猫を見る④

 僕は思わず顔を上げた。瑠香のつむじが目に入る。

「え、半分?」

「そう半分。答え合わせで言えば、三角」

 それから彼女は「手、止まってるよ」と指摘した。僕は再び英語の問題集に目を戻す。

 頭上から彼女の声が聞こえる。

「大志が思うほど、私そんなに大したこと考えてないよ。それとそんなに優しくもない」

 そこで少し間を置いて、彼女は苦笑した。


「猫、被ってるだけ」


 その言葉を聞いてペンが止まる。

 そういえば、なんで『猫』なんだろう。

 瑠香は、猫を見ればわかると言った。彼女の言葉に嘘も無駄もないのなら、猫であることにもちゃんと意味があるはずだ。

「……あ」

 ふと閃きが芽生えた。僕は手元のノートに『猫』と書く。

 ただ、これは英語のノートだ。――だから『Cat』。

 よく見れば、そこには前に瑠香が話していた『C』が入っている。ランドルト環の『C』だ。

 ランドルト環は視力検査の際に意識して見るものだ。『See』じゃない。『Watch』でもない。


 つまり、『Look at――を見て』。


 息を呑む。何かを手繰り寄せている感覚があった。けど、まだ足りない。

 彼女は何を見ろと言ってるんだ。猫? いや、猫というヒントはもう使ったから違うか。他に何か言っていた気がする。

 僕はその『何か』を求めて、問題集のページを捲った。これまで解いてきた問題が次々と現れては消えていく。──そして、そのカギは唐突に現れた。

 あのとき読めなかった長文問題。

 青色の線だらけのページが視界に飛び込んでくる。

「……そうだ」

 ちゃんと目をひらいてればね。彼女はそう言っていた。

 確かに違和感はあった。

 目をひらく、なんて言うだろうか。物語の中ならともかく普通の会話なら『目をけて』とか言わないか。

 それでも、彼女は『ひらく』と言った。

 開く。ひらく。そういえば漢字をひらがなにすることを『ひらく』って言ったな。

 目を開く。

 目、め……me?


「え」


 僕は顔を上げた。

「ほら」

 そこには木陰に佇む猫のような、真ん丸で真っ黒な瞳。

「大したこと考えてないでしょ?」

 そう言って、瑠香は悪戯っぽく微笑んだ。机に置かれたスマホの画面には『failed』の文字が光っている。

 いつの間に彼女はこちらを向いていたんだろう。――いや、彼女は一体いつから僕のことを見ていたのか。

「ほんとは私、ずっとさ」

 瑠香は机に転がっていた赤ペンを持ち上げた。そのまま僕のノートに腕を伸ばす。

「猫になりたかったんだよね」

 ページの上に記された『Cat』が、赤い丸印でくるりと囲われた。



(了)

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猫を見る 池田春哉 @ikedaharukana

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