参  ゴウエモンの帰還

わしは、この霧が晴れぬうちに還ります」


 おじいちゃんは仏間に行くと、押入れを開けた。

 そこには、古い甲冑かっちゅうと刀がしまってあった。

 新しい小袖も調ととのええてあった。


「この地にいる間に仮説を立ててみたのです」

 おじいちゃんは刀をさやから20センチほど抜き、刃の照りを確かめた。

 刀は、まったく錆びついておらず、冴え冴えとした光を含んでいた。


「霧の立つときに、ひとり来るなら、そのときに、ひとり還れるのでは、と」


剛右衛門ごうえもん

 熊之介くまのすけが、おじいちゃんにすがった。

熊之介くまのすけさま」

 おじいちゃんは、その手をやさしく引きはがした。


「この地に慣れるには、しばし時が必要でしょうが。何のことはない。颯花ふうかせがれがお世話を致しましょう」


 おじいちゃんは私に向き直った。


「頼んだ、颯花ふうか

「た、頼まれた」

 ああ、なんて自分は語彙ごいがないんだ。楓花は顔をゆがめた。


「われも行くっ」

 熊之介くまのすけが言い張った。

 

「試されるのは構いませんが、おそらく、来た者はすぐには還れぬのです」


「でも、でも、試してみようよ。おじいちゃん!」

剛右衛門ごうえもん!」


 子供ふたりにぶらさがられた、おじいちゃんは観念してくれた。

 


 おじいちゃんと熊之介くまのすけは、それぞれ新しい小袖を着て、それぞれの甲冑かっちゅうを身に着けた。

 そして、私たちはまた山へ向かったのだ。



 霧は、うねるように体を伝う。

 1メートル先も見えない。


颯花ふうか殿。あなたは霧の中でも見えますか」

 まだ、熊之介くまのすけは私を、もののけと思っているのか。


「見えぬ」

「では」

 熊之介くまのすけは手を伸ばしてきて、私の腕をやわらかく掴んだ。

 そして、私の指に指を絡める。

 いや、これって恋人つなぎ。

 あったん? あったん? そんな戦国時代から。この手つなぎ。


「この先に山小屋があります。そこまで、行ってみよう」

 おじいちゃんの後ろ姿が、霧の中にぼんやり浮かんでいる。

 カチャカチャ、甲冑かっちゅうのこすれる音を頼りについていく。


 山小屋には一装備ひとそうび、揃っていた。


「そう言えば、おじいちゃん、よく、ソロキャンプしてたね」

「あぁ、還れぬかと思ってねぇ」


 おこした焚火たきびの火がぜた。

 とろんとした霧に辺りは包まれて、昼なのか夜なのかもわからないほどだ。

 熊之介くまのすけは、山小屋の中の寝袋にくるまって眠ってしまった。


「疲れてもいましょう。昼も夜も山の中を急いでおったから」


 熊之介くまのすけの寝顔はあどけなかった。

 こんな子供でも、戦国の世では、いっぱしオトナの役目を担っているのか。


颯花ふうか、お前の名前は、という方からもらった」

「そう言ってた、クマスケも」

 楓花は、さっさと熊之介くまのすけを短縮した。


「生きていてほしかった」

 おじいちゃんは、それだけ言って、あとは焚火たきびを見ていた。


「私、なにかできるの?」

 そう聞くのが、精一杯だった。


熊之介くまのすけさまを頼む」

「がってん……」

  

「おじいちゃんな、颯花ふうかのお父さんにも事情を話したが、たぶん、世迷言よまいごとと受け止めていると思う」


 うん、そうだね。


「おじいちゃんは還れるはずだ。調べた文献には、敵兵に囲まれた城を抜け出した密使は國主こくしゅに援軍を頼んだのち、すぐさま籠城ろうじょうする味方の元へ戻ったとある」


「その文献、どこで見たの」


「この村の資料館」


 びば! 村の資料館。

 そのとき、ライン通知が鳴った。


「あ、お父さんから」

 楓花は最速でタップした。


颯花ふうか

おじいちゃんのところから帰ってくるの何時』


『もうちょっと

かかるかな』


『迎えに行く』


『さんきゅ

おじいちゃんの名前

剛右衛門ごうえもんていうんだ

ふるえた』


ツヨシだろろ』

 お父さんの字面じづらが動揺した?


 いきなり、電話が鳴った。

 お父さんからだ。

 電話に切り替えてきた。


颯花ふうか、いま、どこ⁉ おじいちゃんは⁉』

「いっしょだよ。山小屋」

『もしかして、霧。霧、出てるのか』

「うん。おじいちゃん、おじいちゃーん」


 おじいちゃんを呼んだけど、返事がない。

 焚火たきびの向こうにいたよね、さっきまで。


 いない。

 おじいちゃんがいなくなった。

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