第3話
(なあ、飼い主。)
俺は、心の中で飼い主に語りかけてみる。俺に、人間と会話する手段はない。唯一あるとしたら、飼い主の「スマホ」なるものを使って文字を入力することだが、俺の足が指紋認証に反応するとも思えない。
(俺に、教えてくれないか。何が、飼い主の住む世界にはあるのだ?俺にとっての宇宙で、飼い主が解せぬものとは何なのだ?)
この数日で俺にとっての「宇宙」に存在する事象やニンゲンの生活を理解したが、それについては、飼い主の視点でしか物事を推測することができない。俺が思うに、ニンゲンの生活など、大いなる「暇つぶし」に過ぎない。ニンゲンも俺たち鳥も、生まれてくる条件が選べず、突如として生まれてきてしまう。決定的な違いは、生命活動の維持にある。鳥は、生まれてから心臓が止まるまで、「生きる」ために生きていく。一方、ニンゲンはある程度自立できるまでは親元にいて、そこからは「人生」が個人の選択に委ねられる。生まれてきた理由は後付けにすぎず、心臓が止まるまで、「したいことをして」生命活動を続ける。つまり、「何かをしたい」と思わない限りは、鳥と同じだ。だが、ニンゲンは「知性がある」がゆえに大量の選択肢を思いついてしまう。そして、「何をやってもいい」が「何でもできるわけではない」ジレンマが発生する。おそらく、飼い主はその状態に陥っている。
俺が好きなラジオ番組「説法の時間」で、仏教の世界を少しかじったのだが、ニンゲンには「四苦八苦」が存在するらしい。生まれ、老い、病み、死ぬ苦しみの4つに、
さらに、「愛する人と別れる苦しみ」「会いたくない人と会う苦しみ」「得たいものがえれぬ苦しみ」「すべての苦しみを抱えその身で生き死ぬことの苦しみ」の4つを加えて、8つの苦しみ。知性の芽生えた俺はなんとなく想像はつく。
俺と飼い主のみ存在する俺の世界では、このような苦しみは存在しえなかった。だが、ニンゲンの世界では、飼い主以外のニンゲンがいて、環境があり、義務や責任があり、その中で一人一人が「選択」をして生命活動を維持し続けなければならないのだろう。それと比べたら、いかなる知性を持とうとも、あと5日は、静かに鳥かごにいるべきだとも思えてくる。
だが、俺の精神的逡巡も3周目に到達し、よからぬ無限ループに陥っているような気もしてきたので、俺は再び、知的好奇心を働かせ、飼い主に尋ねる。
(何が飼い主を苦しめているのか?教えてはくれないか。)
俺は、飼い主の目をまっすぐ見つめる。飼い主と目が合う。俺の気持ちを察知したのか、飼い主が口を開く。
「僕はね…。すこしばかり頭が良すぎるんだ。僕は僕が及ぼす影響とその帰結をすべて知ってしまった。経験と言われるもの…。おおよそ全て…。老いていくまでに積み重ねるもの…。それのすべてをね。良いことがあってもそれは続かないし、苦しんでばかりだ。僕は何を目的に生きているわけではないし、何をしたいわけでもない。君にこの空虚がわかるかい。」
(飼い主がやけに回りくどく、何を言いたいのかがわからない。人生全般に疲れたということか。)
「ねえマルオ君。僕はあす、君を知り合いのところへ預けに行く。僕がいなくなっても寂しくないようにね。だから今日は君と過ごす最後の夜になる。」
(明日…。おい、待ってくれ!俺は、飼い主に聞きたいことが山ほどあるんだ。だが、言葉が出ない。聞くことができない。どうしたらいい?)
俺の心の悲痛な慟哭は黒い渦となって俺の心にとどまり続ける。せめて、鳥かごから出してくれないか?そうすれば俺はなんだって聞き出してやる。飼い主を救うかどうするかは、それから決めればいい。
ーいや。
俺は、いったい今まで何を考えていたのだ?
脱出なんて、とうの昔からできることを知っていたじゃないか。
鳥かごなんて、脱出するようにできているようなものだ。
俺を俺の家に縛り付けていたものは、ペットとして生きるという惰性が生んだものだ。俺は毎日餌箱を開ける扉から飼い主が餌を入れるのを見ている。この家に来た時から、その扉の仕組みを知っている。
なのに、俺は自ら鳥かごを出ることをしなかった。
だが今となっては、自ら開けて脱出するという選択肢が芽生えた。
ニンゲンが自分を縛り付けるものから解放されるときの喜びを、俺は味わうのだ。
次の瞬間、俺は素早く餌箱に降り立つと、そばにある扉の金具を上にあげ、嘴を使って扉を持ち上げてすとんと自らの体に落とし、飛び立った。
俺は飼い主の膝の上に乗る。
「…。マルオ…。君?」
やつれた顔で、でも驚きの表情を浮かべ、飼い主が俺を見ている。
(さあ、まず俺の世界を理解することから始めようか。)
鳥が見たかった世界 白柳テア @shiroyanagi
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