後篇

 でも、日常にもいつか終わりがやってくる。そして、終わりは突然やってくる。

 そんなことは、とうの昔にわかりきっていたはずなのに。


「おつかれさまです」

「おう、美作みまさかか」


 それは、校庭の葉が色づきはじめたころ。文化祭が終わって数日が経ったある日のことだった。

 いつものように放課後部室へ行くと、いつもどおり部長が応える。だけどその日はいつもと少しだけ違っていた。部長はパイプイスに座らず、立って窓の外をながめていた。


「どうかしたんですか?」


 なんとなく違和感を覚えた。なので、私も自分のイスに座らずに尋ねてみると、


「俺、今日で部活引退することにするわ」

「え……」


 瞬間、私はのどまるのを感じた。

 なんで。どうして。何か事情があるのだろうか。頭の中ではたくさんの疑問がかんでくるのに、突然とつぜんすぎてうまく言葉が出てこない。


「実はさ、前に読んでもらった小説が受賞してさ」


 すると、私の様子を察してくれたのか、部長は話しはじめてくれる。まだ本人も実感がないのか、まるで他人事ひとごとのような言い方だった。


「前に読んだ小説って……『夏色の手紙』ですか?」

「ああ。奨励しょうれい賞っていう一番下の賞なんだけどな。でも、ありがたいことに本を出版しないかって話をもらったんだ」


 1学期のころに読ませてもらった恋愛小説を思い出す。そっか、あの小説、受賞したんだ。


「で、話を聞いてると原稿の修正とか、いろいろやらなきゃいけないことがあるみたいでさ」

「そうなん、ですね」

「それに受験勉強もそろそろ本格的にやらないといけないしな」


 今まで小説を書いてばっかりだったから、さすがに本腰を入れないとヤバくてな、と部長は苦笑する。


「だから、引退するんですか?」

「ああ。ここにくる時間も、ほぼとれなくなるだろうし」


 部屋の中を風が通りぬける。ひんやりとしたそれは、私の身体を薄くなでた。


「すまないな、美作。いきなりで」


 部長は申し訳なさそうに謝る。


「今思えば、もうちょっと部のことを考えてやれればよかったんだけど……。ほら、新入生の勧誘かんゆうとかもロクにしてこなかったし」

「何言ってるんですか。こんな何もしてない部、募集ぼしゅうしたって誰も来なかったですって」


 それに、私は新しい部員なんて必要なかった。私が求めていたのは、あの時間だけ。

 だけど、ここで部長が新しく書いた小説をいちばんに読むことは――もうない。


「あの、部長」

「なんだ?」

「…………いえ、なんでもありません」


 言いかけて、やめた。


「なんだよ、気になるだろ。急に引退するの、やっぱりおこってるんじゃないのか?」

「そんなことないですってば。私のことは気にしないでください。部長、ずっと賞をもらえるようがんばって書いてきたんですから」

「いやまあ、それはそうなんだが」

「じゃあ、代わりに私のお願いをひとつ聞いてくれませんか?」


 頭をかく部長に、私はひとつの提案をする。


「それで引退のことはチャラにしましょう。どうですか?」

「おう、いいぞ。あんまりお金がかからないことじゃなかったらな」

「そこはもう少し見栄みえをはりましょうよ」


 笑いあう。まるで日常がこのまま続いていくと錯覚さっかくしそうだった。


「それで? 美作のお願いっていうのは何なんだ?」

「それはですね――――」



  ***



 部屋の中に、音はなかった。


 いつもと同じ。ひょっとすると、昨日きのうまでと変わらないように見えるかもしれない。

 けれど、そこには決定的な違いがあった。


 部室にいるのは、私ひとりだけ。

 いや、それも少し違う。私は今、とても大切なものと一緒にいる。

 私の手には、紙の束。


『夕暮れどきの君は』――私がここで初めて見せてもらった、部長の小説。


『ほんとにこれでいいのか? 初めて書いたやつだし、俺としては恥ずかしいんだけど……』

『いいんですよ。恥ずかしいのは我慢がまんしてください。いきなり引退したばつだとでも思ってください』

『……わかったよ、ほら。言っとくけど、誰にも見せるなよ?』

『ありがとうございます。もちろんですよ』


 原稿用紙は、いたるところはしっこがよれていたり、シワが寄ったりしていた。そのうちいくつかは、もしかしたら私が読んだときについたのかもしれない。


 太陽がかたむく。私と小説を、オレンジ色にめる。

 表紙をめくる。びっしりと書かれた文章が、私の目に飛びこんでくる。


 それは、私が恋に落ちた文章たち。

 それは、私が愛してやまない物語。


「好きだよ」


 やさしく語りかける。誰にも届かない小さな声で。誰にも伝わらない、めた想いをこめて。


「好きだよ」


 もう一度、たしかめるように。だって、この恋はこれまでもこれからも、決して届くことはなくて、決して伝わることはない。こうして目の前にしても。私のものになったとしても。


 だから、私はただ、いのるだけ。

 どうか、これから生み出される物語も、好きになれますように。

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夕暮れどきの君は 今福シノ @Shinoimafuku

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