【ひとりぼっちの恋】
ボンゴレ☆ビガンゴ
【ひとりぼっちの恋】
遠い国同士の戦争なんか、僕の人生には大した影響など与えないと思っていた。
対岸の火事だと高を括っていた。けど、大国の指導者が狂気の果てに放った核の炎は瞬く間に世界中に燃え広がった。愚かな人類による蛮行の連鎖は、ほんの数日で文明を滅ぼすこととなった……。
僕が目を覚ましたのは薄暗いシェルターの中だった。このシェルターは母が死んだ後、陰謀論にハマった父が全財産を叩いて作ったものだ。今となっては父の決断は正しかったといえるのだが、生き延びたのは核戦争が起こると信じきっていた父ではなく、防音室代わりに深夜までギターを弾いていた僕だけだった。
外の安全が確保できるまでは隔離される仕様らしく、何が何だかわからないまま、僕はひとりぼっちでシェルターに閉じ込められていた。
非常食がたくさんあったのは不幸中の幸いだった。
僕は薄暗いシェルターの中で数日を過ごした。外部への通信は繋がらない。
外がどうなっているのか、さっぱりわからなかった。
数日が経ったある日、AIが安全と判断したのか、単に壊れたのか、分厚い扉のロックが外れた。
ようやく外に出れる、と間抜けな僕は喜び勇んでシェルターの外へと這い出した。
しかし、外の光景を見て僕は愕然とした。
街は
商店街や住宅が並んでいた見慣れた街並みは瓦礫の海と化し、地平線の向こうに浮かぶ真っ赤な夕陽が空や街を血の色に染めていた。
風は無く、まるで時間の止まった地獄を描いた油絵のように、動くものは皆無だった。
僕は目の前の光景が信じられなかった。どのくらい立ち尽くしていただろう。
ようやく我に帰った僕は途方に暮れながらも一縷の望みを胸に生き延びた人を探して歩き回った。
けれど、瓦礫と化した街には性別もわからないマネキン人形みたいな焦げた遺体や直視できないほど損壊した遺体が散乱するだけだった。
生きている人は、ひとりも見つからなかった。
僕はひとりぼっちになってしまったのだ。
学校の友達も、陰謀論にハマっていた父も、そして、大好きだったあの子も、みんな燃えてしまった。
ひとりっきりで生き延びたって仕方ない。こんなことなら僕も皆と一緒に死にたかった。
誰もいない街で絶望に打ちひしがれ、僕は膝から崩れ落ちた。
重い足取りでシェルターに戻ると腹が鳴った。シェルターの中には保存食だけは山ほどあった。
自分も死ねばよかったと悔いながらも、昨日と同じように缶詰を開けた。
空腹が満たされるとさらに虚しさが込み上げた。
僕は死ぬ勇気もない意気地無しだ。
誰もいない瓦礫の街で僕は過ごした。
諦めきれず生き残りを探したけど、収穫は虚しさだけだった。
ひとりで瓦礫の中を歩いているとポロポロと涙がこぼれてくる。
寂しかった。怒りも嘆きも投げつける相手はもういない。
本当なら今頃は、彼女と一緒に大学生活を送っているはずだったのに。
あんなに猛勉強して彼女と同じ大学に入学することが決まっていたのに。
陽が落ちると、あたりは真っ暗になりでも、どこまで見渡しても地上に灯はない。
電気も火もないということは生き延びた人は本当にいないということだ。
闇に包まれた地上とは対照的に、夜空には今まで見たこともないくらいの星空が広がっていた。キラキラと輝く宝石箱のようだ。人がいなくなったせいでこんなに綺麗な星空が見えるのだから皮肉なものだ。
絶望に打ちひしがれているのに、こんなに綺麗な星空を見ていると、あの子と……、麗奈と見れたらよかった、なんて無意識に想ってしまい心がズシリと重くなる。
もうこの世にはいない彼女。
学校や街や僕以外の人々と同じように、燃えてしまった彼女。
僕はもうあの笑顔を見ることはできない。
僕が恋したポニーテールが似合う少女。
山崎麗奈。
星空を見上げながら彼女のことを思い出すと、どうしようもなく涙が溢れてくる。
僕が彼女に告白したのは半年ほど前。部活帰りの夕暮れのことだった。
いつもなら軽音部の僕とカズマ、美術部のアズサと麗奈の四人で川沿いの道を馬鹿騒ぎしながら帰るのだけど、その日はたまたま麗奈と二人で土手の道を歩いていた。
今日が告白のチャンスだ。僕は思った。
僕がいつもより言葉数が少なく、表情も不自然に固かったので隣を歩く彼女は僕が何を言おうとしているのか薄々勘づいていたようだ。
僕が意を決して恋心を打ち明けると、彼女は立ち止まり泣きそうな顔になった。
そして、こう言った。
「ありがとう。でも今は誰かと付き合ったりとかはしたくないんだ」
もう遠い世界の思い出になってしまったけど、僕はあの日の彼女の言葉を一字一句忘れてはいない。
「わたしはアズサと君とカズマと四人でいられる時間がとても好きなんだ。お昼休みとか部活帰りとか、ファミレスに寄ったり買い物したり、一緒にテスト勉強したり。四人でいる時が一番楽しいんだ。けどさ、永遠にこうしていられるわけじゃないのはわかってる。どうせもうすぐ卒業だし、カズマは就職だしアズサは上京して美大行くし。近いうちに離れ離れになっちゃうのはわかってる。でも、だから、卒業までは仲の良い四人組でいたいの。……ごめんね、自分勝手で」
ハッとした。僕だって四人でいる時が一番楽しかった。陰謀論にハマって怪しい奴らとばかり一緒にいるようになってしまった父や、そんな父の散財のせいで大学受験の費用がないこととか、将来の不安を忘れられる時間だった。
それなのに、勝手に恋に燃え上がり、自分の気持ちを優先するあまり、彼女や友達のことを蔑ろにしてしまっていたのかもしれない。
僕が顔を青くして謝り、今のことは忘れてほしいと言った。けど、彼女はかぶりを振った。
「違うの。わたしもね、本当は君のことが好き。でも、今は四人の時間を大切にしたいの。自分勝手なのは私の方だよ。好きな人に好きって言ってもらえたのに、今のみんなとの関係を壊したくなくて……。勝手だよね」
そんなことない、と僕は言った。僕の気持ちはずっと変わらないから、と彼女の瞳を見つめて言うと、彼女のつぶらな瞳は潤んだ。
「もし、こんな私でよければ、もし君が卒業する時まで、まだ私のことを好きでいてくれたら、そしたら、私のこと恋人にしてくれる?」
彼女は俯くと、恥ずかしそうに肩を縮こませた。
僕は馬鹿みたいに何度も頷いた。
僕たちの約束は二人だけの秘密だった。
クラスメイトはもちろん、カズマやアズサにも二人の約束は隠した。
いつも通りの仲良し四人組のままで卒業までは過ごすために。
それからの毎日はキラキラしていた。
彼女の笑顔は眩しくて、四人の日々は笑い声に満ちていた。
ずっと未来に青春時代といって思い出すのはこの四人で過ごすなんでもない日々なんだろうな、と思っていた。
今も未来も、どこまでも明るく思えた。
……けど、全ては過去のことだ。
みんな燃えてしまった。金持ちも貧乏人も政治家も軍人も独裁者も。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
大義名分を掲げ、人々の為にと武器を振りかざし、結果はこれだ。
世界は滅亡した。
ひとりぼっちのシェルターの中で、僕は自分達の愚かさを悔やんだ。
人類が滅ぶ現場に立ち会うなんて想像もしなかったけど、これが現実だ。
こぼれた水は戻らない。
日々は過ぎた。
瓦礫の中にも草木が芽吹いた。
春が過ぎ夏が近づいても、僕の心は悲しみに浸かったままだった。
そして、次第にシェルターの食料も少なくなってきた。灰色の雨に打たれたせいか、どうも体調も良くない。なんだか最近咳が止まらなし、体中が痛い。
きっと、僕ももうすぐ死ぬのだ。
薄い毛布にくるまって考えるのは麗奈のことばかりだった。
彼女に会いたかった。
考えたら涙が出るから、考えないようにしていたけど、そんな時に限って彼女は夢に出てくる。
夢はいつも同じだ。教室に僕はいる。クラスメイトがいて、先生が授業をしていて、麗奈が隣で笑っていて、そこには当たり前だった日常があって、この荒廃した世界の方が夢だったんだって、夢の中の僕は思い出してホッとする。
けど、窓の外を覗けば荒れた瓦礫の街が広がっていて、黒焦げの遺体が転がっていて、夢の中の僕はこれが夢だと気づいてしまう。
ずっとここにいたい。夢から覚めたくない。そう願っても、教室は崩れ去り、麗奈も瓦礫に埋もれて消えてしまう。
僕は彼女の名を叫ぶ。しかし、彼女は帰らない。
そして目が覚めて、涙がこぼれる。そんな夜を繰り返した。
蝉の声で夏が訪れたことはわかったが、体の調子は徐々に悪くなり、外に出かける気になれなくて、シェルターでひとり色々なことを考えることが増えた。
誰とも会話できないのだから、対話は専ら自分とするしかなかった。
争いばかりで地球を汚す人類が滅びることも悪いことではなかったのかも、とか、僕だけが一人生き残ったことに何か意味があるのではないか、とか。
僕はまだまだ子どもで、世界の紛争を止めることなんかできるわけはなかったけど、こうして生き延びたのだから、未来の人に向けて何かメッセージを残すことはできるはずだ。そんなことを考えた。
例えばエジプトのピラミッドに残された象形文字のように、例えば石碑に残されたハンムラビ法典のように、未来の人が過去の遺産を見て、当時の暮らしや思想を知り、平和への糧にできるように、僕も未来のためにシェルターの壁に何か文字を残そうと思った。
シェルターは地下にあるし壁は頑丈だ。うまくいけば、きっと遠い未来にもその姿を残してくれるだろう。
弱りきった体を起こし、工具箱から出した道具でガリガリと文字を彫り込んだ。
僕らの文明は愚かな戦争の末に自滅したのだと文字を綴り、世界がどうして滅んだのか説明を記そうとした。
……けど、僕の手はすぐに止まってしまった。
僕は戦争が起こった歴史的背景も詳しく分からないし、どういった戦況や指導者の思惑の中で核兵器が使われたのかも知らなかった。
ニュースなんか興味なかった。世界情勢なんて知ろうともしなかった。
僕は無力だった。テスト勉強はなんとか出来ても何も知らなかったのだ。
こんな無学な学生じゃなく、頭の良い学者が生き残れば良かったのに。
僕には書くべきことがなかった。情けないけど、数行だけ書いて文字を掘る手は止まってしまった。
僕が未来に残せるものは何もないのか。
このまま死んでいくだけなのか。
無力感に苛まれ、肩を落とす。
そんな時、また麗奈のことが頭に浮かんだ。
僕は男らしくない。
いつまでもメソメソと彼女のことばかり考えてしまう。
星空を見上げる時も、ひとりで缶詰を開けている時も、瓦礫の街を歩いている時も、いつも頭によぎるのは麗奈のことだった。楽しかったこと、将来について話し合ったこと、髪の匂い、おどけた時の表情。貸してあげる予定だった漫画を忘れてガッカリさせてしまったこととか、欲しがってたキーホルダーを買ってあげればよかったとか、そんな日常の出来事や些細な後悔が、いつも心にあった。
僕の中はいまだに彼女のことでいっぱいで、ひとりぼっちになってから、それはむしろ加速している。
彼女への想いだったらシェルターの壁面を全部埋めるくらいに書けそうなのにな。
そんなことを自嘲気味に思った時、閃いた。
そうだ。
僕は気がついた。
彼女のことを書けば良いのだ。
僕と彼女の恋は秘密だった。
友人との関係を保つために二人が両思いであることは誰にも言えなかった。
けど、僕は本当はちょっぴり、みんなに自慢したかった。
両思いの子がいるんだ、とっても可愛くて性格のいい子なんだって。
みんなに言いたかった。
彼女は電車で絶対に老人に席を譲るし、先生の手伝いを率先してやるし、脱いだ靴はきちんと揃えるし、お菓子を作るのも上手いし、僕と張り合ってラーメンの替え玉をするし、鞄に付けるアクセサリーとかのセンスは変だけど、服はおしゃれだし茶目っ気もあるし、人のために心から涙を流せるような本当に優しくて良い子なんだって。
きっとどんな人に言っても、みんな羨ましがるだろう。
それは未来の人だってそうだ。
僕が未来に伝えることができるのは、自ら滅ぼすような野蛮な人類の中にも彼女のような素敵な人が沢山いたということ。
そして、なんの罪も無い彼女のような優しい人々が、どこかの大国の自尊心とか強欲とかのために大勢死んだということくらいだ。
だから、僕は伝えるんだ。
未来に生まれる新しい文明の人々に。
彼女の優しさを。可愛さを。
彼女を失った僕の悲しさを、やるせなさを。
戦争の愚かさを。
僕は思いの丈をこめて文字を掘った。
いつか未来の人々がこのシェルターの跡を発見してくれて、この壁面の文字を解読してくれることを祈って。
壁一面に文字を彫り込んだと同時に、僕は血を吐いて床に倒れ込んだ。
息をするのも辛い。全身が痛い。
自分の死を悟りながらも、僕は満足していた。
彼女を思い出している時、ずっと彼女はそばにいてくれたから。
目の前にいなくたって、僕の中で彼女は生きていた。
そして、今、壁一面に描かれた文字の中に、彼女は生きている。
僕は死んで、土になって、風に吹かれて、消えてしまっても、きっと何百年、何千年、いや何万年先まで、彼女は文字の中で優しく美しいまま生き続ける。
僕は最後の力を振り絞って震える手を伸ばし、壁に掘った愛しい彼女の名前をなぞった。
彼女の名前に指先が触れると、心が優しさに包まれているようだった。
意識が遠のいていくのを感じたけど、何も怖くなかった。
目を閉じたら、きっとまた彼女に逢える。
だから、何も怖くない。
もう、なにも怖くないんだよ。
僕は自分に言い聞かせた。
終
【ひとりぼっちの恋】 ボンゴレ☆ビガンゴ @bigango
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