第13話 この後輩には

「おお……」


 いつぶりの映画だろうか。

 スクリーンに映し出される映像に合わせた動きや各種特殊効果で、臨場感が演出される。久しぶりにこの形で映画を観るけれど、ちょうど大自然がベースの壮大な物語ということも相まってかなり迫力がある。


 左隣の席に座る霧島も最初はいろはと車谷に注意を向けていたらしいが、映画が始まってからは夢中でスクリーンを眺めていた。


 突如、水の中から大型の生物が飛び出すシーンがスクリーン映し出される。それに合わせて激しく座席が揺れ、水飛沫が散った。


「ひうっ」


 左隣から可愛らしい声が漏れる。

 おそるおそる左を見ると、肘置きをがっちりと掴んで背筋を伸ばした霧島と目が合う。いや、正しくは特殊なレンズを掛けているためその視線までは分からない。が、明らかに彼女もこちらを見つめていた。


 最後尾の席ということもあり、周囲からの視線はない。俺は口角を僅かに上げて優しく微笑み返す。いくら生意気な後輩とはいえ、映画を観て驚いて声が出るなんて、可愛らしいところもあるじゃないか。


 暗がりの中、霧島の顔がかすかに照らされる。ほんのり赤く染まった頬。彼女は歯を食いしばると、ノータイムで俺の左足を蹴り上げようと……したのに席が遠くてその足は届かない。そう、普通の映画よりもこの形の席の間隔は若干ではあるが遠いのだ。


 頑張って何度も足をぷんぷんと振るが、霧島の足が俺の足を捉えることはない。シーンに合わせてまたも席が動きだし、霧島は驚いたように肘置きを掴む。彼女の頬がさらに紅潮していく。

 なにこれ面白い。いつも生意気な後輩が映画の席にされるがままなの可愛い。


 俺は足を組み直すと、スクリーンに視線を戻す。面白いものが見れた。これだけでも5,200円の価値はあったな。


「…………ん?」


 ふと気づく。左側……いや。左上、か? 

 視線を感じて俺は顔を上げる。掛けていたレンズを外してこちらを見下ろす霧島がそこには居た。すみません係員さん。この子立ってます。


 最後尾だからまだアレだとしても、映画の上映中は立ち上がるのやめましょうって上映前に言ってただろ? 頼むから座ろ? などと言えるはずもなく。


 次の瞬間、俺の左足の甲の辺りにとてつもない衝撃が走った。遅れて訪れる鈍く重い痛み。この後輩、座ったままじゃ足が届かないからって立ってから踏みやがった……!


『おあああああ……』


 声を出すわけにはいかないので、なんとか声を殺す。前屈みになってなんとか痛みを堪えている俺を容赦なく動く座席が揺さぶり、水飛沫が浴びせられる。おい今だけは動くな。この時だけは初めて特殊効果に殺意が湧いた。


「ふん」


 ぷいっとそっぽを向く霧島。

 どこかで少しデートっぽいな、なんて思った俺が馬鹿だった。やっぱり霧島凛には、この後輩には関わるべきではない。


***


「……さ。終わりましたよせんぱい。後を追いましょう」


 映画が終わり、明るくなったシアターで満足げに霧島が言った。俺はまだ少し痛む足をさすりつつ立ち上がると、遅れて彼女に続く。先にシアターから出ていったいろはと車谷を追う形になるだろう。


 まったく。借金は元通りになるわ足は踏まれるわ散々な映画鑑賞だった。映画の内容は良かった。迫力もあって話題通りの作品だった。


「なかなかでしたね」

「そうだな。本来の目的覚えてる?」


 俺はご機嫌な霧島にそれだけ返すと、シアターの階段を降り、左側へと折れる。先を進む霧島のふわふわと揺れる後ろ髪を眺めながらため息をついて。


 入口の扉をくぐった。

 左手にあったゴミ箱へ飲み物の容器を捨てて、トイレでも行こうかと歩き出したところで。


「――お兄ちゃん? なにしてるの?」


 聞き覚えのある、よく通る声だった。

 後ろを振り返るまでもない。すぐ前に立っていた霧島の顔を見る。彼女の視線もまた、俺の背後へと向いていた。 


「…………お兄、ちゃん?」


 そうつぶやいて、こちらを見る霧島。


 こういう場合のことを、考えていなかったわけではない。けれど、いくらなんでも早すぎる。


 俺は一瞬だけ迷って。

 霧島に告げる。


「こ、こんにちは……。えっと、影山いろはの兄の……影山創です」


 霧島が、小さく唇を噛むのが見えた。

 

 

 

 

 

 

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影の薄すぎる俺を見つけるのはやめてくれ アジのフライ @northnorthsouth

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