其の肆

 昔、コロンブスは、テーブルに卵を立てることで、「誰でも簡単に出来ることでも、最初に行動を起こして実現するのは難しい」という事を解いたという。


 俗に言う「コロンブスの卵」だが、今では「発想の転換によって難しい問題を解決する」というような場合に使われる逸話として広まってい。


 コロンブスが、底を軽く潰し、少し平らにして立てた卵って、ゆで卵だったのか?、生じゃないよなぁ。

 そんな事を考えながら、ヤスノリは、モーニングセットのゆで卵の殻を剥いていた。


 つい先程、スタッフとの死闘に惨敗したものの、運ばれて来たトーストを平らげ、ホットコーヒーを飲み終えた頃には、すっかり気分も落ち着いていた。ちなみに、ヤスノリは板東英二並にゆで卵が好物である。好きな食べ物は最後に残す派だ。


 卵を立てた時に、2、3回失敗してたら面白いのに。「コロンブスだけに、立てた卵もころんブス!」とか。

 フッ、我ながら、面白いネタを思いついた。今度誰かに言ってみよう。


 ヤスノリの妄想は、そこから高校時代の友人との思い出に飛ぶ。


 そういえば、アイツの持ちネタは「布団が吹っ飛んだ」と「ハングライダーで家に帰り着くのは五時半ぐらいだー」だったな。前者はともかく、後者は面白かった。ハングライダーで家に帰るってところが実に面白い。


 敗戦の傷を癒すように、愉快な妄想をしながら、丁寧にゆで卵の殻を剥く。


 よし。


 ヤスノリは、完成した器の出来を見極めんとする陶芸家のごとく、剥きあげたゆで卵を、目線位置まで掲げ、手首の可動域をフル活用して回し見た。


 ゆで卵を食べる時、小さな殻の破片が少しでも残っていたら絶対に許せない。

 咀嚼した時、その破片を噛み締めてしまおうものなら、全身の筋肉が凍りついてしまう。


 完璧だ。ヤスノリは透き通った白い陶磁器を思わせるゆで卵の肌を愛でて、ひとり満足した。


 さて、塩だ。


 この、一糸まとわぬ姿の卵の肌に、ダイヤモンドの粒を散りばめる時が来たのだ。


 純真無垢なゆで卵の味に、少しの塩がふりかけられるだけで、芸術的な化学反応が起こる。それはどんな高級料理にも負けない、深い味わいとなるのだ。


 以前、男性アイドル某が、ゆで卵にマヨネーズをたっぷり回しかけ、美味そうに食べるテレビCMがあった。

 あんなもん邪道中の邪道だ。あれではマヨネーズが主役になっているではないか。

 CMだから仕方ないが、主役はあくまでゆで卵なんだ。そして塩こそが、主役のゆで卵を引き立てる名脇役、ジェームズ・ボンドにとってのQ、バットマンにとってのアルフレッド、水戸黄門にとっての風車の弥七なのだ。


 さぁ!塩だ。


 ヤスノリは自ら陣取ったテーブルを見渡す。


 塩、、塩、、塩、、、しお〜


 塩が、、、無い!


 テーブルを上を何度見渡しても、そこにあるべき小瓶が見当たらなかった。


 はぁ、、、、


 思わず深いため息がもれる。

 ここまで気分は盛り上がっているのに、肝心の塩が置いてないとは。

 恐らくは、中身が少なくなったか何かで、交換しようとしたが、結局回収するだけで、補充し忘れたか。


「スタッフぅ!」先の惨敗に続きこの仕打ち、ヤスノリは独り愚痴をこぼす。


 やむを得ずスタッフに持って来てもらおうと、先程の苦い経験の始まりを告げたテーブルのボタンに手をかけた。


 いや、待て。


 ヤスノリの視線はボタンから離れ、客を待つ右隣のテーブルに移った。ここに無くとも、隣のテーブルにはあるのでは?と思い直し、その机上を探したのだった。


 あった!


 麗しい赤い帽子をかぶった小瓶。紛れもなく探し求めた塩でないか。ヤスノリは人混みの中で、迷子になった我が子を見つけた、そんな安堵感を味わった。


 よかった、ボタン押す前で。ヤスノリは体制を立て直し、ほんの少しの罪悪感を感じながら、となりのテーブルから塩の入った小瓶を手に取る。


 そして赤い帽子をゆっくり回し取り、右手に塩、左手にゆで卵を持つ。その構えは、まるでマジシャンが十八番の手品を披露するかのようあった。


 あまりかけすぎても良くない。ヤスノリは、慎重に塩の小瓶を卵の方に傾ける。そして塩が穴の空いた口のギリギリのところまで導かれたその瞬間、トントン!人差し指で小瓶を軽く叩く。


 白銀の山頂に新雪が降り注ぐかの如く、きらめく粒子が零れ落ちた。数えてはいないが、その数300粒ほど、完璧だ。ヤスノリは思わずほくそ笑む。


 右手に塩の小瓶を持ったまま、口から左手に向かい、ゆっくりとその頂にかじりつく。


 白身の弾力が、一瞬ヤスノリ歯を拒む。しかしそれが受け入れられた時、まずは舌の上に訪れる塩味、次にその塩によって産み出された白身の仄かな甘味、遅れて、これまで隠されていた黄身の濃厚かつ芳醇な甘さが口の中に広がる。


 美味い。


 ヤスノリは一口目を嚥下する間もなく、次なる儀式へと進む。半分かじり取られたがために顔を出した、白雲に浮かぶ満月に、星の輝きを纏わせる番だ。


 改めて、右手の小瓶を傾け、トントントン!熟練の魔法使いが秘薬を精製するような作法で、3回人差し指で小瓶を叩く。


 そうだ、二口目は、トントンではなく、トントントンなんだ。二口目は一口目と比べて黄身の比率が増える。だから少し塩を多めにして、黄身の芳醇な甘さをさらに引き出すのだ。


 数えてはいないが、数にして450粒の粒子、その輝きをまとった一品を、全て口の中に放り込む。


 口の中には、卵の旨みが波紋のように一気に広がる。ヤスノリは頬を膨らませなが咀嚼する。そして一口目とは違うダイナミックな食感と、味が消えてしまうのを惜しむように、ゆっくりと飲み込んだ。


 ふぅ、、、


 一気に満足感が押し寄せ、ヤスノリは思わず深く息をつき、頬を緩ませる。


 テーブルに塩がなかった時は、どうしたものかと焦ったが、「隣のテーブル」という機転が働いたおかげで、スタッフ呼ばずに済んで良かった。


 そうだ!、これはまさに「発想の転換によって難しい問題を解決する」というコロンブスの卵のような出来事ではないか!些細な事かもしれないが、見事な課題解決力だな、と鼻を膨らませ自画自賛するヤスノリ。卵繋がりでの思わぬ発見に、更なる満足感を覚え、ほくそ笑むのだった。


 さて、そろそろミッションの時間だ。

 ヤスノリはテーブルを立ち、両手に荷物を抱えて出口に向かう。


 忘れ物はないか?

一旦立ち止まり、元いた席を振り返ったその時、あっ!思わず声が出た。


お前、そんなところにおったんかい!


 塩ぉー!


 テーブルの端、赤い帽子をかぶった小瓶が立っていた。ヤスノリが座っていた位置からは、あの役立たずのQRコードの立て札に隠れて見えなかったのだ。


 あのとき、スタッフボタンを押さなくてよかった!「塩が置いてないです。塩下さい!」なんて言ったら、「ここにありますけど!」なんて返されて、もう立ち直れない状況になってた、ヤスノリは胸をなでおろす。


 改めてテーブルの片隅には、「なんで私を見つけてくれなかったの?」と恨めしそうに見上げる小瓶がいた。


申し訳ない、見つからなかったからしょうがないじゃないか。


「塩だけに、しおがない」か。


フッ、我ながら、面白いネタを思いついた。今度誰かに言ってみよう。


 ヤスノリは両手の荷物の取手を握り直し、颯爽と出口に歩みを進めるのであった。

ー 了 ー

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

不可解な二者択一 @patorunmunakata

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ