古書の紡ぎ 🔖

上月くるを

古書の紡ぎ 🔖





 正社員だったころの読書は新刊専門で、だれが手にしたか分からないような(笑)古本には見向きもしなかったが、契約社員にされてからは、そうもいかなくなった。


 生活の質を見直してみれば1冊100円の文庫は超お買い得だし、かかりつけ医に教わった「閉めきった車内に放置する」滅菌法で、病的な潔癖症も解消した。(笑)


 古書への抵抗感がなくなると、文学以外のジャンルにも興味を抱くようになった。

 専門書籍には相応の値札がついているが、新刊に比すれば文句なしの廉価である。


 小説を通じて多少の知識があった歴史、逆に、まったく関心がなかった自然科学、変わったところでは恐竜事典 etc. その気になれば、古書店の書棚は宝の山だった。



      🔭



 その本は「趣味」のステッカーで分別された棚に、園芸や俳句と背を並べていた。

 列島各地の農漁村で何代にもわたって使いこまれて来た古布を再生させる裂織さきおり


 なぜその1冊だけに目を惹かれ、背伸びしてやっと届く上段に手を伸ばしたのか。

 あとから思い返せば、その本に、そっと手招きされた……そんな感じだったかな。


 A5判の上製、帯巻は付いていないが、表紙カバー、本文とも傷みが目立たない。

 巻頭のカラー口絵8頁に、全国の裂織の産地別に美しい作品群が紹介されている。


 目次以降はモノクロ刷り、ぎりぎり工夫して印刷費用を抑えながらも全体に丁寧で品格がある本づくりで、この本を担当した編集者の並々ならぬ愛着が伝わって来る。


 久しぶりに読者の心をとらえるホンモノの書物に出会ったことを実感した翔子は、迷わず購入を決め、自分の胸に飛びこんで来てくれた小鳥を大切にレジへ運んだ。



      🚗



 駐車場の車にもどると、まずはウェットティッシュで表紙カバーを浄める。(笑)

 それから、崇高なものを扱うように、ハードカバーを丁寧にめくっていくと……。



 ――あらっ?! (@_@。

 

 

 さっきは気づかなかったが、300頁ほどの総頁の中ほどに1枚のハガキがある。

 なにかしら? 古い栞やレシートはよく見かけるけど……裏返してドキッとした。



 ――うわあ、なつかしい! (^。^)y-.。oo○

   あの人の、文字だわ! ヾ(@⌒ー⌒@)ノ



 決して達筆ではないが、あま~い味がある筆跡には、見覚え以上のものがあった。

 ブルーブラックの微妙な擦れ加減に独特なクセを秘めたモンブランの万年筆……。


 

      🎞️



 短大を卒業した翔子は、下町の雑居ビルに事務所がある小さな出版社に職を得た。

 初老の社長、営業・編集スタッフが数人で、末席の編集兼事務として採用された。


 椅子がぶつかり合うほど狭い事務所の背中合わせが、編集責任者のU先輩だった。

 出社初日に挨拶を交わした瞬間に、黒縁メガネの奥で瞬く双眸に魅了された。✨


 だが、期待したなにも起こらず時間が過ぎて行ったが、忘年会の帰り、家の方向が同じふたりで夜道を……婚約者の存在を承知のうえの、だれにも言えない恋だった。


 ありがちな破局の末に会社を辞し、U先輩とも会えなくなったが、目にしただけでジンとする文字が記されたものは業務用のメモや付箋に至るまで捨てられなかった。


 

      📝



 堂々の常連になった(笑)古書店の本にひっそり眠っていたのは、内容からして、読者から版元に寄せられた感想に対する、担当編集者からの返信であるらしかった。


 右肩上がりの几帳面なペン字、一言一句も疎かにしない文面は、受け取った読者を大いに喜ばせたにちがいないが、その後、この本をどんな運命が見舞ったのか……。


 遺産整理のとき故人の蔵書はまとめて売り払われることが多いと聞くが、この本もそうした1冊として、中身もあらためられずに古書業界の流通に乗ったのだろうか。



      🧩



 翔子が去って間もなく出版社の経営は破綻し、U先輩も巷に散ったと聞いている。

 幻となった当時の唯一の証しが、編集者からのハガキを挟まれたままの古書……。


 地方の通勤に不可欠な軽乗用車の運転席に座った翔子は、ぼんやり外を見ていた。

 コロナ自粛で本を読む人口が増えたのか、日曜日の古書店の駐車場は満車に近い。





 

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