運命なんて信じない

snowdrop

運命なんて信じない

 運命を信じる、なんて馬鹿げてる。

 出逢いや巡り合わせに《運命》と名付け、言葉と恋に酔いたい臆病者の言い訳だ。



     ◇◆◇



 月曜日の昼休み。

 憩いの場である図書室で、キスするバカップルを見た。

 ずり落ちる眼鏡を慌ててかけ直す。

 一緒にいた女子は知らないけど、男子は知っている。

 同じクラスの高峰正臣だ。

「立てば癇癪、座ればバカタレ、歩く姿はボケの花」といわれるほど、長身で容姿と顔がイケメン以外に良いところがない、クラスの問題児。

 おまけに頭も口も物腰まで軽く、子供みたいな無邪気な笑顔をみせる軽薄な男が人気者だなんて、信じられない。

 高校の本分は、もちろん勉強。

 遊ぶところでもなければ、盛り場でもない。

 休み時間は読書に邁進するのを日課としているのに、よりにもよって図書室に来てイチャコラしてんじゃねぇーよ、と、チコちゃん風にどなりつけてやりたかった。

 そんなことをして大事にでもなったら、「図書室は騒ぐところではありません」と、彼らととも先生に怒られかねない。

 李下に冠を正さず。

 先人の知恵を拝借し、こっそり教室へ帰ることにしよう。

 手持ちの本を棚に戻そうと、背伸びをして押し込むも入らない。

 さっきはここから取り出したのに、どうして?

 こうなったら、最後の手段。

 うりゃっ、と力任せに押し込むも、はずみで手から本が滑り落ち、顔にぶつかった。

 バンッ、と静寂な室内に音が響く。

 一緒に落ちた眼鏡を慌てて探しながら、そっと振り返る。

 高峰と目があった、気がした。

 瞬間、顔を背ける。

 見ないふり見ないふりーっ。

 見つけた眼鏡を掛けて本を棚に戻し、急いで図書室を後にした。



     ◇◆◇



 恋なんて知らない。

 だけど、興味がないわけじゃない。

 むしろ興味津々。

 でもそれって、漫画や小説の中でしか起きない作り話。

 現実にはありえないって、小さい頃は思ってた。

 友達やクラスの女子から好きな人や彼氏の話を聞く度に、他人事であって自分には関係ない、と聞き流してきた。

 でも流石に目撃してしまうと、心臓の鼓動が尋常じゃない。

 ドキドキしっぱなしだ。

 胸に手を当て息を吐く。

 呼吸を整え、中指で唇をなぞる自分に気づくと、慌てて下唇を噛み締めた。



     ◇◆◇

 


 放課後、

「一ノ瀬めぐみ、俺と付き合おう」

 目の前で立て膝をつく高峰が、唐突に告白してきた。

 私は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 教室には、まだクラスメイトがたくさん残っている。

 彼の行動を前に、みんなが歓声に似た奇声を上げだした。

 気にせず帰ろうとするも、もう一度彼に目を向ける。

 家で飼っている、散歩に連れて行ってほしそうな顔をしてしっぽをふるゴールデン・レトリーバーの姿と彼が、どういうわけ重なって見えた。

「え、えっと……間に合ってますんで、ご辞退します」

 丁寧に頭を下げて断らせてもらった。

「どうして?」

 目をキラキラさせて尋ねてくる。

「どうしてって、高峰くんには、付き合っている子がいるでしょ」

「大丈夫。別れたから」

「へえ、そうなんだ」

「うん。そうなんだ」

 あ、あれ……なにが大丈夫なんだろう。

「だって昼休み、彼女とキ……」

 いいかけて、昼間の情景が頭に浮かぶ。と、恥ずかしさから言葉が出なくなる。

「やっぱり見てたんだな。盗み見する趣味があるとは、結構やらしいんだな」

「ぬ、盗み見なんてしてないです。偶然目にしただけで……そもそも、図書室であんなことしてる高峰くんの方がやらしいですっ」

「人間みんなやらしいもんだ。それにあれは、別れのキスをしたんだ。最後にお願いって」

「へ、へえ……そうなんだ」

 恋愛に疎い私には、よくわからない話だった。

「というわけで、俺と付き合おう」

「だから、どうしてそうなるんですかっ」

「俺はお前のこと、もっと知りたいから」

 スッと立ち上がる彼は、目の前にまで迫ってきた。

 顔が近くに来て、ドキッとする。

 見た目はイケメンなだけに、見とれてしまう。

 こんな人に見つめられるなんて夢みたい……。

 ……はっ!

 いや、ちょっと待ったーっ。

 外見に騙されるなっ、私。

 中身はお猿さんなんだぞ、と自分に言い聞かせて平静さを取り戻す。

「そもそも、相手が好きだから、付き合うんじゃないんですか」

「それはちがうな。気に入った相手のことを知りたいから付き合って、好きを深めていくんだ。付き合わずに好き嫌いを判断するのは、見た目だけで決めつけてる証拠だ。俺は、見た目も中身も大切だと思っている」

 彼の言葉には、筋が通っていた。

 たしかに、相手のことを知りもしないで決めつけるのはよくない。

 確かめもせず噂を鵜呑みにするのは、表面しか見ていないことと同じ。

 クラスメイトや同学年の子たち、先生からも、彼は「中身が残念イケメン王子」といわれている。

 私はこれまで、みんなの言うことを真に受け、信じてきた。

 彼の言葉を借りるなら、良くも知らないのに表面しか見ず、高峰正臣という人間を決めつけてきたのだ。

 知らないのに知ったふりをするのは、嘘つきと同じだと反省する。

「高峰くんの言うことは、正しい気がする」

「じゃあ、付き合おう」

「でも……」

 私は横目でクラスの女子を見た。

 彼と付き合いたいと思っている子は、他にもいるに違いない。

 軽い気持ちで付き合ったりしたら、教室でハブられるだけじゃなく、いじめられて居場所がなくなるかもしれない。

 かといって誘いを断れば、彼のファンの女子に詰め寄られ、「どうして断ったのっ」「彼が可愛そう」などと責め立てて、こちらからもいじめの対象にされる恐れがある。

「だったら、期限を決めて付き合いませんか」

「いいぜ。八十年くらい?」

「長過ぎます。今日一緒に帰るだけなら」

「短すぎる。最低でも一カ月」

「一カ月は長いです。三日ぐらいなら」

「短い。十日は絶対ほしい」

「……だったら、一週間でどうですか」

「よしっ、一週間だな」

 これでクラスの女子には、限定的で付き合うことになったとアピールできた。

 なるべく短期間にしようとしたけれども、彼の強い要望があっての一週間、で付き合うのだ。

 これに異議申し立てするなら、彼に意見するのと同じ。

 だから誰も文句を言わないだろうし、無用ないじめはきっと起きない。

 一週間我慢すれば、平穏な高校ライフに戻れるに違いない。

「でも、どうして私なんかと付き合おうと思ったんですか」

「まず『私なんか』というのをやめろ」

「え?」

「自分を卑下するな。お前は、俺が見つけた最高の女だ。だからもっと自信を持て」

 中身が残念イケメン王子に言われても説得力が……、と口に出そうになるのを引っ込める。

 彼が本当に噂どおりなのか、付き合って見極めよう。

 それまでは、彼の言葉を信じることに決めた。

 


     ◇◆◇



 休み時間になると、高峰が私の席までやってきて、読書の邪魔をする。

「次の授業、宿題の問題を解くのが当たってるんだ。難しくてわからないから、教えてくれないか」

「勉強は自分でするものですよ」

「わかってる、当然だ。頑張ったけど難しくてわからなかったから助けてほしいんだ。一ノ瀬めぐみは、目の前で困っている人がいたら、無視する薄情な人間なの?」

 読みかけの頁にしおりを挟んでは閉じ、小さく息を吐く。

「どの問題ですか?」

 私は自分のノートを開いて、彼に解き方を教えた。

 一度こういうことがあったから味をしめたのか、休み時間の度に「助けて欲しい」と彼が泣きついてくる。

 しかも、「勉強を教えてほしい」と、昼休みに私が本を読んでいる図書室まで現れるようになった。

 中身が残念イケメン王子だからと、はじめは同情していたのだけれど、彼はけっして噂どおりの人ではない事に気がついた。

 彼は一度も、私のノートを写させて、とは頼んでこなかったのだ。

 自分で考えて問題を解き、わからないときにだけ聞きに来る。

 彼の愚直なまでの熱心さに私は、昼休みや放課後の時間、彼と一緒に勉強をするようになっていた。



     ◇◆◇



「よし、映画を見に行くぞ」

 高峰の言葉で日曜日、デートに行くことになった。

 待ち合わせの時間、駅前で待っていると高峰がやってきた。

「お前、制服で来たのか」

 声を出して笑う彼は、細めのストライプシャツに、黒のジョーガーパンツ、スリッポンを履いた格好をしている。

 対して私は、半袖シャツとスカートの制服姿。

「何を笑っているか知らないけど、『街に出るときは制服で』と校則に書いてあります」

「そんな校則、初めて知った。というか、律儀に守ってるやつなんてお前だけだろ」

 そんなはずない、と言い返そうと周りを見渡す。

 駅前を通り過ぎる同年代の子たちは確かに、制服を着て歩いている人はいなかった。

「それと、前髪を上げた方が顔がよく見えて可愛いぞ」

 勝手にかき上げてくる彼の手を払って、慌てて前髪を下ろす。

「やめてください。おでこが広いの気にしてるから」

「知ってるか。おでこの秘密を」

「おでこの秘密?」

「最近学会で発表された研究によると、おでこからは、やる気や元気といった自己アピールビームが出ているのが発見されたんだ」

「自己アピールビーム? まさか」

「ちなみに目からは、感情ビームが出てるんだとさ。眼鏡や前髪を下ろしていると蓋になって、ビームが出ず、体内に溜まりやすくなる。すると新陳代謝が滞り、老廃物が蓄積された結果、ロボットみたいに肌が固くなって老け顔になっていくんだ」

「ふ、老け顔って……本当?」

 頬に両手を当ててみる。

 そういえば最近、肌荒れが気になっていた。

 勉強のし過ぎで夜ふかしが原因と思っていたけれど、まさか……。

「寝不足のせいじゃないの?」

「違うな。前髪と眼鏡のせいだ」

 し、知らなかったーっ。

 目の前に彼がいなければ、大絶叫して飛んで自宅に帰りたかった。

「俺が持ってるヘアバントを貸してやるよ」

 ポケットから取り出し、手渡してくれた。

 借りておでこが見えるようにすると、

「眼鏡は俺が預かっておいてやる」

 勝手に外されてしまった。

 外されると、辺りがぼやけて見える。

「流石に困ります。かなり目が悪くて、高峰くんの顔も、近づかないとはっきりみえないんです」

「どのくらい?」

 焦点が合う距離まで顔を近づけてみる。

 彼の顔がくっきり見えたところで、「ここですね」と立ち止まる。

 鼻息が顔にかかって、慌てて彼から離れた。

「眼鏡を返してください。これじゃあ、周りもよく見えない」

「大丈夫。俺が手をつないで歩いてあげるから」

 眼鏡を外された私は、彼に手を引かれて改札口へと向かった。



     ◇◆◇



 さすがに、上映中は眼鏡を返してくれた。

 けど、それ以外は外されたまま、高峰と手を握りながら歩いた。

 はじめは恥ずかしくて手汗がひどかったけれど、そのうちグイグイ引っ張ってくれる彼に安心する自分がいた。

 映画を見終わったあと立ち寄ったトイレから出ると、辺りに彼がいないことに気がつく。

 眼鏡を掛けていないせいか、周りにいる人達の顔すらよくわからない。

 これじゃあ、迷子と同じ。

「高峰くん、どこ……」

 ちょっと、やばいかも……。

 知らないところに一人ぼっち。

 心細くなって、泣きそうになってくる。

「高峰くん……どこなの」

「俺はここだよ」

 後ろ、頭の上から声を掛けられた。

 振り返ると、間違いなく彼がいた。

「どうした? 泣きそうな顔をして。俺と離れて寂しかった?」

 うなずきかける自分を制し、

「眼鏡」

 彼に手を差し伸ばす。

「えーっ、ショックだな。俺よりも眼鏡に会いたかっただなんて。嫉妬しちゃうよ。返すのやめようかな」

 それは困るので返してください、と丁重にお願いした。

「ちゃんと返すから心配しないで。それとも、俺と手をつないで歩いていたい?」

「……眼鏡を、返してください」

 一瞬、躊躇する自分が恥ずかしかった。



     ◇◆◇



 駅の改札口を出たとき、

「デートの終わりと同時に、俺達の関係も終わりなんて悲しいね」

 高峰の言葉に、一週間の期限付きで付き合っていたことを思い出す。

 はじめは彼に振り回されっぱなしで、戸惑っていた。

 なのに、いまでは彼の行動についていけている。

「高峰くんって、見た目だけじゃない人だったんだね」

「それって、惚れ直したってこと? それじゃあこの先も、俺達付き合っちゃう?」

「一週間の約束だから、それはないです」

 私はきっぱり返事した。

 ヘアバンドを彼に返し、代わりに眼鏡を受け取る。

「最後に、別れのキスを……」

 と、彼が私を抱き寄せてきた。

 昼休みの図書室で見かけた情景が、ふっと脳裏に浮かんだ。

 彼は付き合って、別れるときにキスをするんだ。

 思い出を残すみたいに……。

 目を閉じようとしたとき、

「やっぱりやめとくよ」

 じゃあねと手を振って、彼は先に帰っていった。

 彼にとって私は、思い出にもなれないクラスで目立たない女の子……。

 唇を中指で軽くなぞっては、下唇を噛んだ。



     ◇◆◇



「もう別れたんだ」

 月曜日の昼休み。

 図書室へ向かって廊下を歩いていると、クラスの女子三人が声をかけてきた。

「昨日で別れる約束だったから」

「だよね。そもそも、あんたみたいな地味な子が高峰くんの彼女なんてマジありえなかったんだから」

「いまなら付き合ってくれるよね」

「告りに行こうかな」

 なんなの、コイツら……。

 はしゃぐ三人を見ていたら、高峰と抱き合う彼女らの姿が頭に浮かんでくる。

 高峰は、他の女のものになってしまう。

 それはちっとも嬉しくない。

 むしろ、ムカつく。

「あんたたちに、高峰の良さの何がわかるっていうの。あんたらには渡さない。高峰はっ」

「おっ、いたいた」

 言いかける私の頭を、聞き覚えのある声とともに、背後から押さえつけられる。

「やっぱり、押して引く作戦は効果ある。俺ってやっぱり天才じゃん」

「高峰っ、お、重いっ」

「俺のお前に対する愛の重さはこんなもんじゃない。それに、ちっとも地味じゃねぇーよ。お前ら、見る目ない」

 垂れ下がる前髪をかきあげ、眼鏡を勝手に外す高峰。

 彼の顔が目の前に迫ってきた。

「めぐみは俺のもんだ。誰にも渡さねぇよ」

 抱き寄せて重ねてきた唇の暖かさに、私は目を閉じる。

 思い出なんかにしたくない。

 私は彼の背中へと腕を回し、しがみついた。



                  〈了〉

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