白いキャンバス

こいる

最終話

中学1年生になった。


わたしは中学に入ったらテニス部に入ることに決めていたから、入学したらすぐテニス部にはいったの。理由はテニスしてる女の人がすごくかっこよく見えてあこがれたのが始まり。中学になって少し勉強が難しくなって学校の授業は好きじゃないけど、テニス部で部活するのは楽しくてとっても充実した毎日だったわ。なんだか自分がかっこいいお姉さんに慣れたみたいでちょっと誇らしかった。


中学1年の夏休み。


あの日も、暑い日の下で真っ黒に日焼けしながら部活してたの。他の子は日焼けがとか言ってクリームを塗りたくりながら部活してたけど、わたしのあこがれの女性テニスプレイヤーは日焼けしてるから気にしなかったわ。お母さんは、「またこんなに日焼けして・・・、女の子なんだから肌は大事にしないと」ってうるさかった。日焼けしてるかっこいいお姉さんになりたかった。


わたしは、炎天下でふらつきながらも必死にラケットを振り、コートを走った。部活ももう終わる時間に差し掛かった時、頭が痛くなって、吐き気がひどくなったの。頑張りすぎたのかな。意識がふらふらしてきたわたしを見かねた先生がわたしを保健室に連れて行った。


保健の先生は熱中症かな~と言ってわたしを病院に送ってくれた。吐き気と頭痛がひどかったけど、駆け付けてくれたお母さんを見て安心したら眠たくなって眠っちゃった。




それからわたしは一度も学校に行っていない。ずっと病院で入院してるの。看護師さんは優しいし、他にも子供がいっぱい入院してるから話し相手には困らないんだけど、テニスをしなくなってわたしの肌はすっかり白に戻ってしまった。そしてわたしの腕にはいつも針が刺さってて、身動きがとりづらい。お母さんが言うには「リンパ球?」っていうのが多すぎるんだって。それが治るまではテニスできないんだってさ。つまんない。


そんなつまらない毎日でも楽しくなれたのが勉強だった。毎日担任の先生の八島先生が教えに来てくれるの。八島先生はまだ20代で若い先生なのに教え方がすごいわかりやすいんだ。今までテキトーにしか授業聞いてなかったからわからなかったし成績もよくなかったんだけど、八島先生はそんなわたしを叱ったりせずに優しく丁寧に教えてくれた。


今でも勉強は苦手だし好きじゃないけど、先生と出会えてしゃべることできるこの時間は好きだった。


多分寂しかったんだと思う。最初クラスのみんなはわたしのお見舞いに来てくれていたけど、最近はめっきり来なくなったからね。それでも先生は毎日欠かさず病室に来てくれた。うれしかったんだ。もう学校のみんなに見捨てられたんじゃないかって思ってたのに。本当に怖かったんだ。苦しかったんだよ。でもそんなわたしを先生は見捨てなかった。


お父さんとお母さんは交代でお見舞いに来てくれるけど、親族以外でわたしに会いに来てくれるのは八島先生だけになった。八島先生とはいろんな話をしたんだ。


お父さんのことやお母さんのこと、友達のこと、大好きな女性テニスプレイヤーのこと、テニス部での面白おかしい出来事、ずっと入院したままの不満、そして一人病院で眠るときに寂しくて悲しくて泣きそうになることとか、いっぱい話したの。


将来の夢も話したわ。中学高校、大学とテニスを頑張ってかっこいい女の人になって活躍したいってこと。実際何になるかどんな職業になるかは分かんないけど、社会に貢献出来てかっこいい職業がいいなと思ってる。そして、いつか素敵な男の人と恋をして結婚して、子供ができて・・・。そんなざっくりとした夢。



でももしかしたら、この先叶うことがないかもしれない夢。わたしが心に秘めてた夢。


八島先生はわたしの夢を聞き終わるとゆっくり微笑んで、「いい夢だね。」とつぶやいた。


「結局何になりたいか決まってないし、テキトーな夢でしょ?」

わたしは苦笑しながら先生に言った。


でも先生は、目を閉じて首を横に振る。そしてわたしの両肩を優しくつかみ、わたしを正面から真剣な目で覗き込む。


「ちがうよ、美代ちゃん。自分の夢をバカにしちゃいけない。たとえ周りの誰もが美代ちゃんの夢を笑ってバカにしたとしても、自分だけは笑っちゃいけない。自分の夢に誇りを持たなくちゃいけない。」


「でも今時お嫁さんになりたいって子供みたいだし・・・」

わたしはうつむいて小さく反論する。投げやりでぐちゃぐちゃな気持ちがうずまいていく。先生のことは信頼してるけど、でも、ほんとのところわたしの気持ちなんてわからないよ。


だって、だってさ先生。元気な先生にはわかるわけないよ。


先生を払いのけようと腕に力を入れるけど、先生の手は思いのほかがっちりわたしの肩をつかんでいて動けない。


放して!


そう言おうと顔を上げると、先生の顔がすぐ目の前だった。ちょっと動いたらわたしと先生の唇が触れてしまうくらい。


ボッッ

思わず顔が熱くなる。


先生は同じ真剣なまなざしでわたしをみつめてる。さっきまでのナイーブな気持ちが変な方向に流れて行って、そしてなぜかドキドキして。自分の気持ちがよくわからない。


混乱したわたしを見て、先生はフッと笑う。


「美代ちゃん。ちょっと外にいこっか。」


そう言うと、先生はズボンのポケットからスマホを取り出し「ちょっと待ってね」と手で制する。どうやらお母さんに許可を取ってるみたいだ。




お母さんや看護師さんに許可がもらえたようで、わたしは車椅子に乗り移り外へ連れていかれる。病院の外に出るのは久しぶりで少しワクワクした気持ちになる。


病院を出ると先生は車椅子を押してズンズンすすんでいく。外の道に出ちゃったけど、ここは田舎だし車どおりはそんなに多くない。どこに行くのか先生に聞いても先生は「内緒。」と言って教えてくれない。病院がどんどん小さくなっていく。




「着いた・・・!」


先生が連れてきてくれたのは、海だった。今はもうすっかり秋で、海水浴をする人なんて一人もいない。風通しの良い海岸を涼しい風が吹き抜けていく。夕焼けで空が赤くなって海を明るく照らしていて、水平線の向こうに沈もうとしている太陽が見えて少し眩しい。



「どうして海に・・・?」

わたしがそう聞いても先生は水平線の向こうを見つめたままで何も答えない。



わたしは首をかしげて先生が見つめる赤焼けの水平線に目をやる。



そうして少しの間が開いて、ようやく先生は口を動かし始めた。


「夢っていうのはね、真っ白のキャンバスに描いた絵なんだよ。真っ白なキャンバスにはどんな色も使うことができるし、どんな絵を描くこともできる。地味な絵も派手な絵もきれいな絵も汚い絵も描くことができるんだ。」



答えになってない。先生の言ってることがよくわからない。


「美代ちゃん。人間ってのはみんな生まれた時に真っ白キャンバスをもらっているんだ。みんなそこに自分の好きな色で自分の好きな絵を描くんだよ。そしてそのキャンバスに描かれている絵は、みんな違うんだ。だれ一人同じ絵を描いてないんだよ。」


先生は懐かしそうに、そしてなぜか悲しそうに水平線を見つめている。

こんな先生、初めて見たな・・・。



「美代ちゃんの夢は、美代ちゃんがこの13年間一生懸命描いてきた、世界に一つだけの絵なんだよ。美代ちゃんが生まれてお父さんとお母さんと出会って、大きくなって、小学生になって、中学生になって。その長い時間を、その大切な時間を表してるのが夢なんだよ。」


そういうと、先生はわたしの方へ振り返り、腰を落としてわたしと目線を合わせてくる。そして、まるでふわっと綿でも触るかのように先生の両手がわたしの頬を包み込んでくる。


「だからね、美代ちゃんの世界で一つだけの絵を美代ちゃん自身がバカにしちゃいけない。自分の絵を大事にして、自分の夢を信じなきゃ。」


先生の両手があったかくて、そのせいか少し頬があったかくなってきて、そしてなぜだか目から水がボロボロとあふれ出てきて。それなのに先生の両手は安心感があって。


でもそんなわたしを先生に見られたくなくて、わたしは顔を伏せ先生のカッターシャツに顔を押し付けた。


その日は、日が沈みすっかり暗くなるまで先生はわたしの背をさすってくれた。



それから、半年後わたしの体調は悪くなる一方だった。お見舞いに来てくれるのはお父さんとお母さんと八島先生だけ。


苦しくて辛い日々が続いた。ゴホゴホ咳はでるし、なんか熱っぽいし。


でもあの日先生にもらった勇気。これを放り出すことなんてしないと心に決めたの。


わたしはわたしの夢をあきらめない。わたしの夢はいつかきっとかなう。そう心で信じ続けた・・・。








入院から2年がたった時、わたしはようやく学校に出向くことができた。2年も経っちゃったからもう皆3年生。なんとなくみんなお兄さんお姉さんになってきていた。


わたしより小さいと思ってた友達の真紀ちゃんの胸はすっかりおおきくなり、腰はくびれて大人の女の人みたいに姿になってた。背も負けてるかな?

他の子もそう。男の子だとヒゲっぽくなってる子もだいぶ増えてきてる。肩や体つきもがっしりしてきて大人に近づいてるんだなぁと感じた。


こうやってみんな大人になっていくんだね。いいなぁ~青春してたんだろうなぁ~。


でもわたしだってまだあきらめてない。2年前のあの日のこと忘れてなんかいないんだから。



教室に入ると、みんながやがやと話していてにぎやかだね。


わたしの席はどこだろう。お母さんには今年3年生の組は3組だって聞いてたんだけど。


担任もあの時と一緒で八島先生。わたし楽しみにしてたんだよね。



あの日の八島先生との一件があってから、先生が来ると顔が赤くなってしまうことが多くなり、それが恋だと気づき始めたのはいつのころだったかな・・・。


先生にはこの気持ちは伝えてない。


なぜって、わたしが入院したままだと先生に告白したって困っちゃうでしょ?寝たきりの子を彼女にしてくれるはずないもの。だからわたしは入院中一生懸命頑張った。一生懸命わたしの病気に勝つために頑張ったんだよ。


わたしはキャンバスに先生の絵を描きこんだんだから。かなえるために頑張らないと。



心の中で過去を思い出していると、ガラガラと教室の扉が開いて八島先生が入ってきた。


八島先生!


そう叫ぶと先生は驚いたように目を見開き、にこっと笑ってくれた。


朝礼が始まると、一つだけ席が空いてたからそこに座った。多分ここがわたしの席だろうから。




一日の授業が終わると帰り支度。わたしが廊下を歩いていると、「美代ちゃん?」と後ろから声がかけられた。


振り返るとそこにいたのは八島先生だった。



先生!帰ってきましたよ。久しぶりの授業楽しかったなぁ!わたし、頑張ったでしょ?



先生は嬉しそうに目を細め、「よかった、よかった。よく頑張ったなぁ。」と喜んでくれた。そんな先生を見てわたしも嬉しくなってくる。先生のこの笑顔を見るために、先生に告白するために、頑張ったんだよね。




先生、お願いがあるんだけど。こっちに来てくれる?


わたしはそう言って先生の手を引き、校舎裏に連れて行った。先生も戸惑いながらもついてきてくれた。



「どうしたんだい?美代ちゃん。」


先生がそういうとわたしは先生に向き直り、気合を入れて先生の目をじっと覗き込む。



先生・・・、覚えてる?


わたしが入院してた時、先生は毎日毎日来てくれて勉強を教えてくれた。

わたしが落ち込んだ時、先生は海に連れて行ってくれて励ましてくれた。先生はわたしに希望をくれたの。夢をくれたの。だから・・・



わたしは、そこで言葉を区切った。


先生はあの時と同じ真剣な目でじっとわたしを見つめてる。中学生が教師に告白なんて本当は結ばれない恋だってわかってるけど、でも・・・!



先生は、ぐっと目頭に力を入れて目をつむり、そして再び目を開く。すこし目が涙ぐんでいる気がする。



「美代ちゃん、ダメだよ。」



わたしはまだ何も言ってない。


でも先生には伝わったのか、伝わってないのか、そう低い声でわたしを制止した。



わたしは目に涙を浮かべ、うなだれる。そうだった。わたしたちは先生と生徒。大人と子供。結ばれるわけがない恋だったんだ・・・。なんでこんな夢見ちゃったんだろう。なんでかなうと信じていたんだろ。


「美代ちゃん。こっちに来て。」


先生はそういうと、校庭へとわたしを誘う。今日は晴れていて校庭が眩しく光ってるように見える。そして先生はわたしのことをじっと見て言った。


「美代ちゃん。みて。」


先生はわたしの足元を指さした。不思議に思って下を見たわたしは思わずしりもちをついた。



わたしの足元には・・・影がなかった。




そっか、そっかやっぱりわたし・・・。でもそれならなんで・・・?




「美代ちゃん・・・。僕はね、もともと見えるんだ。」



そういうとわたしへ先生は近づいてくる。

触れないのに先生はわたしの両肩に手を置いて向き合う。そうすると先生の顔があの時みたいに目の前になった。


「だから、美代ちゃんは自分のやりたいことだけ考えればいいんだよ。」


いつも通りの優しい先生の顔だった。でも先生の目が少し水をためこんでいる。



優しい先生。


わたしだけの先生。


だから、そんな先生を縛り付けるようなこと、わたしは言えない。



「美代ちゃんはいずれ行くところがあるでしょ?だから美代ちゃんが旅立つときまで一緒にいるよ。だめかな?」




先生は、いつもの柔らかい笑顔でそういってくれた。



いいよ。もう一度だけ、あの場所に行きたいの。



先生・・・。ほんの少しの間だけでいい・・・。夢を。




わたしと先生は、2年前いった海に向かった。


あの時のわたしは車椅子だったけど、今はしっかり自分の足で立って先生の横にいる。


はたから見たらまるで恋人みたいだろうね。人気のない涼しい海辺に立つ二人の男女が遠く水平線を見つめてる。


日が落ちてきて赤くなった空を見つめると、いつまでも日が沈まない気さえしてくる。この時間が永遠に続けばいいのにね・・・。


わたしはすこす嬉しくなって横にいる先生の顔を覗き込む。


先生はバツが悪そうな顔をして「ごめんな・・・。こんなことしかしてやれなくて。」と弱気になった声を絞り出す。


そんな弱気な先生をみて、わたしは思わずくすっと笑ってしまう。なんだか前と立場が逆になったみたいでわたしは面白かった。




先生・・・聞いて。




わたしの声を聞いて、先生はハッと顔を上げた。先生の目が少し赤く腫れている。



わたしのために泣いてくれたのだろうか。わたしのことをおもってくれてるのだろうか。



もしもそうなら・・・。



わたしはニヤッといたずらっ子みたいな顔で先生に笑いかけた。



先生。わたしは幸せだったよ?




「どうして?」




だって、




だってわたしの夢が今、かなったんだから






その日の夕方、白い紙が風にのって海に飛ばされているのを見かけたという。




その白いキャンバスに描かれた絵はいったいどんな絵だったのだろうか。

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白いキャンバス こいる @damadama8913

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