伍  私たちの秘密

 あれから10年もたったなんて。

 楓花は婚約を機に、空き家だったおじいちゃんの家に引っ越した。

 村の資料館に勤める学芸員と結婚するのだ。


「今日のおかず、何。

 彼は楓花のことを、ふうと呼ぶ。


「あちゃー、まちがえた」

 和室の座卓で婚姻届を書いていた楓花は、ちいさな悲鳴を上げた。

「悪いー、も一回、書いてもらってもいいかな?」

 縁側で本を読んでいた彼は、「いいよ」、本にしおりを挟んで、文机のところへ行き、すずりと墨を道具箱から出してりはじめた。

 

 彼は孤児だ。  

 楓花の両親が彼の後見人になって、彼が大学を卒業するまで見守った。

 行方不明になったきりの祖父の願いだったから。


 

「天気、いいね」

 彼が言う。


「押入れのふすま、開けとく?」

 私は、少しだけ、仏間の押入れを開ける。

 そこには、とある甲冑かっちゅうと刀が収められている。


 それは秘密だ。

 絶対の秘密。


 彼は小筆で、さらさらと婚姻届の自分の欄を書き上げた。



 名前の欄には、久万クマ剛介ゴウスケと。



 もっともな仮名かりなをつけたものだ。

 だーれもいないのを確かめて、私は彼の本来の名を小さく呼ぶ。


(クマスケ……)


「何? ふう」

 


 私たちも生きて、生きて行くよ。

 おじいちゃん。





      〈了〉

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霧ノ國 時の往来〈短編〉 ミコト楚良 @mm_sora_mm

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