第2話 お姉ちゃんの恋人(後編)

 冬が近くなってくると、放課後は高校受験対策の補講が入ることが増えて、私は毎日学校から帰るのが遅くなった。自然と、啓太さんに会う機会も減っていった。


 お姉ちゃんは大学に受かれば、春からは一人暮らしだ。そうすれば啓太さんはうちには来なくなって、会うこともなくなる。


 時々無性に会いたくなったり、たまに家で顔を合わせて嬉しくなったり、お姉ちゃんと笑い合っているのを見て心が痛んだりは続いていたけれど、受験勉強に没頭することで、なんとか気持ちに折り合いをつけていた。つけているつもりだった。




 第一志望の受験の日、帰宅するとお母さんは出かけていて、家には誰もいなかった。


 部屋に入り、制服のままベッドに倒れ込む。


「あー、駄目だ、シワになる……着替えないと……」


 わかってはいるけど動けない。眠い。今すぐ寝たい。


 うとうとしかけた時。


 ピーンポーン。


 インターホンが鳴った。


 宅配便かと思って、のろのろと起き上がり、居間にあるインターホンのボタンを押し――。


「えっ!?」


 マンションの一階のカメラに映っていたのは、啓太さんだった。


 お姉ちゃんは一緒じゃない。


 なんで一人で来たんだろう。


「はい」

「神田です」

「あの、お姉ちゃんは、まだ帰ってきてなくて」

「遅れるって聞いてる。先に入っててって言われた」

「そうですか」


 初対面ならともかく、これまで何度も来ている人で、もはや家族公認の相手だ。入れられません、なんて言えるはずもなく。


 私はインターホンのボタンを操作して、一階のオートロックを開けた。


 啓太さんが上がってくる間に、ぱぱっと手ぐしで髪を整え、スカートのシワを手で伸ばす。


 再びインターホンが鳴るまで、なんだか妙に緊張した。


 玄関の扉を開ければ、当然そこには啓太さんがいて。


「どうぞ」

「お邪魔します」


 お姉ちゃんがいないからか、啓太さんも緊張した様子だった。


「いま、お母さんもいなくて」

「えっ!? てことは、二人きり!?」

「はあ、まあ、そういう事になりますね」


 啓太さんの言葉に、私も内心ドキドキしながら、でも表面上は取り繕って答えた。そうか、家に二人きりなんだ。


 何食わぬ顔で、お姉ちゃんの部屋まで案内する。


「帰って来るまで、適当に待ってて下さい」

「あ、あのさっ!」


 出て行こうとした私の腕を、啓太さんがつかんだ。それは、ぱっとすぐに放される。


「少し、莉子ちゃんと話がしたいんだけど、駄目かな?」

「いいですけど」


 切羽詰まったように言われて、私は了承するしかなかった。


 正座した啓太さんの前で同様に正座して、啓太さんの話とやらを待つ。


「……」

「……」


 なかなか啓太さんが話を切り出してこない。


 カチカチという時計の針の音と、自分の心臓の音だけが聞こえてくる。


 ああ、私は、やっぱりまだ啓太さんの事がすごく好きなんだ。


 啓太さんと部屋で二人だけでいるというシチュエーションに、心臓が爆発しそうになっていて、嫌でも自分の気持ちを自覚してしまう。


 お姉ちゃんの恋人じゃなかったら……お姉ちゃんと別れたら……私にもチャンスはあるのかな。


 そんな事を考えてしまって、自分が嫌になる。


 駄目だ。このままここにいたら泣いちゃう。


「話がないなら、私はこれで――」

「待って! あるから、話! あるから!」

「ではどうぞ」

「ええと、あーっと、うーんと……」


 啓太さんが、すっと息を吸った。


「俺のこと、どう思っていますか!」

「は?」


 突然言われた言葉に、目が点になる。


「莉子ちゃんは、俺のこと、男として、どう思ってる?」


 どうって。


 まさかそれを本人から聞かれるとは。


 もういっその事、私の気持ちを伝えてしまおうか。


 はっきりフラれれば、楽になるかもしれない。


 ……そんな事、できるわけない。


「かっこよくて、いい人だと思ってますけど」

「ほんとに!?」


 一般論的な事を言うと、ぱっと顔が上がる。とても明るい表情をしていた。


「よしっ」

 

 ガッツポーズをされて、余計にわけがわからなくなる。


「お姉ちゃんと喧嘩けんかでもしたんですか?」

「いや、別に?」


 てっきりお姉ちゃんと喧嘩して不安になっているのかと思ったけど、そういう訳ではないらしい。


「まさか……プロポーズをするつもりなんですか?」

「いやいや! まさか! 色々すっ飛ばしてそれはない! そりゃ、いつかはって思ってるけど、まだ早いと思うし、その前に、言わなきゃいけない事があるし……」


 さすがに高校生でプロポーズは早すぎか。突拍子もない想像だったようだ。


 でも二人とももう成人してるし、いつか結婚したい、って言うだけなら、別に年齢は関係ない。


 啓太さんは、お姉ちゃんとの将来の事まで考えてるんだ。そうか。いつかこの人は、私のお義兄にいさんになるのかもしれないんだ。


 ツン、と鼻の奥が痛くなった。


「言いたいことがあるなら、さっさと言っちゃえばいいんじゃないですか」

「じゃあ、言うことにする。いい?」

「どうぞ?」


 私に許しを得る必要なんてない。お姉ちゃんに何でも勝手に言えばいい。


 啓太さんが、真剣な顔で私を見た。


 え……私に言うの?


「莉子ちゃん、好きです。俺とつき合って下さい」

「……」

「……」

「……は?」


 たっぷり数秒フリーズしてから、私は間抜けな声を出した。


 何を言ってるの?


 私の事が好きだって言った? つき合いたいって?


「お姉ちゃんの彼氏なのに?」

「誰が?」

「啓太さんが」

「え?」

「え?」


 ぽかん、とお互い見つめ合う。


 すると、啓太さんの顔が、だんだんと青ざめていった。


「待って。もしかしてずっと誤解されてた? ないない。アイツとつき合うなんてありえない。俺が好きなのは莉子ちゃんだよ。文化祭に来たときに一目惚れして、ずっと好きだったんだ。ここにだって、莉子ちゃんに会いたくてお邪魔してたのに。アイツにはずっと協力してもらってただけだよ」

 

 啓太さんはお姉ちゃんの恋人ではない?


 ……で、私の事が好き?


 言われた事が頭にしみこんで来るに従って、私の顔に熱が集まっていった。啓太さんの顔が見られない。


「返事、もらってもいい? そんな顔されると、期待しちゃうんだけど」


 いいの? 言っても。私の気持ち。


「私も……好き……です」


 ずっと秘めていた想いを、もごもごと、なんとか口にした。


「……」


 返事がない。


 目線を上げると、啓太さんは無言で両の拳を天井に突き上げてガッツポーズをしていた。


 その時――。


 ガチャッ。


 突然部屋のドアが開いた。


「はーい、二人ともおめでとー! だから言ったじゃん、莉子は絶対に啓太のこと好きだって」

「えっ!? お姉ちゃん、知って……!?」

「そりゃそうだよ、妹の事だもん」

「そんな!」


 私が今まで頑張って隠そうとしてたのって、一体……!?


「まさか私たちがつき合ってると勘違いしてるとは思ってなかったけどねー。最初にちゃんと否定したのに」


 そうだけど! そうだけど! あれは絶対違うでしょ!? 家に連れてきたら彼氏だって思うじゃん!


「ていうか、お前、盗み聞きしてやがったな!」

「ばっちり録音しておきました。後でお母さんにも聞かせてあげなくちゃ」

「やめろ! 消せ!」

「お姉ちゃん、やめて!」


 啓太さんと二人でお姉ちゃんに飛び掛かろうとして――。


「~~~~っ!」

「~~~~っ!」


 ――長時間正座していた私たちは、足のしびれに悶絶した。






※5分で読書コンテスト「だれにも言えない恋」部門で優秀賞を受賞し、2023/2/15発売の「5分で読書 だれにも言えない恋」に収録されます。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【Web版】お姉ちゃんの恋人 藤浪保 @fujinami-tamotsu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ