第2話
「ああ、僕は…。」
飼い主がうめき声を漏らす。飼い主の様子が、おかしい。
これは「悲しみ」の感情かもしれぬ。「怒り」かもしれぬ。いずれにせよ、知性が芽生える前の俺には、なかった感情たちだ。最近、人には、「楽しみ・嫌気・悲しみ・恐れ・怒り」の5つの感情があると知った。そして、5つの基本感情は、46種類にわかれるらしい。46種類もの感情を抱えて生きるニンゲンは、さぞかし俺たちよりもっとずっと複雑な気持ちなんだろう。だが、幸か不幸か、俺にはそれがわかってしまう。俺の3日間の絶望はそのためだ。
「僕は、もう誰に頼ったらいいのか…。」
やはり、飼い主の様子が、おかしい。これは悪いことの前兆だ。俺には、わかる。「鳥の知らせ」が俺に伝えているのだ。ああ、こんなにも小さな脳で、小さな「世界」で、ニンゲンが大好きなSFのような機能を、俺たち鳥は持っているのだ。
だが、どうやってニンゲンがそれを知ろう。語られぬ言葉は決して伝えられないのだ。虚心坦懐の思いで、俺は何か言葉を発しようとするが、ニンゲンには、ピーとしか聞こえない。だから、俺は、飼い主から目を離さないように気を付けていた。
俺は、たった一つの可能性だけを心配していた。飼い主が死んでしまうことだ。俺が好んで見る「1」の番組は、ニンゲンは時に自分から生命活動を終えると説明した。この前「太宰治」という文豪の「斜陽」で、「死ぬことは救いだ」と言っているのを見た。もしかしたら、飼い主は「自死」を遂げようとしているのかもしれない。
鳥の世界に決して存在しない、「自死」という言葉。知性の低い動物達には、思いつくことすら不可能な選択肢。時に、ニンゲンは複雑すぎる人生の終着点、救いをそこに求める。
だけど、それは俺にとっての救いではない。
いくら知性が低かろうと、飼い主を失った鳥は、ストレスで死んでしまうこともあるのだ。俺は幸い、「物心がついている」。だから、「死」を理解し、受け止めることはできるだろう。だが、俺はそれから死ぬまでの鳥生での「50日間」の間を、孤独に過ごすのだ。飼い主が死んだら、俺は残りの4日間を、どう過ごせばいい?知性の無かった俺には広すぎた世界と宇宙を、どう旅すればよい?
その時、また飼い主が何かをつぶやいた。
「僕は、死にたい…。この世界は、僕が生きるには広すぎた。」
俺の予想は的中した。やはり、飼い主には自殺願望が芽生えていたのだ。それにしても、ニンゲンにとっても、やはり世界は広いものなのだろうか。今まで、ニンゲンの寿命分、7年と4か月3週間の間、腹が減ってはエサをついばみ、暗くなっては目を閉じてうずくまり、飼い主の真似をしてはピーと鳴く、そんな生活を永遠に繰り返していた、ことを恥じた。飼い主は、今まで俺が無知の間もずっと、何かを言っていたのだ。訴えていたのだ。ニンゲンは、急に死のうとは思わない。いくつもの事象が積み重なって心をむしばみ、ある時突然心が壊れるらしいのだ。
飼い主、俺は気づけなかった。すまない。
だが、今はわかる。飼い主は、今まで、ずっと辛かったのだ。
鳥生が辛いのと一緒に、人生も辛いのだ。知性があるから、辛いのだ。
だけど、何が?7年と4か月3週間の間の、その蓄積の、「何」が、つらいのだ。
俺は、飼い主が口を開かないと、何もわからない。
結局俺は、何もしてやれないのかもしれない。
だって、俺は、ペットだから。
飼い主がいないと何もできない、ペットだから。
だいたい、ペット、って、なんだよ。ただの囚われの身なのか?ずっと飼い主と一緒で、自由なんてどこにもなくて…。
うんざりするほどずっと一緒で…。何があってもずっとここにいるしかなくて。
待てよ…。
俺、ペットだから、ずっと飼い主と一緒にいるのか?
飼い主と、こんなに近く、誰よりも長い時間を過ごしているのは、俺たちペットなんじゃないのか?
そうか…。きっとそうだ。俺は、ペットだから、この飼い主の側にいられたんだ。だったら、ペットにしか、できないことが、あるかもしれない。
俺には、寿命の5日前に、知性が芽生えた理由があるのではないか?
ペットならペットらしく、俺は何か最後にこの飼い主にしてやれないか?
俺は、俺の残された時間を、どう俺の飼い主に与えてやれるだろう?
だが、同時に俺の心に、ある種の思ってもみない考えが交錯し始めた。
7年と4か月3週間、俺はペットとして飼われた。俺は、飼い主がいなければ、死んでいた。だけど、だからと言って、なぜ飼い主を助けなければならないのだろうか。なぜ、恩があるのだろうか。そして、なぜ飼い主が好きだと思う必要があるのだろいか。恩や義理や責任というニンゲンの感情は芽生えたが、俺はニンゲンではない。
考えてみれば、ある意味至極真っ当な話のような気もしてくる。ペットは、ニンゲンの都合で飼われる。飼われ続けるのは、ペットにとってそれ以外の選択肢がないからだ。だが、知性が芽生えた今、俺には無数の選択肢がある。
飼い主を助けることも、見捨てることもできるかもしれない。
また、飼い主が何かを言う。
「…。すべてが…。僕には、抱えきれないすべてが…俺をどうしようもなく苦し占めるんだ…。」
鳥にはわからぬ「すべて」が、ニンゲンの世界の鍵かもしれない。俺には、まずは知性を活用する必要がありそうだ。もう少し知ってから判断するのも、悪くなかろう。
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