第4話 女神の祝福を
◇
帝都の上空には大蛇が居て、そこから毒をまき散らしていた。異様な匂いを発していて、全てを腐食させる毒を。逃げ遅れた民が巻き込まれて、阿鼻叫喚の地獄絵図を見ているようだった。
城の望楼へと登り空を見上げる。街の四方では魔法兵団が待機していて魔法を構築し、魔力を充当させている。
「団長、準備があと少しで完了します」
魔導師らとやって来たドロシアもその目でヨルムンガンドを確かめた。魔力が弱いものならば見ただけで卒倒しそうな相手、なるほど魔神と言われるはずだ。
「これより第一級戦略攻城戦集合魔法を行う。総員構成を行え!」
六芒星をほうふつとさせる位置取りになる、中央に団長が立つと詠唱を始めた。周囲の魔導師らが魔法兵団が供出する魔力を集め【テンペスト】が構築した【グランツ・ブリッツシュラーク】の発動権限を団長が受け継ぐ。全ての魔導師がたった一つの魔法に集中している、その時、ヨルムンガンドが望楼に立っている無防備な魔導師らに毒の雨粒を高速でぶつけた。
詠唱に集中している魔導師らは、ここで中断するわけには行かない。全てが無に帰する可能性があるからだ。毒が飛散して来るが、怯えることもなく、真っすぐに前を向いたまま。
その覚悟を認めた。
「ΛБЖΦデヴィエーション」
ドロシアが小さく呟くと、毒の雨粒が望楼を避けて後方の離宮へと降り注ぐと、建物を腐食させて崩れ落ちる。医務室は本宮にあるので偶然ではない。
打ち消すでも、防ぐでもない、軌道を少しだけずらす。極めて高度な魔法操作能力と、僅かな魔力が必要とされる神業の一つ。
魔導師らが驚愕する。全員が魔法に拘束されている今、これが可能なのは一人しか居ないと気づいて。続けてドロシアが祈りを捧げる。
「汝が子が、聖マリーベルヘ願い奉る。祖たる女神の子らが末路わぬ神に虐げられることを憂い給え。ゴッデスパラデュース」
陽も登らない未明、サルディニアの帝都サルディアに眩い光が降り注ぐ。
巨大な禁呪の魔法陣よりも更に大きなホーリーサークルが出現し、一帯を真っ白な輝きで照らした。サルディニア帝国の国教であるマリベリトフター教の女神ではなく、その祖となる聖マリーベル教の女神の奇跡。
マリベリトフターとは、マリーベルの娘という意味で、現世の子らにとっては祖母のような存在と言えるだろうか。
輝きに照らされた場所は、ヨルムンガンドの毒が蒸発していき、怪我をした者達は皆が回復をした。死の淵にあったものですら、その全てが戻って来る。
「閃光よ彼の敵を打ち滅ぼせ! グランツ・ブリッツシュラーク!」
天から鋭い雷が降り注ぐと、それら全てがヨルムンガンドへ向かう。神の雷、雷神の千槍と呼称される集合魔法が多くの魔力を乗せてさく裂した。焦げる匂いが漂う、突き刺さった地上は建物が吹き飛んで大地が焦げ付いていた。
「GUェァァア!!!」
この世の叫びとは思えない断末魔、その身を焦がし呪詛をまき散らしてヨルムンガンドが散り散りになる。
ゴッデスパラデュース――女神の楽園が帝都を覆っている、そのお陰で死の大地にならずに済んだ。
朝日が差し込んで来ると、帝都の臣民は皆がひれ伏して神に感謝をささげた。それがマリベリトフターであろうと、マリーベルであろうと女神はただ微笑むのみ。
ドロシアは黙って望楼を降りると医務室へと戻る。そしてベッドの横に座ってたった一人でアドラーの手を握った。それを邪魔する者は居なかった、そして丸々二日の後についにアドラーは目を覚ます。
◇
水やタオルを取り換える為に侍医がやって来た時、アドラーが目を覚ました。すぐさま控室に戻るとそれを報せる。筆頭侍医に大司教、そして団長らが医務室へやって来た。彼らがそこで見たものは、泣いてドロシアに抱き着いてる皇帝の姿だった。
あまりにも想像から外れてしまう光景に声が出ない。
「暗闇の中であなたの声が聞こえました。あなたの存在だけが感じられました」
威厳溢れる若き皇帝が、まるで幼子のようにだ。見てはいけないものを見ているかのような錯覚にすら陥る。
「あたしなど居なくても、お前は一人で上手くしていたでしょう」
一国の皇帝を相手にお前と呼ぶ。そんなことがあれば激怒して即座に相手を消し炭にしていたアドラーが全く激昂することがない。とはいえ皆がハラハラとした。
「私はすがりたかった、それが未練だとしても。あなたに傍に居て欲しかった! この世が終わるまでずっと……」
駄々っ子かとすら思わせるような物言いに、臣下らは無言で視線を逸らすのみ。
「お前は皇帝なのでしょう。ならば見合った者を探しなさい」
少女が大の大人である皇帝をあやしている、彼等にはそう見えた。事実その通りではあるのだが、大司教があることに気が付いて小さく「聖下」と呟き膝を折った。皆がどういうことかと訝しむ。
「生きていたならどうして名乗り出てくれなかったんですか、カタリナ師匠。姿かたちが違おうと、あなたは私の師です」
「今の身体はドロシアというのよ。はぁ。まったく、感情位コントロール出来るようになれとあれほど教えたのに、どうしようもない生徒ね」
筆頭侍医も、魔導師らも膝をついて頭を下げた。全ての辻褄があった瞬間、どれだけ不可解であっても現実を優先する。
「私はあなたさえ居てくれればそれで良い。どうか私と結婚してください!」
「はぁ。何を言っているのよ。お前とは師と弟子なだけでなく、あたしの今の見た目はこれでも中身は百歳を超えているのよ。冗談も休み休みいうものよ」
かつてサルディニアに存在してた大魔導師カタリナ。極めて強力な魔導師でありながら、神の奇跡を司る聖マリーベルの神職でもあった。その為に敬称は聖下、国を越えて崇められる程の超越者。十年前に逝去した際にの国葬は、各国から弔問者が山と訪れて帝宮に入ることが出来ない者が数多く現れる程だった。
「今の師匠は僅かな魔力しか持てていない。だからそれを私が補います。あらゆる敵から必ず守ると誓います。ですからどうか、どうか願いを聞き届けて下さい!」
「孫どころかひ孫よりも若いのに求婚されるとは思わなかったわ」
呆れてものも言えないとはこれだろうか、つれない態度をしているというのにアドラーは退かない。お陰で臣下らは相当居心地が悪いだろう。
「これは魂の誓いです。それに転生前であっても私は師匠と結ばれたいと思っていました」
転生前といえどもシワシワの年寄りでは無かった。今と同じか、むしろ少しばかり年若い姿をしていた。百歳以上と表してはいるが、それが三桁だと誰が言った? そんな台詞すら似合う。
「……はぁ。まあいいわ。まったくどこまで一途なのよ、そんなことだから妃の一人も出来ないのよ?」
「私は師匠以外と寄り添うつもりは微塵もありませんでしたから」
あまりにも真っすぐすぎる想いと、実際にそうだった行動、本気の瞳にどうやって拒否するか考えるのを諦めた。
「はぁ。アドラー、色々面倒だから転生のことは秘密よ?」
大きなため息をついて彼女は折れた。憑依したドロシアには悪いけれども、本気には本気で応じることにしていたカタリナはアドラーの求婚を認めてしまう。
「うむ! 今この瞬間よりカタリナの名は口に出すことを厳禁とする。これに背いたものは即刻族滅する。これは皇帝の最優先命令だ!」
全員が恭しく言葉を受け入れる、さも当然であるかのように。
「――まあ新しい人生だもの、それもいいか――」
微かに隣に聞こえるかどうかの小さな声。アドラーも聞き違いかと思えるほどの囁き。それから数十年、サルディニア帝国は最大の繁栄を見せた。公には一切現れない皇后の存在、幻ではないかとすら言われ続ける。
それでも嬉しそうに語るアドラーを見た者は疑うことをやめた。失ってから気づく大切さ、彼は生涯たった一人とだけ添い遂げることになる。
イラスト付☆サルディニアの蛇 愛LOVEルピア☆ミ @miraukakka
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