肆  ゴウエモンの最期

 霧がすごい勢いで引いていく。


「おじいちゃーん」

 叫んでみるけど、返事はない。


剛右衛門ごうえもん……」

 いつの間にか、私の後ろに熊之介くまのすけがいた。


「ク、クマスケ」

 熊之介くまのすけの目から大粒の涙が、ぽろぽろ落ちる。

 彼は、まさに置いてけぼりの小熊だった。


 おじいちゃんは帰ってこない。

 還ってしまった。

 なぜだか、そうわかったのだ。


『もし、もーし。颯花ふうか、ふうかっ、ふうかっっ』

 地面に取り落とした携帯で、お父さんが絶叫していた。


「ごめ、お父さ。おじいちゃ、いなくなった」

『落ち着っ、颯花ふうかっ』


 いや、あんたがてんぱってるだろ。

『もしかして、そばに甲冑かっちゅう着たヒトとか、い、いる?』


 お父さんて、千里眼せんりがんんー。

 楓花は自分の胸でしゃくりあげる熊之介くまのすけを、イイ子、イイ子しているところだ。

「いる、て、ゆーたら?」

『おじいちゃんの世迷言よまいごとじゃなかったか……』




 お父さんは、車をすっ飛ばしてきた。


 そして、おじいちゃんの家で、熊之介くまのすけに対面した父は、かなりな及び腰だった。中学生ぐらいの子に。いい中年が。

「わー、本物」

 甲冑かっちゅう姿の熊之介くまのすけに、びびりまくっていた。


剛右衛門ごうえもんの御子息か。初めてお目にかかり申す」

「も、もうす」


 なってねぇ。


「く、熊之介くまのすけが来ちゃった? え、援軍を呼ぶ前に?」

「お父さん、その話、知ってるの」

「うん……。村の資料館で」


 びば! 村の資料館。


「援軍を呼びに行った密使は、援軍より先に城へ戻ろうとして、その城の目前で、その」

 お父さんの歯切れが悪くなる。

「敵に捕まって、籠城ろうじょうする仲間に『援軍は来ない』と言えと。でも、密使は『じき援軍は来る! あと少しの辛抱じゃ!』と仲間に向かって叫んだ。それで、その場で敵に処刑されてしまうんだよ」


 むごいがな。


剛右衛門ごうえもんが?」

 熊之介くまのすけの顔が、涙でぐしょぐしょだ。


「いや、その密使の名は熊之介くまのすけと書いてあったんだけど……」

「……」


 ぱちんと、囲炉裏いろりの火がはねた。

 



 それから、熊之介くまのすけを浴衣に着替えさせて、私たちは村の資料館に向かった。


 小さな村の資料館は、しんとしていた。

 この辺りにあった城についてとか、各時代の領主についてとかの古文書の複製が閲覧可能になっている。


「おかしいな」

 古文書資料を見ながら父が首を傾げている。


「僕が前、見た時は、密使の名は熊之介くまのすけとあったんだよ」


 だが、そこに書き記されている名は。


 剛右衛門ごうえもん、だった。


 敵方に捕えられた剛右衛門ごうえもんは、『援軍は来ぬ』と偽りを申せと味方の籠城する城の前に引き出された。さすれば、命は助けたうえ恩賞をくれてやると。

 いったんは了承したと見せかけておき、剛右衛門ごうえもんは、『じき援軍は来る! あと少し、耐えられよ!』と城の同胞はらからに向かって叫んだ。

 敵大将の怒りすさまじく、すぐさま剛右衛門ごうえもんは見せしめとして処刑された。


 そう、記されていた。


「おじいちゃんが変なことを言うから、前に僕なりに調べたんだ」

「お父さんは、仏間の押入れの甲冑かっちゅうと刀を見たことある?」

「ああ、絶対、開けちゃダメって、おばあちゃんに言われていたけど、開けたことある。そう言われたら、子供は開けるよ」


 お父さんの自己弁護、すごい。


「『霧が山に出れば』とも言っていたなぁ。もし、自分が急にいなくなっても悲しむなとも」


 おじいちゃんは、ずっと還る機会をうかがっていた。


「おじいちゃんが、クマスケが処刑される役割を代わったの?」


 熊之介くまのすけが、ぴくんと肩を震わせた。


「いや、本来、おじいちゃんが、その立ち位置だったのに、こっちに来たから、それで熊之介くまのすけくんが代わりになったのかも」


「おじいちゃんとクマスケ両方が、こっちに居続けたら?」


「それはない」

 それまで黙っていた熊之介くまのすけが、きっぱりと言い切った。

剛右衛門ごうえもん是非ぜひもなく。目の前の同胞はらからが死ぬのを見たくなかったはずだ」

 楓花と楓花の父を見る熊之介くまのすけは、泣いているけど笑おうとした。

 

 楓花の父は、「……今は剛右衛門ごうえもんが密使として処刑された過去になってる。これがくつがえることは、ない、かな? 過去の時間も流れていくが、今、この時間も流れているんだからね」、そう言って資料を閉じた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る