころ半透明になっていて、中に人影が見えた。大きな葉にQRコードのが入っており、スマホで読めた。核電池で維持されると聞いていたから、冷蔵庫を想像していた。電源ケーブルは見えないところにあるらしい。

 俺は額の汗を拭い、捜索を続けた。床を這う太い根に何度も足を取られ、腕には葉で切った傷がいくつもできた。やがて、満身創痍の俺を目的のサヤが出迎えた。

「あった!」

 薄っすら透ける膜に顔を押し当てて、中を確認する。全裸の女性が膝を抱え、上下逆さまになって液体に浮いている。まるで子宮の中の赤ん坊みたいな格好。長い黒髪。きれいな形の耳。丸みを帯びた顎のライン。首筋には小さなほくろ――間違いない。

「せ、せんぱ」

「ここで何してるの?」

 うああああああっ――。

 急に後から声をかけられ、俺は尻餅をついた。

 すぐに誰かわかった俺は、声の主を見上げた。

「せっ、せんぱぁい!」

 たぶん俺は泣いていたと思う。驚きと安堵で腰に力が入らない。

「蛍くん?」

 先輩は、もう汗か涙か分からないぐじゃぐじゃの俺の顔をそっと両手で包んだ。

「先輩……2人? どうして?」

 俺が半透明のサヤのほうをチラッと見ると、先輩は俺の顔をぐいと戻した。

「見んな! もうっ、野蛮人! 私の尊厳!」

「えっ、あっ。こここここれはその……誤解ですって」

 サヤの中には、どう考えても全裸の先輩がいた。

 だったら、俺の目の前にいる彼女は誰?

「永遠の眠り、行かなかったんですか?」

「もういいわ――。気づいちゃった?」

 先輩は肩をすくめた。俺には何がもういいのか全くわからない。

「キミ相当鈍いね」

「わけわかんないすよ」

 先輩は大きくため息をついてから、ゆっくりと説明を始めた。


 これまで曖昧なまま流してきた先輩の意味不明の言動の数々が、ひとつの系外惑星に像を結んだ。先輩は異星人だ――永遠の眠りから来た。やっぱりというか、なんというか。

「地球がこんな大変な時に?」俺が眉をひそめると、先輩は「いいじゃん。減るもんじゃなし」と胸を張った。それが文明の進んだ異星人が言うことか。

「じゃあこういうことですか? そもそも〈移眠〉の話は先輩たちが起源だった?」

「そうね」

「ソーラーセイルで細菌を送り込んだのも?」

「私たちが先」

「まさか!! じゃあ、あれ! データから身体を印刷するというのは?」

 先輩は何も応えず、ふふふと八重歯を見せて笑った。俺はすぐに辺りを見回し、その不敵な笑みの意味に気がついた。

 ――ここに並んでいるのが〈プリンター〉だ!

 これは彼女たちが送ってきたものか。

 潮汐ロックは、地球を永遠の眠りと近い環境にするための彼女たちのテラフォーミングだったのだ。豪快すぎるけど。彼女たちが地球に移住してくるのと同じ方法で、人類は系外惑星に移住しようとしていたわけだ。それが〈移眠〉。

「ゴメンね、付き合わせて」

 先輩はてへっと舌を出した。

「もういいですよ」

 別に俺は人類代表ってわけじゃないけど、先輩の笑顔に免じて許した。

 彼女たちの移住に押し出されるようにして人類は地球を捨てる羽目になった。でも、人類の移眠計画はほぼ完了していて、どうせ元には戻せない。図らずも異星人と惑星を交換してしまったのだ。

「先輩は、どうして地球ここに?」

 〈移眠〉のテストパイロットだという。5年前にここで印刷され、3年間を高校生として過ごし、人類が構築した移住ルートで永遠の眠りに帰る。そんな10年計画だったらしい。なかなか慎重派だ。いきなりデータを送りつけて印刷を始めた人類は、先輩に「野蛮」とバッサリ切り捨てられた。

「なんで、戻らなかったんですか?」

「キミのせい」

 そこまで言って、先輩は恥ずかしそうに俯いてしまった。俺がゆっくりと覗き込むと、先輩はいよいよ頬を赤らめた。

「だからぁ、キミに、恋しちゃったせいだって!」

「あ……」

 恋愛感情が送信できない云々カンヌンという不具合は、先輩たちの方法でも同じなのだった。俺はてっきり人類の技術不足のせいだとばかり思っていた。

「蛍くんのこと、忘れたくなかったから」

 先輩は2年前の今日、地球に残ることを決め、冷凍保存から逃げ出したらしい。その後のことはあんまり話してくれなくて、照れ隠しに「上手く眠れなかっただけ」なんて笑っていた。〈移住不適合症〉がこんなところで役に立ったとは。もちろん真相はわからない。

 今、俺たちの目の前で印刷されているのは、先輩が次回使う本番用の身体だったらしい。要らないなら俺がもらいますと提案したら、速攻で拒否された。


 翌日、予定通り人新世は終わった。

 朝焼けを見に行こうと飛び乗った最終列車の中で先輩が「冷凍保存されてる人を解凍すれば元に戻せるけど」と俺に選択を迫った。印刷進捗率は96%。ばあちゃんも印刷済みだ。先輩は4光年も離れていればクローンが生まれても何の問題もないという。むしろ予備機の用意という意味で強く推奨されるとも。

 でも俺は秒で断った。

 なぜかって。口うるさいばあちゃんは宇宙に1人で十分だからだ。今頃、永遠の眠りで楽しく暮らしてる。便りがないのが良い知らせ。触らぬ祖母に祟りなしだ。

 俺たちはいつもの駅を通り越し、3つ先の終点で降りた。無人改札を抜け、半島の先の白い灯台を目指して走った。

「先輩、朝ですよ、朝ぁ!」

 子供みたいにはしゃぐ俺に、先輩が目を細めた。そうして先輩は「さ、はやく」と少し恥ずかしそうに俺の手を引いた。

 人類の歴史が今日終わるというのに、なんて爽快な気分。

 水平線から真っ赤な太陽が顔を出していた。俺は生まれてはじめて朝日を見た。

「私で、ほんとうに良かった?」

「決まってるじゃないですか」

「本当の、ほんとう? 『俺の尊厳』は大丈夫?」

 先輩が不安な顔で繰り返すので、俺はこう返してやった。

「減るもんじゃないし」

 先輩は胸を抱えて笑ってくれた。

 たとえ人類の歴史を犠牲にしてでも、俺には守りたいものがあった。

「これからは、よく眠れるといいですね。先輩」

 4光年の彼方からやってきた、半径3メートルの幸せ。

 灯台のふもと。朝日に照らされながら、キスをした。

 それからベンチで肩を寄せ合い、ぼんやり朝の海を眺めて過ごした。ポカポカと温かい。先輩が「日焼けした」と言って火照った頬を俺の肩にのせた。彼女が可愛い寝息を立てるのを見届けてから、俺も眠りに落ちた。

 そうしている間にも、移眠は進んだ。

 印刷進捗率97%――98%――99%――。

 そうして人類は永遠の眠りについた。

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