其の参
〜ある日のとあるカフェでの出来事〜
パンはトースト、それに塗るのはマーガリン、そしてトッピングはゆで卵。
ヤスノリは、最後にもう一度、モーニングのオーダーを再確認する。それは大一番を前にしたスポーツ選手が、空に十字を切る姿のようでもあった。
程なくしてスタッフが表れる。
「お待たせ致しました。ご注文はお決まりでしょうか」
あぁ!決まっていますとも!
心の中で呟くと、ヤスノリは持っていたメニューをまるで茶道の所作のようにテーブルにそっと置き、右斜め上にスタッフを見据えて、静かに口を開いた。
「モーニングをお願いします。トースト、マーガリン、そしてゆで卵で
」
か、完璧だ。よどみなく、優雅、それでいて力強い、まるで太極拳のようなオーダーの仕方だ。
ヤスノリはオーダーを待っていたスタッフを勝ち誇ったように見上げた。
さぁ!どうだ、ご注文を繰り返してみよ!
「お飲み物はどちらになさいますか?」
それはまるで冬の空を切り裂く、稲妻のような一撃だった。
な!何?、お、お飲み物?
し、しまった!そうだ、飲み物だ。モーニングの組み合わせを考えるがあまり、飲み物を決めるのを失念していた。
思わぬ失態に、ヤスノリは猛烈に焦った。慌てて、テーブルのモーニングメニューを手に取り、飲み物のラインナップを探す。
な、無い!飲み物はどこだ?
スタッフは「どちらになさいますか?」と言った。「どちら」と言えば、二者択一。どこだ?選択肢はどこにある?
「お好きなお飲み物をどちらかお選び頂けますが・・・」
あたふたと焦るヤスノリに、スタッフは苛立ちが滲む声で、次なる一撃を仕掛けて来た。
いや!だから、その「どちら」が見つからないんだよ。ヤスノリは心の中で叫ぶ。
そうか!裏、裏だ。暗闇の中に光明を見出して、メニューを裏返して見る。
真っ白だ。ただの裏だ。
同時にヤスノリの頭の中も真っ白になった。
「す、すみません、飲み物はどこに書いてあるんですか・・・?」
負けだ。完敗だ。敗北感に苛まれながら、ヤスノリはスタッフに尋ねた。
「そちらのメニューに書いてある、全てのお飲み物から、どちらかお選び頂けますけど」
苛立ち、いや、哀れみのこもった声で、スタッフが指し示した先には、茶色の冊子のメニューが立っていた。
そ、そっちか・・・。
屈辱と安堵を同時に感じながら、ヤスノリは茶色い冊子のメニューに手を伸ばし、そのページを開いた。
ま、またかよ・・・。
そこには十数種類の飲み物が、ズラリと並んでいた。
ほんの1分程度の攻防。最初は絶対的有利だと思って挑んだスタッフとの戦い。しかし、小さなミスが招いた完全なる敗北、マウントを取られ、完膚なきまでに叩きのめされた。
ヤスノリには、居並ぶ飲み物から、ひとつを選択する力は残っていなかった。
いや、待て。
このスタッフ、さっきから「どちらかを選べます」と詰め寄って来ていた、「どちら」と言えば、当然二者択一じゃないか。
「お風呂?それともご飯?どちらにする?」
「赤か?青か?どちらかを切れば爆発を防げます!」
古今東西、どちらか選べと言えば、二つのうちのひとつ選ぶ、それが世の常だ。
こんなに多くの選択肢から選ぶ場合は「どちらか?」ではなく、「いずれか?」だろ!
スタッフの攻撃に対するささやかな抵抗策を見出したヤスノリであったが、いや、やられた、これも俺を惑わす作戦か、相手のうが一枚上手だったんだ。
すっかり戦う気力を失ったヤスノリは、改めてメニューを見て、一際大きく記載されたものを選択し、力なく呟いた。
「コーヒーを、、下さい」
その時、スタッフの瞳の奥でキラリと光るなにかが見えた気がした。
「かしこまりました。では、コーヒーは、ホットとアイス、どちらになさいますか?」
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